闇の使徒ミメシス

 なにか懐かしい夢を見ていたような気がするけれど、後頭部の激痛が思い出すことを妨げる。それに身体を動かそうにも、なぜか起き上がれない。


「なっ……いつのまにか捕まってるし!」


 目覚めると、うつ伏せ状態のあたしは、魔力が具現化された鎖で上半身をグルグル巻きに縛られていた。

 なんとか顔を上げて辺りを確認する。あれだけいたはずのシャドウの姿が、今はどこにも見えない。それにプリシラも。


「ねえ、プリシラ! どこにいるの!? プリシラ!?」


 吐く息で鏡の床が白く曇る。何度も彼女の名前を呼んでみても、返事は返ってこなかった。


「プリシラ……もう……いったい全体、なにがなんだか…………ううっ、ううう……ひっぐ……」


 意味がまるでわからない。

 とうとう、涙があふれてきた。

 ただ、魔物の気配もしないので、今すぐに命が無くなることはないだろう。


 すると、背後から──。


「ウェッヘッヘ……エレロイダに若いメスの人間が現れるなんて、夢じゃねえだろうな? まあ、オイラは夢でもエッチしちゃうけどね♪」


 前言撤回。

 人生で最悪の危機だ。


「ロア、ここでお別れだ。今まで……本当にありがとう」


 え? この声は、マルス?


「……本当に男って最低サイテー。こんなに魅力的で可愛らしいあたしを捨てたりとか、マジで考えられないんだから!」


 今度はまた違う、別の誰かの声が聞こえたかと思えば、あたしの身体が横から蹴られて仰向けに転がされる。

 蹴った犯人の顔は、あたし・・・だった。


「ええっ……」

「うふふふ。驚いた顔もかわいいゾ♡」


 目の前にいるのはあたしなのに、なぜか声がプリシラだ……と思ったら、徐々にあたし・・・がプリシラの姿に変わっていく。って、どうなってるのよ、これ!? 


「哀れな乙女よ、涙はもう流すな。その苦しみは、すぐに終わりを迎える。この世は始まりの無に帰り、母なる闇にいだかれ、すべての存在は永遠の眠りにつくのだ」

「それって……〝暗黒大予言〟じゃない!」

「フッ、超古代の伝承を知っているとは、ずいぶんと博識だな。だが、光の勇者は、それでもおまえを見捨てて行った」


 プリシラは──ううん、プリシラの姿をした偽者ニセモノは、瞼を閉じて微笑んでみせる。と、横たわっていたあたしの身体が、邪悪なオーラに包まれて垂直に浮かぶ。


「な……なんなのよ、あんた!? どうしてプリシラの格好をしてるのよ!」

「我は、〝死〟と呼ばれる者なり」

「〝死〟? じゃあ、死神なの?」

「神ではない」


 偽プリシラが、あたしを冷淡な表情で見つめながらパチンと指を鳴らす。魔力の鎖が千切れて消え去った代わりに、両腕が勝手に肩の位置まで上がって固定された。


「こ……殺すつもりなの?」

「おまえがそう望むなら。だが、おまえは死にたくはないはずだ」

「あたりまえでしょ! あたしはまだ、あと三百年くらい生きるつもりなのよっ!」

「ハッハッハ! おもしろい人間だな」


 声高らかに笑いながら右手を掲げた偽プリシラの手のひらに、闇の力が吸い寄せられて濃縮されていく。やがてそれは、大きな鎌となって視覚化された。

 大鎌を手に、自らを〝死〟と名乗る変幻自在な謎の人物…………って、やっぱ死神じゃないの!


「そ、そ、そ、そのおっきな鎌で、なにをどうしちゃうつもりなのよ!?」


 はりつけ同然の状態で動きが封じられている現在いま、とにかく妙案が思いつくまでは少しでも長く時間稼ぎをしなきゃ──あたし、絶対に殺される!


「フッ、これか? この大鎌は、おまえの霊魂を狭苦しい肉体の檻から切り離し、母なる闇へ導いてくれる青い蝶でもある」

「わかんないッス、わかんねーッス、全然意味がわかりませーん! それにやっぱりあんた、死神じゃないのよ!」

「神ではない」

「だったら、何者なのよ!? 名前くらい教えなさいよね! それと……うーん、えーっと、えーっと……職業と年齢、好きな食べ物に得意料理が知りたいかも!」


 ダメだ。

 この窮地の打開策が、まったくなにも思いつかない。

 それでも、転んで気絶をしていたから、ちょっとぐらいの魔力は回復していた。ただし、この状況下で攻撃魔法を詠唱しようものなら、確実に大鎌で瞬殺されてしまうだろう。 


「……やれやれ、本当におもしろい人間だな。ならば、教えてやろう。我が名はミメシス。死神ではなく、闇の使徒だ」

「ゲッ! あんたも闇の使徒なの!?」

「なんだおまえ、ほかの使徒を知っているのか?」


 もちろん、あたしは知っている。

 暗黒騎士ヴァインも、自分のことを闇の使徒であると名乗っていたからだ。

 そうなると、状況がさらに悪化したことになる。

 ヴァインに勝てたのは、マルスたちと一緒に戦ったから。でも今は、あたしに仲間はいない。死神みたいで死神じゃない、この偽プリシラの──ミメシスの戦闘力レベルは普通に考えてみても、あたしひとりで立ち向かうには手強過ぎるに違いないだろう。


「絶対にもう、無理じゃん……」


 あたしの心が、とうとう折れた。


 自分でも、ここまでよく頑張れたなって思う。

 せめてもの救いは、この流れから察するに、辱しめを受けずに死ねそうなことだった。


「殺すなら、さっさと早くやりなさいよ」


 思わずつぶやく、自分でも信じられないあきらめの言葉。いろいろともう疲れきっていたし、楽になりたかったのかもしれない。


「殺しはしない」

「えっ?」

「なにか勘違いをしているようだが、我は殺戮を犯すのではなく、死出の門出の手助けをするまで」

「じゃあ……」


 あたし、助かるの?

 でも、それだったらなんで動きを封じる必要が?


「フッフッフ、おまえを殺すのは……コイツだ!」

「みゃ?」


 そう叫んだミメシスの背後にある鏡の床一帯から現れたのは、ドラゴンの輪郭をした巨大な黒い影。長大な首を左右に振りながら浮かび上がったその怪物が、どうやらあたしを処刑するらしい。


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