18.誰が選ぶのか

 それから一時間は経っただろうか。また係員がドアを開けた。


「時間だ」


 クレリアはパーティホールにあるステージの袖へ連れて行かれた。ステージ上ではちょうど、よく通る声の男性司会者が場を繋いでいるところだった。


「皆様、残念なお知らせです。今夜のオークションは次の品をもって閉幕とさせていただきます」


 不審そうにざわめく会場へ頷いて見せている。


「耳ざとい方々は、今の絵画が最後の出品物だという噂をお聞き及びだったかもしれませんね。驚きましたか? これは我々から皆様への贈り物だとお考えください。さあ、ご紹介しましょう。最後の出品、『元聖女アレッシア様』です」


 クレリアは両脇を固められてステージの中央へと引き出された。客たちがどよめき、豪奢な椅子から首を伸ばしたりオペラグラスを覗いたりし始める。


「ステファン四世に仕えた元聖女様、その人でございます。王宮の発表では国王の崩御の後も聖宮に留まられるとされていましたが、今はここにいらっしゃるのです。では早速、七千万から――」

「質問が」


 複数の札が上がりかけたが、若い男が進行を止めた。だが実際に拳を上げているのは隣の老紳士だった。老人はジャケットの高い襟で覆っている喉を使う代わりに、手話を使って付き人に話をさせた。


「その娘が本物の聖女アレッシアだと証明できますか?」


 他の客もそれに同調した。


「秘術を使わせて見せるべきだ」

「そうよ。まずは秘術師として使い物になるかどうかが重要だわ」


 司会者は袖へ向かって小さく肩をすくめる。それを見て客席を立つ者が現れ、最後の競売は失敗に終わるかに見えた。というより、クレリアはそれを望んでいた。

 だが質問をした老紳士は席から立ち上がり、付き人を介して言った。


「私の喉を治して見せてください」


 老紳士はジャケットの襟を寛げて、大きな治療痕の残っている喉を晒す。

 客たちが再びステージへ注目し、会場が静まり返る中、クレリアは首を横に振った。


「医術による処置を受けた場合は秘術を受けることができません。それが法律です」


 老紳士は襟を直すと付き人に手話をした。


「では緊急の場合はどうするのですか?」

「緊急の時でも意識があるなら選べるはずです。そしてあなたが喉を治療する時、秘術師ではなく医師に処置してもらったことは、あなたの選択ですよね?」

「そうです。しかし、ここには医師がいませんね」


 すると老紳士は豪奢な杖を突きながら座席列の間に出てきた。指で合図を出すと、背後から中型のサバントが足早に現れる。

 猟犬のように鼻が長くて、尻尾や頬などの顔周りと尻尾にだけクリーム色の毛がふさふさと生えている。その青くて凛々しい瞳は、自分の主が杖を振り上げた瞬間すら忠誠心に満ちていた。

 サバントの短い悲鳴が上がって、客たちは顔をしかめる。

 硬直するクレリアへ、老紳士の付き人が言った。


「こいつは誰に治してもらうか選べませんね」

「なんてことを……!」


 クレリアはステージを駆け下りてサバントへしゃがみこみ、骨折した前脚へ迷わず手をかざした。患部が淡い光に包まれてから数秒後、サバントは脚をバタつかせて平気そうに立ち上がった。

 秘術の成功に客たちが歓声を上げた。乗じて司会者が競売を再開させる声が轟く。

 老紳士は付き人に持たせている小袋から肉のかけらを出して、サバントに投げてやった。サバントは痛みで乱れた呼吸をまだ整えられておらず鼻息が荒かったが、主の施しを落とさずに食べた。


「私たちのような者は人の心を操る方法を知っている。君が私たちのものになったあかつきには、何でもやらせることができるだろう」


 苦い顔をするクレリアの元へ係員たちがやってきて、ステージへ連れ戻そうとした。

 オークションは今日一番であろう盛り上がりを見せていた。クレリア、もとい元聖女アレッシアの値は国家予算に匹敵し始めている。

 クレリアには、例え誰かの所有物になったとしても、ステファン王へそうしたように誰かを尊敬することはもうないだろうという自信があった。ステファン王に仕えて健康を守ることは、国の健康を保つことに繋がるという意味もあった。その点、この会場にいる金持ちの誰かに仕えることは、私利私欲に満ちた一人を特別扱いすることでしかない。

 クレリアは、自分にとっては当たり前の力である秘術を、限られた人のためのものにしたくなかった。もしそうしなければいけないのなら、せめて大義名分が欲しい。だがそれも叶いそうにないなら、ここから逃げるべきだろう。

 そう思いついた、その時だった。会場の出入り口が勢いよく開いて、お揃いの胸当てと兜を身に着けた警吏隊がなだれ込んできたのは。


「全員その場で止まれ! 違法競売に関係した容疑で取り調べを行う!」


 誰も命令に従わずに逃げ出し、係員が開けた非常用ドアへ雪崩のように殺到した。

 人の群れの中に、付き人に先導される老紳士もいた。だが、その表情が不意に歪む。太ももにあのサバントが噛み付いたのだ。付き人がサバントを手で跳ね除けたが、そうしているうちに最後尾になっていた二人は、一番に縄をかけられた。

 警吏隊は既に外から会場を包囲しているらしく、ドアから逃げおおせたと思われた人々も中へ押し戻されて捕縛されていく。係員も一人残らずステージ袖から引きずり出された。

 あっという間の出来事で、一網打尽の作戦といった様子だったが、警吏隊はクレリアを他の者と見分けて声をかけてきた。


「この違法オークションで人身売買がされていると通報があって来ました。お話をお聞きしても?」


 クレリアはホッとして肩の力を抜き、頷いた。

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