第26話 イソラの町・4

 メルヴィンとウリヤスを病室から文字通り追い出すと、アルカネットはベッドの傍らに立ち、落ち着いた様子で眠るキュッリッキを見おろした。

 ついさっきまでザカリーを殺そうとしていた冷徹な表情は消え去り、切なさと愛おしさが入り混じった表情でキュッリッキを見つめていた。

 病室に灯りはなく、窓から差し込む月明かりのみ。枕元にいるフェンリルは、小さな身体を丸めて眠っている。

 半開きの窓からは外の喧騒と、時折緩やかな風が流れ込んで、レースのカーテンをそっと揺らしていった。

 どのくらいそうしていたのか、ふいにアルカネットは何事かを短く呟いた。しかしそれは声には出ず、唇が僅かに動いただけだった。

 柔和な面差しに、たとえようもない悲しい表情が浮かぶ。感情がこみ上げてきたように瞳が揺れ動いた。

 アルカネットは上半身をかがめると、静かな寝息をたてる唇に、そっと口づけた。


「リッキーさん…あなたを愛していますよ。深く、深く…」


 小さな左手を取り、手の甲を自分の頬に押し当てる。


「あなたを危険に晒す者、危害を加える者、全て私が排除して差し上げます」


 アルカネットは椅子に座ると、ベッドに両肘をついた。そして、キュッリッキの手の甲にもキスをする。


「この苦しみも、痛みも、私が変わっあげられたらどんなにいいでしょう…」


 細かな経緯は判らないが、あれだけの大怪我だ。さぞ恐ろしい目に遭ったのだろう。心も深く傷ついたに違いない。


(アルカネット)


 そこへベルトルドの念話が届き、アルカネットは僅かに眉をしかめる。


(どうかなさいましたか?)

(リッキーの具合はどうだ? 今どうしている?)


 イライラとまくし立ててきて、どんな表情で念話を飛ばしているか嫌でも目に浮かんでくる。アルカネットは小さく嘆息した。


(術後意識を取り戻しましたが、怪我を負った時のことを思い出して取り乱したので、薬を与えて、今はぐっすりと眠っていますよ)

(そうか…。さぞ怖い思いをしたのだろうな)

(ええ、可哀想に。こんなに酷い怪我をして…小さな身体に、惨いことです)

(うむ)


 何かに思いを馳せているのか、しばし念話が止む。


(それで、如何なさいましたか?)

(あ、ああ。連絡事項だ。ソレルの首都アルイールの制圧が終わり、そのイソラという町に近い漁港に、正規軍の軍艦を一隻送り込んだ。明日俺もそちらに合流するから、リッキーをイララクスまで連れ帰るぞ)

(そういえばここいらには、アルイールとの往復に汽車がありませんでしたね。ステーションのある所までは、かなり距離がありますし)

(辺鄙なところにある町だしな。エグザイル・システムを使わないと、イララクスまで帰還するのにどえらい日数がかかってしまう。安全を考慮して、アルイールまでの移動用だ)

(ワイ・メア大陸のちょうど反対側ですねここは…。あんな大きなものを一隻転移させたんですか)

(おかげで死ぬほど疲れた!)

(そうでしょうね…)


 ベルトルドにしか出来ない空間転移能力は、物凄い精神力を必要とするらしい。自身を飛ばす分には大したことはないが、軍艦のような大型艦を転移させるという大技を行使したため、呆れるほどの精神力を使い果たしたようだった。それでもこれだけ元気な念話が飛んでくるくらいだ、気力が有り余りすぎである。


(仕事の都合で、昼には到着する予定だ)

(判りました)

(それと、お前には仕事だ)

(は?)

(シ・アティウスを連れて、もう一度ナルバ山の遺跡へ向かえ。どうやら、アレの正体が判ったらしい)

(…ふむ)

(リッキーのことは、俺に任せておけ!)


 意気揚々とした声で自信満々に言うベルトルドに、アルカネットはたっぷり間を空けたあと、


(心配です)


 そう、キッパリと答えた。当然念話の向こうでギャースカ喚いている。


(用件はそれだけでしょうか。私も魔法の使いすぎで疲れていますから、そろそろ寝かせてください)

(ぐぬぬぬぬ)

(それでは、おやすみなさい)


