第12話 湿原の魔物

 街の城壁の外に出れば、気にするのは魔物に関係することだけだった。

 それなのに、ほんの数分前にできたおかしな決まりをしなければいけなくなった。


『1日1回、愛してると言い合う』


 契約魔法を交わした主人のロザリアと、契約者であるルカは他にも『婚約者』という肩書きも持っている。

 異性にモテる彼女のそばにいることで発生するとぱっちりを回避するため、どうにかしてくれとお願いしたところ、婚約者にされてしまった。

 ロザリアは上級冒険者。

 対して、ルカは下級冒険者。

 立場に天と地ほどの差があるのに、命令されてしまえばルカからは逆らえない。 

 魔物の群れから生き残るため、体も魂も差し出したことを悔やんではいないが、その結果がこうなるとは誰も想像できないことだろう。


 魔物の討伐と、魔物から人々を守ることが冒険者の主な仕事だ。

 ロザリアの友人である商人のクラウスからの依頼を受けて、アプラー湿原という沼地に向かっている最中だった。


「ボーンライノスたちは大丈夫かな……」


 呟いたルカの声に、先を歩いていたロザリアとクラウスが振り返る。


「心配する必要はないわ。ボーンライノスに手を出す魔物は滅多にいないし、念のために私が結界魔法を張ってきたもの」


 ロザリアの言ったことに驚いたのはルカだけではなかった。


「魔物相手に結界魔法だって!?君らしくもない!」


「相手がなんであっても関係ないわ。クラウス、私のやり方にケチをつけるならわかっているわよね?」


 友人同士であるロザリアとクラウスだが、今の関係は冒険者と護衛されている商人だ。

 どちらの立場が上なのか正直よくわからないけど、2人の顔色を見るにロザリアの方が上らしい。


「文句を言いたいわけじゃない。でも、たかが魔物だろう。そこまで手厚く保護する必要があるのか?」


「そんな考え方だから、あなたは冒険者になれなかったのよ」


「昔、同じことを言われたな。どういう意味かと尋ねても、君は答えてくれなかった」


 なぜだか、ロザリアとクラウスの空気が険悪なものになっている。

 2人が喧嘩してもルカにはあまり関係ないが、この空気に挟まれたままでいるのはきついものがある。

 ため息を飲み込んだルカは、2人の意識の方向を変えることにした。


 わざと音を立てるように砂利を踏みしめて、ルカは前方を指差す。

 指の先には黒や灰色、茶色と濁った沼がいくつもある湿原が広がっていた。


「喧嘩するのは勝手ですけど、そろそろ準備してください。マーシュベアの縄張りって湿原全体でしたよね?」


 それだけ言えば、上級冒険者であるロザリアは察して険のある雰囲気を引っ込める。

 腰に下げたレイピアに触れながら、視線を湿原に向けていた。


「おいっ!話はまだ終わっていないぞ!」


「クラウスさん。ここからは僕たちの領分です。死にたくなかったら大きな声は出さず、おとなしくしていてください」


 ルカが真顔で言えば、ぐっと言葉に詰まったクラウスはそのまま最後尾に下がっていった。


 湿原の手前にある林のそばに荷車を置いてきて、ルカは小走りでロザリアの元に駆け寄った。


「荷車と荷物には結界魔法をかけました。クラウスさんにも防御魔法はかけてあります」


「了解。マーシュベアの討伐と素材の採集を始めるわ。手筈はいつも通りに」


 こくりと頷いて、ルカは1人で湿原へと足を踏み入れた。


■■■■■


 湿原には草地と沼地が点在していて、まっすぐ歩くことは難しい。

 草地だと思って踏みしめれば、地盤が緩いためか足を取られてしまう。

 こんな状態で魔物と出会ったとなれば、対処が遅れることは確実だった。


(マーシュベアの痕跡を探さないと)



 アプラー湿原全体が彼らの縄張りだが、マーシュベアは臆病な魔物として名前がよく挙がる。

 ボーンライノスの角や突進のように強力な武器は持たず、湿原という縄張りを最大限に活かした生き方をしているのだ。


 一歩一歩、慎重に歩いていくと左側の沼がゆらりと動いた。


(あそこか!)


