激突! 闇の使徒 VS 闇の使徒(4)

 吹き荒れる嵐にあらがう旅人のように、目が眩むほどの強烈な赤黒い閃光ひかりと巻き起こる衝撃波を腕で防ぎながら出口をめざす。

 邪魔な巨大障害物・ベルティナが変態を終えるよりも早く、ヤツの真横を通り抜けなければここからの脱出は不可能。だが、明滅を繰り返すあの巨体に触れれば、我に宿る闇の力まで吸収されかねない。ここは慎重にいきたいところではあったが──。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 すでにかなりの生命力を消費してしまっているため、走ることができず、歩行すら困難になっていた。

 こんな状態では戦闘など無理だ。しかし、逃げ切れるだけの体力も無い。それでも、どちらかの選択肢を決めなければいけなかった。


「最悪じゃないか……」


 ひたいから垂れた汗が目にしみる。

 胸が苦しい。これが動悸というやつだろう。まさか我が、痛みや苦しみを味わう羽目になろうとは……これ以上の痛覚は勘弁願いたいものだ。

 と、不本意に細めた視線がとらえたのは、大穴の手前脇に転がる竜人族の宝具だった。

 三叉槍に似たそれは、先端にある三つの穂がかなり内側に反り返った、猛禽類の脚を想わせる奇妙な形をしていた。それでも、この武器には神ですら傷つけられる程の破壊力があるはずだ。


宝具アレを使えば……勝てる!」


 勝利を確信するにはまだ早いが、そう考えなければ足が動かない。よろけながらも歩みを進め、なんとか無事にすぐ近くまで来れた。

 あと、少し。

 そのほんのわずかな距離を前にして、強度を増した青い触手のうねる一撃が我の左肩を打ち砕いた。


「うぐぁぁぁぁぁ!?」


 攻撃を受けた反動で、擬態からだごと後ろへ弾かれる。そのときに運悪く後頭部を打ちつけてしまい、半失神状態になってしまった。

 朦朧とする意識。

 痺れる手足。

 忍び寄る驚異。

 進化を遂げたベルティナが、仰向けで倒れる我を見下ろす。


「フシュルルルル……アッハッハッハッハ! 死にかかってる今のあんたをなぶりモノにしたところで、なんの自慢話にもならないし面白くもないけれど、気分は多少晴れるわねぇ……アハァ♡」


 蛞蝓頭の左右から、おぞましい大触覚が伸縮を繰り返す。相変わらずおしゃべりな口ではあるが、フェルムと同じく剥き出しの歯並びとなったがために、ご自慢の肉厚の唇は見る影もない。

 褐色の薄い粘膜に包まれた人型の上半身は、筋肉が限界を超えて破裂寸前まで隆起している。下半身は巨大蛞蝓そのままの姿で、透明な分泌物と異臭を巻き散らかしていた。


「フシュルルルル……アッハッハッハ! アーッハッハッハッハ!」


 異形にさらなる磨きをかけた蛞蝓魔人は、黄ばんだ歯を打ち鳴らしながら声高らかに笑い続ける。

 このままでは、いいようになぶり殺しにされてしまう。


「う……あッ……あ……」


 消えかかる生命いのちの火が、不快な喧騒の中で、ゆらゆらと揺らぐ。

 それは、終焉を意味するものではなく、消え際に燃えさかる前触れだ。


『……幻影蝶乱舞サイコ・バタフライ!』


 大穴から漏れ入る灯りの届かない天井や両側の闇から、続々と生まれた数千数万の黒蝶がベルティナに群がる。


「フシュルルッ!? な、なんなのよこれッ!?」


 両手を振りまわして追い払おうとするそのさまは、黒蝶と一緒に楽しそうに戯れて舞い踊っているようだ。


「フッ……新しい影絵シャドウだ。フェルム、おまえにも見えているか?」


 かろうじて正気を保ちつつ、かつての同胞に向けて語りかける。

 この幻術は、相手の視界と動きを封じ込めるだけではない。体力と魔力を吸収し、術者のものとするのだ。


「ガァは?! ちょ……力が抜け……て……」


 ベルティナの全身に張り付いていた黒い蝶の群れが、ひらひらと優雅に飛び立つ。そして今度は、我の体内もとへと帰ってきた。

 傷が癒される。

 肩の痛みもすっかりと消え、乱れていた呼吸も穏やかになる。

 それでも、生命力までは回復できない。動けるようになった今のうちに、ロアのもとへ戻らなければ。

 すばやく起き上がり、宝具をめざす。勢いもそのままに掴み取ると、ネズミたちの巣穴から飛び出した。

 駆け足で刻まれる靴音をなぞるように、青い触手が通路の床で幾度も爆ぜる。

 くだけ散った石灰岩の破片がやじりとなり、そのうちのひとつが、極端に短い魔法衣スカートの裾から露出している白い太股を傷つけた。

 その痛みに呼び止められて後ろを見れば、剥き出しの歯並びを打ち鳴らすベルティナがすぐそこまで迫ってきていた。バカでかい図体のわりには、雄牛のようにすばやい動き。これもフェルムの能力ちからだろう。


「フシュルルルル……逃がさないわよ、ミメシス! あんたも吸収して、もっともっと美しくなってやるんだからァァァァァ!!」


 蛞蝓魔人ベルティナの狂った美意識は聞き流すとして、このままではロアのいる宝物庫まで着いて来られてしまう。そのときに万能薬エリクサーを使う余裕があるとは思えない。せめて、その時間の分だけでも足止めができれば──この握り締めている宝具を使うのは、今しかなかった。


「ハッ!」


 右足に力を込め、一瞬だけ前屈みになってから飛び退き、そのままひねりも加えて振り返る。突き出したのは、三叉槍型の武器。超古代の民・竜人族の遺産。


 クゥオオオオオオオオオオオ……。


 咆哮に似た作動音とともに、先端部を震源として徐々に宝具が震えだす。次いで、その先に見えている景色がいびつに揺らいだ。

 その現象を例えるなら、蜃気楼の悪夢だろうか。次々とに映る物のすべてが──地下迷宮が──ベルティナが──色彩の点だけの集合体へと変わり、互いの中間地点に現れた大きな渦に吸い込まれて消えていった次の瞬間、視界が突然暗転した。


 グン!


 そんな音が聞こえた。

 そんな気がしただけかもしれない。

 今はもう、なにも聞こえなかった。


「──くっ!」


 ズササァ!


 飛び上がっていた擬態からだが背中から着地する。肘を擦りむいてしまったが、この程度の傷は許容範囲内で問題はない。気がつけば、辺り一帯は元の景色に戻っていた。


「フシュルッ……い……嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッツ!?」


 ベルティナの絶叫を聞きながら立ち上がる。横目で見れば、蛞蝓のままだった下半身は早々に溶けきり、大触覚が骨だけになった両手をじっと見つめたまま伸縮を繰り返していた。


「ギィヒィッ?! かっ、身体ぁぁぁぁぁ!? あだじィのを……ぐぁ、らぁ、どぅばぁぁがああぁあああぁああぉぉぉ…………ドゥブドゥブドゥブ……とぅぷん♡」


 そして、筋肉の鎧をドロドロと床石にこぼれ落としながら、ベルティナは無様にうろたえて死んだ。

 こうして汚物の水溜まりが出来上がるまでの所要時間は、三十秒もかかってはいない。

 これが、神々に戦いを挑んだ竜人族が残した兵器の威力だ。


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