居酒屋探偵団

沢藤南湘

居酒屋探偵団

菅原道長、六十二歳。警部補を最後に京都府警を退職し、探偵業を営んでいたが、昨年、妻に先立たれて、会社を閉じた。

 鎌倉出身の妻を偲んで、八月に久しぶり京都を離れて、鎌倉へと旅に出た。

 妻が趣味だったカメラを持って、湘南辺りを一週間ほど滞在する予定だ。

 JR鎌倉駅を降りた時には、晩夏の陽がビルの陰に落ちかけていた。

「少しは涼しくなったのかな」

 菅原は今日泊まる駅近くのホテルを確認してから、ぶらぶら歩いて一杯飲み屋を見つけた。

 海に近い居酒屋かほりという名の店だった。

「いらっしゃいませ」

 彼の心を弾ませる女性の声が、カウンターの中から発せられた。

「どちらでも空いている席にどうぞ」

 カウンター席が六席ほどで、テーブル席は二つで、菅原は、カウンターの前に設けられている右から三番目の席に座った。

「何にしますか?」

 ママはおしぼりを出しながら言った。

「生ビールをお願いします」

「はい」

 ママがジョッキにビールを注ぎながら菅原に話しかけた。

「関西の方から来られたんですか?」

「はい。京都から来ました」

「観光ですか?私はここの女将で美佐と言います」

美佐は、タレントの酒田若子に似ていて、和服姿に割烹着を付けているのが、菅原には何とも言えない魅力を感じた。

「菅原と言います。湘南地方の写真を撮りに来ました」

「カメラマンの方ですか?」

「いいえ」

「また失礼なことを聞いてすみません」

「いいえ、今は無職です。鎌倉は、妻の出身の地なんです」

「そうですか」

「奥様とご一緒に?」

「妻は昨年他界しました」

「ごめんなさい。なにか召し上がりますか?」

 菅原は焼き鳥と冷奴を頼んでから、しばらく客と美佐との会話を聞いていた。

右端の席に職人風の男がテレビを見ながらビールを飲んでいた。

ママは彼を横井と呼んだ。

菅原は、ジョッキを横井に向けて上げた。

 横井は、いつもその席で生ビールを一杯飲みながらテレビを一時間ほど見て帰っていくと美佐は言っていた。

 左奥の席には、男二人が座っていてパチンコの話で盛り上がっていた。

 この近くの工事現場でガードマンをしている立花と倉石という男が、競馬の話をしていた。

 菅原はこの人たちの名を覚えた。

「皆、この店の常連のようだな」

 彼らが、菅原を見た。

「こんばんは」

 菅原は機を逸することなく、ジョッキを挙げた。

 ふたりもそれに答えた。

 扉が開いて、仕事帰りらしいスーツ姿の男が入ってきた。

「こんばんわ」

 ママにだけでなく皆に愛想よく挨拶した。

 男は、私の右隣に座り、すぐに菅原に声をかけてきた。

「園城寺と言います」

 菅原もそれに答えた。

「菅原さんは、京都からどのような御用で来られたんですか?」

「園城寺さん、菅原さんは湘南地方の写真を撮りに来たんですって」

 ママが園城寺の前にビールを置きながら言った。

「そうですか。もうどちらか回りましたか?」

「先ほど鎌倉に着いたばかりで明日からいろいろ回る予定です」

「いい写真が撮れるといいですね」と言って、園城寺が菅原に向かってジョッキを上げた。

 彼は美佐と一言二言はなしをして、玉子焼きを注文した。

「菅原さん、ママの玉子焼きは天下一品ですよ」

 園城寺は真面目な顔で言った。

 新しい客が訪れた。

「いらっしゃい。八木さん、今日は早いですね」

「今日はお客さんが少ないので、早めに店を閉めてきました」

 八木はカウンターの前に腰をおろした。

「いつものでいいかしら?」

「はい」

 美佐は八木と書かれた焼酎の瓶を棚からおろして、お湯割りを作った。

 これで、カウンターは満席になった。

 美佐はつまみを作ったり、生ビールを入れたりで、客との会話もなくなった。

 カウンターの前に座っている連中は、皆美佐のファンのようだ。

「こんばんわ」

「いらっしゃい。山田さん、今日は三人ですか?」

「はい」

 ひとりが返事をして、テーブル席に三人は腰をおろした。

 美佐がカウンターから出てきて、注文を聞いた。

「皆さん、何にされますか?」

「俺は生ビールお願いします。大橋さんと永江さんは何にする?」

 山田と呼ばれた男が言った。

「俺も」

 ふたりが答えた。

 また、扉の開く音が聞こえた。

 男と女が入ってきた。

「いらっしゃいませ」

「いっぱいだな」

「吉田さん、テーブル席でよろしければどうぞ」

 奥のテーブル席に二人は座った。

「志保さん、生ビールでいい?」

 女が頷いた。

「ママ、生ビールをふたつと玉子焼きと焼きそばを二人前ずつお願いします」

 間もなく、テーブル席でもめごとが起こった。

「吉田先生、そちらの方はどなたですか?」

 山田たち三人グループの永江正勝が、吉田に絡み始めた。

 先生と呼ばれた吉田は、苦笑いで対応した。

「永江、やめろよ」

 山田が、注意した。

「別にいいんですよ。決して悪いことをしているのではないんですから。こちらの方は、私を応援して下さるスナックのママです」

「本当かよ」

 永江の大声で驚いた客たちは、永江を睨んだ。

「永江さん、もうおよしなさいよ」

 美佐が割って入って、永江は静かになった。

 十時近くになると、残った客は菅原道長ひとりになった。

 菅原は時計を気にし始めた。

「菅原さん、ゆっくりして行ってください」

 美佐が笑顔で言った。

 菅原は美佐に店にいた客についていろいろ訊ねた。

「横井さんは、年齢は六十前後で、T建設の現場主任で一年前からのお客さんです。園城寺さんは、駅前に事務所のある園城寺建築設計事務所の方です。八木さんは近くの土産屋の店主で、歌は素人離れしていますよ。左奥にいたふたりは、立花さんと倉石さんと言って、近くの工事現場でガードマンをしているそうです。テーブル席に座った三人は山田さん、大橋さんそして、永江さんで、市役所に勤めています。女性を連れてこられた方は、吉田さんで不動産業を営んで市議を三期勤めています。女性はスナック灯のママの池田志保さんです」

「吉田さんは市会議員ですか?」

「ええ、吉田さんは、今度の選挙で県議選に立候補すると言っています。ただ、有力な対立候補がいるので焦っているようです。また、吉田さんの後継者として、T建設社長の飯田さんが市議選に立候補するとの噂です」

「T建設と言えば、横井さんが勤めている会社ですね」

「そうです」

「いろいろあるんですね。ママ、明日からいろいろ見物したいので、良い所を教えてもらいませんか?」

 菅原は、カバンからおもむろに地図を出してカウンターに広げた。

 しばらくの間、菅原は美佐からいろいろお薦めの場所を聞き出していた。

「じゃあ、明日は鶴岡八幡宮近辺を歩いてみます」 

 菅原は、地図をしまってから勘定を払った。


 翌日。

 菅原は朝食を取って、九時前にホテルを出た。

 若宮大路を歩いて、鳥居の手前を右に曲がった。 

「確か、妻の実家は雪の下辺りだったな」

 菅原は何度か行ったことがあったが、それは二十年前が最後だった。

 やはり、妻の実家は存在していなかったが、住宅街の雰囲気は以前とあまり変わってはいなかった。

 仕事柄正月三が日に休みを取れなかった菅原が、一月中旬に婚約中だった妻と一緒に初詣に行った荏柄天神社を訪ねた。

 訪れる人は一人もいなかった。

 ただ蝉の声が聞こえるだけだった。

 ベンチに腰掛けると、昔日の面影のある風景が目に入って来て、当時の妻との思い出が鮮やかに蘇った。

「ここは、学問をする人や正直な人を助ける神様として広く信仰を集めているのよ」

 妻がそう言って手を合わせたのがつい最近のように思えた。

 その時、高校生らしき男女二人の会話によって、菅原は現実に引き戻された。

 菅原は頼朝の墓に寄ってから、かほりに入った。

 横井は、いつもの席に座ってテレビを見ていた。

 立花も来ていたが、今日は一人で左奥の席に静かに飲んでいた。

菅原は、横井の席を一つ空けて座った。

そして、生ビールを注文した。

美佐が菅原の前にジョッキグラスを置いた。

「八幡様は、どうでしたか?」

「よかったです。銀杏の木はだいぶ大きくなったと見ていた人が言ってました。実朝が殺された時はずいぶん大きかったんでしょうね。ただ今の木がその遺伝子を引き継いでいると思うと感激しました。頼朝のお墓にも行ったのですが、意外と地味なので驚きました」

「明日はどうされるのですか?」

「ママのおすすめの稲村ケ崎から江の島まで海岸通を歩こうと思っています」

「明日も天気が良さそうなので、江の島大橋と稲村ケ崎からの夕陽が見れたらいいですね」

「それも楽しみにしています」

「ママ、焼酎のオンザロックをください」

 立花の声がした。

美佐は焼酎を作って、立花の前に差し出した。

それを一気に飲んで立花はおかわりを頼んだ。

おかわりを持ってきた女将に、立花が話し始めた。

狭い店なので、立花の声は菅原にも聞こえた。

「その時、営業をしていたんですが、同業他社の連中から談合を持ちかけられて、それを上司に報告したら上司は、『必要悪だが、その話に乗るように』と言ったので、私はそれはコンプライアンス違反だからやめるべきだと言ったんです」

 一息ついて、焼酎を一気に飲んで、またおかわりを頼んだ。

「立花さん、今日は飲みすぎじゃなんですか?」

「いいんです」

 美佐は立花に新しく作った焼酎のオンザロックを持ってきた。

「ママ、都筑を聞いてよ。そうしたら、上司は、部長に相談するからと言って出て行って、戻ってきたら、『部長が今回の談合はやるべきだと言ったのですまないが頼む』と言ってきたので、やむなく、それに従がって、他社の連中とその打ち合わせをしたんです。それが、一週間後、新聞にすっぱ抜かれてしまったのです。新聞社などのメディアや警察が社に押しかけて来ましたが、わが社の総務は、立花が勝手にやったことで、会社ぐるみではないとコメントを出したんです。そして、その証として、私を首にしました。トカゲのしっぽ切りですよ、本当にひどい話だ。この談合には、議員たちが絡んでいます。それを暴いてやります」

 立花が一気に飲み干した。

 美佐は新しく作って、そっと立花の前に置いた。

「これはサービスです」

「ママ、ありがとう」

 立花は味わうように飲んでから、店を出て行った。

「立花さん、それから安定した仕事が見つからずにいるそうです。つらいでしょうね」

 美佐は独り言を言って、自分のジョッキにビールを注いだ。


 その日は、空と海は真っ青で、多少風もあって海岸通りを歩くのにはうってつけだった。

 菅原は稲村ケ崎に直行した。

 切り立った崖の上、稲村ケ崎公園展望広場に立つと、遠くに江の島、更に向こうに富士山がくっきりと見えた。

 菅原は、あらゆる角度の写真を撮った。

「夕方、富士山は綺麗に赤く染まるのだろうか。また帰りにここによることにするか」

 鎌倉時代、新田義貞が引き潮の時、海側を歩いて鎌倉に攻め入って、幕府軍を敗戦に追い込んだと伝えられていると歴史的にも有名な場所だと美佐が説明してくれた所でもある。

 また、近くにコレラ菌発見者のローベルト・コッホの記念碑があった。

 弟子であった北里柴三郎とここに訪れ、気に入ったとの逸話を元に作られたと説明が書かれていた。かまくらにせめ

 菅原は、江の島に向かって歩いた。

 七里ヶ浜のキラキラ輝く海面をサーフィンやウインドウサーフィンを楽しんでいる人たちに向かって、菅原はシャッターを切った。

 腰越を通り過ぎた。

 この腰越には、満福寺という寺がある。義経が頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを止められて腰越に留まっていたとき、この寺で心情を綴って書いた手紙は、公文所別当大江広元宛てに書かれ、頼朝へ取り次いでもらったとされるものの、結局義経は鎌倉入りを許されず京都へ引き返したことを菅原は美佐から聞いていたが、寄らずに江の島を目指した。

 江の島大橋を渡りながら、右手を見ると富士山の悠然とした姿がはっきりと目に入ってきた。

「なんてすばらしい景色なんだろう。夕焼け時も見たいもんだ」

 菅原は、しばらく写真を撮ることさえ忘れてしまった。

 写真を十枚ほど撮って、江の島の地を踏んだ。

 鳥居が皆を迎える。

 この鳥居は青銅で来ており、延亨四年(一七四七)に創建されたが、現在のものは文政四年(一八二一)に再建されたものだ。

 よく見ると、両柱には再建に協力した寄進者の名前が数多く記されており、江戸時代の信仰の厚さを物語っていることが分かる。

 鳥居をくぐると江島神社へと続く参道で、土産物屋が両側にずらりと並んでいる。

 菅原は、鳥居の前にある土産屋の二階の食堂で、人生初めてのしらす丼を食べた。

「まだ時間があるな。岩屋まで行ってみるか」

 菅原は、稲村ケ崎から夕陽が沈むのを是非カメラに収めたいと思っていた。

 エスカレーターを使わず、菅原は景色を見ながら岩屋を目指して歩くと、まずは、江島神社辺津宮(へつみや)がある。この宮は、建永元年(一二0六)に源実朝が鎌倉幕府の繁栄を祈って創建されている。現在の建物は延宝三年(一六七五)に再建されたもので、昭和五十一年に改修されている。本殿前には、天女と五頭龍伝説に由来した龍を祀った江の島弁才天の龍の銭洗があり、二人組の女性がコインを洗っていた。

 続いて、八坂神社、江島神社の境内社だ。腰越の小動神社に祀られていた社が大波で壊され、御窟の前の海中に沈んでいた御神体を漁師が拾い、ここへ祀ったといわれている。七月中旬には江の島天王祭が行われ、神輿の海上渡御が行われた後、神輿は対岸にある小動神社の神輿と行合うようだ。

「ちょっと前に終わってしまったのか」

 次は、江島神社中津宮(なかつみや)に出る。朱塗古社で仁寿三年(八五三)に慈覚大師によって創建されたといわれている。現在の権現造の社殿は元禄二年(一六八九)に再建されたもので、平成八年には大改修が行われている。境内には、江戸時代に活躍した芸人や商人が奉納した石灯籠が並んでいるのを眺めた。

 そして、江島神社奥津宮(おくつみや)、入母屋造の社殿は天保一三年(一八四二)に再建された。昭和五十一年に新築された拝殿の天井部分には八方睨みの亀が残されている。江戸時代の画家・酒井抱一が描いた原画は歳月と潮風で金箔等の損傷が激しく、江島神社宝蔵に保存されているとのこと、現在天井にあるのは片岡華陽による模写だ。また、養和二年(一一八二)に源頼朝が寄進したといわれる石鳥居もあった。

 疲れてきた菅原の眼前に、青空の中、展望台がそそり立っていた。

「せっかく来たんだから、展望台に上ってみるか」

 菅原は展望台に上がって、三百六十度見渡した。

「西は富士山、東は三浦半島かな」

 菅原は何枚か写真を撮って、展望台を後にした。

 そして、下り坂を走るように下りて、岩屋に到着した。

 ここから見る富士山はさらに大きく見えた。入り口でもらった

 パンフレットに、海食洞窟で、古くは弘法大師や日蓮上人も修行したといわれ、江の島信仰発祥の地として崇められてきた。養和二年(一一八二)には源頼朝が奥州藤原秀衡征伐を祈願したとも伝えられている。奥行百五十二メートルで富士山の氷穴に通じているといわれる第一岩屋と五十六メートルで龍神伝説の地といわれる第二岩屋があり、ロウソクの炎に照らし出された石像や岩壁が神秘の世界に誘ってくれると書かれているのを菅原は目を通してから、洞窟に入った。 

