第23話 イソラの町・1

 着替えを済ませたベルトルドは、足早に馬車専用地下通路へと向かう。すでに馬車は待機しており、リュリュが困惑げに出迎えた。


「化粧を落とす寸前だったのよん」


 腕を組んで腰をくねっと曲げる。

 馬車に乗り込みながら、ベルトルドは「フンッ」と素っ気なく鼻を鳴らす。今はリュリュの嫌味にいちいち付き合う気分ではない。


「念話で伝えた通りだ」

「小娘、かなり危険な状態みたいね。医者はアルカネットが?」

「うん。ヴィヒトリともう1人外科医を連れて行くよう指示しておいた」

「なら信じて待つしかないわね…。ちょっと、ボサッとしてないで早く出しなさいよっ!」


 イラッと怒鳴り、リュリュは組んだ右足で乱暴に馬車のドアを蹴飛ばす。


「すっ、すみません!」


 外から謝る御者の声が聞こえ、慌てたように馬車が走り出した。


「寝ぼけてンじゃないわよ、ったく」


 やや大きめの口を忌々しげに歪めると、「チイッ」と大きく舌打ちした。恐縮しまくる御者の気配が、車内にまで伝わってくる勢いだ。


「オカマは怒らせるモンじゃないな…」

「ぁあ?」

「ナンデモアリマセン」


 すいーっと目線をずらしつつ、ベルトルドは真顔で言う。

「オカマコワイ」とは心の中で呟くにとどめた。


「ンで、どんくらい動かす気?」

「アークラ大将の第二正規部隊とダエヴァ第二部隊、魔法部隊ビリエルを少々を使う」

「判ったわ。編成や指揮はブルーベル将軍とアークラ大将にお任せで、ダエヴァと魔法部隊ビリエルもブルーベル将軍の指揮下に入ってもらうわね」

「うん」

「それにしても、調査がまだ不十分だけれど、ケレヴィルの連中に手を出してくれちゃったからネ。堂々と軍を送り込まれても、文句は言えないわねソレル王国」

「ああ。ライオンの連中が、無事シ・アティウスらを救出できたしな」


 腕組をしたベルトルドは、顔を馬車の外へと向ける。

 カーティスから見せられたキュッリッキの惨い姿が頭をよぎり、つらい思いに顔を歪めた。


「リッキーの件がなければ、もう少し後になっただろうが…」

「そうね。今はとにかく、アルカネットを信じて任せましょ」

「そうだな…」



* * *



 髪は生乾きのままアルカネットは軍服に身を包み急いで屋敷を飛び出した。地上のゴンドラも地下の馬車も使わず、魔法で身体を浮かせて宙を飛んだ。

 この男にしては、珍しいほどの慌てぶりである。


「一刻も早く、リッキーさんのもとへ向かわねば…」


 心がいて胸を掻きむしりたい衝動に駆られる。

 大きく切り裂かれた傷、血の気を感じさせない顔色、ぐったりとした力の失せた身体。死の息吹を吹きかけられたような、あまりにも酷薄な姿。もう助からないのではと思うほどに、アルカネットの心をかき乱した。


「いえ、絶対に助けてみせます」


 目の前に迫ってきた大病院の建物を見据え、アルカネットは顎を引いた。

 建物の入口前にひらりと舞い降りると、すぐさま大病院へ入る。


「すみません、外来はもう」

「急ぎの用件です。ヴィヒトリ先生を呼んでください」


 呼び止めてきた受付の男に、アルカネットは遮るように言う。


「ヴィヒトリ先生でしたら、今夜は立て続けにオペをしている真っ最中です」

「なんですって?」


 普段温和な顔が、サッと険しく歪む。受付の男が思わず後ろによろける程だ。


「終わり予定は、何時くらいでしょう?」

「え、えっと」


 受付の男はデスクに駆けていき、医師の予定表を確かめる。


「未明には終わる予定となっています」


 アルカネットは壁掛時計に目を向ける。

 あと数分ほどで日付が変わろうとしていた。

 顔を僅かに俯かせ、アルカネットは考えるようにしていたが、険しい表情はそのままに受付の男に顔を向けた。


「ヴィヒトリ先生に伝えなさい。大至急の急患が控えています。予定のオペを3時までには終わらせるようにと」

「は、はいっ」

「それとあなたは、この病院でヴィヒトリ先生の次に優秀な外科医に、今すぐここへくるように伝えなさい。これは、副宰相ベルトルド様からの直々の命によるものです。急ぎなさい」


 連絡を取るため、受付の男が逃げていくように走り出す後ろ姿を見つめ、アルカネットはイライラするようにつま先で床を軽く叩く。


「こうしている間にも、容態が……」


 まさかオペをしているヴィヒトリを掻っ攫うわけにもいかず、アルカネットはオペが終わるのを、最大級の忍耐で待たねばならなかった。



* * *



 総帥本部に到着したベルトルドを、ブルーベル将軍とラーシュ=オロフ長官が入口前で出迎えた。


「こんな遅くに招集をかけてすまんな」


 開口一番2人に詫びると、返事を待たずにベルトルドは建物に入っていった。


「軍とはそういうもの、お気になさらず」


 ベルトルドに続きながら、ブルーベル将軍はにこやかに答えた。これにラーシュ=オロフ長官が無言で頷く。

 24時間体制の総帥本部内には、夜勤の軍人たちが多く詰めており、ベルトルドの行く先々で敬礼が投げかけられた。

 過日キャラウェイ元将軍の不祥事を解決した功労者として、皇王から全軍総帥の地位を下賜されたベルトルドは、国政と軍権を掌握する並ぶもののない権力者になっていた。それこそ、キャラウェイ元将軍が夢見た世界征服も夢ではない。