 息を潜めて様子を伺っていると、ルカの目の前に広がる沼が盛り上がり、沼の中からマーシュベアが現れた。

 体長は野生に暮らすクマほどだが、大きな違いがある。

 それは、マーシュベアの右手は毛皮ではなく鉱石に覆われていて、泥に汚れてもキラキラと輝いていることだ。


 アプラー湿原の沼地の地下には、莫大な量の鉱床が眠っていると言われている。

 それがわかったのは、マーシュベアが出現したからだった。

 彼らの右手が鉱石となっていることを発見した当時の冒険者が調査したところ、地下に鉱床があると判明した。

 当然、冒険者でなくとも、一攫千金を夢見て湿原を荒らす輩が大量に発生したのは言うまでもない。

 しかし、誰も地下の鉱床まで辿り着けなかった。


 歴戦の冒険者であっても、金にものを言わせた貴族の雇われ人であっても、沼を主戦場とするマーシュベアには勝てなかった。

 それどころか、湿原に足を踏み入れた約6割の人間が帰ってこなかった。

 臆病な魔物と呼ばれるマーシュベアだが、湿原を荒らすものには容赦しない。

 それが格上の魔物だろうと、沼という絶対的な縄張りがある限り彼らを討伐することは困難だった。


 鉱床があるとわかってから、およそ100年。

 それだけの年月があれば、討伐できるほどの攻略方法を見つけてしまうのも人間らしいと言えた。


(沼から出てこないのは厄介だけど、居場所がわかりやすいのは助かる)


 ルカは腰に下げたポーチから、魔力を込めると光る鉱石を取り出した。

 手のひらに収まるほどの大きさだが、これだけで金貨10枚の価値がある。

 ぎゅっと握りしめて魔力を込めて、空中に放り投げた。

 その高さはマーシュベアが立った身長と同じくらいだった。


 鉱石を放り投げた瞬間、ルカはしゃがみこんで頭を抱える。

 沼にいたマーシュベアは異変に気付いたように動き出すが、もう遅い。

 ずぶずぶと沼に沈んでいくところで、遥か彼方から放たれたロザリアの魔力の斬撃がマーシュベアの胸元を捉えた。


「グォオオオオオ!!」


 唸り声を上げて、斬撃が当たったマーシュベアが前のめりに倒れ込む。

 沼の中に倒れ伏す直前で、手負いの魔物の目にギラついた光が宿った。


■■■■■


「まずいっ!けど、想定内だ!」


 魔物の瞳は、湿原への侵入者であるルカに向けられている。

 胸に大きな切り傷をつけながら、沼から這い出して突然走り出した。


(しっかりついてこい!)


 マーシュベアの爪がぎりぎり届くかというところで避けたルカは、湿原の外へ向かって駆け出した。

 攻撃されたことを怒っているマーシュベアは、怒りのままにどんどんと沼から離れていく。


 ここまで接近する前に、比較的地盤が硬い場所は把握している。

 そこを選んで移動しながら、少しずつマーシュベアを湿原の外へと連れ出した。


「そろそろ限界!やるならやって!」


「上出来よ。避けなさい!」


 目の前には腰をためて構えているロザリアがいる。

 ギリギリまでマーシュベアを引き付けて、アイコンタクトだけで避けて道を開ける。

 彼女の真正面には、鉱石と化した右手を振り下ろすマーシュベアがいた。


 最初の一振りで右手を、二振り目で左肩にある魔物の核を貫いた。

 空中に跳ね上がった鉱石となった右手をルカが受け止めても、ロザリアはマーシュベアと向かい合ったまま動かない。


「よっと……右手の回収できました!」


 その声を合図に、ロザリアは体を起こす。

 核を破壊されたマーシュベアは、肉体の崩壊が始まっていた。


 魔物は核を壊す前に肉体を切り離すと、分かれた肉体が崩壊しない。

 その特性を利用して、素材だけを求めて魔物を不必要に傷つける冒険者もいるらしい。

 だが、そういうやつらは見つかり次第。冒険者からもギルドからも追放される。


 魔物の核は内蔵されている魔力が尽きれば、空気に溶けるように消える。

 冒険者たちの長年の研究で、消えた核は時間をかけて合わさり、また魔物として再生することがわかっていた。

 人間にも動物にも植物にも適用される、命の循環。

 魔物は、それが少しばかり特殊なだけだった。


「これで依頼達成ですね!うまくいってよかった」


 久しぶりの大仕事にほくほくした顔をするルカだったが、レイピアを鞘に戻したロザリアも満足げに頷いていた。


「私との連携もうまくできていたじゃない。見直したわ」


「そりゃあ、ちゃんとできないとこっちが危ないですからね。僕だって学ぶんです」


 胸を張ったルカに、ロザリアは調子に乗るなとでも言うように肩を叩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る