 パンフレットからの知識を確認しながら、見学ルートを終えて出口に出た。

「もうこんな時間か。早く稲村ケ崎に行かないと」

 菅原が腕時計を覗くと、四時を示していた。

 桟橋までの乗合船に乗り、そしてしばらく歩いて、江ノ電に乗った。

 車窓から見る海が、旅情をかきたてられている間に、稲村ケ崎駅に着いた。

 日没まで三十分ほどあったが、すでに数人が富士山の方向に向かってカメラを構えていた。

 太陽が傾き始め、西の空が朱色に染まって来た。

 時が過ぎ、太陽が山々の中に落ちた。

「これからがマジックアワーだ!」

 菅原はカメラを構え続けた。

 皆、暗くなるまでカメラのシャッターを切った。

 道路を走る車のライトの灯りだけになり、カメラマンは菅原だけになっていた。

「俺もそろそろ帰るとするか」

 菅原が信号の変わるのを待っていると、

「キャー」と叫び声が、丘の上から聞こえた。

 菅原は、反射的に声の聞こえた方向に走った。

「確かこの辺のはずだが?」

 リュックから出したペンライトを三百六十度照らし始めた。

「あそこに倒れているのは人じゃないか?」

 断崖の下の磯に下りて行って、菅原は驚いた。

「立花さん、聞こえますか?」

 菅原は立花の脈を取ったが、すでに止まっていた。

 菅原は警察に電話をした。

 しばらくすると、サイレンが聞こえてきた。

 パトカーや救急車が道路に止まったようだ。

 警察官と救急隊員崖の上に立った。

「こっちです」

 菅原はペンライトを振り回しながら、大声で叫んだ。

「亡くなられています」

 隊員が確認した。

 次々と警察関係者がやって来た。

「第一発見者の方ですか?」

 警察官が菅原に聞いた。

「はい」

 彼は、菅原にその時の状況をつぶさに聞いた。

 しばらくして、数人の刑事と鑑識と書かれた腕書を着けた人たちがやって来て、横たわっている立花を囲んで調べ始めた。

「身柄を証明するものは見つかりません」

「携帯なども見当たりません」

「第一発見者は誰だ?」

 警察官がその刑事に向かって、菅原を指さした。

「神奈川県警の里見です」

 警部補の里見は、菅原に警察手帳を見せた。

「羽太です」

「菅原さんは、この方をご存じのようですが?」

 里見がいろいろ聞き始めた。

「はい、立花隆さんという方です。彼とは、最近、居酒屋で知り合ったばかりです」

「その居酒屋の名前は何というのですか?」

「鎌倉駅近くにあるかほりという店です」

「里見さん」

 鑑識の人から声がかかった。

「ちょっと失礼」

 里見は、立花のそばにいた男の所に行った。

 暗闇の中にサーチライトが、あちらこちらを照らしていた。

 里見が、菅原の所に戻ってきた。

「他に何かお気づきの点はありませんか?」

「悲鳴を聞いてから、ここに来るまでに女性か男性分からないんですが、近くの駐車場へ走っていく人を見かけました」

「何時ごろになりますか?」

「七時半過ぎかな」

「またお聞きしたいことがあるかもしれませんので、お住まいと電話番号を教えていただけませんか?」

 菅原は、泊っているホテルの名前と携帯の番号を伝えた。

「京都から来られているんですか。ご苦労様です」

 菅原は警察から解放されて、現場を離れた。

「九時か」

 菅原の足は、かほりに向かった。

「あの叫び声は、立花の声だったのか?駐車場に走って行った人間は犯人だろうか?」

 菅原は何度も依然聞いた立花の声と頭の中で比較しながら歩いていた。


 店の扉を開けた。

「いらっしゃい。菅原さん、今日は来てくれないかと思っていました」

 美佐の明るい声で迎えられ、カウンターの席に腰をおろした。

 すでに横井が右端に座っていたので、菅原は挨拶をした。

「何にしますか?」

「生ビールと玉子焼きをお願いします」

 美佐が菅原の前におしぼりとジョッキを置いて、玉子焼きを作り始めながら言った。

「稲村ケ崎からの夕陽はどうでしたか?」

 菅原が答えようとした時。

「こんばんわ」

 園城寺が店に入ってきて、菅原の隣に腰をおろした。

「お疲れさまでした。いつものでいいですか?」

 美佐はおしぼりをだしながら言った。

「ええ」

 美佐はジョッキグラスにビールを注いで、園城寺の前に置いた。

 入り口の扉が開いて、八木が入ってきた。

「いらっしゃい、八木さんお疲れ様です」

「菅原さん、隣に座っていいですか?」

「どうぞ」

 菅原は笑顔で応えた。

「八木さん、今日は遅いですね。お忙しかったのかしら?」

「ええ、今日は忙しかった。そう言えば、立花さんや倉石さんは来てませんね」

 菅原がジョッキグラスを置いた。

「立花さん、亡くなりましたよ。今日、稲村ケ崎の岩場で亡くなっていました」

 言いにくそうに、菅原が八木に向かって言った。

「まさか?」

「なんだって」

 横井が菅原を見た。

「自殺ですか?」

 園城寺が言った。

「菅原さん、詳しく話して下さらない」

 美佐は、押さえた声で言った。

 客たちの目が、菅原に注いだ。

 菅原は、稲村ケ崎でマジックアワーを見た後に悲鳴を聞いたことから話した。

「菅原さんが見た人影が犯人かもしれないな。警察はなんて言っているんですか?」

 美佐が聞いた。

「自殺と事件の両方から捜査するようです。この店にも聞き込みに来るかもしれません」

「自殺なんて、ありえないよ」

 横井が言った。

「そうよね。立花さんは談合の真相を暴くといきりまいていたのだから、自殺なんてするはずないわ」

 美佐が、きっぱりした口調で言った。

「私もそう思います」

 菅原は頷いた。

「立花さん、残念だったろうね」

 八木が言った。

「もし殺人だったら、一体誰がやったんだろう?」

 園城寺が口をはさんだ。

「まだ殺人事件と決まったわけではないですよ」

 菅原が真剣顔で言った。

「こんばんわ」

 扉が開いて、倉石が入ってきた。

「倉石さん、知っている?」

「ママ、一体何があったの?」

「立花さんが亡くなったんですって」

「なんだって。どうりで今日は出社しなかったわけだ。原因は何ですか?」

「稲村ケ崎の岩場で死体が見つかったそうよ」

「自殺ですか?」

「菅原さんの話では、自殺と他殺の両面から調べ始めているそうよ」

「菅原さん、どうしてご存じなんですか?」

 菅原は、ちょっと前に話した内容を繰り返した。

 菅原が店を出たのは、十一時を過ぎていた。


 それから数日の間、菅原は精力的に鎌倉の名所旧跡をまわっていたが、立花のことが頭から離れることはなかった。

 天気予報では夜から雨と言っていたので、名所めぐりを早く切り上げて、久しぶりにかほりに寄った。

「菅原さん、いらっしゃいませ」

 菅原がいつもの右から三番目の席に腰をおろした。

「お久しぶりですね」

「今日は、横井さんはまだお見えになっていないんですか?」

「横井さん、二日前に、工事現場で事故にあって亡くなったんですって」

「えっ」

 菅原には、立花、横井と続いて死んだことが偶然とは思えなかった。

「こんばんわ」

 園城寺が扉を開けて、傘立てに傘を入れてから菅原の横に座った。

「お疲れさまでした。雨が降ってきましたか?」

「結構降っています」

 美佐が、おしぼりと生ビールが入ったジョッキを置いた。

「園城寺さん、今、菅原さんに横井さんが亡くなったことを話していたんですよ」

「もうご存じでしたか。うちの所員が二日前に工事現場に検査に行っていた時なんですが、上の階で床のコンクリート打ちしていた時、支保工足場が崩壊して、現場で指示していた横井さんも落下して生コンの下敷きになったんです。すぐに救急車を呼んだようですが、間に合わなかったとのことです。窒息死ですって」

 園城寺が淡々と説明した。

「本当に事故だったんですか?」

 菅原は、園城寺がジョッキを置いた時に聞いた。

「横井さんの部下は、支保工は構造上問題ないはずだと言っているそうですが、警察は何らかの過失があったのではないかと調べているそうです」

 

今日は朝から雨が降っていた。

菅原は、ホテルで今まで行った場所の写真をパソコンに入れて、整理するのに半日を費やした。

「疲れたな。もう五時になるのか。早いけどかほりに行くか」

店は客が一人もいなかった。

濃い青色の和服の上に割烹着をつけた美佐は、魅力的だった。

「ママは、和服がよく似合いますね」

「京都の方にお世辞でも褒められるなんて嬉しいわ」

「本当ですよ」

「どうぞ」

 美佐がおしぼりと生ビールの入ったジョッキを菅原の前に差し出した。

「おつまみは何にされますか?」

「枝豆と玉子焼きをお願いします」

菅原は、ジョッキを片手に立花と横井のことを話し始めた。

「私は、ふたりが殺されたのではないかと思っているんですよ。確証はないんですが、腑に落ちないことが多いんです」

「でも警察は、立花さんは自殺で、横井さんは事故で処理するようですよ」

「そうですが、納得できないんです」

「菅原さん、どうするんですか?」

「私独自で調べてみようかと思っています」

「そこまで?」

「袖振り合うも他生の縁です。このお店で知り合った仲間です」

「そうですか。私もできる限り協力させていただきます。何ができるか分かりませんが、大切なお店のお客さんのことですから。いけない、おつまみを作るのを忘れてましたわ」

山田と大橋は自転車を降りてカッパを脱いで、店に入ってきた。

「いらっしゃいませ。カウンターにしますか?」

 美佐に促されて、ふたりはカウンターの席を選んだ。

「お勤め御苦労さまでした」

 おしぼりを二人に渡した。

 ふたりは生ビールと三品ほどのつまみを頼んだ。

「大橋さん、知っていますか?吉田市議が県議に立候補するようです」

「ええ、知ってます。吉田さんの後釜として、T建設の飯田社長が市議選に打って出るようです」

「やはりそうか。県議の岡田さんが参議院選に出るかもしれないと言う噂もまんざらではないな」

「そうですよ。衆議院議員の大山先生が岡田さんを推薦者になるそうです」

「ほんとうですか?」

「どうぞ」

 美佐は、ふたりの前にジョッキを置いた。

「どうも」

 山田はジョッキを手に取って、大橋そして、菅原に向かってジョッキを挙げた。

 そして、ふたりは再び話に戻った。

「T建設の飯田社長だけど、悪い噂がある」

「山田さん、どんな噂なんですか?」

「建設会社のトップの連中から、飯田社長は談合のドンと呼ばれているんだそうだ」

「本当ですか?」

「ここだけの話だよ。言ったことがばれたら、俺は首だからな」

「分かりました。約束します」

「吉田市議や岡田県議との癒着でいろいろ情報を得て、受注にこぎつけてもいるようだ」

「だからドンと呼ばれているんですね」

「大山衆議院議員にもパイプがあるらしい」

「大山さん、現在、国家公安委員会委員長をされていますよね」

「そうだよ」

「そう言えば、来年統一地方選ですね」

「立候補予定者は、すでに票集めに奔走している。また、他候補に足を引っ張られないよう神経を使っているだろうよ」

「選挙違反が出てきそうですね」

 そこで二人は、周りの雰囲気に気づいて黙った。

「山田さん、吉田さんは大丈夫かしら?」

 美佐が心配そうに尋ねた。

「飯田さん、吉田さん、岡田さんたちにはバックに大山さんがついているから、よほどのことがなければ、当選するんじゃないかな」

「そう言えばママ、横井さんと立花さんが亡くなったそうですね」

「ええ、短い間にふたりのお客様が亡くなったのには、驚きました。」

「偶然だろうか?」

 山田は大橋を見た。

「山田さん、こんばんわ。私は偶然とは思えないのです」

「こんばんわ。菅原さんは、どうしてそう思われるのですか?」

「まず、立花さんの死です。彼は談合の真相を暴くといきりまいていました。先ほどあなた方のお話を聞いてしまって申し訳ありませんが、T建設の飯田社長は談合の仕切り役のようです。何らか立花さんはT建設いや飯田社長の弱みを掴んで、それを飯田社長にぶつけてしまったのではないでしょうか?」

 菅原は、ジョッキを口に運んだ。

 美佐や山田たちは、次の菅原の言葉を待っていた。

「こんばんわ」

 四人目の客が入ってきた。

 建築設計事務所の園城寺だ。

「雨にやられた」

 菅原の右に腰をおろした。

「いらっしゃい。お仕事ご苦労様です。まだ止まないですか?」

「小降りにはなってきたけどね。生と玉子焼きをお願いします」

 美佐はビールを入れたジョッキとおしぼりを、園城寺の前に差し出した。

 園城寺はそれを手にして皆に向かって差し上げ、一気に飲み干した。

「ああ、うまい」

 園城寺の飲みっぷりの良さに皆が見とれた。

「俺、皆の話の邪魔をしたのかな?」

「そんなことはありませんよ」

 菅原が園城寺に顔を向けて言った。

「今話をしていたのは、立花さんと横井さんの事なんです」

 菅原は、今まで美佐や山田たちに話していたことを園城寺に話した。

「なるほど、菅原さんも二人の死を疑っているんですか。私は警察の捜査結果を信用しますよ」

 美佐が、新しいジョッキと玉子焼きを園城寺の前に置いた。

「菅原さんは、一週間の旅行の予定でしたわね。もうすぐじゃないかしら」

「ふたりの件がはっきりするまで、当分この街に居ようと思っています」

「それは心強いわ」

 美佐は嬉しそうだった。

「菅原さん、これからどうするんですか?」

 園城寺が聞いた。

「そうですね。まずT建設を調べてみます」

「それなら私も協力します」

 園城寺が言った。

「俺たちも出来る限り協力させてもらいますよ」

 山田が答えた。

「市役所の人に協力してもらえるなんて、本当にありがたい」

 菅原が山田と大橋に向かって笑顔を向けた。

「こんばんわ」

 扉が開いて、土産屋の八木が入ってきた。

「いらっしゃいませ。今日は早いですね」

「天気が悪いから客も来ないので早じまいしてきました」

「こちらでいかがですか?」

 美佐が右端の席を案内した。

「そうだな、もう横井さんはいないんだね」

「焼酎のお湯割りをお作りましょうか?」

「ええ、玉子焼きもお願いします。ところで、横井さんと立花さんは結局どうなったんだろう?」

「横井さんは事故死で、立花さんは自殺ということで決まりのようですよ」

 隣の園城寺が答えた。

「そんな馬鹿な」

「そうなんです。だから今ちょうど我々で二人の死の真相を調べることにしたんです」

 菅原が応えた。

「それはいい。私もメンバーに入れてください」

「もちろんいいですよ」

「こんばんわ」

 倉石が疲れた顔をして入ってきた。

「いらっしゃいませ」

 倉石は勝手に左端の席に座った。

「お疲れさまです」

 美佐がおしぼりを出した。

「生ビールと焼きそばをお願いします」

「はい」

「ママ、立花さん、本当に自殺なのかしら?」

 倉石が美佐に訊いた。

「いまみんなで、立花さんは自殺なんかしないと言って、みんなで真実を調べることになったんです」

 菅原が口をはさんだ。

「そうですか。もし良かったら私も仲間に入れてくれませんか?」

 菅原は笑顔でグラスを上げた。

「調査チームのメンバーがそろったところで、私から皆さんに生ビールを一杯ご馳走させていただきます」

「ママ、嬉しいこと言うね」

 園城寺が言った。

 ビールが皆の手元にわたると、

「立花さん、横井さんへ献杯をさせていただきますので、御唱和お願いします」

 八木が立ち上がって音頭を取った。

「献杯」

 皆の顔が真剣になった。 

「では、この事件解明チームのマネージャーを菅原さんにお願いしたいと思いますが、皆さんよろしいでしょうか?」

 八木が言ったことに、菅原は驚いた。

「異議なし」

 皆が同時に答えた。

「満場一致で菅原さんに決定しました。では、菅原さん、ご挨拶をお願いいたします」

「このような大事になるとは、思ってもいませんでした。妻との思い出の地をめぐるために、京都から来て一週間ほど滞在の予定でした。この滞在でかほりというこのお店を知り、親切な皆さんと楽しく過ごしていました。が、せっかく知り合った仲間の立花さんと横井さんが亡くなられました。立花さんの死は自殺とは到底思えません。また、横井さんの事故死も今のところ、納得できません。私は立花さんが最後にこの店に来た時の話が気にかかってなりません。談合の責任を取らされた立花さんは、その談合に政治家が絡んでいるとみてそれを暴こうとしていたんです。立花さんの死はそれと関係していると私は思っています。横井さんもそれになんらかの関係があるかもしれません。どちらにしても、何とかおふたりの死の真実を明らかにして、安らかに眠りにつかせてやろうではありませんか?」

「菅原さん、どのように進めたらいいですか?」

 園城寺が、ジョッキを手に取った菅原に訊ねた。

「まずは立花さんと横井さんについて調べましょう。彼らについて何かご存じの方いませんか?」

 菅原はジョッキを置いて、手帳をカバンから取り出した。

「立花さんは確かS建設の営業課長をしてたと言ってました」

 美佐が答えると、菅原は手帳にペンを走らせた。

 廻りの者が、彼の手の動きに見入った。

「S建設の事務所はどこにあるんですか?」

「大船にあります。JR大船駅から歩いて十分ぐらいの所に五階建てのビルがそうです」

 園城寺が答えた。

「園城寺さんは、行かれたことがあるんですか?」

「何回か仕事の打ち合わせで行きました。分かりました。S建設の関係者に立花さんについていろいろ聞いてきます」

「よろしくお願いします」

「横井さんですが、私に任せてください」

 倉石が、手を挙げた。

「私は市議選に出馬する飯田太郎氏と県議選出馬予定の吉田栄一氏の後援会に入って、ふたりの様子を探ってみます」

 八木がやや緊張して言った。

「我々は県や市発注済の工事について、問題ないか調べようと思っています」

 大橋が山田をちらっと見て言った。

「県の工事なんて調べられますか?」

 心配そうに菅原が言った。

「過去の工事ですから問題ないと思いますよ」

「最後になりますが、私は、鎌倉署から捜査状況を聞き出します」

「菅原さん、そんなことできるんですか?」

「分かりませんが、頑張ってみます。皆さんたちからの情報はここの人たちが共有することにしましょう。その情報の報告は、このお店でしたいのですが、ママいいですか」

「いいですけれど、他のお客さんがいたらどうしましょうか?」

「このお店の休日は土日ですので、土曜日の午後でお願いできませんか?」

「何時ごろがいいかしら?」

「皆さん、ご都合はいかがでしょうか?」

「八時頃ならなんとかなりますが」

 八木が答えると、皆が頷いた。

「ママ、毎週土曜日の午後八時にこのお店に集合ということでよいですか?」

「皆さんが良ければいいですよ」

「緊急を要する場合は、私に連絡ください。またこのことは口外無用ということでお願いします。邪魔が入ったり、身の危険が及ぶかもしれませんので」

 

 一方、鎌倉駅から北側にある料亭の個室でT建設社長の飯田太郎と市議の吉田栄一のふたりが真剣な顔で話し合っていた。

「吉田さん、民自党への根回しよろしくお願いいたしますよ」

「分かってます。実力者には頂いた実弾を撃ち込んでいますから、心配ありません。間違いなく公認をもらえると思いますので、飯田さん心配ご無用ですが、あの件が一寸厄介なことになっているようです」

「その件は、なんとかしますので、市議選くれぐれもよろしく頼みます」

「飯田さん、なんとかするって一体どうするんですか?警察が動いているようです」

「岡田県議から大山先生にうまくやっていただくように頼んでもらっています」

「飯田さん、それで大丈夫ですか?」

「大山先生なら間違いないです。国家公安委員長までやられた方ですから」

「大山先生はそんな危険を冒してまでやってくれるでしょうか?」「吉田さん、大丈夫です。手は打っています」

 頬が赤く染まった飯田は、自信ありげに答えた。

「ところで、飯田さん。岡田さんが今度の参院選に民自党から立候補するので支援のほどよろしくお願いします」

「はい、岡田さんからも直々に頼まれていますので全力を尽くします」

 野望を秘めた吉田は、まずは県会議員になることだった。

 それは、飯田も同じで、いつかは国政選挙に打って出て、国会議員になりこの国を牛耳ることを目指していた。

 飯田は金だけでなく、強力な団体をバックにつけていたので、それを最大限利用しようとしていた。

 そのことは、今の所誰にも知られてはいなかった。

「吉田さん、今日はとことん飲みましょう」

 グラスを持った飯田の顔には、自信が満ちていた。


 街の木々には、アブラゼミからツクツクボウシへと移り変わり始めていた。

 事件解決のために長期滞在を覚悟した菅原は、鎌倉駅の西口から二十分ほど歩いた商工会議所近くにあるアパートに腰を据えることにした。

 そのアパートは、建築設計会社を営む園城寺が手配してくれた。

 チーム発足から一週間が過ぎて、初めての連絡会が土曜日午後八時ちょうどに、美佐の店で始まった。

「皆さん、今日はお忙しいところありがとうございます。まず私からの報告ですが、今まで滞在していたホテルから鎌倉駅裏口から二十分離れたアパートに引っ越ししました。次は事件の事ですが、鎌倉署の刑事から捜査の進捗状況を聞き出そうと署へ日参したのですが、里見刑事は口が堅く新しいことは何もつかめていません。残念ですが、あきらめずに何度もアタックします」

 菅原が申し訳なさそうに頭を下げた。

「菅原さん、気にしないでください。これからですよ。私の方ですが、飯田氏と吉田氏の両方の後援会に入りました。行きがかり上、県議の岡田さんと衆議院議員の大山さんの後援会にも入ることにしました。これからいろいろ探ってみます」

 八木が笑顔で言った。

「八木さん、いいところに目を付けましたね。ただし余り深入りは、危険ですので気をつけてください」

「分かりました」

「私は立花さんが勤めていたS建設の社員にいろいろ聞いてきました。やはり、立花さんは、トカゲの尻尾でひとり責任を取らされたようです。T建設が談合を取り仕切って、談合による利益を各社に分配することによって、談合参加の各社が一枚岩になっているようですが、これ以上の情報は得られませんでした。来週は、T建設の社員に探りを入れてみます」

 園城寺が言い終わると、菅原が言った。

「やはり、立花さんがこの談合に絡んでいたことには間違いないようです。園城寺さん、T建設の社員からの情報を期待していますが、我々の行動に気づかれないようにお願いします」

「了解しました」

 山田が手を胸の高さに上げた。

 菅原が発言を促した。

「園城寺さんの言われる通り、官民談合が行われていることに間違いないと思います。過去二年の一億以上の入札の結果は予算に対して発注額は九十九.八パーセントでした。また、受注業者はT建設やS建設を含む五社が順番に受注しています。この結果から、T建設とS建設は談合に加わっていることは間違いですし、市の予算金額が業者に漏れていることも間違いないでしょう。来週から、県に関して調べてみますが、多少時間がかかると思います」