 まだ何か言いたそうなベルトルドの念話をぷっつり切ると、アルカネットは本当に疲れた顔で息を吐き出した。




「ボクこんなに働いたの、初めてだよ…」


 ランドンはトントンッと肩を叩きながら、首を左右に動かした。その度に関節がポキポキと鳴る。

 窓からは明るい光が差し込み、今日もいい天気であることを告げていた。


「ちょーすまねえ…」


 頭から足の先まで全身包帯でぐるぐる巻きにされたザカリーが、ベッドの中から心底申し訳なさそうに詫びた。目と口だけ包帯から逃れ、すっかりミイラ男状態だ。

 ヴァルトにしょっ引かれてきたヴィヒトリは、長時間労働の直後に再び縫合を要求され、さすがに嫌そうな表情を露骨に出していた。それでもギャリーとガエルのプレッシャーに脅される形で、渋々ザカリーの縫合をおこなってくれた。


「だあああ! 縫うところが多すぎるぞ! 長時間オペ完徹連日で、ボクはチョー疲れているんだ!」


 あまりにも縫合箇所が多すぎてヴィヒトリは発狂し、結局夜中近くまでかかると、今度こそヴィヒトリはぶっ倒れて宿に担ぎ込まれてしまった。

 さすがの医療〈才能〉スキルのスペシャリストも、連続長時間労働はきつかったらしい。

 ランドンは縫合中ずっと回復魔法をかけ続け、終わったあとも時折様子を見ながら魔法をかけていた。またもや徹夜で魔法を使い続ける羽目になったランドンは、やや面窶れしたようにも見えた。

 助っ人に呼ばれたウリヤスは、縫合はあまり得意じゃないと逃げた。それは単にヴィヒトリの邪魔をしたくなかったからである。技術に差がありすぎるため、ヴィヒトリのペースを乱さない為の配慮でもあった。


「ザカリー死ななくてよかったよ」


 ベッドに乗っかっていたハーマンは、ザカリーの脇腹に小さな拳を軽く叩き込んだ。


「いでで……勘弁してくれ」

「イアサール・ブロンテなんて大技出してくるんだもん。さすがにアレはビックリしたさー」

「自分から貰いに行くとか、マゾイことをするもんだ…」


 ランドンがため息混じりに言うと、ザカリーは苦笑した。


「なんかよ、罰を受けなきゃいけない気がして。キューリあんな大怪我しただろ、俺だけピンピンしてるのも気が引けるっつーか」


 モゴモゴとザカリーが言い訳すると、ランドンとハーマンは横に大きく首を振った。


「はあ…。それで君が死んだら、キューリは今度は自分のせいだって、自己嫌悪でポックリ逝っちゃうかもしれないんだよ」

「……それは、困る」

「責任感じてるんだったら、あとでちゃんと謝って、キューリさんから罰もらえばいいんじゃない?」

「それがいいかもね」


 ハーマンとランドンから提案されて、ザカリーは神妙に唸った。


「失礼しますよ」


 マルヤーナが部屋に入ってきた。


「ランドンさん、ハーマンさん、すぐにキュッリッキさんの病室に来るようにと、アルカネットさんから言付かってきました。そしてザカリーさんは、おとなしく寝ているようにと」


 3人は顔を見合わせる。


「ありがとうございます」


 ハーマンはマルヤーナに礼を言うと、また後でねと言ってベッドから飛び降りた。


「話が終わったら、また来るから。ちゃんと寝てるんだよ」


 ランドンも立ち上がった。

 病室を出ていくハーマンとランドンを見送って、ザカリーはゆっくりと目を閉じた。




 アルカネットから召集され、ザカリーを欠いたライオン傭兵団の全員がキュッリッキの病室に集められた。この時初めてキュッリッキの無事な姿を見た面々もいる。包帯を巻かれた痛々しい姿に、皆沈痛な表情を浮かべていた。

 キュッリッキは視線を巡らせ室内を見渡し、ザカリーが居ないことに強い不安を覚えた。一瞬背筋を冷やりと冷たいものが駆け抜ける。そして傍らに座るアルカネットを見上げた。


「ザカリーがいないよ? もしかして、アルカネットさん」


 殺意が剥き出しだった昨夜のアルカネットを思い出し、何もしないと言いながらも、ザカリーに何かしたのではないだろうか。それでこの場に居ないのだと、キュッリッキは不安でいっぱいになった。しかしそれに答えたのはギャリーだった。


「ザカリーの奴は、あの山の神殿で怪物とやりあった時に怪我したんだ。キューリよりも包帯でグルグル巻状態だしな。早く治れとベッドに縛り付けてあるだけだ、気にすんなって」


