第64話 元気な人々
当たり前のことではあるが、全てのことにおいて好みは人それぞれである。
それを踏まえた上での個人的な好みの話。
この世で一番うっとおしいと感じるのは【かまってちゃん】である。
何故にうっとおしいかと言えば、かまってちゃんは大抵話にこれといった目的がない。会話には方向性があって、聞いて欲しい、意見が欲しい、笑わせたいなど何かしらの目的が存在する。
かまってちゃんには会話自体には何の目的もない。かまってもらうことが目的なので。なので話の内容は大して面白味はないし、役に立つわけでもないし、オチもない。つまり、話の内容が面白くないし疲れるだけなので構いたくないのだ。
話して楽しい人というのは明確な意思や思想を持っていたり、意見を述べることが出来る。もしくは相槌が上手い。つまり聞き上手。
そんなことからも、かまってちゃんはできるだけスルーしたい。
もう一つ、めんどくさくて構いたくないのが、上辺の人。
人と波風立てたくない、みんなと仲良くしたいと言うのは理解するが。そういう人は【明確な意思表示ができない】人が多い。
それは波風立てたくない気持ちから来るのだろうが、何を話しても浅いので話していてつまらない。
配慮なら理解できるんだよね。
例を挙げれば、作品感想って結構気を遣う分野だと思うんだよ。
明確な悪役がいて、そのせいで主人公が酷い目にあっていたり足を引っ張られているとする。自分は主人公を推していて、こういう状況だったらその悪役を嫌いになるかもしれないし、憎しみを抱くかもしれない。
それは作者としては大成功なわけでしょ?
読者の心を掴んだり、揺さぶったりできているわけだから。
とは言え、【俺はこの悪役が、ぶん殴りたいくらい嫌いだ】と言うことはできないと思うんだよね。それが本心であったとしても。
じゃあどういう風に表現するのかと言えば、主人公を応援している形で表現するわけでしょ? それは配慮だよね。
こういった小説投稿サイトでは作者と読者の距離は近い。
そして相手は素人なので【それは成功】だったとしても、自分の作ったキャラがそんな風に言われたら傷つくかもしれないと思うわけだよ。大人ならね。
思うがままに感想を書けないのは致し方ない。
でもそれは上辺とは言わないでしょ。
上辺ってのはさ、結局は可愛いのは自分なんだよ。
似たようなので、嫌われるのが怖いから黙るって言うのがあるよね。
人は基本、自分の非は認めたくないものだと思うのよ。
それを認めるべきと考えているか、認めるのはカッコ悪いと思っているかの違いだと思う。
自分の非は即認めた方がはっきり言って生きやすいと思うよ。
人から好かれるし。
けれども認めるのが苦手な人は多いよね。
認めても尊厳は失われないよ。何も失うものはない。
早めに話が終わるだけ。
でも認めない人が大多数を占めるというイメージを持っていたら、たぶん意見することはしないと思うの。だから見て見ぬふりをし、相手が痛い目に合ったら教えてあげたらよかったかなとか罪悪感が芽生える。
それで仮に転ばぬ先の杖をしてあげて、相手がその危険から身を守ることが出来たとしても、自己満足でしかないんだよね。
だからこれは難しいところ。
まあ、こんなことばかり考えているので【会話】があまり好きではない。
疲れてくるんだよね。
相手に疲れているのか、自分に疲れているのか分からないけど。
なんでこんな話をするのかと言うと、今日は隣の部署の奴らが一日中お喋りをしていたからなんだよ。仕事しながらだけど。
『よく8時間も喋ってられるね。元気だな』
と思ったのだった。
そのお二人は、一人はかまってちゃんで一人はお喋り好きなんだよ。
疲れるのでどっちの相手もしたくないなと思っているw
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