「なるほど、官民談合ですか。これは思っていた以上にことは大きいですが、なんとか、証拠を掴みたいですね」

 皆が頷いた。

「他に報告される方はいませんか?」

 倉石と美佐は首を振った。

「分かりました。皆さん、お忙しい所ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。これで今日の第一回目の報告会を終わりにします」

「皆さん、のどが渇いたでしょう」

 美佐がグラスにビールを注ぎ始めた。

 菅原もカウンターの中に入って、美佐を手伝った。

 鎌倉署の刑事課では、立花隆と横井正の死の件について、会議が行われていた。

「立花隆の死亡については、今までの捜査から事件性は認められないので、自殺ということで処理する」

 課長が課員に向かった言ったが、誰も異論を唱える者はいなかった。

 そして、横井正の件は仮設工事の計画に問題があるのではないかとの焦点に絞られていた。

「工事現場を検証したところ、仮設計画通りに施工されており、また生コン打設も施工基準に則って行われていました」

 担当刑事が説明した。

「そうだとすれば、一体何が原因で支保工が支えきれなくなったのか?」

 課長が首を傾げた。

「今、建築の専門家にも入ってもらい調査しています。結果が出るまでは、しばらくかかりそうです」

「分かった。待つしかないな。他に意見のある者はいないか?」

 里見が手を挙げた。

「里見、なんだ?」

「立花隆と横井正の死は、偶然でしょうか。ふたりともT建設と何らかの関係があったのではないかと思うんです。二人はT建設の何かを掴んでいて、それが原因だとは考えられませんか?それを調べる必要があると思います」

「少なくとも、立花隆はS建設を首になって生きていく希望を失って、自殺したとの結論が出ている。今更、何を言うんだ。横井正の件は専門家による結果を待とう」

 里見は黙った。


 その後、里見警部補と巡査部長の羽太が、コーヒーを飲みながら、会議室で話した。

「里見さん、まだ二人の死について、疑問を持っているんですか?」

「T建設は、巷では談合を取り仕切っていると言う噂がある。その被害者の一人が立花隆だと言っている者がいる。そして、T建設の現場監督の横井正の死だ。この短期間でT建設の内情を知っている二人が死ぬなんて、とてもじゃないが、偶然とは思えない」

「そう言えば、相変らず菅原さんという方がしつこく聞いてきてるようですね」

「しつこくて、まいっているよ。いったい彼は何者なんだ?」

「立花隆の第一発見者で、この事件に興味を持ったただの野次馬かもしれません」

「なるほど、サスペンスドラマの見過ぎか、推理小説の読みすぎの輩かもしれんな」

「そうですね」

「余りにうるさいから、ためしに、菅原さんに少し情報を流してみるか」

「里見さん、それなら私がやってみます」



 菅原が、鎌倉署を訪れた。

「里見さんにお会いしたいのですが?」

「お約束でしょうか?」

「いいえ、立花隆さんの件で」

「少々お待ちください」

 受付の女性が、受話器を持った。

「今、羽太が対応しますのでお待ちください」

 羽太が、笑顔でやってきた。

「お忙しいところ申し訳ありません」

「里見が忙しいので、私がお話をうかがいます」

「先日もお聞きしたのですが、立花隆さんと横井正さんのが亡くなった件ですが、捜査に進捗はありましたでしょうか?」

「菅原さん、立花隆さんはS建設を首になって生きていく希望を失って、自殺したと我々はみています」

「羽太さん、それはおかしくありませんか?立花さんは私たちと居酒屋で飲んでいるときは、そんな悲観的な態度や話は一度も見せませんでした。先日お話ししたように、彼は市発注の工事の談合の件で、首になったことに希望を失うどころか憤りが爆発状態になっていました。そして、この談合の実態を暴いてやると息まいいていました。それに立花さんの遺書は見つかったんですか?」

「遺書は見つかっていませんが、先ほど言いましたように立花さんの死については事件性がないと考えています」

「駐車場から出てきた車は、調べていただいたんでしょうか?」

「調べましたが、立花さんとは関係はありませんでした」

「本当に調べてくれたのですか。その車の写真だけでも見せてくれませんか?」

 羽太はしばらく考えて、スマホに撮った写真を菅原に見せた。

「W社の車ですね」

 菅原は、ナンバーを記憶した。

「菅原さん、もういいでしょう」

「お忙しいところ、申し訳ありませんでした」

 羽太は、すぐに里見に報告した。

「どうも菅原さんは、余りにもしつこいので、駐車場から出て行った車の写真を見せてやりました」

「菅原さんは、なぜ通りがかりの事故にあんなにもこだわっているのだろうか?」

「菅原さんからは、何となく我々と同業のような匂いを感じるんですが?」

「今度来たら、確かめてみるか」


 九月に入った。

 メンバーに永江が加わって、二回目の報告会が開かれた。

 菅原が口火を切った。

「鎌倉署の羽太刑事からの情報では、立花さんの死については事件性がないと考えているとのことです。悲鳴の後に、近くの駐車場から車が出て行ったことは皆さんにお話ししたと思いますが、その車の車種とナンバーが分かりました。W社のワゴンタイプでナンバーはXXXXXです。これが手掛かりになるかもしれません。以上です」

「警察は、その車については調べたんですか?」

 八木が言った。

「羽太刑事は調べたが、立花さんの死とは関係なかったと言ってました」

「菅原さん、もう一度、車種とナンバーを教えていただけませんか?」

 八木が聞いた。

 菅原が言うと、八木はメモを取った。

「次は私でいいですか?」

 倉石が、大きい体に反して小さい声で言った。

「倉石さん、お願いします」

「横井さんが現場監督をしていた現場にH建材が足場や支保工などの仮設を請け負っていたので、元部下にいろいろ聞いてきました。実は私、以前H建材に勤めていたんです。だから、横井さんとは現役時代に何度かお世話になっていました。元部下が言うには、横井さんからもらったデータ通りに仮設計画を作ったので、H建材には落ち度はないと言ってました。このことは警察にも伝えているとのことです」

「そうだとすると、横井さんのデータに間違いがあったと言うことになりますか?」

「コンクリート打設工事の実際とデータを突き合わせ検証したようですが、全く問題はなかったと言ってます」

「そうだとすると、施工ミスですか?」

 倉石は、考え込んでしまった。

「菅原さん、このような仮設工事では、施工ミスは考えにくいです。ましてや、H建材さんが施工ミスするなんて考えられない」

 園城寺がやや興奮して言った。

「すると、誰かがコンクリート打設前に作為的に何かをしたと」

 菅原が言った。

「死因は何でしたか?」

 美佐が聞いた。

「そう言えば、私も知らないです。今度羽太刑事に聞いてみます」

 菅原は頭を掻いた。

「園城寺さん、その日の工事現場の作業員名簿を手に入れたいんですが。倉石さんも仮設工事の作業員名簿を手に入れてもらえませんか?」

 園城寺と倉石は快諾した。

「菅原さん、私からT建設の社員から横井さんについて聞いてきたので報告します」

 園城寺がペットボトルの水を口に含んだ。

「横井さんの年齢は六十歳、N大学の建築科を卒業してT建設に入社。現場監督ひと筋です。独身で藤沢にあるマンションに一人で住んでいたようです。性格も仕事に取り組む姿勢も真面目だったそうですが、飯田社長とは意見が合わないことがしばしばあったようです」

「どのようなことで、意見が合わなかったんですか?」

 菅原が質問した。

「工事見積もりの件です。市への入札金額が、横井さんが作った見積金額よりかなり上乗せされていたことに対してと社員が言ってました。数年前に談合事件が明るみになって各社談合は行わないとコメントしていたのに、まだ談合を続けていることに、横井さんは気づいたと思われます。そのことについては、社員も口を濁していました」

「なるほど。立花さんと横井さんに共通なことは談合ですね」

 皆が頷いた。

「それが立花さんと横井さんの死がどう関係しているのかが、問題だな」

 園城寺が言った。

「次は私からでいいですか?」

 山田が甲高い声で言った。

「お願いします」

「県の土建工事の発注実績ですが、やはり落札価格は予算の98パーセント以上がほとんどでした。市とは多少受注業者は異なっています。規模の大きい工事は、県の大手業者が受注しています。大手に入るT建設も受注しています」

「すみません、市の落札業者にもT建設が入っているんですよね」

「大規模工事だけ受注しています。おそらく、小さな工事も含めて、談合の元締めの役割を果していると推測されます。あくまで推測です」

「何とか証拠がつかめないものか?」

 菅原は行き詰った。

「予算が業者に漏れていると言うことは、我々市の職員が関係していることに違いないと思います。なんとかその辺を明らかにしたいです。これは今回の事件だけでなく今後の市政のためでもあります」

 山田が憤っていた。

「山田さん、よろしくお願いします」

「私からいいですか?」

 小声で言った美佐に、菅原が話すように手で促した。

「友人が女将をしている小料理屋があるんですけど、よくT建設の飯田さんと市議の吉田さんが利用しているそうです。たまに県議の岡田さんも来られると言ってました。信用を旨としているので、それ以上は教えてくれませんでした」

「なるほど、飯田、吉田、岡田の関係も気になりますね。そう言えば、吉田さんが以前この店に連れてきた綺麗なスナックのママは、どなたでしたっけ?」

「スナック灯のママで、池田志保さんという方です。T国の人ですが、数年前に帰化したと聞いています」

「スナック灯のママさんも私と同じで、飯田さん、吉田さん、岡田さんそして、大山さんの後援会に入っているようです」と、八木が言ってさらに続けた。

「皆さんご存じかもしれませんが、参考のため、飯田、吉田、岡田そして大山氏のプロフィールをお伝えします。まず飯田太郎氏五十六歳、三代目の社長です。県建設業協会理事長でC国交流団体幹事をやっています。次は市議の吉田栄一氏、五十九歳でE不動産の社長です。次に県議の岡田正氏六十五歳で、ペット病院の医院長です。次の参議院選に出馬しますが、現役の対立候補が立ちはだかっており、厳しい選挙戦になりそうだと焦っています。その岡田氏を推しているのが、衆議院議員の大山年男氏六十九歳です。大山氏は、元警察官僚で国家公安委員長を経験しています。まだこの程度ですが、これから彼らのことを深く調べたいと思っています。以上です」

「ありがとうございました。気づかれないようによろしくお願いいたします。ひとまず、これで報告会を終わりにします」

「皆さんお疲れさまでした」

 美佐がジョッキにビールを注ぎ始めた。

「ママ、今日から飲み代は各自が払いますよ」

 菅原が言うと、美佐が首を振った。

「皆さんご苦労されているので、一杯だけサービスさせてください」

「それはダメです。我々はここで飲むのが楽しみで集まっているんです」

 園城寺が大声で言った。

 ジョッキが皆に行きわたるのを見て、菅原はジョッキを挙げた。

「乾杯」

 しばらくすると、各自が美佐につまみを注文し始めた。


 翌日の十時過ぎ、菅原は羽太刑事を訪ねた。

 すぐに羽太が出てきて、菅原を会議室に案内した。

「羽太さん、お忙しいところ度々すみません」

「ところで、今日は何か?」

「T建設の横井さんの死因を教えていただけませんか?」

「横井さんは、窒息死です。生コンに埋もれて窒息したようです」

「そうですか。他に何か分かったことはありますか?」

「別にないですが、なぜ菅原さんは一生懸命になっておふたりのことを調べているんですか?」

「私が鎌倉に来て初めて、飲みに行った居酒屋でふたりにお会いしたんです。それから何回鎌倉に一緒に飲んだ飲み友達です」

「それだけですか。失礼ですが、菅原さんの職業は何ですか?」

「探偵事務所をやってましたが、今は無職です」

「探偵事務所の前は、警察関係の仕事ですか?」

「ええ、京都府警にいました」

「やはり。それで、菅原さん、これからどうされるんですか?」

「ふたりの件は、私は事件だと考えていますので、徹底的に調べようと思っています」

「そうですか。我々を信用していないんですか?」

「そんなことはありません。ただ私の勘がそう思わせているんです。決してあなた方にご迷惑をおかけするようなことはしません」

「分かりました。ただ菅原さんの方で掴んだ重要な情報は私に教えてください」

「承知しました。羽太さん、どうもありがとうございました」

 羽太は里見の席に行った。

「どうだった」

「やはり、菅原さん、元刑事でした。それから探偵事務所をしていたそうですが、今はそれをやめて無職です」

「そうか」

「彼が横井さんの死因を聞いてきたので、生コンによる窒息死だと伝えました。それから、我々に迷惑をかけないようにと、くぎを刺しておきました」

 里見がパソコンに向かった。

「羽太、見ろ。間違いなく、京都府警を二年前に警部補で退職している」

「里見さん、捜査一課在席中での菅原さんの実績はすごいですね」

「ああ」

「我々はこれ以上動けそうもないので、菅原さんに協力したらどうでしょうか?」

「そうだな。ただし、彼は一般市民だと言うことを忘れるな」


 菅原は、久しぶり平日の金曜日にかほりに入った。

 今日の美佐の服装は、割烹着、その下は藍色の竜田川の和服だ。

 髪はいつもの茶色に染められ、きれいにセットされていた。

 菅原の指定席には、すでに見慣れない客が座っていた。

 菅原は、多少迷いながら右端の席に腰をおろした。

 美佐がおしぼりを差し出した。

「お疲れさまです。何になさいますか」

「生下さい。あと焼きそばをお願いします」

 生ビールを入れたジョッキを、そして、皿に盛った焼きそばを美佐が運んできた。

「どうぞ」

 一時間ほど過ぎると、店の客が菅原一人になった。

「菅原さん、ちょっといいですか?」

 美佐が周囲を見回してから言った。

「今週永江さんが毎日ひとりで来ましてね、お客がいない時に菅原さんのことをしつこく聞いてました」

「何でですか?」

「なぜなのか聞いたのですが、ただ菅原さんに興味を持っただけと言うだけでした。私はただ京都から旅で鎌倉に来た人だと言うこと以外に知らないと答えておきました」

「分かりました」

 菅原の頭に一抹の不安がよぎった。

(これからはいろいろ注意しなければ)

「菅原さんは歌は好きですか?」

「歌は聞くのは好きですが、歌はへたです」

「もうお客さんは来そうもないので、よろしかったら歌でも唄いに行きませんか?」

「いいですよ」

 タクシーに乗ると美佐が行き先を告げた。

「由比ヶ浜のスナック灯へお願いします」

「灯って、市議の吉田さんと一緒に来た池田志保さんがママをしている店ですね」

「そうです。いいですか?」

「もちろん」

 十五分ほどで店に着いた。

「あら、美佐さん、いらっしゃい」

 美佐は、菅原を誘ってカウンターの席に着いた。

「何にしますか」

「私は、ウイスキーの水割りで、菅原さんはどうします?」

「私も同じで」

 暗い奥のボックス席にふたりの客がいた。

 美佐が、菅原の耳元に口を近づけてささやいた。

「あそこのふたり、手前がT建設の飯田さんで向かいは市議の吉田さんよ」

 菅原は間を置いて、ふたりを覗き見た。

「どうぞ」

 灯のママ池田志保がウイスキーの水割りを美佐と菅原の前に置いた。

「久しぶり美佐さん、今日はどうしたんですか?」

「ちょっと店を出て、飲みたくなったの」

「ママー」

「はーい」

 ボックス席から声がかかり、志保はカウンターから出て行った。

「歌わないのですか?」

 菅原が聞いた。

「今日はよした方がいいわ。あなたがあのふたりに見られたら、これからの事件の調査に支障が出るかもしれない。菅原さんも目立たないようにして、一杯飲んだら帰りましょ」

 志保を手伝っている仁美という若い女性が、美佐の前に来た。

「仁美さん、慣れた?」

「だいぶ慣れました」

「吉田さんたちは、よく来られるんですか?」

「飯田さんと時々来られます。最初の間は、ふたりで難しいお話をしているようですが、終わると飲んだり歌ったり楽しく過ごされています」

「美佐さん、一曲どうですか?」

 仁美が、美佐の前にマイクを置いた。

「もう遅いから今日は帰るわ」

 菅原が支払いを済まして、ふたりは店を出た。

 ふたりを見送った志保は、飯田たちの席に戻った。

「ママ、あの人は確かかほりの女将じゃないか?」

 吉田が聞いた。

「そうですよ。たまに来てくれます。歌が上手ですよ」

「一緒に来た男は、誰かね?」

「かほりのお客さんじゃないかしら」

 仁美がマイクを持ってきて、テーブルの上に置いた。

「先生、歌如何ですか?」

 吉田がマイクを持った。


 三回目の報告会が開かれた。

 菅原は、出席者を見回した。

(永江が来ているな)

 永江から目を外して、菅原は口火を切った。

「横井さんの死因ですが、生コンによる窒息死と羽太刑事が教えてくれましたが、他にはありませんでした」

「T建設から作業員名簿をもらってきました」

 園城寺がコピーを皆に配った。

「私はH建材の作業員名簿を手に入れました」

 倉石もコピーを配った。

 皆、黙って配られた作業員名簿を見た。

「何でもいいですから、気づいたことがあれば言ってください」

 菅原は、紙面から目を離して言いながら、永江を見た。

 菅原を凝視していた永江が、視線を逸らした。

「当日現場にいたのは現場主任の横井さんと副主任の戸所安治さんそして、H建材の職人五人です」

 園城寺が付け加えた。

「生コン打設時に支保工が支えきれなくなったのは、設計上問題なければ施工ミスか故意に何かをしたのかどちらかと考えるのが妥当ではないでしょうか」

「菅原さん、施工ミスであのような大事故になるとは到底考えられません。安全率を二倍ほど見て計画されていますし、私の知っている限りH建材の職人が大きなミスをするなどありえません」

 倉石が反論した。

「倉石さんは元勤めていた会社だから、悪く言えないのは分かりますが、ここは冷静になったら如何ですか?」

 八木が言った。

「もし横井さん個人を狙ったものだとすると、横井さんに恨みを持っている人間か、それともその人間から頼まれた者かどちらかが犯人ではないでしょうか?」

 菅原が仮説を披露した。

「横井さんの死が事件だとすると、菅原さんの仮説をもとに話を進めたらどうでしょうか?」

 山田が言うと大半が頷いた。

「そうすると、横井さんに怨みを持っている人間が、H建材の名簿の中にいるのか、または副主任の戸所さんか?」

 園城寺が悩ましそうに言った。

「倉石さん、H建材の名簿に載っている人たちから事故が起こった時の人の配置を詳しく聞いてもらえませんか?」

「分かりました。菅原さん、来週の月曜日でいいですか?」

「もちろんです」

 菅原は、園城寺に顔を向けた。

「園城寺さんは戸所さんをよくご存じですか?」

「それほどではありませんので、月曜日に社員に詳しく聞いてきます」

「よろしくお願いします」

「菅原さん、いいですか?」

 八木が、菅原の了解を取って話し始めた。

「由比ヶ浜の駐車場から出て行った車の事ですけど、持ち主が分かりました。飯田氏の後援会のひとりの山上賢という男の車です。噂によると、彼はCKNグループという所の一員だそうです。以上です」

「CKNグループがからんでいるのですか」

 ここまでCKNグループが浸透していることに、菅原は驚いた。

「CKNグループってなんですか?」

 倉石が聞いた。

「実態は定かではないのですが、政治の中枢に影響を及ぼすことによって、この国を某国の属国にさせることを目的にしているとのうがった見方をする人もいます」

「一体そこはどこの国なんですか?」

 美佐が真剣な顔をして言った。

「その国は一国だけではなく二国だとも言う人もいますが、私には分かりません」

「そうですね。我が国はスパイ天国だと言われて久しいですが、いまだスパイ防止法も成立していません」

 山田が悔しそうに言った。

「八木さん、CKNグループの関係者には、注意してください」

 菅原に向かって、八木は頷いた。

「菅原さん。私は市の工事発注の件で、市の予算が漏れている疑いがありましたので、内部の調査を行いました。その報告をしたいのですが?」

「では山田さん、お願いします]

「結論を言います。うちの職員が市議に教えていたことが分かりました」

 山田は話すのをやめた。

「もっと詳しく話してくれませんか?」

 園城寺が催促した。

「内部で調査を始めることになりましたので、これ以上話すことは私の立場からはできません」

「当然のことですね。山田さん、ありがとうございました。他に何もなければ今日はこれで終わりますが?」

 美佐は意見が出ないのを確認すると、ジョッキを棚から取り始めた。


 大船駅に近い小料理屋の一室で、飯田、吉田そして、市の職員の永江が顔を合わせていた。

 永江が菅原たちの話を終えた。

「そこまで調べているのか。永江さん、菅原という男は一体何者なんだ」

 飯田が苛立っていた。

「まだよくわかりませんが、ただ者ではないようです。それより、市長が談合の調査を始めようとしているようですが、吉田さん、大丈夫ですか?」

「そんなことは、我々に任せておきなさい。永江さんは、市や菅原たちの動きを我々に知らせてくれればいいんだ」

「永江さん、よろしく頼みますよ」

 飯田が永江の盃に酒を注いだ。

 しばらくすると、女将がやって来た。

「タクシーが来ました」

「永江さん、先にお引き取り下さい」

 飯田が永江を見送って部屋に戻って来た。

「吉田さん、これからどうしましょうか?」

「グループの力をかりますか?」

「そうですね。出る杭は早く打たなければなりません」


 園城寺は、T建設の社員の伊藤勝男と中華料理店の個室で飲んでいた。

 園城寺と伊藤はたわいもない話をしているうちに、紹興酒一本があいた。

 園城寺はすぐに追加を頼んだ。

「伊藤さん、副主任の戸所さんですが、なかなか仕事ができるようですね」

「T大学建築学科を卒業して当社に入社した優秀な社員です。社長は大変期待していますし、戸所さんも社長に取り入られようとしています」

「そんなに期待されているんですか?」

「社長は戸所さんを婿養子にと思っているようで、社員は次期社長間違いなしと思っています」

「それをよく思わない人はいないのですか?」

「いますよ。園城寺さんもご存じのように、当社は相も変わらず黒い噂があります。そのような噂を払しょくして、堂々と胸を張って勤め先を言える会社にしたいと思っている社員は、戸所さんが社長になったら飯田社長が院政をひくだろうと危惧しています」

「伊藤さんはどちらですか?」

「園城寺さんはどちらだと思います?」

「後者の方ですか?」

「あたりです。もういい加減に疑いの目で見られるのは耐えられませんが、この会社にいる限り、表立っていい会社にしましょうなんていえません」

「どうしてですか?」

「CKNグループがからんでいるからです。申し訳ありませんが、それ以上は言えません」

「そうですか」

 園城寺は紹興酒の入った瓶を掴んで、伊藤の方に差し出した。


 一方、倉石は、H建材の応接室で部下だった林和夫に会っていた。

「忙しいところ申し訳ない。実は横井さんが亡くなった時の状況を詳しく教えて欲しい」

「そんなこと聞いてどうするんですか?あれは事故だと聞いていますが」

「警察はそう考えているようだが、俺は事故じゃなく事件だと思っている。横井さんは飲み友達なんだ。真実を知りたい」

「分かりました。出来る限り協力します」

「ありがとう。支保工が崩れる時の工事関係者たちの位置をおしえてもらえないか」

「ちょっと待ってください。図面を持ってきます」

 しばらくすると、林は施工図面を持ってきてテーブルに広げた。

「こことここそしてここに、うちの社員がいました。私はここです。後はポンプ車にひとり付いていました。横井さんはここです」

 林が鉛筆を置いた。

「林君、戸所さんはどこですか?」

「そう言えば、戸所さんはこのフロアにはいなかったな」

「どこにいたか分かりませんか?」

 林は考え込んだ。

「救急車が来た時、我々のだれよりも早く、戸所さんは救急車の近くにいました」

「そうですか、忙しい所ありがとう」

「倉石さん、また何かありましたら、いつでも連絡ください」


 菅原は、鎌倉署の羽太刑事を訊ねていた。

「羽太さん、CKNグループについて調べ始めているのですが、何かご存じありませんか?」

「CKNグループがどうかしたんですか?」

「立花さんと横井さんの件を調べている最中にCKNグループというグループの名前が出てきました。多少のことは、知っているのですが、こちらではどのように見ているんでしょうか?」

「違法行為はまだ見当たらないのですが、県内では、何人かの政治家に食い込んでいるようです」

「公安は動いていないのですか?」

「目を付けているようですが、重きは置いていないようです。手強い相手かもしれませんので、菅原さん、気をつけてください」

「警察の捜査状況はいかがですか?」

「決定的な証拠が出ない限り、立花さんは自殺で、横井さんは事故だとの見解はくずれません」

「事件性はないとの考えですね」

「残念ながら、菅原さんの考えとは異なりますが」

 羽太が渋面を作った。

 菅原は、羽太の真意を汲み取った。

「また、なにか分かりましたら、お知らせします」

「菅原さん、身に危険が及ぶようなことはくれぐれもしないように、お願いします。もしそのようなことがあったら、至急電話して下さい」

「はい、承知しました」

 菅原は礼を言って、外に出た。


 羽太は、すぐに警部補の里見の所に行った。

「菅原さんが、CKNグループのことを聞いてきました。今回の件で、グループが何等か関係していると考えているようです」

 里見はしばらく黙っていた。

「里見さん、今回の件を調べているのは、菅原さんだけでなく素人数人が加わっているようです」

「一般の市民が一緒になってこの件を調べていると言うんだな。危険だな」

 里見は羽太に一言言って、席を立った。


 菅原は昼食を取ろうと街を歩いた。

 あちらこちらの店に列ができ始めていた。

 菅原は羽太との会話を思い出しながら、ラーメン店の列に並んだ。

 土曜日の午後七時半、菅原はアパートを出て美佐の店に向かった。

 駅を通り過ぎた時に、菅原は尾行されていることに気づいた。

(一体何者だ?)

 菅原は徐々に足を速め遠回りをした。

(まいたかな)

 確認してから店に入った。 

 四回目の報告会が、いつものメンバーで開かれた。

「警察の考えはあくまで二人の件については、事件性はないとのことです。また、CKNグループは我が国の政治家にだいぶ食い込んでいるので、十分気を付けるようにと羽太刑事が言っていました。最近ですが、私は誰かに監視されているような気がしてならないのですが、皆さんには変わったことはありませんか?」

 ざわついたが、首を横に振った。

 永江だけが下を向いていたのを、菅原は見過ごさなかった。

「横井さんが事故にあった時の作業員たちの現場での位置関係をH建材の林さんから聞いてきました」

 倉石が話始めた。

「生コン打設のフロアには、戸所さんだけがいなかったそうです。H建材の職人たちはそれぞれの持ち場についており、疑わしいところはなかったようです」

「そうですか」

「参考になるかどうかわかりませんが、戸所安治さんのことを調べてきましたので、報告します」

「園城寺さん、お願いします」

 園城寺はT建設の伊藤勝男から聞いた話をした。

「戸所さんという方は、飯田社長から目をかけられているようです。彼は社長に対して、忖度するだけでなく、忠誠心が半端じゃないようです」

「戸所氏が、支保工に何か細工をしたという証拠があればいいのですが?」

「今のところないです」

 重々しい雰囲気になっていた。

「なんとか、真実を明らかにできないものか」

「菅原さん、ここらで一息入れませんか?」

 美佐が言った。

「そうですね。今日はここまでにしましょう」

 美佐がジョッキにビールを入れると、菅原が皆にそれを配った。

「おつまみを言ってください」

 玉子焼き、焼きそば、野菜炒めと次々注文が入った。

 皆、酒が入って雑談の声も大きくなっていた。

 それにもかかわらず、菅原の頭はめまぐるしく回転していた。

「菅原さん、ちょっといいですか?」

 八木が、菅原に声をかけた。

「ええ」

 八木がテーブル席へ目で案内した。

「皆の前で言いにくかったので・・」

「はい」

「お役に立つ情報か分かりませんが、後援会のある人から聞いたことなんですが、D国友好団体会員の大山年男議員が、海外調査と称して、D国へのツアーを計画して、飯田社長、市議の吉田、県議の岡田に声をかけ、そして建設、不動産、観光業界などの社長を勧誘し、総勢二十数名の団体である国へ行ったそうです。その時、飯田、吉田、岡田さんたちを含め数名の人たちが数名の人たちが、ハニートラップに引っかかったそうです。それからは、彼らは、D国の出先のCKNグループとの関係が密になったようです」

「大山議員は関係されているんですか?」

「すでに大山議員はCKNグループとは密接な関係というより、密着しているとの噂です。CKNグループのおかげで、前回の総選挙では大山議員は辛うじて対立候補に勝てたとも言われているようです」

「なるほど、そこまで汚染されているんですか。そうすると、飯田、吉田、岡田さんたちも、次の選挙ではCKNグループの応援を頼むのでしょうね」

「間違いないと思います」

「このことと立花さんと横井さんの事件とが関係しているかですね」

 菅原は鋭い視線を感じた。

 永江だった。

(しまった)

「菅原さん、どうかしましたか?」

「いや、なんでもありません」

「また、いろいろ調べてみます」

「八木さん、十分気を付けてください」

 八木は、カウンターの席に戻って行った。

 菅原はトイレに向かった。

 用を足して、席に戻ると、

 美佐が、焼酎のお湯割りを菅原の前に差し出した。

「菅原さん、なにか召し上がりませんか?」

「そうですね。焼き鳥を三本ほどお願いします」

 美佐が菅原の前から離れると、隣に座っていた園城寺が声をかけてきた。

「菅原さん、これからどうしますか?」

「立花さんは、CKNグループの男が疑わしいし、また横井さんは戸所安治が絡んでいそうだと思うのですが、これと言った決め手になる証拠がありません」

 菅原は焼酎を飲み干して、コップをカウンターに置いた。

 美佐が、焼き鳥を持ってきた。

「立花さん、ここで談合は政治家が絡んでいるので、それを暴いてやるといきりたっていました。このことを実行しようとして殺されたという推理はどうでしょうか?菅原さん、おかわり作りましょうか?」

 いつの間にか、美佐もジョッキを手にしていた。

「お願いします。談合が大ぴらになって困るのは、T建設社長の飯田太郎、市議の吉田栄一そして、市役所の担当者の三人ですね。立花さんも横井さんもこの点を飯田や吉田に突き付けたのでしょうか?」

「それで、立花さんを殺害したのが、CKNグループの人間だとするのはちょっと飛躍し過ぎではありませんか?」

「そうですね」

 美佐が、お湯割りの焼酎を菅原に差し出しながら言った。

 園城寺がジョッキを空にして、美佐にビールのおかわりを頼んだ。

「談合とCKNグループとの関連が分かればなあ」

「そう言えば菅原さん、灯のママはCKNグループの会員ですって」

 ビールのジョッキを園城寺の前に置いてから言った。

「確か、池田志保さんでしたっけ?」

 菅原は驚いた。

「そうです。志保さんは、吉田さんの後援会の副会長をしているそうです。八木さんはご存じ?」

 美佐が菅原の左隣に座って、焼酎のお湯割りをちびちび飲んでいる八木に向かって声をかけた。

「ママのいう通り、灯のママは吉田市議の後援会の副会長です。CKNグループの会員だとは知らなかったな。私も調べてみます」

「お願いします」

 永江の激昂した声が、菅原の耳に届いた。

 他のメンバーも永江へ目が注がれた。

「山田さんは、俺を疑っているんですか?」

「そんな噂を耳にしたと言っているだけだ」

 いつの間にか、美佐は永江の近くに立っていた。

「永江さん。そんな大声を出して、どうしたんですか?」

「なんでもないです。すみません」

 山田も申し訳なさそうな顔をした。


 数日後の午後八時頃。

 八木は、吉田の後援会の会員久地仁を誘って、小町通りにあるちょっとしゃれた居酒屋で飲んでいた。

 久地は、八木と同じ土産店を鶴岡八幡宮の一の鳥居の近くに構えていた。

「八木さんと飲むのは久しぶりですね」

「吉田さんの後援会の先輩として、久地さんからいろいろ教えてもらおうと思ってね」

「まずは乾杯」

 ふたりはジョッキを合わせた。

 しばらくしてから、久地は主な後援会のメンバーの名前や役割を話始めた。

「後援会の会長は、八木さんはもうご存じの小町商店街会長の原田さんで、副会長はスナック灯のママの池田志保さんです」

「会長が原田さんというのは分かるけど、スナックのママの池田さんはどういう理由で副会長になったんですか?」

「それがよく分からないのです。余りいい噂がないのに、副会長ですよ」

「CKNグループに関係しているとの噂もありますね」

「八木さん、よくご存じで」

「新参者ですが、私も後援会のひとりです」

「池田志保さんは、CKNグループの中での地位はかなり上の方らしいです。CKNグループは胡散臭い団体だと一般には思われていますが、僕は恐ろしい団体と思っています」

「どうしてですか?」

「CKNグループは某国の手先となって、我が国を属国にしようとしています。そのためにはどんな手段でも使います。例えば、政治家へのアプローチ、土地の購入、敵対者の抹殺などです。本当かどうか分かりませんが、このことは、僕がグループの人間から直接聞いたことです」

「そんなことをやっているんですか。池田志保さんのことですが、最近、何か変わったことはありませんでしたか?」

「そう言えば、吉田さんが後援事務所に来ていた時、立花さんが来て、『一連の談合に吉田さんが関与していたことを週刊誌にリークするぞ、それが嫌ならば市議をやめろ』と怒鳴り込んできました。その時、彼女が出てきてすぐに彼を応接室へ連れて行きました。十五分後ぐらいでしょうか、怒りが収まった様子で立花さんが、出てきました。みんな、池田さんはすごいひとだと驚いていました」

「それはいつ頃ですか?」

「確か、立花さんが亡くなる二、三日前だったかな」

「そうですか」

「どうかしましたか?」

「いや何でもありません。久地さん、次は何を飲みますか?」

「焼酎のオンザロックにします」

 八木は店員を呼んで、焼酎のボトルと氷そして、グラスを二つ頼んだ。

「僕はこの後援会の暗部を知りすぎました。最近身の危険を感じていますので、近々後援会をやめます。八木さんも気をつけてください」

「そうですか」


 五回目の報告会の日が来た。

 九月の中旬の土曜日午後八時、居酒屋かほりにチームマネージャーの菅原、建築設計事務所の園城寺、お土産店店主の八木、元H建材会社の倉石(ガードマンで立花と一緒に仕事をしていた)、市役所総務課の山田、出納課の大橋、そしてこの店の女将の美佐の七名が集まった。

「山田さん、永江さんは今日はどうしたんですか?」

 菅原が訊ねた。

「実は、談合事件の内部調査で永江さんが容疑者として疑われて、今は自宅謹慎を命じられています」

「これからどうなるんですか?」

「査問委員会が開かれることになっています」

「そうですか」

「菅原さん、いいですか?」

 最初に報告したのは八木だった。

「吉田さんの後援会の久地さんという方から聞いてきた話を報告します」と言って、後援会事務所に立花が押しかけてきたことそれに対応した副会長でCKNグループの会員池田志保そして、CKNグループの目的などについて説明した。

「八木さんの聞いた話から、立花さんの死に池田志保さんが何等か関係していると思われますね。それから、CKNグループですが相当やばい集団のようですので、私たちは気を引き締めてかからなければなりません」

 菅原は自分に言い聞かせるように言って続けた。

「この話を羽太刑事に伝えたいと思います。他に何かありませんか?」


 五日後の木曜日の午後。

 北鎌倉にあるSアパートの二0五号に、ドアノブで首をつっている死体を前に警官が里見と羽太に報告していた。

「亡くなった方は、永江正勝さん二十九歳、市役所勤務です。第一発見者は、あちらにいる同僚の大橋さんという方です」

「自殺でしょうか」

 羽太が里見に言った。

「よく見てみろ。索状痕が二か所ある」

「他殺ですかね」

 里見は鑑識の所に行った。

「死因はなんですか?」

「ロープのようなもので絞殺してます。そのあと首つり自殺にみせかけてます。稚拙な殺人ですよ。死亡推定時刻は昨日の九時から十二時です」

「里見さん、物取りでしょうか?」

「何とも言えんな」

 里見と羽太は、山田に発見時の様子と永江との関係を聞き終わると、荒らされている部屋を調べ始めた。

「物取りに見せかけているだけかもしれないな。荒し方がわざとらしく、物や金品を探すという一貫性が見えない」

 里見が羽太に声をかけた。

「そうすると、犯人は永江さんを殺すのが目的で、一体動機は何でしょう?」

「もっと永江さんのことを調べる必要があるな。まずは、この辺りの防犯カメラを調べよう」

 ふたりは、アパートを出て行った。


 菅原の携帯が鳴った。

「菅原です」

 市役所の大橋からの電話だった。

「菅原さん、永江さんが亡くなりました」

「なぜ、どうしてですか?」

「自宅のマンションで、今朝発見されました」

「第一発見者は誰ですか?」

「私です」

「警察からいろいろ聞かれませんでしたか?」

「ええ、聞かれました。何時に、どうしてここに来たとか永江さんとの関係はと。あとは永江さんは役所内ではどうだったかも聞かれましたので、談合関係で査問委員会にかけられる予定で、本人は元気はなかったようだと答えました」

「どう答えられたのですか?」

「永江さんが十時になっても出勤してこなかったので、電話したんです。でも出なかったので上司が見てくるようにと言ったので、アパートに行ったんです。呼び鈴を何回も押したんですが応答がないので、もう一度電話したんです。永江さんの携帯がずうっと鳴っているのが聞こえたので、なにかあったのではと管理人に鍵をあけてもらい中に入ると、洗面所に入る扉のドアノブで首をつっていたんです」

「自殺ですか?」

「いいえ、他殺のようです。絞殺だと里見刑事に鑑識の人が言ってました」

「一体誰が?」

「菅原さん、これで三人目ですよ」

「大橋さんはどう思いますか?」

「談合の件に関係しているかもしれません」

「おそらく大橋さんの言われる通りでしょう。その線で、我々も調べましょう。事件の担当はどなたですか?」

「里見刑事と羽太刑事です」

「分かりました。どうもご苦労様でした」

 翌日、菅原は羽太を訪ねることにした。

 

