15.売られた姫君
突っ走る馬の背中で小一時間ほど揺られて向かった先は、人里離れた館だった。赤いレンガ作りの三階建てで、傾いてきた陽の光の代わりに暖色のランプが玄関を煌々と照らしており、表には馬車が何台か控えている。
お頭は馬からクレリアを下ろすと拘束を解き、縄の代わりに服を掴んで玄関へ引っ張っていった。厳つい体格の黒尽くめの見張りが立ち塞がる。
「あー、人材を紹介したくて参上したんだ。マダムに話を通していただけるかな?」
「お約束は?」
「そんなもんはねぇ。初めて仕事しにきたんだ。なあ、入れてくれよ。ここに憧れてんのは小金持ちの紳士だけじゃないって分かるだろ?」
見張りはお頭の埃っぽい頭から爪先までをじろじろと眺めたが、やがて館の扉を少し開けると、内側の見張りへ耳打ちをした。
それから少し待ち、内側から扉が開くと、見張りが道を開けた。
「マダムは三階にいらっしゃいます」
「よし。どうも」
お頭はクレリアの袖を引っ張って中へ入った。
館の中は高級感があり整っていた。赤い絨毯と黒檀の調度品が派手な対比を印象づける。ロビーの豪華な花瓶には、負けず劣らず華麗な花束が飾られており、みずみずしい香りを放っている。
クレリアとお頭は階段を上って、三階にある両開き戸に到着した。お頭がノックし、少ししてからドアが開かれた。
最初に見たのは煙だった。それが晴れると、パイプを長い手袋に包んだ指で挟んでこちらを気だるげに見下ろす、赤いドレスの女が現れた。
「どなた?」
「あー、名乗るほどの者じゃあありません。今日は商売の話をしに参りました」
「商売ですって? いったい殿方が女の何を売り買いできるっていうのかしら?」
からかわれたお頭は、状況を覆す切り札と言わんばかりに、マダムの眼前へクレリアを押し出した。
「この娘を紹介してやる」
「あら、あなたの娘さん?」
「違う。誰も知らない娘だ」
「そういえば昼間、どこかの馬車から人がさらわれたとか……警吏が被害者について調べて回っているそうよ」
警吏と聞いてお頭の顔色が悪くなる。
マダムは年齢不詳のくすくす笑いをすると、パイプを一口吸って、次はクレリアへ目を向けた。
「ごきげんよう。私はマダム・カサブランカ。あなたの名前は? 何をしているの?」
煙の臭いに少し顔をしかめながら答える。
「私はクレリアといいます。家族を探して旅をしているところでした」
「ただならぬ事情がありそうね。でも旅費はあるの?」
「ハニエでお手伝いをしてお手当をもらいました。でもこの人たちに全部取られました」
クレリアはお頭に目を向けたが、厚い面の皮から罪悪感を引き出すことはできなかった。
「それは災難だこと。今晩の宿に困るわね。だったら、どう? 試しにここに泊まったら? ついでにちょっと仕事をして、旅の準備を整えなさいな」
マダムの赤い唇は親切そうに微笑んだが、話の流れは依然として良くない気がした。しかし野盗の家に戻るわけにもいかないし、ここを出ていくにも着の身着のままでは頼りないので、他に選択肢がない。
「はい……そうします」
「ってことは商談成立かい?」
「ここではそんな言い方しないわ。『可愛い子ね。大事に面倒見てあげる』と言うのよ」
マダムが手を打ち鳴らすと、部屋の中から仕立ての良い男性用のコートを着た女性が現れて、小切手をお頭へ差し出した。お頭は書きつけられている額に笑みをこぼした。
「へっへ。どうも」
「お見送りして差し上げて」
お頭はコートの女性と一緒に階段を降りていった。階下へ顔が隠れる寸前、思い出したようにクレリアへ手を挙げた。
マダムと二人きりにされたクレリアは肩を落とした。さらわれて、物のように売られて、こんな得体の知れない場所で働くことになってしまった。その上、荷物がなくなったこともかなりのストレスだった。コールハース家の人々が恋しい。
「そう落ち込まないで。お部屋へ案内してあげるわ」
マダムが手招きをして階段を下り始める。そのドレスの背中が大きく開いていることに驚きながらクレリアは付いていった。
二人は二階へ下り、等間隔にドアが並んでいる廊下を進んだ。ドアには部屋番号の代わりに一つ一つ花の名前が掲げられている。マダムは『ライラック』の部屋を開けた。
中はライラックの花そのもののように、薄紫色や薄ピンク色で彩られていた。壁や天井、床の絨毯も、大きな天蓋付きベッドも、ふかふかのソファもだ。
「ここがあなたの部屋よ。向こうがお風呂になってるから、後ですぐ入りなさい。お仕事の準備があるから」
「これは……何をする仕事ですか?」
マダムは優雅にパイプを吸ってから答えた。
「紳士をおもてなしするのよ。デートのお相手を務めて、段階を踏んで仲を深めていくの。最初は一緒に食事をいただく程度でいいわよ」
クレリアは考えた末に首を傾げる。
「それでお手当がもらえるのですか?」
「気楽なものよね。それじゃ、後で着替えを持って来させるから、お風呂に入っておくのよ、『ライラック』」
そう言い残してマダムは出ていき、閉じ込めるようにドアを閉めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます