第129話【話数調整】それが仮に正しかったとしても
ホントにTwitterでの拡散には意味がないのか?
それは一概にはそう言えない部分もある。
ある問題に関してこのエッセイにPVがついたのは、そこに興味がある人がいたからである。
noveldaysで書いているエッセイはPVが20万超えた。
カクヨムでこれを達成するのは至難の業だ。
Twitter、今は×だな。
英語だとxも×もエックスと言うらしい。何故知名度の高い名前【Twitter】をわざわざ改名したのか謎だが。有名なブランドを買収して無名にするのと同じだから、そこには謎しかない。中華まんみたいに輝く顔の人がどんなに有名だろうが、名前の効果を使わないのはもったいない気がするんだよね。しかもシェアのほとんどを日本人が占めているというのに。
不思議には思うが、企業の問題だしな。
閑話休題
今回はTwitterでの相互拡散に意味はあるのか?
という話。
結論から言うと、PVを稼ぐ効果はないが意味はある。
人は毎日見ているものに愛着が湧くのよ。だから初めは義理で拡散し合っていても、御礼を言い合っているうちに雑談も増えてくる。そして徐々に仲良くなれたりもする。
そして人は自分にプラス要素の人を好むようにできている。だから拡散し合っているだけで相互数は増えていく。
なのでコミュニケーションのためにやるものなんだよね。
俺もそんな感じで、当時は3000人近くまで相互を増やすことが出来た。
つまり、どんな効果があるのか理解してやっている分には目的は達成されている。
他人からとやかく言われる筋合いはないし、それでわざわざ「そんなのでPV増えるわけないだろ」と言うのならば、「可愛そうに、あなたは拡散してくれるような人が一人もいないので、僻んでいる性格のよろしくない人なんだね」と心の中で思って、そっと相手をブロックしたらいい話なんだよ
分かっていてもそれが出来ない人は存在する。
どんなにブロックしたら良いと言っても、出来ない人は出来ないんだよ。
そういう人たちを故意に傷つけようとする人はそこかしこにいる。
何とかしてあげたいけれど、どんなに寄り添ってあげてもなにも解決はしない。
本来創作物というのものには優劣なんてなくて、どれだけ共感を得られる人が多いのか好む人がいるかの違いでしかない。
仮にファンが少なくても心無い言葉で踏みにじる権利は誰にもない。
大多数が好むと言うのは裏を返せば平凡なんだよ。
例えばピカソの絵画。
誰にでも描けるものではない。
それはきっと平凡とは程遠いものだけれど、小説でそのレベルの奇抜さのものが一般に受け入れられる可能性は低いでしょう?
創作物というのは誰が認めるかというのでも変わってくる。
そういう曖昧な世界なんだよ。
だから誰のことも攻撃してはいけないし、否定してはいけない。
他人とは自分を映す鏡。あなたが否定をするから相手も否定をする。
自分を良く見せるために他人を貶めても意味はない。
何故なら、誰かを貶めたからと言って自分が良くなるわけじゃない。
そうでしょ?
誰かを貶す度に誤字脱字は減る?
文は上手くなるの?
そんなことはあり得ない。
何もプラスにはならない。
それどころか自分の心が段々と蝕まれていくだけ。
そしていつかやり直しのきかないところまで行った時、この世界に居場所がなくなっているんだよ。
そうは言っても、そんな人は俺の相互にはいないけれどね。
いつも優しいみんなに、ありがとう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。