西村川衣料洋品店

ましさかはぶ子

1 西村川衣料洋品店




表扉のベルが鳴った。

入り口が開くと呼び鈴が揺れて軽い音がするのだ。


扉はレトロな感じの造りでモールガラスがはめられている。

そこには「西村川衣料洋品店」の文字があり、

店の中からは字は裏向きに見えた。


「いらっしゃいませ。」


店の奥でミシンを踏んでいた店主の西村川が立ち上がった。

入り口近くには背広を着た中年男性が立っていた。


「……あ、」


彼の顔は少しばかりぼんやりしている。

見た目は渋い中年男性だ。

会社員のようだ。


「どうぞ奥まで。」


と西村川は優しく微笑んだ。

彼女は少しばかり年配の女性だ。

品の良い華やかなワンピースを着ている。


「あの、ここは、」

「婦人服を扱っています。

よろしければ色々とご覧になりませんか?」


彼は周りを見渡した。


木造りの懐かしい感じのする店内だ。

ハンガーラックには様々な婦人服がかかっている。

トルソーも何体かあり綺麗な服が着せられていた。


彼はおずおずとそれに近づき触れた。


サラサラとした布の感触を彼は感じているのだろう。

トルソーにかかった服を何度も愛おし気に撫でていた。

それを彼女は優しく見ている。


「ご希望のものはおありですか?」


彼は西村川を見たがすぐに俯いてしまった。


「あの……、」


消え入りそうな声だ。

彼女はそっと彼の肩に触れた。


「私の事はマダムとお呼び下さい。

それでどんな服でもご用意出来ますよ。」


彼ははっとして顔を上げた。


「なら、ウェディングドレスを。」

「はい、ウェディングドレスですね。お色は。」

「白で、長いトレーンも。」

「承りました。どうぞ奥に。」


彼女は彼を店の奥に誘った。

そこは衣装の倉庫なのだろう、沢山の服があった。


「こちらがウェディングドレスになります。」


ずらりとドレスが並んでいる。

彼の顔がぱっと明るくなった。


「すごい……、」

「ご自由にご覧ください。

でも……、」


少し西村川が口ごもる。


「お早めにお決めになった方がよろしいかと。」

「分かりました。」


彼はにっこりと笑い服を見始めた。

ドレスは延々とかけられていて、

彼がそれを探るとかさかさと衣擦れの音がする。


「並べてみますか?」


と西村川が言うと彼は頷き、

ドレスをいくつも出して見比べた。

そして彼は一つのドレスを手に取った。


フリルがたっぷりの可愛らしい真っ白なドレスだ。

後ろには長いトレーンがある。


「これが良いです。」


彼は少し恥ずかし気に頬を染めて西村川に見せた。


「まあ、とても愛らしい。

ではウェディングベールも選びましょうか。」


彼女はいくつか用意していたベールを彼に見せた。

彼は嬉しそうにそれを選ぶ。

軽やかで薄い生地には丁寧にレースが縫い付けられていた。


「こっちが良いかなあ、どう思いますか?」

「これは裾にお花の刺しゅうがあります。

こちらは所々で全面にありますから、どちらがお好きかですね。」

「どうしようかなあ、どちらも良いなあ。」


店に来た時は少しばかりおどおどとしていた彼だが、

今ではとても楽しそうに服を選んでいる。


「じゃあこちらにします。」


と彼はベールを決めた。

西村川はドレスとベールを持つ。


「では試着しましょうか。こちらへお越しください。」


男性は一瞬身動きをしなかった。

だがマダムは言った。


「分かっていますよ。

あなたが身に着ける事は。」


と彼女はにっこりと笑った。


「あの、マダム……、」

「早くしないとお連れの方がいらっしゃいますよ。」

「連れ……、」


あっけにとられた顔で彼は試着室に入った。

そして西村川に手伝ってもらいドレスを着た。

不思議な事にドレスは彼にぴったりだった。

ベールは花のカチューシャで押さえられていて、