 茶化すようなギャリーの言葉に、キュッリッキの顔が曇り出す。


「怪我…、酷いの?」

「ミイラ男になってっけど、大丈夫さ。もとが頑丈に出来てっからよ」

「ホント?」

「ああ」


 にやりと笑うギャリーの顔を見て、キュッリッキは小さく頷いた。

 もちろん嘘だ。訊かれたらこう答えようと、あらかじめみんなで口裏を合わせていたのだ。昨夜の病室での一件をカーティスとメルヴィンから聞かされた一同は、キュッリッキの不安をこれ以上煽らないほうがいいと考えたからだ。大怪我をした身体に、不安はマイナス効果にしかならない。

 あまり信じていない様子で、アルカネットへの不信が拭えないのだろう。しかし本当のことを言う気がないアルカネットの気配を察し、これ以上追求することなくキュッリッキは口をつぐんだ。

 アルカネットはキュッリッキに優しく笑いかけ、一同に身体を向けて座り直した。


「ベルトルド様からの連絡で、本日昼にはこちらにいらっしゃるそうです」


 皆表情は変わらず平静さを装っていたが、酷く残念そうな空気を露骨に室内に漂わせた。「もうこれ以上胃が痛くなる元凶ひとはイラナイデス」と言わんばかりに。


「ベルトルド様が到着次第、リッキーさんをイララクスに連れて帰ります。その際、ザカリー、マーゴット、マリオンはここに残り、他は一緒に戻るように。それについては、後ほど詳細にお話します」


 それと、と言ってアルカネットはキュッリッキに顔を向ける。


「リッキーさんのお友達2人にも、帰還に同行してもらいましょうか。すでに仕事の任は解かれているそうですし、我々と一緒の方がアルイールのエグザイル・システムも使いやすいでしょうから」

「そうなんだ。うん、一緒がいい」

「カーティス、あとで伝えておいてください」

「判りました」

「私は別の用事があるので残ります。道中の指示はベルトルド様がするでしょう。リッキーさんのことは、皆頼みますよ」

「え、アルカネットさん一緒に帰れないの?」

「ええ。仕事を押し付けられていますから、それが終わらないと帰れないのですよ」


 肩をすくめ微笑むアルカネットの顔を、キュッリッキは残念そうに見上げた。


「でも仕事が済んだら、急いで帰りますからね」

「うん」


 アルカネットとキュッリッキが話をする姿は、まるで親子のような微笑ましい光景のように見える。

 昨夜の出来事がまだ記憶に生々しく刻まれているだけに、2人を眺めながらも、皆何とも言えない気分に蝕まれていた。


「あっ」

「どうしました?」

「あのね、なんでベルトルドさんがくるの?」


 ああそういえば、といった無言のツッコミが室内にモヤモヤと沸いた。

 その沈黙を破るように、アルカネットがいきなり「ブフッ」と吹き出す。


「なんで、なんて聞いたら、あのかたひっくり返ってしまいますよ。意気揚々と軍艦飛ばして準備万端で来るのに」


 肩を震わせ面白そうにアルカネットは笑った。その珍しすぎる笑いっぷりに、皆目を白黒とさせた。キュッリッキもビックリしたように、目をパチクリさせている。

 ひとしきり笑ったあと、アルカネットは咳払いをして居住まいを正した。


「リッキーさんを安全にエグザイル・システムに通すため、ベルトルド様の超能力サイが必要なのです」

「ふうん? 超能力サイならルーさんも使えるよ?」

「そうですね。ルーファスも中々のレベルですが、今回ばかりはベルトルド様の桁違いの力が必要なのです」

「ほむ…」


 ベルトルドのことをあまり知らないキュッリッキには、どのくらい桁違いなのか想像もつかない。


「リッキーさんの傷では、エグザイル・システムの転送に身体がついていけません。その為超能力サイで作った防御を張らないと、安全に通ることが出来ないのです」

「ああ…。確かにオレじゃあ、不安がありまくるなあ…」


 ルーファスは納得したように、カシカシと頭を掻いた。Sランクを持つが得意不得意があり、ルーファスはキュッリッキに必要な力を使う自信がなかった。

 エグザイル・システムは転送の際に、身体に負担がかかることは立証されている。かすり傷程度は問題ないが、キュッリッキのような怪我人を転送させると傷口が開いてしまう。強引に通す場合は超能力サイによる防御まもりが必要不可欠だった。

