10月11日 午睡
──蔵人は、夢を見ていた。
『顔色が悪いぞ。昨日は何時に寝たんだ』
『ん、ああ、心配させてすまない。ちょっと立て込んでて、気付いたら朝だったんだ』
『……また厄介事を押し付けられたのか』
心が軋むような、酷い悪夢を。
『いや、父さんの方から引き受けたんだよ。どうしても外せない用事があるらしくてね』
夢の中の、まだ両目とも揃った蔵人と話す、生前の父親。
その近くには母親も居た。どちらも他人が見れば首を傾げるほど蔵人とは似ていない。
『それで自分が徹夜してちゃ世話無い話だ』
自宅の作業場で忙しそうに働く背中。
蔵人の記憶に残る両親の姿は、ほとんどがそんな絵面ばかりであった。
『父さんだって暇じゃないだろうに。断れよ』
『ははは……なーに、大丈夫さ。もうすぐ片付く』
夫婦揃って似た者同士の、度を越したお人好し。
周囲の小狡い知人や同僚達からは借金を無心されたり色々な面倒を背負わされたり、何かにつけて都合の良い存在として扱われていた二人。
『……なんだってそこまでするんだ』
蔵人が何度言い含めても在り方を改めず、自ら進んで貧乏くじを引きに行く数奇者。
いいように使われていることを「頼られている」と受け取る、悪い意味での楽天家。
『他人のために身を粉にしたところで、父さんや母さんに何の得がある』
そんな両親に、蔵人は事ある毎、同じ問いを投げ掛けていた。
『得することは無くても、困っている人が居たら助けたいじゃないか』
そして。返って来る答えは、いつも同じだった。
『それにな、蔵人』
善人であることしか取り柄が無かった、客観的に見て愚かだった蔵人の父母の口癖。
『人にしてあげたことは、いつか自分に返ってくるものなんだぞ』
蔵人が、世界で一番嫌いな言葉だった。
額や首筋を、冷たくも柔らかい布地が撫でる感触。
自室のベッドで目覚めた蔵人は、しばし無心で天井を見上げた後、深く息を吐いた。
「おはようございます、クロード様」
よく絞った濡れタオルで蔵人の寝汗を拭っていたレティシアが、白い仮面越しに彼の顔覗き込み、水気の残った頬を撫ぜる。
「…………ああ」
ひんやりした指先に、だんだんと寝起きの頭が明瞭となって行く蔵人。
リンボから肉体へと精神が戻った後、そのまま眠りについていたらしい。
「どうぞ」
蔵人が身を起こしたタイミングで手渡される湯冷まし。
いつもながらの用意の良さに感心を覚えつつ、一気に飲み干す蔵人。
「朝食の用意が整っております。すぐ、お召し上がりに鳴られますか?」
「……ああ」
初戦の翌朝と同様、ひどい渇きと空腹を訴える身体。
レティシアは深々と腰を折った後、水桶を抱えて退室した。
一人残った蔵人は、緩慢にベッドを離れ、窓を開ける。
「そうか」
包帯で覆った顔、光を失くした右目に触れ、囁くように独りごつ。
「夢じゃ、なかったのか」
あの日を境に何度も何度も繰り返し続けた、落胆の言葉を。
食事を終え、フォークを置いた蔵人が、おもむろに自身の左手を見下ろす。
「(今回も随分でかくなったな)」
前腕の半ばあたりまで広がった、細かな正多角形が規則的に並ぶ幾何学模様。
二度の継承戦を経て飛躍的に拡張された、蔵人の刻印。
「(……今日の夢は、やけに鮮明だった)」
連鎖的に蔵人の脳裏へと蘇る、小太りな優男の顔。
七家惺。死んでしまった蔵人の両親と同類の、救いがたい愚か者。
「お口に合いませんでしたか……?」
苦々しく歪んだ蔵人の表情を料理への不満と受け取ったのか、レティシアが後片付けの手を止め、申し訳なさそうに尋ねる。
その声かけで我に返った蔵人は、眉間に浮かぶシワを消し、かぶりを振った。
「飯に文句は無い」
「そうですか……改善を求める点などありましたら、いつでも申し付け下さい」
「差し当たり、何も無い」
じくりと疼いた顔の傷を押さえ、気だるげに立ち上がる蔵人。
空腹が満たされると、途端に睡魔が色濃く再燃し始めた。
「もう少し寝る」
「かしこまりました。寝台を整えさせて頂きます」
またベッドで横になるだけなのだから、別にそこまでしなくていい。
そう返すべく蔵人が口を開く間際、更にレティシアの口舌が続く。
「クロード様。差し出がましいようですが、相当に長い間、よく眠れていないのでは?」
「……かもな」
レティシアの言う通り、蔵人は慢性的に眠りが浅い。
原因の半分は体質だが、残る半分は神経質な気性から来る慢性的ストレスによるもの。
それがどうした、と訝しげな眼差しをレティシアへと向け遣る蔵人。
「よろしければ、
「…………なに?」
マリアリィが八年の歳月を費やし造り上げた
そしてその中には、五感を介した安眠用の機能も存在する。
「(すこぶる良く寝れた……)」
久方振りに味わうクリアな目覚めに、内心戸惑いすら覚える蔵人。
適切に体温調整されたレティシアの抱擁を受けての、たっぷり四時間の熟睡だった。
体温だけではない。鼻腔へと残る甘い香り、穏やかなリズムで脈打つ心音、耳元で口ずさまれるスローテンポの歌声。
そのいずれもが、寝つきの悪い蔵人の意識を包み、いとも容易く入眠へといざなった。
「(人肌の感触なんて気持ち悪いだけだと思っていたが……人造人間だからか?)」
隻眼による負荷も合わさり、ずっと目の奥で凝り固まっていた重さが抜けた蔵人は、黒基調のメイド服を着直したレティシアを見上げる。
「ご用命の際は、いつでもお声かけ下さい。」
「……気が向いたらな」
とても快適な目覚めであったことは素直に認めるも、この機能の多用は流石に憚られたため、一応の予防線を張っておく蔵人。
何せ魔造メイドは、主人に使われることを絶対のアイデンティティとする被造物。
故にこそ奉仕に貪欲で、ヒトとは根本的な価値観が微妙に異なる。
人間嫌いの蔵人からすれば、侍らせてもストレスを感じず済む反面、気を抜いていたら赤ん坊のように世話をされかねない、という奇妙な懸念が付き纏う相手。
間違いなく助かってはいるが、度を越えた奉仕は勘弁願いたかった。
「それとクロード様。先程はお疲れのようでしたので報告を控えさせて頂きましたが、またマイスターから文書を預かっております」
「何……?」
思案する蔵人の寝癖を梳きつつ、そう告げるレティシア。
「どうぞ」
銀の盆に乗せて差し出される、一枚の紙を複雑に折り畳んで作られた封筒。
それを取った蔵人は面倒そうに封を開け、中に入っていた便箋を引っ張り出す。
「……成程」
したためられた文は前回のものより短く、さほど間を置かずに読み終えた蔵人。
封筒と便箋を盆上に戻した後、深く息を吐きながら首を鳴らす。
「明日、少し出掛ける」
「
「今回は要らん」
少々危険が伴う可能性を考慮し、そう告げる蔵人。
「かしこまりました。外出先を確認させていただいてもよろしいでしょうか」
向かう先は、つい十数時間前に手に入れたばかりの、新たな
「イベリスだ」
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