彼の肩を柔らかく包んだ。


「どうして……。」


男性があっけにとられた顔でマダムを見た。


「これはあなたのものよ。」


マダムは男の手に白く長い手袋をはめ、

真っ白なウェディングブーケを渡した。

彼はそれを受け取り花に顔を寄せて嬉しそうに笑った。


「お姫様みたいね、素敵だわ。」


マダムはその手を持ち彼を店の方に連れて行った。

するとそこには一人の男性が立っていた。


「!」


ドレスの彼が立ち竦む。

立っている彼は白いタキシードを着ている。

優し気な顔立ちで微笑みながらドレスの彼に手を差し出した。


「どうしてここにいるの?死んだよね?」


ドレスの彼はそう言うと目から涙が溢れ出した。


「うん、そうだよ、でもずっと待ってた。

それで今迎えに来たんだ。」

「待ってたの?」

「やっと会えた。」


二人は近寄り固く抱き合い、西村川を見た。

タキシードの彼がドレスの彼の涙を拭った。

その顔は歓喜に輝いていた。


彼女は店の裏口を開いた。


そこは山の中腹にあるような高原の花が咲き誇る花畑だった。

その向こうには山の稜線が見えて

光にけぶっている。


タキシードの彼がドレスの彼を見て言った。


「こんな花畑で二人だけで結婚式をしただろ?

憶えてる?」

「うん、憶えてる。忘れるわけないよ。」

「だからもう一度結婚式をしよう。」


タキシードの彼はドレスの彼の前に跪き、

その手を取った。


「結婚してください。」


ドレスの彼はぽろぽろと涙を流して返事をした。


「はい。」


二人は手を繋いでマダムを見た。

彼女は彼らを誘う様に手を扉に向けた。

二人は嬉しそうに歩き出す。


裏口から出てしばらく歩くと二人は振り向き、

彼女を見た。

その口が  ありがとう と動く。


そして花嫁がブーケを投げた。

花びらが散り、それが地上の花を全て白く白く染めていく。


二人は光の中で立っている。


彼らは幸せそうに微笑みながら見つめ合って

ゆっくりと山並みに消えて行った。


マダムはそれを見送り、静かに扉を閉めた。






「この前の営業の人、やっぱり駄目だったって。」

「会社で倒れた人だよね。」

「うん、心臓だったらしいよ。

病院に運ばれたけど間に合わなかったって。」


会社の飲み会だろうか。

OL風の二人が話している。


「あの人渋い中年でちょっと格好良かったじゃない。」

「うん、独身だったしね。」


そこに若い男性が近寄って来た。


「ああ、あの人だろ?

同じ部署にいた奴が残念がっていたよ。

色々と教えてくれるし親切な人だったらしいよ。」

「……でもあの人、噂があったよね。」


3人の目が合う。


「実はゲイで会社の中で仲良くしていた人がいたらしいけど、

その人は亡くなったのよ。」

「よく一緒に登山をしていた人かな、

でもその人、何年か前に山で滑落して亡くなったんでしょ?」

「登山仲間だったんじゃないかなあ。

でもただの噂だろ?

友達が亡くなるなんて悲しいよな。

それにあの人もまだ若かったのに悔しかっただろうな。」

「そうだね、可哀想だったね。」






西村川は店の奥でミシンを踏んでいる。


そしてふと顔を上げた。


その目には西に沈む大きな太陽が見え、

手前には大きな川がある。


川の向こうには果てしのない世界が見えた。

その川のほとりには西村川衣料洋品店がある。


だがその景色は彼女にしか見えない。

店はビルとビルの隙間にひっそりと建っている。

特別な者にしか見えない店だ。


川を渡る人々に服を着せるのが彼女の仕事だ。

服は全て一点物で彼女の手作りだ。


客は滅多に来ない。

だが来たお客には心からのおもてなしをするのが

彼女の信条だ。






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