 金曜日の昼前十一時

 菅原は羽太を訪ねていた。

「菅原さん、ご存じかもしれませんが、市役所の永江さんが死体で発見されたので、忙しいので手短にお願いします」

「お忙しいところ、申し訳ございません。永江さん、殺害されたんですか?」

 羽太が困惑した。

「まだ分かりません。それで菅原さん、今日は何か?」

 菅原は、八木から聞いた立花が吉田の後援会事務所へ談合の件で怒鳴り込んで行った話をした。

「その二日後に立花さんが亡くなったのです」

「そうですか。そうは言っても、立花さんは自殺で処理されているんです。今更どうすることもできません。先に言いますが、横井さんも事故で処理されます」

「羽太さん、なぜそんなに早く処理するんですか?もっと調べてください。立花さんと横井さんはそれじゃあ成仏できませんよ」

「上からの指示なんです。菅原さんなら分かるでしょ」

「では永江さんの件は、どうなるんでしょう?」

「私にはわかりません」

「永江さんの死因は、絞殺ですよね」

 急に、羽太の眼が苦渋の色に変わった。

「菅原さん、余りこの件に首を突っ込みすぎると、次はあなたかもしれません。本当に気をつけてください」

「ご忠告、ありがとうございます」

「菅原さん、ちょっと待ってください」

 菅原が振り返った。

「あんなことを言いましたが、里見と私はこの三件の事件を追い続けるつもりです」

 菅原は深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」

 署を出ると、九月の空がまぶしかった。

 時計を見ると十二時三十分を指していた。

「もうこんな時間になったのか」

 菅原は八幡宮へ向かった。

「こんなに銀杏の木が大きくなっていたのか」

 本宮の社殿で手を合わせた。


 九月の最終の土曜日。

 菅原はスマホから流れてきた緊急地震速報で目を覚ました。

「震源は茨城県か」

 菅原は慌ててトランジスターラジオつけて、机の下に身を隠した。

 揺れは激しかった。

「震度五弱か、久しぶりに大きかったな」

 揺れが収まると、菅原は部屋の中を点検した。

 別段、被害はなかったので、菅原はまたひと眠りすることにした。

 目を覚ました時は、十時を過ぎていた。 

 昼食を兼ねた朝食を済ませて、買い物に出かけた。

「相変らず人が多いな」

 小町通りを通って、鎌倉駅で電車に乗って大船に行った。

 大船は鎌倉ほど人数は多くはなかった。

 買い物を済ませて、一旦アパートに戻り、一休みしてからアパートを出た。

 茜色に染まった空を見ながら、遠回りしてからかほりに入ったのは七時半前だった。

 いつものように和服に割烹着をつけた美佐は、忙しそうに準備をしていた。

「いらっしゃいませ。今日は早くから珍しいですね。どうかしましたか?」

「永江さんが、昨日亡くなったんです}

「なんですって?」

「殺されたようです」

「菅原さん、怖いわ」

 拭き終わろうとしたジョッキが、美佐の手から滑り落ちた。

「ママ、大丈夫ですか」

 美佐が割れたガラスを拾い始めたので、菅原もカウンターの中に入った。

「ありがとう」

 片づけを終えた菅原は、いつもの席に腰をおろした。

「何か飲みますか?」

「いいえ。永江さんが殺されたのも、立花さんや横井さんと同じで、おそらく談合にかかわっているんだと思んです」

「これからどうなるんでしょうか?」

「そこなんです。次は我々が狙われるかもしれません。だから今後は皆さんをまきこむことはやめます」

「菅原さん一人でやるんですか?」

「はい」

 菅原が返事をした時に、店の扉が開いて園城寺が入ってきた。

「いらっしゃいませ」

「菅原さん、早いですね」

 菅原が頷いた。

 次々とメンバーがやってきた。

 最後に、大橋が疲れた顔で席に着いた。

「皆さんが揃いましたので報告会を始めます。まずは、悲しい話から始めなければなりません。昨日、何者かによって、永江さんが殺害されました。ここにいる大橋さんが第一発見者です。大橋さん、発見時のことを話していただけませんか?」

 永江が出勤しなかったので、永江のアパートを訪ねたことから、大橋が話した。

「死因は絞殺のようです。何者かによって、永江さんは殺害されたのです。間違いなく、この事件も、市議の吉田氏とCKNグループが関与しているはずです」

 大橋は興奮していた。

 園城寺が口を開いた。

「菅原さん、ひとついいですか。この件も、立花さんや横井さんと同様に公には自殺として扱われることにはならないでしょうか?」

「その可能性はあると思いますが、少なくとも、里見刑事と羽太刑事は事件として捜査を進めると思います」

「そうでしょうか。天の声で捜査中止になるのではないかな」

 八木が言った。

「なんたって、国会議員の大山さんがついているからな」

 山田が言うと、皆黙ってしまった。

「立花さん、横井さんそして永江さんが次々と謎の死を遂げています。彼ら三人は何らかの形で、談合事件に関わっています。我々も関わってしまいました。これ以上、真相に触れると我々の生命も危なくなりますので、残念ですが、今日このグループを解散したいと思います」

「なんだって」

「いまさら」

「相手は手強いから身を引いたほうがいい」

 皆が勝手にしゃべり、ざわついた。

「静にして下さい。意見がある人は順番にお願いします」

「菅原さんはどうするんですか?」

 園城寺が真っ先に聞いた。

「私は、真実を明らかにするまで続けます」

 菅原は毅然とした態度で答えた。

「勝算はあるんですか?」

 八木が続いた。

「分かりませんが、やらなきゃダメなんです」

「ひとりで敵に立ち向かうなんて、無謀ですよ」

 美佐が心配そうに言った。

「里見刑事と羽太刑事がいます」

「菅原さん、格好よすぎだよ」

 と倉石が言うと、誰からともなく笑いが起こった。

「なぜ菅原さんはそこまでするつもりなんですか。立花さんも横井さんもここでちょっと知り合っただけじゃないですか」

 山田が聞いた。

「先ほど言いましたように真実を明らかにしたいのです。立花さんも横井さんも無念だったと思います。このような犠牲者を見過ごすことは私の性格上からできないのです。正直に言いますと、私は警察のOBなんです。まだ現役の時の何かが蘇って、私を奮い立たせるのです」

 ざわついた。

「なるほど、菅原さんは警察官だったんですか」

「しかし、今は一般の人だよ。危険だ」

 美佐は、まんじりともせず菅原を見つめていた。

「さて、みんなどうする?」

 園城寺が見回しながら言った。

「園城寺さんはどうするんですか?」

 八木が聞いた。

「俺は、もちろん抜けるよ」

 園城寺に視線が集まった。

「園城寺さん、それでいいんですよ。皆さん、この件は命がけの仕事になります。それでもいいんですか?」

 菅原が言った。

「俺は独り身だから、やるよ。菅原さんと一緒にやるんだ。いいでしょ」

 倉石が菅原の方を向いて言った。

「身に危険が及ぶのです。皆さんのお気持ちはありがたいのですが、よく考えて判断してください」

 菅原は何とか皆をやめさせたかったが、結局、園城寺だけグループを抜けることになった。

「さあ、再出発。皆さんしっかり飲んでください。園城寺さんも遠慮しないでね」

 美佐がジョッキにビールを注ぎ始めた。


 月曜日、十時にアポイント取った羽太刑事に会うために、菅原は鎌倉署を訪れた。

「そうですか。困りましたね」

 居酒屋の客たちが事件に関わっていくとの話を聞いて、羽太は困惑した。

「ちょっと待ってください」

 里見を呼びに行くと言って、部屋を出て行った。

 しばらくすると、羽太が里見を連れて部屋に入ってきた。

 菅原は里見に挨拶をしてから頭を下げた。

「お世話になっています」

「菅原さん、一般市民を事件に巻き込むようなことはしないでいただきたい」

「私も皆にはこの件から手を引くようにと説得したのですが、言うことを聞いてくれませんでした」

「困ったことだ。これからどうするつもりですか?」

「立花さん、横井さんそして永江さんを殺害した下手人を見つけたいのです」

「それは我々警察の仕事です。余計なことはしないでください」

「そう言われますが、今回の三件は、警察側は事件として取り扱おうとしないではありませんか?」

 里見は黙った。

「里見さん」

「菅原さん、羽太から聞いていると思うが、私と羽太はこの三件は事件として片手間ですが捜査しています」

「やはり天の声があったのですね。それは誰からと聞いても里見さんたちには分かりませんよね」

「菅原さんも経験されたことあるかもしれませんが、今回は大物政治家だと推測しています」

「大物政治家というと、大山衆議院議員ではありませんか?」

「分かりません」

「里見さん、私たちに協力させてもらえませんか?」

 里見がしばらく考えて答えた。

「いいでしょう、一度菅原さんのグループのメンバーに会わせてもらえませんか。なるべく早いほうがいい」

「ありがとうございます。今週の土曜日の二十時でいかがですか。毎週この日に居酒屋かほりで報告会をしているんです」

「了解しました。羽太とふたりで行きます」


 金曜日、菅原は北鎌倉円覚寺駅に向かって、寺巡りをした。

 秋を迎えて、観光客も増えてきていた。

 菅原は今まで気づかなかったが、外国人の多さに改めて驚いた。

 菅原は、円応寺の山門をくぐって、本堂に入って、運慶作と言われている閻魔王座像の前に座り合掌して、

「がしゃやくしょぞうしょあくごう かいゆうむしとんじんち じゅしんくいししょしょ いっさいがこんかいざんげ」と三度唱えた。

 山門を出て、階段を降りかけた時、見たことのある女とすれ違った。

「彼女は確か灯にいた仁美という女性じゃないか」

 菅原は踵を返して、しばらく仁美の後を追った。

 仁美は菅原と同じように座像に向かって懺悔文を唱えていた。

「彼女が信心深いとは驚いたな。さて、次は建長寺に行くか」

 次に鎌倉幕府第五代執権北条時頼が、長谷に全銅の大仏を鋳造し始め、そして翌年、創建して供養を行った建長寺に入った。

 開山した大覚禅師が好んだ言葉として、次のように書かれていた。

ー福山はすべて松関をとじず 無限の清風来たりて未だやまずー

 三十分ほど境内をまわって、浄智寺、明月院、鎌倉時代から明治までの六百年間駆け込めば離縁ができる女人救済の寺東慶寺、そして最後に円覚寺とまわった。

 菅原は、舎利殿の前でシャッターを切った。

「さすが国宝だけあって、質素な美しさを持った建物だな」

 境内をまわっていると空腹を覚えた菅原は茶屋に入って、弁天ベジカレーを頼んだ。

 食べ終わると、さらに白玉小豆を味わった。

「疲れていると甘いものが美味しい」

 遅い昼食をとった菅原は、北鎌倉から電車に乗って鎌倉駅に戻った。

「まだ開店まで早いな」

 菅原は美佐には明日の報告会に鎌倉署の里見たちが来ることを知らせたかった。

 菅原は鎌倉市中央図書館に行って時間を潰して、五時過ぎに美佐の店に入った。

「いらっしゃい」

 菅原がいつもの席に腰をおろすと、美佐がおしぼりを差し出した。

「今日はどちらに行かれたのですか?」

「北鎌倉方面に行ってきました。円応寺で偶然灯の仁美さんを見かけました」

「そうですか。円応寺の閻魔様に懺悔文を三回唱えると、今まで犯した罪は全て許されると言われてます。仁美さん、何かあったのかしら?」

「何かあるのでしょうね。そうそう、鎌倉署の里見刑事と羽太刑事が是非皆さんと会いたいというので、明日の報告会に来てもらうことにしました。これからは、警察に協力する形をとらないと危険ですので、 

勝手に決めてしまいました」

「菅原さん、それがいいですよ。菅原さんを除いて、その道に関して私たちは全く素人です。きっと、皆さん喜びます。ごめんなさい、注文も聞かずにいて」

「生ビールと焼き鳥塩で三本あとは玉子焼きをお願いします」

 見知らぬ客が入って来たのを機会に、菅原は店を出た。

 そして、アパートに戻るとメンバーに電話を入れた。


 土曜日も秋晴れだった。

 菅原は部屋の掃除や洗濯をして、昼はカップラーメンで済ました。

 そして、今日の報告会のことを考えた。

 早くアパートを出た菅原は、一時間前の七時に店に入った。

「こんばんわ」

「ご苦労様です。もうお客さん来られてますよ」

「こんばんわ」

 テーブル席に座っていた里見と羽太が、立ち上がって挨拶した。

「早いですね」

 多少驚いた様子で、菅原が答えた。

「皆さんに早くお会いしたくて」

 その後、三十分足らずで全員が揃った。

「昨日電話連絡しました里見刑事と羽太刑事を紹介します」

 里見が立ち上がった。

「鎌倉署捜査一課の警部補の里見です。この三件の事件はかなり根深いものと思われます。私と羽太は慎重に捜査してきましたが、組織による限界のためとん挫してしまいました。その時、菅原さんから皆さんのことをお聞きして是非皆さんのお力を借りたいと思った次第です。ただし、皆さんは一般市民ですので、危険な目に合わせることは出来ません。危険だと思われることは我々がやりますので、遠慮なく言ってきてください。以上、よろしくお願いします」

「同じく捜査一課の羽太です。里見警部補の下で働いています。これら三件の事件の真相を明らかにする覚悟なのでよろしくお願いします」

「里見さん、羽太さん、ありがとうございました。では私たちのメンバーの自己紹介と今までの調査の報告をお願いします。その報告について、議論ををお願いします。そして、それが終わりましたら五十音の順番にお願いしますが、最初は私がやります」と言って、菅原は自分の紹介をしてから、

「立花さん、横井さんそして永江さんが次々と謎の死を遂げています。彼ら三人は何らかの形で、談合事件に関わって殺害されたと私は考えています。一体誰たちがなぜこの三人を殺害しなければならなかったのか、一日も早く真相を明らかにしたいのです」

「菅原さん、私もこの三件は殺人事件だと確信しています。ただ、実際に手を下した犯人は同じではないと考えていますが、容疑者としての特定には至っておりません」

 里見が言った。

「市役所に勤めている大橋と言います。市の発注工事の入札結果から談合が行われていることが分かりました。この談合は政官民によるものと考えらます。この談合には市職員の永江氏が関与しているとの疑いがあり、査問委員会が近々行われる矢先に死亡しました。口封じのための殺害だと私は思っています」

「大橋さん、談合が行われていたとの証拠らしきものがあればいただけませんか。それによって、地検に動いてもらうよう働きかけます」

「分かりました。資料を後日お渡しします」

「元H建材の社員で今はガードマンをしています倉石と言います。亡くなった立花さんとは、ガードマンの同僚でした。亡くなったT建設の横井さんですが、T建設社長の飯田氏に談合をやめるように何度も進言していたようです。横井さんの死因が事故によるものか調べてみました。コンクリート打設及びそれにかかわる仮設工事はT建設の下請けでH建材が請負っていましたので、その時の状況をH建材の担当者に聞きました。仮設及びコンクリート打設共に標準仕様に基づいて行い、仮設についてはその確認を事前に行い、コンクリート打設はそれに則り行ったので仮設の支保工が崩れることはあり得ないと言っています。崩れる可能性があるとすれば、コンクリート打設直前に二、三本の支保工を外すとか何らかの細工をすることによるものと考えられます。そこで、コンクリート打設時の作業員たちの配置を確認したところ、作業開始直前に副主任の戸所氏の姿が、見えなくなっていたとのことです。ただ、この計画は必ずしも横井さんのみに被害が及ぶとは限りません。今回はたまたまというしかありません。なぜこのような計画をしたのか分かりません。以上で、私の話は終わりにします」

 羽太はメモを取っていた手を休めて、倉石の顔を見た。

「なるほど。倉石さんは、横井さんの死は事件性があると思われているのですね」

「はい」

 倉石は頷いた。

「分かりました。もう一度、戸所氏を調べてみましょう」

「八木と言います。土産店のやっています。私は次期市議選に立候補する飯田T建設社長や県議選に立候補する市議の吉田栄一氏そして、参議院選に立候補する県議の岡田正氏それぞれの後援会に入って彼らの動向を探っています。吉田市議の後援会の人に聞いたんですが、立花さんが亡くなる前日、後援会事務所に立花さんが談合の件で押しかけてきたそうです。その時に副会長でCKNグループの会員池田志保さんが対応して立花さんを上手く追い返したそうです。具体的にどのような話を彼女がしたのか分かりません。また、飯田氏、岡田氏の後援会にも池田志保さんが会員になっているだけでなく、CKNグループの人間が数多く関与しているようです」

「CKNグループが各氏を応援するのは法律上問題ありません。池田志保さんは確かスナック灯のママですね。彼女を調べてみましょう」

「市役所に勤務しています山田勝と言います。私は、県の発注の競争入札について調べてみました。その結果、市と同様に談合の疑いがあることが分かりました。そのエビデンスは後ほどお渡しします。以上です」

「県でも談合が行われている可能性があるのですか」

「ママは何かありますか?」

 菅原がカウンターの中にいる美佐に声をかけた。

「立花さん、横井さん、永江さんたちは、私のお店の大事なお客さんでした。刑事さん、なんとか犯人を見つけ出してください。お願いします」

「承知しました。真実を明らかにします」

「私たちも出来る限り協力します」

 菅原が、里見に向かって言った。

「菅原さん、皆さん、これからは私たちの仕事ですからこの件から手を引いてください」

「里見さん、そう言われてもまた、天の声で捜査中止になるんじゃないですか?」

 八木が反発すると、里見は黙ってしまった。

「では里見さん、里見さんたちの捜査状況を毎土曜日この場所でこの時間に報告していただくということでどうでしょうか?」

「出来る限り、そうしましょう」

 里見は渋々と答えた。

「お話が終わったようなので、皆さんのどを潤しませんか?」

 美佐が言った。

「菅原さん、申し訳ありませんが、私たちはこれで失礼します」

 里見が席を立った。

「分かりました。里見さん、羽太さんご苦労様でした」

 菅原は、立ち上がってから頭を下げた。

 皆もそれに倣った。

 里見たちが出て行くと、美佐がジョッキにビールを注いで皆に渡した。

「皆さん、お疲れさまでした」

 菅原が、ジョッキを軽く上げた。

「菅原さん、里見刑事たちは信用できますか?」

 八木が聞いた。

「どうでしょうか。彼らも宮仕えですから、上から言われたらそれを無視することはできないでしょうね」

「菅原さんが現役の時に、そのようなことはありましたか?」

 倉石が聞いてきた。

「何回かありました」

「その時、どうされたんですか?」

「上司の命令ですので、それに従いました。我々警察は命にかかわる仕事なので、指揮命令は絶対的なものです」

 皆、静かになった

 菅原は話を続けた。

「だから、警察から離れた私は、どのような邪魔が入っても真実を明らかにすることができるのです」

「菅原さん、よくわかりました」

 美佐が玉子焼きを差し出した。

「当分、我々は動かずに、里見刑事の報告を聞くことにしましょう。もし彼らが捜査をやめることになったら今まで通り調査を始めましょう。菅原さん、それでいいですか?」

 八木が菅原に確認した。

「もちろんです。ただ、私は今まで通りいろいろ調べるつもりです」

「お手伝いすることがあったら遠慮なく言ってください」

 倉石が言った。

「菅原さん、実は永江さんが我々を裏切って、吉田らに情報を流したのは、妹さんの病気を治すために、米国に行って手術をうけるつもりだったのです。吉田たちはそれを知っていて、永江さんを金で釣ったんです」

