P.16

 革ジャンは腕時計型端末リストデバイスを点灯させる。その明りを頼りに、シュウを支えて地階へ降りた。

 ロッカーはバネ仕掛けのように戻り、背後で階段を隠した。

 突き当りの扉を開くと、中小企業の事務所ふうの部屋が現れた。寄せ合わせた机の一隅で、グレーの作業着姿の女性がキイボードを叩いている。奥の机にはヒゲづらの男が居た。

 革ジャンは壁際の長椅子にシュウを下ろした。

 ヒゲの男は脚が悪いらしい。座る椅子は電動車椅子だ。その男が口を開いた。「ひどい有様だな、ブーステッドマン」

 今日は懐かしい声ばかり聞く。

「コクマー……か?」

 ポッテリした唇が、肯定するように、ヒゲの中で笑った。

 ユダヤ教神秘主義で〈知恵〉を意味する〈コクマー〉。そう名乗るのは、サイバー系反政府組織〈Wake up!〉のリーダーだ。出会った数年前、彼は未成年で、つるりとした頬にヒゲは無かった。

 カルト集団〈幸福教団〉を壊滅するため、教団を攻撃する〈Wake up!〉とシュウは組んだ。政府の仇敵であろうと、敵の敵は味方だ。

「顔がズタズタじゃないか。男前が台無しだ。足もひどそうだし。医者が必要か?」

 顔に手をやる。衝撃波に切り裂かれた幾筋もの切創は、既に凝血している。

「医者は要らない。寝かせてくれ。睡眠さえとれば治せる」

「ナノマシン・ドクターか。便利なものだ。あいにく柔らかなベッドは無いが」

「この椅子で充分だ」

「そうか。安全は保障する。ぐっすり眠ればいい」

 女性がバスタオルとジャージを手渡してくれた。着替えやすいように部屋を出ていく。

 乾いた衣類に替える。濡れネズミから解放されると、どっと疲労が襲ってきた。

 長椅子に横になる。闇へ引きずり込まれるように眠りに落ちた。


     *


 目覚めると天井の照明が目に飛び込んできた。上掛けの中から身を起こした。

 部屋にはコクマーひとりだ。

「どれくらい寝てた?」びっしょり汗をかいている。体内のナノマシンが治療に動き回り、老廃物を排出したせいだ。

「まる一日とちょっと。気分はどうだ?」

「だいぶいい。感謝するよ」

「すごいな、顔の傷が目立たなくなっている。なるほど、人間どもが怖れをなすわけだ。シャワー浴びてこい。ハナシはそれからだ」

 シャワー室には下着の替えと作業着が用意されていた。

 熱いシャワーが心地よい。左足首の痛みも和らいでいる。

 着替えを済ませ、コクマーに向き合う形で椅子に掛けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る