第2話 悪夢からの目覚め

 たまに見る悪夢なんかよりも遥かに悪夢らしい出来事が起きてから、一日が経過した。


 大島彩蝶に、告白された。


 思い返して、意味が分からなくなって、思い返して、意味が分からなくなって……その繰り返しを脳内でぐるぐるさせていた。


 それもあって、普段よりも重い足取りで教室に入った。

 私に気を留める人間は少ない。それなりに目立つ容姿をしているせいか、大して親しくもない人たちに一瞥される。それにはもう慣れたからいいんだけれど。


「……はぁ」

 爽やかな朝に似合わない溜息を吐いてから、一番窓側の最後列にある自分の席に座った――。


「めーるなちゃんっ」

 座ってリュックを机の横に掛けた直後、寝耳を差すような溌剌とした聞き覚えのある声で〝名前〟を呼ばれた。

 顔を上げると、そこにいたのは、予想通り大島彩蝶だった。けれど、取り巻きを連れていないのが珍しかった。いつもはクラスのいわゆる一軍たちを引き連れているのに。


「おはよっ」

 天使のような笑顔と愛嬌で、右手を軽く振りながら挨拶をしてきた。

他の人だったら、緊張から心臓が素早く脈打ち、返しの挨拶もしどろもどろになっているかもしれない。だけど、私はこいつの本性を知っているし、何より嫌いだったから、別の意味で脈拍が速くなった。


「あーはいはい、おはようございます」

 テキトーにあしらうようにして挨拶を返す。

 そもそも、私はあんまり朝に強くないから、誰が挨拶しても少し素っ気なくなる。

「いい朝だね!」

「どこがだよ」

 私は吐き捨てるように言った。

 こいつと私のテンションがあまりにも離れていて、それが朝特有のイライラを増幅させた。

「夢月ちゃんって朝弱いの? いつもチャイムギリギリに来るよね」

 私の不機嫌を気にすることなく、大島彩蝶は会話を続けてくる。早くチャイム鳴ってくれ。

「そ。朝はしんどいんだから、話しかけてこないで」

「あたしがモーニングコールしてあげようか?」

「話聞いてた?」

「夢月ちゃんと朝に通話しながら学校の準備するとか、素敵じゃない?」

「悪夢だ……」

 私は眉間に拳を当てる。

 悪夢に悪夢を重ねてくるな。ナイトメアサンドイッチは嫌だ。

「あ、ていうか、夢月ちゃんと連絡先交換してなかったね」

 私の気などお構いなく、またしても恐ろしい提案をしてきた。

「いや、それはマジでイヤ――」


「あれ、珍しい組み合わせじゃない?」

 私の言葉を遮って、大島彩蝶の背後から、数人の男女が現れた。

 こいつらは、いつも大島彩蝶の周りにいる取り巻きたちだ。


「え、なになに? 彩蝶と浅井さんって、仲良いの?」

 次々と現れる取り巻きたち。

私は気が遠くなるのを感じつつ、視線を取り巻きから大島彩蝶に戻した――ところで、背筋に寒気が走った。


「………………」


 というのも、大島彩蝶が恐ろしい顔をしていた。

 虚無という言葉が相応しい、何もかもどうでもよさそうな真顔。私がたびたび目にしたことのある大島彩蝶の裏の顔――よりも、苛立ちを覚えているかのように、少しだけ眉間に力が入っていた。

 普段であればキラキラと輝いている眼は、完全に光を失っていて、見続けているその深淵に引き込まれそうになる。

 既に私の前で本性を晒しているのと、窓側に顔を向けているからだろうか、大島彩蝶は真顔のまま、目を細くした。

 やっぱり、大島彩蝶にとって、周りにやってきた一軍美男美女の取り巻きは、大島彩蝶という巨大なモミの木を彩るオーナメントに過ぎない……ということなんだろう。

「浅井さん、どうしたの? お化けでも見た?」

 取り巻きの女子……確か名前は南淵あまね――が、私の顔の前で手をひらひらと振った。活発な印象を与えるサイドテールも一緒にゆらゆらと揺れている。

「ん、なんでもない」

 私は大島彩蝶から目を逸らしてから答えた。

 もしかしたら、私が目にしたものは、お化けよりも怖いものかもしれない。

「……ていうか、絡みあったっけ」

 もう一人の女子の……塩澤心が、私のことを睨みつけながら言った。南淵とは違って、落ち着いている印象のストレートロングヘアーを一切動かさなかった。

 絡みがないくせに睨んできた塩澤を睨み返す。それに気付いた塩澤が視線を逸らした。

「確かに、あんま絡みなかったよな」

「いつの間に」

 取り巻きの男子……えっと、たしか……高橋と後藤も続いて言った。

 二年から三年に進級するにあたって、クラス替えは行われていない。一年もあれば流石に名前は覚えるけれど、それ以上の情報はあまりない。 「あー、大島彩蝶の取り巻きの皆さんだ」以外のことは、全くよくわからない。

「………………」

 大島彩蝶は黙ったままだった。

 いや、何か喋れよ。中心にいるのはお前なんだから。

 私は眼の動きでそう促すと、大島彩蝶はぱちくりと数回ほど瞬きをすると、穏やかな笑顔を作ってから口を開いた。

「うん、ちょっとね」

「気になるなー」

 南淵が私と大島彩蝶を交互に見ながら言ったところで、始業を知らせるチャイムが鳴った。助かった……。

「もうチャイム鳴っちゃった。席戻ろ?」

 南淵ががっかりするように眉間に皺を寄せながら、大島彩蝶の制服の裾を摘まんだ。

「また後でね、夢月ちゃん」

 大島彩蝶は南淵に連れられながら、小声で私にそう言って自分の席に戻って行った。

「………………」

 塩澤は振り向くまでずっと私のことを睨み付けてきた。なにかした覚えはないんだけど。

 ……大島彩蝶の背中から窓に映る青空に目を向ける。

 昨日、社会科準備室に呼び出された私は、大島彩蝶から〝付き合うこと〟を強要された。

 私としては、それを受け入れたわけではないけれど、強迫まがいのことをされたから、はっきりと断るのも憚られた。

 断れたとして、一体何をされるのかわかったもんじゃない。

 だから私は、形式的に大島彩蝶と付き合うことになった。

 本当に、なんでこんなことになってしまったんだろうか…………。

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