37.雑踏の中

 穏やかな朝が来た。顔を洗い終わってミンミと一緒に表へ出る。皆は既にいて各々のんびりしていた。スヴェンは朝食の準備を始めている。


「おはようございます」

「あ、おはようございます。今朝はベーコンを焼こうかと」

「じゃあ私はお茶を淹れます」


 昨夜のように分担していると、ラザの手が人数分のカップをそばに置いた。見ると、既に仮面を着けている。


「おはよー」

「おはよう……」

「……そんなに見ないで」


 顔をじっと見つめると、ラザは逃げるように背を向けた。

 そこへエリーアスが道の方から戻ってくる。


「おはようございます。今日はいい天気ですよ」

「おはようございます」


 クレリアはエリーアスにも思わず目を留めた。手に木製の優美な櫛を持っていたからだ。それで今までその長い黒髪を梳いていたらしいが、今度は櫛の方の手入れを始めた。自分の用事を優先させるのは彼にしては珍しいように思った。

 それぞれの準備が済み、四人と一匹は朝食の席を囲んだ。話は昨夜の熊に及んだ。


「――では、私は熊が出たことをアルメンに知らせます」

「私たちは寝袋を返すのが醸造所ってところだから、そこに話してみます」


 クレリアたちとスヴェンは今後のことをそう話し合うと、朝食と片付けを済ませてすぐにそれぞれの方角へ出発した。


「火事の次は熊かぁ。急に色々なことが起こるな」


 ラザはスヴェンが帰っていく方向を眺めてぼやいた。



 一行は数時間歩いた。途中で昼食休憩のために立ち止まり、小屋で用意してきた軽食をつまんだ後、また数時間歩いて、まだ日が明るいうちにプラエス市街の入り口である立派な門が見えるところまで来ることができた。

 その手前の森の際に、可愛らしい建物の果物酒醸造所がある。直売所も兼ねていて、エリーアスが店先から呼びかけると店番の男性が出てきた。


「はいはい。アルメンからですか。遠かったでしょう」

「でもいい道でしたよ。ただ、昨晩小屋に熊が来ましたが」

「熊? 確かですか?」


 目を丸くする男性へ、クレリアたちは一斉に頷く。


「同じく小屋に泊まった男性が、声が熊そっくりだとおっしゃいました。それに小屋を叩いて揺らすほどの力を持つ動物は熊くらいのものでしょう」

「そりゃ大変だ。怖かったですね。最後に山の南側で目撃されたのは数十年前ですよ。後で警吏隊に話しておきましょう」


 最後にエリーアスが預かっていた注文書を渡すと、醸造所での用事は全て済んだ。一行はプラエスの門をくぐった。

 プラエスは周囲を高い山々に囲まれた涼しい土地にある。色とりどりに塗り分けられた可愛らしい建物が箱の中の色鉛筆のように並び、石畳の広い道に荷物満載の馬車が行き交う賑やかな街だ。


「王国の北側は山脈で分断されていますから、この街は北方地域への限られた入り口の一つとなっています。それでいて王国で三番目に栄えている街です」


 少し進むと、馬車が円型の道をぐるぐると回っている環状交差点に出た。そこから街の方方へ数本の道が伸びている。一番賑わっている道には大きな商店が軒を連ねており、沢山の人が品物を見定めながら歩いている。ラザが感嘆の声を上げた。


「すげぇ、食い物がめちゃくちゃある! 人間ってたくさんいるんだな」


 感想はともかく、クレリアも辺りを見渡して首を振るのに忙しかった。いかにもなお上りさん二人をエリーアスが先導しようとするが、歩道の流れも早いのでともすれば散り散りになりそうだ。三人と一匹は身を寄せ合い、必然的に歩道の隅を歩くことになった。


「さて……クレリア様、ここからどうしましょうか? 宿を取りに行くか、それとも貴金属店を調べておきましょうか」


 エリーアスが後ろを度々振り返りながら尋ねる。


「先に宿を取っておきませんか? 金について調べるのはいつでもできるでしょうから」

「そうですね。一応、旅費の再計算もしたいところです。食い扶持が増えましたから、……」


 先頭の足が止まったのでクレリアはぶつかりそうになった。見上げると、エリーアスは列の後ろを見渡して呆然としている。同じく振り返ってみると、最後尾がいない。


「あれ? ラザは?」

「くぅーん……」


 足元でミンミが鳴いた。よく見ると、背後の人混みの隙間に彼の白いコートが覗いている。足を止めているようだ。背の高いエリーアスが爪先立ちをし、人々の頭の向こうを眺める。


「あいつ、誰かと一緒にいますね。知らない奴についていくなと言って聞かせておくべきだったか」


 すると、その顔が何かに気づいて引きつった。


「しまった」


 その訳はすぐに分かった。

 雲が途切れる時のように人混みが晴れた一瞬、ラザが二人の警吏に連行されているところが見えたのだ。一人はラザの腕を掴み、もう一人はあの斧を抱えている。

 こちらに気づいたらラザが口を「おーい」の形に開けたが、その姿は人の波でかき消えていった。


「どうしたんでしょうか?」

「奴の出で立ちですよ」


 エリーアスがため息をついている間に、クレリアはやっと理解した。

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