32.行き止まりから前へ進む
旅人たちが木立の間へ紛れていくと、村人たちは村の片付けへ取り掛かっていった。
ラザだけは軒下から遠くを眺め続けた。屋根が集めた雨の雫が拍子を取って落ちる向こう側を。
「まだ見えるの?」
その後ろから祖母が声をかけると、ラザは初めてそのことに気づいたように振り返った。
「いや、もう見えないよ。なんか、もう戻らないって分かってる人が村から出ていくのを見るのは初めてだと思って……」
「おまえも行きたいかい?」
大きく開いた口元が声に先立って驚きを表した。
「えッ? な、なに急にどうしたのさ」
「そうね。急にこんなことを言うのは良くないね……でも、おまえには色んなことを我慢させてると、ずっと思ってたのよ」
ラザは戸惑いながらも、祖母の真剣な話に耳を傾けた。
「おまえの爺さんは墓にこだわりながら死んで、父親は遠い街で飲んだくれて死んで……おまえの母さんは小さいお前をここに置いて逃げてしまった。でも、世界はおまえと私の家と、この村だけじゃあないんだよ。おまえはあの人達のように若いんだから、本にあった海でもお城でも、何でも見に行っていいんだよ」
祖母に左右の腕をそっと掴まれて、しかしラザは言葉を選んだ。
「で、でも、そんなこと言って……ばあちゃんどうするんだ? 家も、古いものも……ご先祖様の歴史も、なにもかも無くなっちまったじゃないか」
「私ゃ大丈夫だよ、いつからこの村にいると思ってるんだい。それに大事なものはまだ残ってるよ」
そう言って、村の反対側にある墓地を指さした。
「ラザ。同じ年頃の友達がほしくないの?」
ラザの頬や口元の微細な表情から、目を瞠ったことが祖母には分かった。仮面の下に流れ落ちた一粒の雫を、革の指ぬき手袋から出ている指が乱雑に拭った。
「でも、俺ばあちゃん以外の人が作ったメシ食えるか分からないし、枕が変わって寝られるかも……」
「それも冒険さ」
「俺……」
やがて口元を引き結ぶと、見えざる目線を上げる。
「い、行ってきていいの?」
祖母は自分より大分背の高い孫を抱きしめた。ラザは小さな背中に腕を回し返した後は、足取り軽く湿った広場へ駆け出して、刃を下にして井戸の縁に立てかけられている斧を拾った。
振り返ったラザは笑顔で仮面を上へずらした。
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
白い背中が木立の道へ消えていくと、老婆は子犬を見るようだった柔和な目元に、彼には隠し通した色濃い感情をついに溢れさせた。
雨は段々と小粒になった。上り道の中腹に差し掛かる頃、エリーアスが少しぶりに口を開いた。
「正直に言って、もっと落ち込まれるかと思っていました」
クレリアは小さく首を横に振る。
「旅をしようと思い立った時から、すぐに何かが見つかるわけじゃない気がしてました。だから、ここに何もなければ別のところを探しに行くだけです。大陸中、行ったことのない所がなくなるまで繰り返してもいいんです。暇ですから」
エリーアスは最後の言葉に苦々しく口角を緩め、なんとも言えない顔をした。だからクレリアは逆に尋ねた。
「エリーアスさんはそれでいいんですか?」
「使命の限り、どこへでもお供します」
「……近衛騎士って大変なお仕事ですね」
エリーアスはおかしそうに微笑んで瞑目した。
突然、ミンミが後ろを振り向いて一声上げる。
「おーい!」
振り返った二人は思わず身構えた。斧を持った仮面の男が走ってきたからだ。
坂道を駆け上がってきたラザは少し息を弾ませながら、斧の柄を握りしめた。
「あ、あの、俺もその、一緒に行っていい?」
「寝首を掻くのか?」
「もうあいつは逃げちまったんだから、その話は水に流そうぜ! そうじゃなくてさ、あの……俺も旅、とかしたいなー、って……」
ブーツの爪先でもじもじと地面をいじり始める。クレリアとエリーアスはそれぞれ彼の物を指さした。
「それを持っていくの?」
「あ、これ? これは我が家の家宝だから置いてけねぇの。代々家の男が受け継ぐんだよね」
「その格好は悪目立ちするんだが」
「これも伝統的な格好だから、外歩く時はこれなんだよね。俺、正式な第十一代執行人だから」
二人は一度沈黙した。
「どうしますか」
エリーアスの問いを受けたクレリアは、ふとミンミに気づいた。ラザのコートの裾をくわえて何食わぬ顔をしている。
視線を辿ったラザも気づいてコートを取り返した。
「ちょっと、よだれつけんなよ!?」
「をん?」
クレリアがくすくすと笑ったのを見て、エリーアスもラザへ目を細めた。
「気に入られたみたいだな」
「そうなのか……?」
「ミンミが構わないなら、私もいいですよ」
エリーアスは同意の代わりに頷いてみせた。それで一行の意思はまとまった。
「行きましょう」
「お、おう」
「ええ」
クレリアは皆へ呼びかけて前に進んだ。
ラザは、クレリアが背を向ける直前に見せた微笑みに足をもつれさせたが。
エリーアスは自分が秘密にした物の感触を、マントの上から確かめながら。
ミンミは主の足元で尻尾を振って。
三人と一匹は歩調を合わせて丘を越えていった。
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