 魔法で防御を張る実験も試されたが、飛ぶ瞬間解けてしまうらしく、超能力サイなら問題ナシという実験結果も出ている。

 キュッリッキは術後間もない状態なので、より細心の注意が必要だ。


「ヘンなおっさんですが、ああ見えて凄いんですよ」


 当たり前のような口調でアルカネットが言うと、”ヘンなおっさん”には皆堪えきれず盛大に吹き出してしまい、病室に暫し明るい笑い声が広がった。




 ベルトルドの到着に合わせてすぐ移動できるように、皆帰還の準備に取りかかり始めた。しかしキュッリッキの容態が急変して大騒ぎになった。

 高熱を出して苦しみだしたのだ。

 宿で待機していた医師たちが呼ばれた。原因は怪我による高熱らしいことが判り、それはそれで問題となる。


「いくら副宰相ベルトルド様がいらしても、この状態で動かすのは身体への負担が大きすぎます」


 ドグラスは神妙な顔で額の汗を拭う。それに同意して、ヴィヒトリは腕を組んで唸った。


「せめて熱が下がるまでは、動かしたくないよね。ただ、この地の気候は怪我人には厳しい。湿度が高すぎて、体調を悪くするだけだしなあ…」


 医師2人は揃って頭を抱えてしまった。

 気候のこともあるが、設備の整っているイララクスに連れて帰りたいのが、医師2人とアルカネットの心情だ。


「アルカネットさん…」

「大丈夫ですか、ここにいますよ」


 ベッドの傍らに膝をつき、そっと頬を撫でてやる。


「帰りたいの…」


 熱に浮かされて、キュッリッキは囁くように言った。その時、


「誰か出迎えはいないのか! 俺が来たぞ!!」


 尊大さが滲みでる大声が、ソレルの町内に轟渡った。しかしその程度で動じるソレル町民ではない。この数日、小さな病院を中心に起こるハプニングのせいで、すっかり慣れっこになっている。ソレルの町民たちは新たな珍客の登場にも、もはや動じないでいた。




 晴天麗しい真昼間、湿度も高く蒸し暑い中で、きっちりとした白い軍服に身を包み、マントを翻すそのさまは誰が見ても「暑苦しい…」の一言に尽きた。オマケに白い手袋までして腕を組み、汗一つかかずに立っている。

 まさかこの傲然と立つ男が、ハワドウレ皇国でも名の知れ渡る『泣く子も黙らせる副宰相』閣下その人だとは誰も思わないだろう。自国の宰相の名前すら知らない辺境の田舎町では、どんな地位や名誉を持つ人物も尊敬の範疇外だった。


「尊大で傲岸不遜の我らが主が、到着なさったようです」


 どこまでもにこやかにアルカネットが言うと、皆口元をひきつらせるだけだった。まともに頷けるわけがない。

 カーティスは慌てて部屋を出て行って、苛立つオーラを全身から滲ませるベルトルドを迎えた。


「遅い!!」


 一喝されて、カーティスは内心「うざっ」と毒を吐く。


「申し訳ありませんベルトルド卿。ちょっと立て込んでいました」

「俺がくるといつも立て込んでいるな、お前は」


 ムッといった表情で、ベルトルドはふんぞり返っていた。時々こうした子供じみた態度が見え隠れするので、カーティスは身内の金髪格闘バカを思い浮かべていた。態度が本当によく似ている。


「こんなところで大声あげていてもご町内迷惑ですし、取り敢えず中へどうぞ」


 手振りで玄関を示すと、


「ご町内迷惑とは心外な! この俺の姿を拝めただけでも、天に感謝してありがたさに涙するがいい!」

「呆れて誰も見てませんよ…たぶん」

「ぁあ?」

「いえ、なんでも。さ、どうぞ」

「フンッ」




 カーティスに案内されて病室に入ると、ベルトルドは沈痛な面持ちでキュッリッキの眠るベッドに早足で寄った。


「リッキー……」


 首から下は包帯で巻かれ、見ているだけで痛々しい。白い面には僅かに赤みが差しているが、それは熱からくるものだと判るほど苦しそうな息を吐いていた。

 ベルトルドはベッドに腰を掛けると、手袋を外して、両手でキュッリッキの頬をそっと包み込んだ。

 頬に感じる冷たさに、キュッリッキは薄らと目を開いた。


「…ベルトルドさん」

「可哀想に。よく頑張ったな」


 苦しげに、だが顔をほころばせてキュッリッキは目を細めた。

 ベルトルドは額に優しくキスをしたあと、顔を上げて後ろに控える医師を肩ごしに見る。


「薬は?」

「与えてあります。ですが体力の低下や怪我の状態から、なかなか…」


 語尾が尻つぼみになりながら、恐縮と恐怖を貼り付けた顔でドグラスが答えた。


「回復魔法じゃ熱までは下げられんかったな」


 舌打ちするベルトルドに、アルカネットが頷いた。

 そんな都合のいいものがあれば、誰も苦労はしないのだ。


「お水…」


 弱々しくキュッリッキが訴えると、アルカネットはサイドテーブルにある水差しからコップに水を注いだ。


「よし、俺が飲ませてやろう。貸せ」


 ベルトルドが手を出すと、アルカネットはコップを両手で握ったままそっぽを向く。


「私が飲ませますから、そこどいてくださいな」

「俺が飲ませるって」

「これを渡したら何をするか判りませんからね。嫌です」


 突如起こったやり取りに、ドグラスとウリヤスが目を丸くする。カーティス、メルヴィンは、


(あーあ…またハジマッタ)