 山田の声が震えていた。

「そうでしたか」

 菅原の声は小さかった。


 店を出ると、里見は羽太を飲みに誘って、美佐の店から三十分ほど離れた一杯飲み屋に入った。

 羽太が生ビールとつまみを頼み、店員が注文したものがテーブルに置かれると、ふたりはジョッキを挙げた。

しばらくして、羽太が口を開いた。

「里見さん、あれでよかったんでしょうか?」

「何がだ?」

「民間人に捜査内容を報告する必要があるんですか。もし犯罪者側に漏れたらまずいですよ」

「分かってるよ。菅原さんたちの中に、それを漏らす人間がいるかもしれないと思っている」

「失礼しました」

「相手はCKNグループと政治家だ。いいか、羽太。この件は密かに我々二人だけで捜査を行うが、別件を抱えているから菅原さんには協力してもらおうと思っている」

「いいと思います」

「我々の行動がばれて、天の声で捜査中止を命じられた時のことだが」と言って、里見がビールを飲み干した。

「里見さんは、どうしますか?」

「所詮抵抗しても、勝手に捜査を続けることはできない。ましてや警察をやめたら、何もできない。残念だが、命令に従うしかない」

 羽太も頷いた。

「だから、天の声が発せられる前に事件の真相を少しでも明らかにして、世間に情報を流したい。そうすれば、捜査を中止させることはできなくなるだろう」

「慎重になおかつ急がなければなりませんね」

 ふたりは、ジョッキに手をつけずにしばらく声を落として話し続けた。


 会を終えて、美佐の店を出た八木は遠回りをして吉田の事務所に入った。

「副会長はいますか?」

 事務所版をしている男に声をかけた。

「会議室で打ち合わせをしています。呼んできましょうか?」

「お願いします」

 吉田の後援会副会長の池田志保が奥から顔を出した。

「あら八木さん、どうかしましたか?」

「ええ」

「応接室で伺うわ」

 ふたりは三十分ほど応接室に入っていた。


 日曜日。

 朝、起きてテレビをつけると、気象予報士が台風の予想コースの説明をしていた。

「もうそんなシーズンになったのか」

 菅原はコーヒーを入れながらつぶやいた。

 パンをトースターに入れると、玄関のポストから新聞を持ってきてテーブルの上に広げた。

 一面には、昨日日本初の月旅行客を乗せたロケットが種子島より発射された写真が、大きく掲載されていた。

「我々も月へ行けるようになったんだ」

 新聞に目を通し終わると、菅原は街に出た。

「誰かにつけられているようだな」

 人出の多い小町通に出て、小さな土産店に入った。

 そして、菅原は観光客がうごめいている通りに目をやった。

「うまくまいたような」

 菅原はしばらく小町通りで時間をつぶし、中央食品市場で食材を買ってからアパートに戻った。

「またつけられている。今度は稚拙なやつだな」

 菅原は角を見つけて何気なく入って行った。

 美佐が二、三分後に入ってきた。

「ママ、一体どうしたんですか?」

「菅原さんを小町通りで見かけたので、追いかけてきたんです」

「そうですか」

「菅原さん、お昼ご飯はすみましたか?」

「まだです。アパートに帰ったら何か作ろうかと」

「良かったら、私が作りましょう」

 菅原は美佐をアパートに案内した。

「散らかってますが、どうぞ中に入ってください」

 美佐は、多少緊張した面持ちで菅原の後から部屋に入った。

「菅原さん、買ってきたもの見せてください」

「はい、すき焼きでも作ろうかと思って材料を買ったんです」

「すき焼きですか、いいですね」

 ジーンズにカーディガン姿の美佐は、菅原の目には眩しく映った。

 手持ち無沙汰の菅原は、テーブルを拭いて、食器棚から茶碗や箸を出して並べた。

「菅原さん、出来るまでテレビでも見ていてください」

「そう言えば、俺、小町通りで誰かに尾行されていたみたいです」

「私ではありませんけど」

「一体誰だろうか?」

「気味が悪いですね。菅原さん、すき焼き出来ました。卵ありますか?」

「冷蔵庫の上にあると思います」

 菅原がテーブルの上にガスコンロに美佐は鍋を置いた。

「美味しい。ママは料理が上手ですね」

「菅原さん、美佐と呼んでください」

 美佐が恥ずかしそうに言った。

「ビールでも飲みますか?」

 菅原は喉が渇いていた。

「いいえ、帰ったら車で出かけなければならないので、残念ですけどやめておきますわ」

 昼を終えると、片づけを済ませて美佐は帰った。

 菅原はまだ尾行されていたことが気になっていた。

 菅原は焦り始めていた。

「早く解決しないと敵にやられてしまう」

「そうだ。明日からスナック灯に通ってみるか。ママの池田志保の情報が得られるかもしれない」


 月曜日。

 イチョウの木々の葉が黄色に色つき始めていた。

 菅原は尾行されていないのを確認して、里見を訪ねた。

 そして、スナック灯に通って、池田志保を探ることを話した。

「菅原さん、よろしく頼みます。私の方は飯田社長と吉田市議について調べてみます」

 菅原は、里見と羽太との打ち合わせを終えると、簡単な昼食を取ってから、飯田、吉田そして、岡田の後援会事務所をまわって演説会のスケジュールを手に入れた。 

「皆、来月か」

 街路灯に灯りがともっていた。

「もう六時か。かほりで一杯やってから行くか」

 菅原は、美佐の店に入った。

 客は一人もいなかった。

「いらっしゃいませ」

「ママ、この間はどうも」

「どういたしまして」

 淡いピンクの和服に割烹着を着た美佐は、いつもより色っぽく見えた。

「生ビールでいいですか?」

「はい。あとは玉子焼きと野菜炒めをお願いします」

 美佐がおしぼりそして生ビールの入ったジョッキを菅原の前にそっと置いた。

 菅原はジョッキを取って口にビールを流し込んで一息ついた。

「ママ、今日から灯に通って、池田志保さんの様子を探ってみようと思っているんだ」

「気をつけてください」

「このことは他の人には黙っていて下さい」

「もちろんです」

 一時間ほど飲んでスナック灯に行った。

 菅原が扉開けた。

「いらっしゃいませ」

 仁美が菅原を迎えた。

「お客さん、おひとりですか?」

「ええ」

「先日、かほりのママと来られた方ですね。カウンターでいいですか?」

「はい」

 カウンター席に座ると、仁美がおしぼりを菅原の前に出した。

「何にされますか?」

「ウイスキーの水割りをください」

「ボトル入れます?」

「いくらですか?」

「五千円です」

「じゃあ入れてください」

 仁美が棚から新しいボトルを出してから、グラスに氷を入れてウイスキー、そして水を足した。

「どうぞ」

 菅原は、半分ほど飲んでグラスを置いた。

 仁美がボトルに名前を書くようにとホワイトのマジックをカウンターの上に置いた。

 菅原が澤藤と書いた。

「さわふじさんですね」

「そうです。そう言えばお客さんが来ないですね」

「ええ、うちは九時ごろからぼちぼち来るんですよ」

 菅原は腕時計を見た。

 八時半をまわっていた。

「おつまみはどうですか?」

「なにができますか?」

「乾きもの、焼きそば、焼き鳥、味噌田楽、あたりめです」

「乾きものをお願いします」

 すぐに仁美が持ってきた。

「澤藤さんは、関西の方ですか?」

「分かりますか?」

「何となく京都辺りの訛りかと思って」

「つい最近、単身赴任でこちらに来ました」

「こちらは、どうですか?」

「ここも観光客が多いですが、京都よりは住みやすいです」

「どのようなお仕事をされているんですか?」

 菅原はしばらく黙っていた。

「あらいやだわ。詮索ばかりしてすみません」

「いいんです。エンジニアです」

 扉の鈴が鳴った。

「いらっしゃいませ」

 先日美佐と来た時にいた飯田と吉田だった。

 飯田は、菅原に気づいた。

「いつもの所でいいですね」

 飯田が吉田に言った。

 すぐに仁美がおしぼり、ウイスキーのボトル、ミネラルウォーター、氷そして、グラス二つをボックス席へ運んだ。

 仁美がカウンタの中に戻ると菅原にしつこく歌を唄わないかと勧めてきた。

 余りのしつこさに負けた菅原は、しぶしぶマイクを持った。

「では、琵琶湖周航の歌をお願いします」

 菅原は声を落として歌った。

「上手ですね」

「デユエットしませんか?」

「私はあまり知らないけど、いいですよ」

「銀恋はどうですか?」

「銀恋?」

「銀座の恋の物語ですよ」

「それなら知っている」

 仁美の歌声はハスキーだった。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの中にママの池田志保が現れた。

「歌、お上手ですね」

「いや、仁美さんが上手なんです」

 菅原はてれた振りをした。

「ごゆっくりどうぞ」

 志保は菅原に会釈して、吉田たちのテーブルに向かった。

「あそこにいるお客は、お馴染みさんですか?」

「はい、右は市議の吉田さんで左はT建設社長の飯田さんです。来年早々の選挙で飯田さんが市議に吉田さんが県議に立候補するんですって」

「じゃあ、その打ち合わせをふたりはしているのかな」

「そうです」

「ママも関係しているのかい」

 仁美は黙った。

「仁美さん、ふるさとの話をしようを入れてもらいませんか?」

 菅原は気まずい沈黙をさりげなくかわした。

 ボックス席の三人は依然として真面目な顔で話していた。

 菅原は、歌い終わると、勘定を払って店を出た。

「また来てください」

 志保と仁美の声が後ろから聞こえた。

 それから時々、美佐の店経由で灯に顔を出した。

 

 

 日曜日、里見と羽太は、飯田の家を見張っていた。

「飯田が出てきたぞ」

 里見が羽太に告げた。

 飯田が自家用車に乗って走り始めた。

「あとをつけるぞ」

 しばらく走ると、CKNグループのビル前の駐車場に飯田の車が入って行った。

「やはり飯田はCKNグループと関係しているな」

「里見さん、どうしますか?」

「羽太、あれは吉田市議じゃないか」

 駐車場に入ってきた車から吉田が降りて、後ろの扉を開けた。

 県議の岡田だった。

「岡田県議じゃないか!」

「間違いないですね」

「今度は黒塗りの車が入ってきたぞ」

 運転手が後ろのドアーを開けると観勒のある男がゆっくりと出てきた。

「羽太、あれは国会議員の大山さんか?」

「そのようです」

「三人ともCKNグループに関係しているようだな」

 若そうな男が、里見たちの車に近づいてきて、羽太の運転席のガラスを叩いた。

 羽太がガラスを下げた。

「あなたたちはここで何しているんですか?」

 羽太が反射的に警察手帳を掲げた。

「警察の者です」

 男は慌てて逃げた。

「羽太、追え!」

 里見もドアーから転げ落ちるようにして、男を追いかけた。

 表通りに出た所で、羽太が男を捕まえた。

「なぜ逃げたんだ」

「言わなければ、署に来てもらうぞ」

 男は黙秘した。

「署まで同行願う」

 羽太が男の手を掴んで車まで連れて行くと、池田志保が待っていた。

「太一君、一体どうしたの」

「刑事が俺を署に連れて行こうとしているんだ」

「刑事さん、この子が何をしたと言うのですか?」

「逃走したので、署で詳しい話を聞こうと」

「任意ですね」

「そうです」

「弁護士を呼びます」

「どうぞ」

 里見が答えた。

「太一君、不利になるようなことは絶対言っちゃあだめよ。あとから弁護士の先生に行ってもらうからね」

 署に着いて、取調室に太一と呼ばれた男と里見たちが入った。

 名前は福島太一、中華料理店に勤務、CKNグループの会員だと答えた。

 その時、里見の上司から里見に電話が入った。

「村上だ。里見、今お前が任意同行した男をすぐに帰すんだ」

「課長、どうしてですか?」

「署長の命令だ」

 里見はすぐに納得した。

「分かりました」

 福島を帰すとすぐに里見は、村上に電話をいれた。

「わかった。里見、お前たちは今後一切CKNグループを調査してはならないぞ」

 里見は反論することなく、承知した。

「里見さん、天の声ですね」

「覚悟はしていたが、こんなに早いとは」

「しかし、福島はなぜ逃げたんだろう?」

「何か後ろめたいことでもあるのかもしれません」

「そうだとしても、残念だがもう彼らには手を出せない。やけ酒でも飲みに行くか」

「そう言えば、お腹もすきましたね」

 ふたりは署を出て、居酒屋に入った。


 月曜日。

 小町通りは、昨日の喧騒が嘘のように静寂さを保っていた。

 菅原は、十時ちょっと過ぎにその一角にあるコーヒー店に入った。

 里見たちとの待ち合わせには、二十分ほど早かった。

「一体何の話なんだろう?」

 昨日の夜、里見からの電話で呼び出されたのだった。

 菅原は、コーヒーを頼んでからバッグから文庫本の松本清張著火の記憶を取り出して、しおりの所を開き読み始めた。

「菅原さん、おはようございます!遅くなってすみません」

 里見と羽太が立っていた。

「まだ約束の時間の前ですよ。どうぞ座ってください」

 店員に、羽太はコーヒーを二つ頼んだ。

「菅原さん、お願いのためわざわざお呼びした次第です」と里見は言って、昨日のCKNグループでの出来事と上司からの命令について話した。

「そんなことで、我々はCKNグループに関しての捜査はできなくなりました。残念です」

「そうですか。天の声では仕方がありませんね」

 菅原は一息ついてから、さらに続けた。

「里見さんの言うように福島太一と池田志保を調べる必要がありますね。分かりました。私が調べてみましょう」

「申し訳ありません。もし身に危険が及ぶようでしたら、電話をください。それから、居酒屋の連中ですが、CKNグループに通じている人間がいるかもしれませんので、気をつけてください」と言って、里見は署に帰って行った。

 菅原は考えた。

「里見刑事の言うように国会議員の大山年男が天の声の張本人に間違いない。そうでなければこんなに早く里見たちを抑えることはできないはずだ。政治屋を三人相手では手強い」

