きっと夏のせいだ

二宮デク

きっと夏のせいだ

久しぶりにツイッターを開いた。


自分のフォロワー一覧を眺めながら、この人はいま何をしているのだろう、とか考えながら、こっそりツイートを覗いてみる。


この人は去年から投稿が止まっているなとか、この人は昨日釣りに行ってきたんだとか。


私は、その人の本質はつぶやきにではなく、いいね欄に現れると思っている。


なので、こっそりといいね欄を拝見しては、そうかそうかと頷き、勝手にその人のことを知ったつもりになる。


その人がいいなと感じたものを、私もいいなと思えたなら、そのときは相手と自分がすこし重なったようでうれしく思う。


実際には何も変化していない。そんな気がするだけ。ただの気のせい。


でもこの世界は意外と、自分の気のせいとか思い込みで良くも悪くもなる。




学生時代に仲の良かった友人が結婚した。


という話を聞いたときは、おぉマジか、と驚きはしたが、後々よく考えてみると、それが彼らしいように思えた。


実にめでたい。もしまた会う機会があったら、おめでとう! と一言伝えたい。


ただ、私ははっきりと自覚していた。これが俗に言う、「社交辞令」であることを。


社交辞令——相手を喜ばせるための、上辺だけのあいさつ。


心の底から祝うことはできない。人の幸せを心から祝福できる人は、自分自身が幸福である必要があるのだ。


濃度百パーセントの社交辞令。


底のよどんだ部分をよけて、せめて綺麗な上澄みだけでも上手にすくいとって相手に差し出すことができたなら、私はいい人でいられると思う。




夏の空に浮かぶ積乱雲とか、逆に雲一つない澄みきった快晴とか。


反射する光に目を細めて眺める水平線とか、浜辺を裸足はだしで歩くあの子とか。


これでもかというほどの純粋な夏を全身に浴びると、この世界から消えたくなる。


誰でも手に入りそうなのに、決して自分の手には届かないような、ありきたりな夏。


あぁだからか、と私は思った。




画面をスクロールしていると、友人の結婚報告ツイートを見つけた。


一瞬迷ったけど、いいねを押しておく。


プロフィール欄に戻ると、インスタのリンクが貼ってあるのに気づいた。


ほんの軽い気持ちで、そのリンクをタップした。


とはいえ、想像していないわけではなかった。


すこし驚いたけど、やはりそれが彼らしいように思えた。


これでもかというほどの他人の幸せを目の当たりにすると、私はこの世界から消えたくなる。


誰でも手に入りそうなのに、決して自分の手には届かないような、ありきたりな幸せ。


インスタにいた太陽のように微笑む赤ちゃんは、まさに彼らの幸せそのものだった。




不意打ち。


何も考えずに飛び込んだ結果、そこに足場になるものはなく、もがくほどに底に沈んでいく。


綺麗だった上澄みが、どんどん私から離れていく。


意識が遠のいて、だんだん息が苦しくなる。


これもきっと夏のせいだ。


生ぬるく湿った部屋の空気を大きく吸い込んで、一気に吐き出す。


今日は寝よう。


布団を広げて横になり、スマホを充電器につないで明日のアラームを設定する。


さっき押したばかりのいいねを消して、私はツイッターを閉じた。

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きっと夏のせいだ 二宮デク @Deku_2no3ya

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