 そう異口同音に胸中で呟いた。ヴィヒトリは、


(さっさと飲ませてやれよ…相手は怪我人だぞ!?)


 と言ってやりたかった。

 背景にうっすらと龍虎の画が浮かんできそうな2人の視線の間に、爆発でも起きるんじゃないかと思える程の火花が散る。

 周りの冷ややかな空気にも気づかず、2人の問答は収まらない。


「お前が言うなお前が! 俺がそっと優しく丁寧に口移しで飲ませてやろうと言っているんだ。これでもキスはうまいんだぞ、熟練の超級技術テクニックがあるからな。コップをさっさと寄越せ!」

「お断りします。なにが熟練の超級技術テクニックですか下心丸出しでイヤラシイ。あなた、最低ですね」


 前日問答無用で口移しで飲ませた当人が、そのことを棚に上げて言い張る。そして2人は失念しているが、キュッリッキの意識はあるのだ。


「あのな…」

「さあ、お水ですよ」


 そこへ朗らかなマルヤーナの声がして、ベルトルドとアルカネットは口を閉じた。

 マルヤーナは手にしていた器にスポンジを浸すと、キュッリッキの唇にそっとあててやる。キュッリッキは僅かにしみ出す水を口の中に含んだ。


「軽く喉を潤わせたかったのよね。熱で喉も乾いて辛いんですもの」


 キュッリッキがホッとしたように頷くと、マルヤーナはにっこりと笑った。


「でも、いきなりたくさんのお水は、かえって身体によくないわ。こうして少しずつ、喉を湿らせてあげれば大丈夫ですよ」


 マルヤーナに窘められるように言われて、ベルトルドとアルカネットは気まずさMAXの顔で黙り込んだ。

 大の男同士の恥ずかしいやり取りを遠巻きに見ていた一同は、軽蔑のこもった視線をここぞとばかりに降り注いだ。18歳女子の怪我人を前に「どんだけ恥ずかしい押し問答を繰り広げていたんだよ」と。

 片や副宰相、片や魔法部隊ビリエル長官は、バツが悪そうにあらぬ方向へ視線を泳がせた。注意されたことが恥ずかしすぎて、身の置き所に困る。

 気まずい空気がご機嫌でステップを踏む中、救いの神のようにシ・アティウスが病室に顔を出した。


「偉そうな声が聞こえたので来てみました。やはり、ベルトルド様でしたか」

「能面のような顔で慇懃無礼な奴だな。偉そうな、じゃなく偉いんだ、俺は」


 憤然と肩を怒らせるベルトルドを無視して、シ・アティウスは無表情のままアルカネットに顔を向ける。


「我々はいつ行きますか?」

「リッキーさんが出発してからにします。この人だけだと正直不安ですが、せめて見送らせてください」


 この人、と人差し指でベルトルドを示す。シ・アティウスは頷いた。


「判りました。――だいぶ具合が悪そうですね。エグザイル・システムに耐えられるでしょうか?」

「そのために俺が来たんだっ」

「ああ、そうでしたね」


 怒っているベルトルドを気にもせず、どこまでも取り澄ましているシ・アティウスは淡々と答える。そしてアルカネットの言葉も、容赦と遠慮が全くない。


「こんな傲慢でエロいおっさんでも、一応、〈才能〉スキルランクだけ、は異様に高いですから」

「性格と〈才能〉スキルランクは、比例しませんからね」


 アルカネットとシ・アティウスに畳み掛けられて、ベルトルドは腕を組んで盛大にむくれた。何か言ってやりたいが、嫌味が倍返しで戻ってくるので言いたくなく。

 この2人の前では、肩書きや権威など無に等しいようだ。


(あんな光景、二度と見られないかもしれない……)


 メルヴィンはあまりにも貴重なものを見てしまったような気持ちになって、吹き出したいのを必死で堪えていた。ふくれっ面の副宰相など、そうそう拝めるものじゃない。

 それはこの場に居合わせた全員が、同じ気持ちだった。

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