 店員を呼んで、オレンジジュースとサンドイッチを頼んだ。

「里見刑事が帰り際に我々の仲間にCKNグループのスパイがいるかもしれないと言っていたが、一体誰だと言うのか?」

 菅原はストローを口につけた。

「今週は毎日灯に通うことにするか。何か新しいことが分かるのを期待しよう」

 店を出て、ぶらぶらしながら稲村ケ崎に行った。

 海風が強かった。

 人の姿はなかった。

 江の島の方向に目を向けると、その右手に濃いねずみ色の肌の富士が悠然とした姿を見せていた。

「あの日、左手の方角で立花さんが崖から落ちて死んだ」

 菅原はその時を思い出そうと努めた。

「三時半か。やはり、夕暮れになるのを待ってみよう」

 道路を渡ったところにあるレストランに入った。

 コーヒーを注文して、小説を読み始めた。

 菅原が本から目を離して外を見ると、稲村ケ崎が闇に包まれていた。

「五時十分か」

 菅原は店を出て、岬に立った。

 風は多少弱くはなっていた。

 数人のカメラマンが江の島富士の方向にカメラを構えていた。

 赤く染まった空と雲は、菅原を悲しい世界に引きずり込んで行った。

「あの時を思い出そう。もうしばらくして、悲鳴が聞こえたんだ」

 一部始終が、菅原の脳裏によみがえってきた。

 暗闇の中、崖を下った。

「立花さんが横たわっていた所は、この辺りだな」

 スマホの明かりを頼りに周囲を見回した。

「これはスマホじゃないか。そう言えば、羽太刑事が立花さんの財布や携帯電話が見当たらなかったと言ってたな。確か、立花さんはスマホを持っていたかママに聞いてみよう」

 菅原はハンカチに包んでポケットにしまった。


「菅原さん、いらっしゃいませ」

「ママ、稲村ケ崎に行ってきたよ。そこでスマホを拾ったんだが」と言って、菅原はポケットからハンカチで包まれたスマホを出した。

「これ、立花さんのものと似ているわ」

「本当ですか」

 菅原はさっそく携帯を出して、里見に電話をかけた。

「菅原です」と言って、稲村ケ崎でスマホを拾ったことを話した。

「そうですか。それを私に預けてもらえませんか。科捜研に調べてもらいます。今どこですか?」

「かほりにいます」

「すぐに行きます」

 十五分ほど過ぎて、車の扉の閉まる音に菅原は気づいた。

「こんばんわ」

 里見と羽太が入ってきた。

「ご苦労様です」

 菅原と美佐が同時に答えた。

「里見さん、これです」

 菅原はハンカチに包んだスマホをカウンターの上に置いた。

「なるほど」

「ママに聞いたところ、これは立花さんのものと似ていると言うんです」

「そうですか」

 里見と羽生とは美佐を見た。

「はい、立花さんが持っていたスマホによく似ています」

 美佐が答えた。

「分かりました。菅原さん、電話で言った通り科捜研で調べてもらいます」

「よろしくお願いします」

 手袋をした羽太が大事そうにビニール袋にスマホを入れて、ふたりは店を出て行った。

「スマホのことは里見さんに任せて、一杯飲んだら灯に行きます」

「月曜日からご苦労様です」

 美佐はジョッキにビールを注いで、手を拭いている菅原の前にジョッキを置いた。

 客が何人か入ってきた。

 その中に、八木がいた。

 八木は菅原の隣に腰をおろした。

「菅原さん、こんばんわ」

「今夜は早いですね」

「月曜日はお客が一番少ないんですよ」

 土曜日以外は事件についての話はしないとの約束であったので、指し障りのない話をして、菅原はかほりを出た。

 星が輝いて見えた。


 灯に入ったのは、九時を過ぎていた。

 店にはママの池田志保と仁美が、手持無沙汰にしていた。

「澤藤さん、いらっしゃいませ」

 仁美が笑顔で迎えた。

「澤藤さん、御贔屓にしていただいて、ありがとうございます」

 志保が続いた。

「水割りでいいですね」

「ええ」

 仁美が棚からボトルを出して、水割りを作った。

「客は、私一人ですか?」

「ええ、月曜日はいつもこうなんです。よく来ていただきました。澤藤さんは、関西の方なんですって。単身赴任は大変でしょうね」

 志保が、答えた。

「仕事ができないほうなので、会社は、あちらこちらと転勤させるんです。九州や東北にも単身赴任を何年もしてますので、慣れっこになっています」

「鎌倉はいかがですか?観光されましたか?」

「武家の土地だったせいか、京都と違って荒々しさを何となく感じます。そう言えば、仁美さん、先日、円応寺でお見かけましたよ。よく円応寺に行かれるんですか?」

 仁美に動揺した様子を菅原は見た。

 志保も警戒する顔つきを一瞬見せた。

「たまに北鎌倉を散歩しますので、その時、円応寺も参詣します」

「いいお寺ですね」

 菅原はグラスに口をつけた。

「澤藤さん。私もいただいていいですか?」

 志保はセクシーな目つきに変わって、菅原を見た。

「いいですよ。仁美さんもどうぞ」

「ありがとうございます」

 仁美は、水割りを二つ作った。

「では澤藤さんのご健康とご活躍を祈念して、乾杯!」

 志保がグラスを菅原のグラスに軽く当て、菅原は仁美のグラスに当てた。

「どうもありがとう」

 菅原はグラスの半分ほどを飲んだ。

「ママ、いつもボックス席に座る方たちは、今日は来ないんですか?」

「ええ、来られないようですね」

「来月、統一地方選挙があるから大変ですね」

「はい、応援している候補者が当選するよう私たちも頑張っています」

「私にはここでの選挙権がありませんので、候補者に興味はあまりないのですが、ママたちはどなたを応援しているのです以下?」

「市議候補の飯田さんと県議候補で市議の吉田さんそして、参議院補欠選挙選挙に出馬する県議の岡田さんたちを応援しているんです」

「それは大変だ」

 志保が頷いた。

「そんなことはどうでもいいですから、歌でも唄ってくれませんか?」

「では歌わせてもらいますか。さだまさしの精霊流しをお願いします」

 菅原が歌っている最中、涙を浮かべているのに志保が気付いた。

 歌が終わった。

「澤藤さん、何かを思い出したんですか」

 志保が、菅原の顔をのぞき込んだ。

「ちょっと亡き妻を思い出しまして。すみません暗くなってしまいました」

「いいえ、この歌、私も好きです」

 菅原は、その後二曲ほど歌って、灯を後にした。

 気分が高まっていた。

「円応寺を出したらふたりとも一瞬態度が変わったな。やはり何かあるな」

 菅原は気分よく帰り道を歩いた。


「あの澤藤さんという人、胡散臭いわね」

「ママもそう思う。何か知っていて、探っているようだわ」

「気を付けたほうがいいわよ」

「今日はもう店じまいにしましょ」

 志保と仁美は片づけを終えて、仁美を帰すと電話をかけた。

「太一君、池田よ。明日の午後、店に顔を出してくれない?頼みがあるの」

「何時ごろがいいですか?」

「三時頃でいいわ」


 翌日の午後三時、福島太一が灯にやってきた。

「太一君、今日か明日店に澤藤という客がたぶん来るのでその客をマークしてほしいの。どうも立花の死について何か疑っているようで、目障りなのよ」

「じゃあママ、カウンターの後ろに隠れて待っていますよ」

「そうしてちょうだい」

 九時が過ぎた。

 菅原が灯の扉を開けた。

「いらっしゃいませ、澤藤さん」

「今日も私一人の貸し切りのようですね」

 おしぼりで手を拭きながら言った。

「最近、どのような訳かお客さんが来なくなったんですよ。ウイスキーの水割りでいいですね」

「はい、それはきついですね」

「でも気にしないで、たくさん歌って行ってください」

 五曲を歌った。

「澤藤さん、ボトルなくなりましたけど、新しいのを入れますか?」

「ええ、お願いします」

 遅れてきた仁美が、ウイスキーの水割りを作った。


 土曜日。

 昼を食べてから、買い物に出た。

 今日も大船だった。

「俺を尾行しているのは、あの男か?」

 菅原が、素知らぬ顔で尾行の男の顔を確認した。

「以前尾行されていたと思っていたのは、勘違いか。今度は間違いな」

 菅原は簡単に男をまいて、美佐の店に入ったのは七時半だった。

 午後八時になったのを見て、菅原が立った。

「まず里見刑事からよろしくお願いします」

 菅原に促されて、里見が立った。

「皆さん、申し訳ありません。私たちはこの事件から手を引かざるを得なくなりました。最後の仕事して、先日菅原さんが稲村ケ崎の崖の下で見つけたスマホの解析を科捜研に依頼しています。結果が分かり次第菅原さんへ連絡します。以上、私たちはこれで失礼します」

「里見さん、羽太さん、ご苦労様でした」

 菅原が見送った。

「菅原さん、これで我々は何も気にせずに事件の調査ができますね」

 倉石が嬉しそうに言った。

「前にも言ったように、調査することによって相手がどう出るか分かりません。身の危険が及ぶことになるかもしれませんので、この件から手を引かれる方は遠慮なく言ってください」

 菅原は、倉石、八木、大橋、山田、そして美佐の順で見回した。

 手を引くという者は、誰もいなかった。

「分かりました。身に危険が生じそうになったら、すぐに私へ連絡ください。頼みます」

 一息ついて、続けた。

「八木さん、三人の後援会事務所にいるCKNグループの会員の行動について調べてくれませんか?特に、灯のママの池田志保さんと福島太一さんを重点的にお願いします」

「分かりました」

「倉石さん。T建設の戸所氏の動向を調べてもらえませんか?」

「了解しました」

「大橋さんと山田さんは、昨年度の談合の件を地検特捜部にリークしてもらえませんか?なるべく早くお願いしたいんですが?」

 大橋は考え込んだ。

 しばらくして、山田の顔をのぞいた。

 山田が頷いた。

「承知しました。私ひとりが責任もって対応します」

「ありがとうございます」

「菅原さん、私は何をしたらいいんでしょうか?」

 美佐が口をはさんだ。

 菅原は、美佐のことを何も考えていなかった。

(ママは、皆よりも私が伝えた情報が多いから何かあったら大変だ。この計画には深入り指せないのが一番だ)

「ママはお店に来たお客さんを大事にしてください。それだけでいいです。それから、毎週土曜日の報告会ですが、このまま続けようと思います。それ以外に話をすることがあれば、私に連絡ください。電話で済まないようであれば、私のアパートに来てください。これからは、くれぐれも慎重に調査してください」

「菅原さん、今日はこれで終わりでいいですか」

 美佐が聞いた。

「はい、これで終わります」 

 美佐がジョッキにビールを注ぎ始めると、菅原もカウンターの中に入って注ぎ終わったビールを皆に配った。

 一時間ほど過ぎると皆は酔っ払ってきた。

「これから灯へ、歌を唄いに行きませんか?」

 急に八木が大声で言った。

「八木さん、大丈夫?」

 美佐が心配そうに言った。

 八木たちが、店を出て行くのを菅原と美佐は見送った。

 

 数日後の金曜日。

 昼、アパートにいた菅原のスマホが鳴った。

 里見からだった。

「菅原さん、先日預かったスマホの件で、結果が出ました。昼休みにそちらのアパートへ伺っていいですか?」

「いいですけど」

「住所は以前聞いていますから、十分ほどで行けると思います」

 里見が羽太を連れて、アパートにやってきたのは十二時二十分頃だった。

「時間がないので、結論を言います。あのスマホは立花隆さんの物でした。通信記録から八木さんという男から呼び出しのメールが届いていました。呼び出しの場所はスナック灯です。その時の立花さんと池田志保との会話と死の直前の様子が録音されていました。おそらく、崖からつき落とされる寸前まで意識はあったのでしょう。その時、スマホを海に投げ込んだと思われます。そのスマホは、この間の地震による影響で磯に打ち上げられたものと考えられます。このことは、これから上司に報告するつもりですが、その前に菅原さんに伝えておきたいと来ました。このUSBに今言った立花さんの情報が生のまま入っています」

 里見は、菅原にUSBを渡した。

「お預かりします」

「このことが、上層部で握りつぶされた時は菅原さんの好きなようにこれを使ってください。これから、私は署に戻って、上司にこのことを報告します」

 また連絡すると言ってふたりはアパートを出て行った。

 午後二時を過ぎていた。

 菅原は八木に電話した。

「菅原です。今回の件で新しい情報を入手しました。至急報告したいので、お手すきの時にアパートに来ていただけませんか?」

「それは何ですか?」

「電話ではちょっと」

「分かりました。では、三時ごろ伺います」

「お待ちしています」

 電話を切った菅原は、コーヒーを入れた。

「里見刑事の電話が早いか八木さんがくるのが早いか?」

 携帯が鳴った。

 里見からだった。

「菅原さん、残念ながらダメでした。もうことは終わっているから蒸し返すなと上司の命令です。菅原さん、あとはよろしく頼みます」

「承知しました」

 菅原は八木が来るのを待った。

 八木にこのUSBの中身について、問いただすつもりだ。

 三時きっかりにブザーが鳴った。

 菅原が穴から外を確認して、ゆっくりと扉を開けた。

「八木さん、お忙しいところすみません」

「急に何かありましたか?」

 菅原は八木を食堂に通した。

「コーヒーでいいですか?」

「ありがとうございます」

 八木は不安そうに返事をした。

「八木さん、実はは立花さんの件ですが、立花さんのスマホに通信記録として残っていました。その中に、あなたが立花さんにスナック灯に来るように呼び出しのメールがありました。何の目的でメールを送ったんですか?」

「灯のママが八木さんと飲みたいので、呼んでもらえないかと頼まれたのです」

「立花さんは、灯に呼び出しの時刻の四時に時に来ましたか?」

「私は、ただメールを入れただけで、灯には行ってませんので立花さんには会っていません」

「あなたは立花さんへ二時ごろメールを入れていますが、どこで入れたのですか?」

「吉田市議の後援会事務所だったと思います」

「その後、あなたはどうされましたか?」

「確か三時ごろには事務所を出て、店に戻ったと思います」

「あなたがメールを入れた日の夕方に、立花さんの死体が発見されたんですが、それを知ってどう思いましたか?」

 八木は黙ってしまった。

「どうしましたか?」

「あの晩、かほりで菅原さんから立花さんが亡くなったことを聞いて、私がメールしたことが関係しているとは思いませんでした。いや、思いたくなかったのかもしれません。そう簡単に人が人を殺すなんて信じられませんから」

「あなたは、灯の池田志保さんに後日立花さんと飲んだことを確認しましたか?」

「もちろん。ママは一時間ほど飲んで別れたと言ってました」

「八木さん、ありがとうございました」

 ほっとした顔つきをして、八木は帰って行った。

「これからどうしたものか?」

 五時ちょっと前だった。

「美佐さんの所に行くか?」

 店に入ると数人の客が、楽しそうに酒を飲んでいた。

 菅原の仲間はいなかった。

 運よく、カウンターの右奥の席がひとつ空いていたので、そこに腰をおろした。

 この席は、生前の横井の指定席だった。

「お疲れさまです。いつもの生でいいですか?」

 美佐はおしぼりを置きながら聞いた。

「はい。玉子焼きもお願いします」

 美佐は客の注文に応えるために、忙しく振舞っていた。

 菅原は注文した焼きそばを食べ終えると店を出た。

「帰るのはまだ早いか。灯に行ってみるか」

 菅原は尾行がないのに気づいていた。

 店には仁美がひとり手持無沙汰にしていた。

「いらっしゃい。お久しぶりですね」

 菅原はカウンターに座り、おしぼりで手を拭いた。

「水割りでいいですか」

「ええ、お願いします」

 仁美の動作はぎこちなかった。

「どうかしましたか?」

「いいえ。澤藤さんはいつまで鎌倉にいらっしゃるんですか?」

「この街が気に入ったので、もうしばらくいようかと思っているんですけど。何か?」

「別にただお聞きしたかっただけです」

「ママは?」

「最近忙しくて、お店には時々しか顔を見せないんです」

「選挙関係で?」

「私、よく知らないんですけど」

 仁美は警戒した。

「歌でも唄いますか?」

 菅原は話題を変えた

「何唄いますか?」

「仁美さん、村下孝蔵の初恋お願いします」

 菅原は村下孝蔵の歌が好きだった。

 昔を思い出したのであろうか、仁美の眼がうるんでいた。

「いい歌ですね」

「彼はシンガーソングライターで、いい歌がたくさんあるよ。残念だが、彼の人生は短かった。もっと長生きして、いい歌を沢山創ってほしかった」

「澤藤さん、ロマンチストなんですね」

「どうだか」

 二三杯飲んで、菅原は灯を後にした。

 気持ちよく、夜風にあたりながらアパートに帰った。

 鍵を開けて部屋に入った。

「やられた!」

 部屋が荒らされていた。

 すぐに、菅原は貴重品が盗まれていないか、隠している場所を確認した。

「助かった」

 里見からもらったUSBも無事だった。

「一体誰だ?」

 すぐに里見に電話すると、

「分かりました。三課にすぐに行かせます」

 里見が、三課の刑事を連れてきた。

 菅原は北川という名の三課の刑事からいろいろ聞かれそれに答えていた。

 その間に、里見が割って入った。 

「ただの空き巣でしょうか?」

 里見が菅原に聞いた。

「最近、尾行されていたんですが、今日はかほりから灯に行く間から尾行がなくなったんです。きっとその間を狙って部屋に入ったのではないかと思うんです。もしかしたら、あなたから預かったUSBかもしれません」

「里見さん、そのUSBってなんですか?」

 北川が言った。

 里見が手短に経緯と内容について説明した。

「なるほど。それは厄介ですね」

「北川君、盗聴器が仕掛けられていないか調べられないか?」

「準備してきましたので、調べます」

 菅原は北川に頭を下げて、北川から離れた。

 そして、里見を目で呼んだ。

「里見さん、明日にでも携帯の立花さんの録音を灯のママに聞いてもらおうかと思っているんですが、どうでしょうか?」

「どこでやりますか?」

「里見さん、菅原さん、ちょっといいですか?」

「何か分かったか?」

「食堂のコンセントのカバー裏に盗聴器が仕掛けられていました」

「なんだって」

 菅原の声は上ずっていた。

「菅原さん、一体いつ付けられたんでしょう。思い当たることはありませんか?」

「私以外にここに来たのは、かほりのママと八木さんですが、私の目を盗んでコンセントのカバ裏にしかける時間はありません。私の留守に勝手に入ってきて付けたのでしょう。いや待てよ」

「どうかしましたか?」

(まさか)あの男の顔が頭によぎった。

「いやなんでもありません」

 里見が北川を大声で呼んだ。

「里見さん、どうしました」

「隠しカメラがあるか調べてもらえないか?」

「調べていますが、今のところ発見されていません」

「そうか。よろしく頼む」

 北川が鑑識の所に行った。

「里見さん、まだだいぶかかりそうですね」

「ええ、菅原さん、どうされますか?」

「私も何かお手伝いしたいんですが」 

 里見は一瞬菅原が何を言ったのか分からなかったが、菅原が元警察官だったことを思い出した。

「そうですね。菅原さん、今は一連の事件について考えていただければ十分です」

「里見さん、先ほど話した池田志保の話ですが、吉田市議の後援会事務所でやろうかと思うのですが、どうでしょうか?」

「いつやります?」

「明日の午後三時、もし不在だったら月曜日の午後三時で考えています」

「分かりました」

 実況見分は明け方まで行われた。


 土曜日。

 菅原はに三時間ほど寝てから、部屋の片づけを始めた。

 片付けは昼近くまでかかった。

 軽く昼食をとって、吉田市議の後援会事務所に言った。

 事務所は延命寺の近くだった。

 ちょうど池田志保は手伝いに来ている人たちにいろいろ指図をしていたところだった。

 菅原が入ってきたのを見て、志保は驚いた。

「澤藤さん、何か御用ですか?」

「池田さん、ちょっと聞いてもらいものがあって来たんです」

「そうですか。ではこちらのどうぞ」

 志保は会議室に菅原を案内した。

「聞かせたいこととは何でしょうか?」

「その前に、実は私の本当の名は菅原道長と言います。今まで偽名を使ていてすみませんでした」

 志保は驚く様子もなく先を促した。

「実は、立花隆さんのスマホが発見されました。その通信記録から八木さんという男から呼び出しのメールが届いていました。呼び出しの場所はスナック灯です。その呼び出しはあなたから頼まれてメールしたと八木さんが言ってます。四時に灯に行った立花さんはあなたとの会話を録音していました。また子のスマホには死の直前の様子も録音されていました。おそらく、崖からつき落とされる寸前まで意識はあったのでしょう。そのことが、このUSBに入っています。お聞きになりたければ、パソコンを用意してください」

 志保の顔の一部が一瞬ひきつった。

「パソコンを持ってきますから、ちょっと待っててください」

 数分で戻ってきて、テーブルの上にパソコンを置いて、開いた。

「どうぞ」

 菅原はUSBをセットすると、画面に向かってクリックした。

 立花と志保の会話が再生された。

「立花さんが談合をあきらかにすると吉田さんを脅すので、それはやめて下さいと私はお願いしただけです。何度もお願いしても拒否されたので、説得をあきらめると、彼は店を出て行ったのです。ただそれだけのことです」

「次は店を出てからの録音です」

 菅原が画面に向かって、再生させた。

「菅原さん、これは立花さんの声だけで、相手が誰か分かりませんよ」

「私もそう思いました」

 志保が怪訝そうな顔をした。

「菅原さん、私を疑っているんですか?私が何をしたと言うんですか?私が立花さんを殺す動機なんてあるはずありません。警察は自殺だと言っているじゃないですか?」

「私は、そうは思っていません。池田さん、私はあなたから事実を教えて欲しいのです」

「あなたは一体何者なの?」

「ただ真実を知りたいだけの変わり者です」

「菅原さん、忙しいので、お帰り下さい」

「今、福島太一さんはいらっしゃいますか?」

「福島に何の御用ですか」

 志保は、さすがに驚きを隠せなかった。

「私を尾行している男が、福島さんかどうか確認したいと思いまして?」

「ちょっと見てきます」

 しばらくして、志保が戻ってきた。

「今日は福島は来ていません」

「分かりました」

「菅原さん、もうよろしいでしょ」

 菅原は志保に礼を言って、事務所を出た。

 陽射しが傾き始めていた。

 久しぶりに小町通りを通った。

「さすがにこの時間になると人通りは少なくなるな」

 照明で明るく照らされている駅を通り過ぎ、脇道に入った。

 飛び出しナイフを持った目出し帽の男が、菅原の前に立ちはだかった。

「とうとう正体を現したな」

 菅原は腰を低くして、腕を曲げた。

「待て~」

 里見の大声が響いた。

 目出し帽は踵を返した。

「待て」

 里見と羽太が男を追い、菅原も続いた。

「残念、もう少しだったのに」

 息を切らせながら、里見たちは悔しがった。

 菅原は里見たちに礼を言った。

「菅原さん、そんなことはいいです。池田志保はどうでした?」

「ここではなんですから、私のアパートに来てください」

 数分歩いて、三人は菅原のアパートに入った。

「お茶かコーヒーどちらがいいですか?」

「菅原さん、かまわないでください」

「遠慮しないでください」

 ふたりはコーヒーを頼んだ。

 菅原がふたりにコーヒーを出すと、池田志保とのやり取りを話した。

「あの録音だけでは確固たる証拠にはなりませんから、仕方がありませんね」

 菅原の話を聞き終わった里見が、やむを得ないという顔つきで言った。

「でも、その効果がありました」

「目出し帽の男ですね」

「池田志保の指示で私を襲ったんだと思います。おそらく、彼は福島太一でしょう」

 里見と羽太が頷いた。

「あっ。今日は土曜日ですね。かほりで連絡会があるんで」

 菅原はすぐに壁にかかっている時計を見た。

 七時十五分を指していた。

「では、我々は署に戻ります。これからも十分気を付けて下さい」

「途中まで一緒に行きましょう」

 菅原はふたりに別れを告げて、かほりに行った。

「ご苦労様です」

 美佐が迎えた。

「私が一番ですか?」

「八木さんがトイレに行ってます」

 八木が戻ってくると、菅原は立花のスマホの件を話すことの了解を得た。

 八時近くなると、倉石、大橋そして山田が店に入ってきて、全員集合した。

 菅原は、里見刑事から立花さんのスマホに灯のママとの会話が録音されていたUSBを里見刑事から預かったこと、そのスマホのメール履歴に八木さんから立花さんに灯に来るようにとの誘いの連絡のメールがあったこと、そして、昨日金曜日に私の部屋に空き巣が入ったこと、それから先ほど吉田市議の後援会事務所で灯のママに録音を聞いてもらい、その帰りアパートの近くでナイフを持った目出し帽に遭遇したこと等を報告した。

