挿話 キャッチ&リリース
濃霧の中を静かに進む。
ひとりぼっちのあたしは、かれこれざっくり、三十分は歩いてるんじゃないかな。
「ホントにもう、ここはどこなのよ?」
歩きながら辺りを見まわしても、白煙のような霧のせいで二メートル先の足もとぐらいまでしかわからない。ところどころ苔が生えている石畳の道。こんな所、来た覚えがないんだけどね……。
それになぜか、あたしはビキニの水着姿で、木のサンダルまで履いたバカンス気分な装いだった。
「あー、さぶっ。空は薄明かるいから、今の時間って多分早朝よね? 泳ぐには早過ぎるし……マルス! プリシラ! おっさーん!」
仲間たちをいくら呼んでみても、誰からの返事がない。みんな先に泳いでるのかな?
「みゃ?」
霧が少しずつ晴れてきて、大きな水辺が見えてきた。波が立っていないから、海じゃなくて湖だろう。
「道もここで途切れてるし……まさか、泳いで渡るの?」
水のほとりに近づいたあたしは、その場でしゃがみ込み、水温を確かめようと手のひらで掬ってみる。うわぁ、氷水じゃない、これ!
「冷た……風邪ひいちゃうでしょ、絶対に」
と、なにかドアが軋むような音が遠くで聞こえた。顔を上げれば、湖上の霧に黒い影が浮かんでいる。
徐々にこちらへと近づいてきたそれは、小舟に乗った──メイドさん?
「どうしてメイドさんが船頭を……って、やだ、セーリャなの!?」
「はいはーい♪ ロアお嬢様、お久しぶりですねー」
天使のような笑顔の近くで片手を振る彼女の名前は、セーリャ…………えーっと、ファミリーネームはなんだったっけ? とにかく彼女は、わが家で働く使用人で、あたしの親友でもあるんだけど……どうしてここにいるのよ?
「……よっ、と!」
小舟を接岸させたセーリャが、櫂を水面に突き立てて掛け声を上げる。そしてそのまま、華麗にジャンプして陸へと降り立った。もちろん、純白のピナフォアごしに黒いスカートを押さえながら。
「ねえ、セーリャ」
「ロアお嬢様、ここから先に行ってはなりません」
あたしの質問よりも早く、セーリャがそう警告する。
「えっ? なんでダメなの? セーリャもあっちから来たじゃない」
「来ましたけど、この先って冥界なんですよね」
「メイカイ……えっ、死者の国の冥界?」
「はい♪」
めっちゃいい笑顔を返されたけど、それは、ずいぶんと物騒な情報だった。このとき背筋に悪寒が走ったのは、こんな格好だから風邪をひいてしまったのかもしれない。
「なんか、意味がよく…………ギャフン?!」
突然思わず変な声を上げてしまったのは、あたしの決して小さくはない胸もとに矢が四本も突き刺さっているのに気がついたからだ。
けれども不思議なことに、傷口からは血が一滴も出てないし、痛みもまったく感じられなかった。
「あわわわ……な、なんなのよ、これ!?」
「矢です」
「いや……うん。そうなんだけど、なんで矢が刺さってるのかなって」
「放たれた矢が命中したからではないでしょうか?」
「いや……うん。そうなんだけど、なんで矢が刺さっているのかっていう疑問を……ハァ……あのね、セーリャ。そういうふうに言われちゃうと、あたしがバカみたいになっちゃうから、やめてくれないか……なッ!?」
あたしの抗議が終わるのを待たずに、セーリャが突然抱きついてきた。
「ロアお嬢様は、とても優雅で聡明な
「セーリャ……」
しっかりと、あたしの冷えきった身体を情熱的に抱きしめてくれるセーリャ。メイド服ごしだけど、彼女の優しいぬくもりが確かに伝わってきて──って、
「もっと刺さっちゃったし! 勢いよく抱きついてきたから、さっきよりも深く矢が突き刺さっちゃったし! むしろ突き抜けて背中から出ちゃいそうだしッ!」
「まあ! 胸が痛むと思ったら……ウフフ♡」
「いやいやいや! 笑っちゃダメでしょ!? 不謹慎にも程があるわよ!」
「えーい♡」
「だーかーらぁ! なんでまた抱きつくのよ、もう!」
なんですか、これは?
謎の空間であたしとセーリャは、こんなやり取りを永遠に何度も繰り返し続けた。
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