「里見刑事から預かったUSBにはどんなことが録音されていたんですか」

 大橋が真っ先に聞いた。

「ママ、パソコン貸してもらえますか?」

 美佐がカウンターの下から出したパソコンを受け取った菅原は、USBをセットしてマウスを動かした。

「確かに、灯のママの声だ。ただ立花さんには、吉田市議を恐喝しないでもらいたいと言っているだけで、事件性があるとは考えられませんね」

 大橋が言った。

 皆、頷いた。

「空き巣は何を盗っていたんですか?」

 美佐が心配そうに言った。

「何もないんです。私の推測ですが、里見刑事から預かったUSBを盗むのが目的だったのかもしれません。そうそう、警察の実況見分で食堂のコンセントに盗聴器が見つかりました。いつだれが何のためにやったのか分かりません」

「USBはどこにしまっておいたのですか?」

「私は持ち歩いていました」

「盗聴器をコンセントの中に取り付けるには多少時間がかかると思いますが、そのような時があったことは?」

 倉石が聞いた。

「今回の空き巣以外には考えられません。何人かアパートに来られていますが、そのようなことはできるはずはないと思います」

「そうだとすれば、菅原さんが入居前に取り付けられたとは考えられませんか?」

「十分あると思います」

「心当たりはないのですか?」

 菅原は園城寺を多少疑っていたが、ここでは答えるのを控えた。

「ないです」

「この録音を灯のママに聞かせた時の彼女の反応はどうでしたか?」

 八木は自分が立花の件に関与しているかが心配だった。

「彼女は立花さんを殺す動機がないと言い張っていました」

 八木はほっとした顔つきになった。

「ところで、菅原さん。目出し帽の男に思い当たることはないですか?」

 倉石が聞いた。

「全くない訳ではないのですが、確信が持てないのです。八木さんはどう思います?」

 ふられた八木は、吃驚した。

「そうですね・・・。CKNグループの関係者かもしれません」

「なるほど。八木さん、後援会事務所で働いている人で、CKNグループの人は多いですか?」

「事務所によって違うようです。特に多いのは今度市議に立候補するT建設の飯田社長の所が多いようです」

「なるほど。では皆さんの報告をお願いします」

 大橋がまず手を挙げた。

「市発注の設計及び工事の談合について、一昨日、地検特捜部にリークしましたので、今後特捜がどう出るかウオッチングしていきます」

「よろしくお願いいたします」

 次に倉石が報告した。

「T建設の戸所氏ですが、時々、事務所の外で灯のママと会っています。飯田氏候補へCKNグループの最大限の応援を頼んでいるようです。今度の市議選は飯田氏にとってスキャンダルの噂が広まっているのでかなり厳しいようです」

「厳しいです。池田志保さんも走り回っています」

 八木が言った。

「うむ・・」

 菅原は考え込んでしまった。

「菅原さん、どうかされたのですか?」

 心配そうに美佐が聞いた。

「この事件の解決は、思った以上に難しそうです」

 八木が再び口を開いた。

「福島太一は池田志保さんに心酔しています。彼女の言うことなら何でも引き受けるように思われます。もう少し、確信に迫ってみるつもりです」

「八木さん、危険ですからもう手を引いてください」

 八木は黙ってしまった。

「皆さんもこの件についてはここまでとしてください」

「あとは菅原さん一人でやると言うことですか?」

 倉石が不満そうに言った。

「はい」

「冗談じゃありません。仲間が三人も殺されたんですよ。菅原さん、私は最後までやります」

 八木が大声を出した。

 皆、圧倒された。

 そして、皆が続いた。

「八木さんの言う通りだ。私もやる!」

「分かりました。くれぐれも危ないと思ったら、逃げてください。警察を呼んでください」

 菅原は続けた。

「私は実行犯は立花さんと永江さんの件は、福島太一で横井さんは戸所安治だと考えています。そのバックが灯のママ池田志保ではないかと」

「菅原さん、池田志保を動かしている人間がいるのではないかと思うのですが?」

 八木が言った。

「多分そうでしょう。ただそれがだれかまだ分かりません」

 続けて、菅原が言った。

「今後の調査についてですが、池田志保と福島太一に絞りましょう。吉田市議の後援会事務所については今まで通りに八木さんにお願いすることにして、飯田氏の後援会事務所は倉石さんにお願いできませんか?」

「いいですよ、後援会にすぐに入ります」

 倉石はやる気満々だった。

「大橋さんと山田さんですが、時々スナック灯に顔を出して様子を窺ってもらいたいのですが、どうでしょうか?」

「分かりました。灯のお馴染みさんになりますよ」

「皆さん、ありがとうございます」

 美佐はジョッキにビールを注ぎ始めた。

 

 数週間後、菅原は飯田の講演会に顔を出していた。

 菅原は、後方の通路側の席に腰をおろした。

 会場には、応援演説を行う県議の岡田正と市議の吉田栄一が壇上にいた。

(八木さんは来ていないのかな)

 菅原は八木を探したが、見つからなかった。

 開会予定六時になった。

 席はすべて人で埋まっていた。

(CKNグループが総動員かけたのだろうな)

 司会の女性が飯田を促した。

 飯田がマイクの前に立った。

「飯田さん、頑張れ」

「飯田、勝つぞ」

「待ってました」

 大きな声が八方から飛び交った。

 両サイドに席を取っている後援会の手伝いの人たちも、盛大な拍手を送っている。

 異常な雰囲気に菅原は取り囲まれた。

 飯田の演説はチラシに書かれた内容をただ読んでいるように聞こえて、菅原には心に響くものではなかったが、周りの人たちは所々で大歓声や拍手で盛り上がった。

 よく見ると、左サイドの前席に座っている女性が拍手をすると、それに観衆が続いていることが分かった。

(あの女性は、池田志保じゃないか。後ろにいるのは確か福島太一)

 飯田の話の途中、司会者が飯田にメモを渡した。

 飯田の顔に動揺の色が表れ、しばらくの間沈黙が続いた。

 心配になった岡田と吉田が、駆け寄った。

「どうした」

 岡田の声がマイクを通して会場に響き渡った。

 慌てて飯田はマイクを切り、二人にメモを見せた。

 ふたりも動揺を隠せずにいた。

 前席の池田志保が司会者の所に行って、何やら話している。

 会場の人々がざわめき始めた。

(一体何があったんだろう)

 いつの間にか、倉石が菅原の前に現れた。

「倉石さん、どうしました?」

「菅原さん、地検が、横浜地検が飯田後援会事務所に立ち入り捜査に入りました。同時に、T建設本社や工事現場、自宅にも立ち入ったようです」

 倉石は興奮していた。

「菅原さん、これからどうしましょう!」

 菅原も考えていたところだった。

 壇上には、すでに池田志保が飯田のそばにいた。

「福島太一がいないぞ」

 スーツを着た数人が、壇上に上がって行った。

 一言二言話をして、飯田と吉田を連れて会場を出て行った。

 池田志保たちは唖然としていた。

「倉石さん、ひとまずここを出ましょう」

 地検の立ち入りは、吉田市議の自宅や経営している不動産会社そして、後援会事務所だけでなく、市役所内部にまで及んでいた。


 横浜地検の捜査による政官民の談合事件は、テレビ、新聞そしてネットであっという間に世間に広がった。


 定例の報告会がかほりで行われた。

 いつものメンバーが集まった。

「大橋さんと山田さんのおかげで、地検による談合事件の捜査が行われていますが、立花さんたちの事件については全く進展していないようです。これから我々はどうすればよいのか悩んでいます。皆さん、何かありましたら言ってください」

「飯田と吉田の後援会事務所は閉鎖されてしまったので、私の役目が果たせなくなりました」

 八木が残念そうに唇をかみしめた。

 倉石も頷いた。

「菅原さん、私たちはもうしばらく灯に通ってみます」

 大橋が言った。

「大変でしょうが、よろしくお願いします」

 その日は、進展もなく会はお開きになった。


 三日後、残業中の大橋は山田へ電話した。

「大橋さん、お疲れさまです。今日はどうします?」

「もう八時半過ぎなので、灯へ直行しましょう」

「あとどのくらいかかりますか?」

「八時五十分一階のロビーでどうでしょう」

「了解です」

 ふたりが店に入ったのは、とうに九時をまわっていた。

 カウンター席に男が一人座っていた。

「いらっしゃい」

 仁美が二人を迎えた。

「あれ、園城寺さんじゃないですか」

 大橋が気付いた。

 園城寺は驚いた様子だった。

「こんばんわ」

 山田が園城寺の隣に腰かけ、その隣に大橋が座った。

「皆さん、お知り合いですか?」

 仁美が大橋と山田におしぼりを出しながら聞いた。

「ええ」

 誰ともなく返事をした。

「おふたりともいつものでいいですか?」

「はい、お願いいたします」

 山田が答えた。

 しばらく大橋と山田は焼きそばをほおばりながら、水割りを飲んでいた。

 空きっ腹に酒が効いたようで、ふたりとも酔いが早かった。

 園城寺もかなり酔っているようだった。

「園城寺さん、なぜ我々のグループをやめたんですか。理由を聞かせてくださいよ」

 山田はしつこかった。

 園城寺は黙っていた。

「菅原さんのアパートに盗聴器をつけたのは、あなたじゃないんですか?」

「俺がそんなことをするはずないじゃないか」

「まさか、あの三つの事件にあなたは関わっているんじゃないですか。どうなんですか?」

「山田さん、いい加減にしないか。園城寺さんが困っているよ」

「そうよ。三つの事件はもう解決済みじゃないんですか。園城寺さんが関わっていたという証拠がないのにひどいじゃありませんか」

 仁美が興奮して言った。

「仁美さんは黙っていてください。園城寺さん、関係してなかったら、私が言ったことはでたらめだと言ったらどうですか?」

「お客さん、静にしてくれませんか。迷惑なんですよ」

 いつの間にか、仁美の隣に男が立っていた。

「あんたは誰だ?」

「店の者です。話がまだあるならば、外で私がお相手しましょう」

「あんたなんかに話はない。私はこの園城さんと話をしているんだ」

「お客さんが迷惑しているんだ。いい加減にしろ」

「なんだと、客に向かって言う言葉か。お前もCKNグループの一員だな」

「お客様、お金はいりませんのでお帰り下さい」

 ママの池田志保がカウンターの中に入っていた。

「そういうあんたもCKNグループの人間だな。CKNグループは、一体何をたくらんでいるんだ?」

「あなたのような人には答える必要はないわ。太一ちゃん、この客外へ連れ出してやって」

 福島太一がカウンターの外に出てきて、山田の腕を掴んだ。

「何するんだ。菅原さんを襲ったのはお前だな」

 福島太一は一瞬たじろいだ。

「山田さん、もう帰ろう」

 大橋が山田の袖を引いた。

「はっきりするまで俺は帰らんぞ」

 山田は大橋の手を振り切った。

「いてえ」

 山田の腕を握っている福島の指にさらに力が入った。

「文句言わずにさっさと表へ出ろ」

「やめろ」

 大橋が怒鳴ったが、山田は引きずられるように店の外へ連れ出された。

「この野郎、二度とCKNグループの悪口を言わせないようしてやる」

 福島太一は遠慮なく殴ったり蹴ったりし始めた。

 しかし、山田は一切手を出さなかった。

 大橋は菅原に電話した。

 

 かほりで飲んでいた菅原の携帯が鳴った。

「大橋です。今灯にいるんですけど店員と山田さんが店の外で喧嘩しているんです」

「分かりました。すぐ行きますから無理しないでください」

「はい」

 菅原はすぐに里見に電話を入れて、事情を話した。

「菅原さん、どうしました?」

「ママ、タクシーを呼んでもらえますか」

 美佐がすぐに携帯を出して、馴染みのタクシー会社へ電話をした。

「五分ほどで来ます」


 タクシーが灯の近くで止まり、菅原は料金を支払って、車を降りた。

「やめるんだ」

 大橋の声が暗闇の中を伝わってきた。

 福島太一は山田を殴っていた。

 菅原が止めに入った。

「やめろ、警察が来るぞ」

「邪魔すんじゃない」

 逆上していた福島が、菅原の腹に向かってパンチを入れた。が菅原はそれをかわすとともに、福島の右手首と胸倉を掴んで投げ飛ばした。

 サイレンを鳴らしながら走ってきた覆面パトカーが止まり、里見と羽太が降りてきて、菅原の所に行った。

「どうしました」

「この二人の喧嘩です」

 里見が警察手帳を山田と福島に見せた。

「店の責任者と関係者たちと当事者のふたりたちから署で話を聞こう。羽太、車を呼んでくれ」

「菅原さん、山田さんは一度も手を出していません」

 大橋が、スマホで撮った動画を見せた。

「大橋さん、お疲れさまでした」


 パトカーが二台やって来て、福島太一、池田志保、仁美、園城寺誠を乗せて行ってしまった。

 里見が菅原に耳打ちした。

「菅原さん、この機会をとらえて、三件の事件を明らかにしようと思っています。山田さんが、チャンスを作ってくれました。進捗がありましたら連絡します」

 里見と羽太は、山田勝と大橋守を乗せて署に向かった。

 菅原は待たせていたタクシーに乗って、里見たちの後を追った。

 

 取り調べは福島太一の傷害事件に関して行われた。

 里見と羽太が担当した。

「どうして、山田さんに暴力をふるった?」

「彼は俺が菅原を襲ったことを口にしたんだ。それで頭に血が上ったのさ」

「あなたは菅原さんを襲ったのか?」

 福島は黙った。

「まあいい。あなたは立花さんと仁美と稲村ケ崎に行きましたね。駐車場の防犯カメラに映っているんだよ。何しに行った?」

 里見は、防犯カメラに映った福島たちの写真を机に広げた。

 福島の顔色が変わった。

「なぜやった。あなたが立花さんを殺したいと思ったのか。どうなんだ?」

 黙り続けていた。

「いくら黙り続けていても、誰も助けてくれんぞ。灯のママの指示でやったのか?」


 里見は福島太一の取り調べを一時休止して、仁美の事情聴取を行った。

「仁美さん、店の中で山田さんはどんなことを言っていたんですか?」

「菅原さんのアパートに盗聴器をつけたのは園城寺さんだとしつこく責めていました」

「園城寺さんの様子はどうでした?」

「自分はしていないと反論してました」

「それで?」

「ママが出てきて、太一さんに山田さんを外に連れ出すよう言いました」

「なるほど。あなたと園城寺さん、福島さんはどのような関係ですか?」

「園城寺さんはただのお店の客です。私と仁美さんはCKNグループの会員です」

「ママの池田志保さんも確か会員ですね」

「ええ、グループでは偉い立場の方です」

「話は変わりますが、立花さんが亡くなった時に稲村ケ崎に行かれてますね?」

「はい。お店に来た立花さんはママと口論して彼が帰ろうとした時に、私に好意を持っていた立花さんを稲村ケ崎に連れて行って、立花さんの頭を冷やしてもらえないかとママに頼まれて、彼を誘って車で稲村ケ崎に行きました。夕陽を撮っている人たちと離れた場所に行くと、太一さんがいつの間にか私たちのそばに来ていました。立花さんが気づくや否や太一さんが彼を崖から突き落としたんです」

「福島さんはどうして現れたのですか?」

「あとで聞いたんですけど、車の後席に隠れていたそうです」

 仁美が泣き出した。


 里見は部屋から出て行き、再び福島太一の取り調べを始めた。

「あなたが立花さんを稲村ケ崎の崖から突き落としたと、仁美さんが言ったよ。もう白状したらどうなんだ」

 福島太一は池田志保から立花を殺害するよう命じられたことも話した。

 そして、永江正勝の殺害も認めた。


 二課は、池田志保を取り調べた。

 事前運動による選挙違反を主に重点に置いた。

「池田さん、あなたはCKNグループの会員に後援会に入会するよう強制していたそうですね。会員の方が迷惑だったと証言しています」

「私は、強制なんてしていません。皆自主的に入ってくれたんです」

「あなたは、T建設の飯田社長から多額の金を受け取っていますね。その金はどうしたんですか?」

 池田志保は黙秘した。


 三課の吉永が、園城寺の事情聴取を行っていた。

「あなたは菅原さんのアパートに盗聴器をつけたんじゃないかと山田さんにしつこく言われたようですが、本当はどうなんですか?」

「そんなことをなぜ私がしなければならないのです。言いがかりですよ」

 ビニール袋に入った盗聴器を里見は机の上に置いた。

「これは何ですか?」

「菅原さんのアパートのコンセントにつけられていた盗聴器です」

「私はこんなものつけていません」

 ノックの後に羽太が部屋に入ってきて、吉永を入り口に呼んで耳打ちをした。

「福島太一が菅原さんのアパートに盗聴器をつけたことを白状しました」

 頷いた吉永は席に戻った。

「グループにとって危険人物だと思っての事です」

「園城寺さん、大変失礼しました」

「誰がつけたのか分かったんですか?」

「福島太一がつけたことを自白しました。園城寺さん、お引き取りになって結構です」

 吉永たちが頭を下げる中、園城寺は部屋を出て行った。


 数日後、池田志保はCKNグループを守るために、福島太一に立花隆と永江正勝を殺害するよう命じたと自白した。


 里見は、戸所安治から横井正の件について取り調べを行った。

「戸所さん、自分に不利になるようなことがあったら、黙秘権を使って結構です。ただし、嘘はまずいです。では、始めます。あなたはあの工事中の事故をどう思いますか?」

 戸所が考えていた想定質問にはなかった質問が来たので、驚いてしまい、すぐに応える事ができなかった。

「どうしました。黙秘権ですか?」

「いいえ」

 戸所は早く覚悟した方がよいと考えて、話始めた。


「飯田社長から横井さんが談合の件で脅されているのでどうしたらよいかと相談を受けました。また私たちにとっても、金づるを失ってしまうので、横井さんの施工ミスでの業務上過失傷害の罪を犯したと、T建設を退職に追い込もうと計画していたんですが、当人が落下したのでびっくりして、あんな行動に出てしまいました。計画は飯田社長と入念に練りました。飯田社長が建築工事中の事故に見せかけることを考え、戸所さんに具体案を作らせました。それが、コンクリート打設時に支保工を外すことになったのです。戸所さんを手伝うよう太一ちゃんに頼みました」

「あんたがたは何をたくらんでいるんだ」

「私たちはこの国に住んでいる人たちが、リーダーのもとに平等に生きて行けるような国にしたいのです。まずそのためには、議員の皆さんに協力してもらわなければならないんです」

「リーダーは誰なんだ?」

「それは言えません」

「まあいい。そのリーダーの目的のために、あなたがたは、飯田社長、吉田市議そして岡田県議らの後援会に力を注いでいたのか」

 里見はあきれ返った。


 かほりに八木、倉石、山田そして、大橋が集まって、菅原から事件の報告を聞いていた。

「立花さん、横井さんそして永江さんたちを殺害した犯人たちが逮捕されました。また、飯田社長たちの談合も公になりました。何よりもCKNグループの深慮遠謀も一応断ち切ることができたようです。里見刑事から皆さんのご協力に感謝しますとの伝言をいただいています。また私からもお礼申し上げます」

「固いことは終わりにして、祝杯を挙げましょう」

 八木が言った。

 美佐がジョッキにビールを注ぎ始めると、菅原もカウンターの中に入ってビールの入ったジョッキを皆に配り始めた。

「今まで気づかなかったけど、ママと菅原さんはお似合いじゃない」

 倉石が行った。

 美佐と菅原の顔が赤く染まった。

                                         了

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居酒屋探偵団 沢藤南湘 @ssos0402

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