 しかしベルトルドにとって、世界征服とは”恥ずかしい夢”であり、腐敗し堕落しきっているならまだしも、せっかく上手くいっている体制を個人のちっぽけな夢のために破壊する気など毛頭ない。むしろ「仕事が増えて大迷惑だ!」という心境である。

 執務室に到着した御一行は、部屋の中央に位置する応接ソファに陣取り協議に入った。


「此度の招集の目的を、教えていただけますかな?」


 やんわりとした口調でブルーベル将軍が切り出す。


「将軍はアルケラ研究機関ケレヴィルのことはご存知かな?」

「はい。神の世界アルケラに関する、学術的研究やら探求、それ以外にも、超古代文明と呼ばれる1万年前の遺跡調査などにも手を広げている組織でしたね。閣下はそこの所長職も兼任なさっているとか」

「うん」


 ベルトルドは満足そうに頷く。

 軍人というものは、知的方面には疎い者が多い。それが将軍といえど、頭の隅に置いているのは副官の役目と言わんばかりに。

 幸いなことに、ブルーベル将軍はそのあたりの知識もしっかり頭の隅に留めおいているようだ。


「ソレル王国でアルケラに関するものが出土したことから、ケレヴィルの連中が調査に乗り出していたのだ。だが、どういうわけかソレル王国が研究者たちにちょっかいを出し始めてな。俺のハンコの押された書類を掲げても、効果ナシときたもんだ」


 それにはラーシュ=オロフ長官が目を丸くした。


「モナルダ大陸の小国の一つでしたね。閣下のご威光が効かないとは、地方の驕りなのでしょうかねえ」


 おやおやといった顔で、ブルーベル将軍は肩を揺らした。それについて、ベルトルドは軽く肩をすくめるにとどまった。


「俺の権威が踏みつけられたところで痛くもないが、今回は研究者どもを不当に拉致、拘禁しおってな。さすがに見過ごすわけにはいかない」

「確かに」

「研究者どもは、俺の子飼いの傭兵団に救出させ、遺跡も抑えてある」

「手回しがよろしいですな」

「フッ。まあそんなわけで、将軍には第二正規部隊とラーシュ=オロフ長官のダエヴァ第二部隊、魔法部隊ビリエルから人員を割いて、首都アルイールを制圧していただきたい。そして、王族も全て捉えて欲しい」


 ブルーベル将軍はつぶらな瞳を瞬かせたが、すぐに恭しく頭を下げた。


「承りました。早速準備に取り掛からせていただきます」


 ベルトルドはブルーベル将軍を見て、僅かに苦笑を浮かべた。


「まだ確証が得られてないので、詳細を話せなくてすまぬ」

「判っております。そのうちお話くださることですから。今は目の前の作戦に全力を尽くさせていただきますよ」

「うん、頼んだ」


 ブルーベル将軍とラーシュ=オロフ長官は揃って立ち上がると、ベルトルドに敬礼をして執務室を後にした。

 2人が出て行ったあと、ベルトルドは肘掛にもたれてリュリュを見上げる。


「なあ、ブルーベル将軍をどう思う?」

「そうねえ…」


 天井に目を向け、リュリュは少し考える。


「信頼はあるわね。洞察力も優れているし、性格も温厚で良いわ」

「仲間に引き入れようと思っている」


 それについてリュリュは返事をしなかった。難しそうな表情を浮かべ、グッと口を引き結ぶ。


「恐らく、将軍は乗ってくれるだろう。今回のことが終わったら、話をしてみる」


 そう言って立ち上がると、ベルトルドはデスクへ向かう。


「お茶を淹れてくるわ」

「ああ、頼む」



* * *



 街灯も道路もない真っ暗な場所を、魔法で作り出された灯りを頼りに、ブルニタルの完璧なナビゲーションで皆迷わずイソラの町まで到着した。


「さすがブルニタル」


 ゲッソリとギャリーが褒めると、


「このくらいしか役に立ちませんしね」


 そう疲れた顔でブルニタルは応じた。


「後方支援も大事な役割ですよ」


 カーティスはホッとしたように言って振り向いた。


「さて、こっからはお医者様探しです。元気の有り余ってる脳筋組みの皆さん、早速散って探してきてください」


 パンパンッと掌を打ち、カーティスが顎をしゃくる。


「ヘイヘイ」


 不満を言う者は一人もいない。ギャリーたちはすぐさま町内に散っていった。


「あたしたちも探しに行こう」

「そうだな」


 ファニーとハドリーも医者探しに加わった。

 2時間ほどの遠足を満喫させられた。魔法使い組みはキュッリッキの生命維持に魔力を全力消費し、ルーファスはキュッリッキを運ぶために集中している。暇を持て余していたのは脳筋組みくらいだ。

 ケレヴィルの研究者たちはシ・アティウスを除いて、疲れきった顔でその場に座り込んでいた。拘禁されていた精神的疲労に加えいきなりの遠足だ。

 疲れた様子もないシ・アティウスは、静かにキュッリッキを見つめていた。

 大して広くもない町なので、程なくしてすぐに病院が見つかった。見つけてきたのはヴァルトだ。



* * *



「たのもーー!! 死にかけのジョシが1人いるから開けろー!!」


 すでに灯の落ちている建物のドアを、ドンドンドンドンッと破壊する勢いでヴァルトは叩く。木製の古びたドアは、力を持て余しているヴァルトの拳に叩き割られる寸前で開かれた。

 何事かとドアを開けた中年の女性は、ガウンの襟元を掻き合せると、やたらと背の高いヴァルトを見上げてギョッと目を剥いた。なにせ怪物の内蔵や血糊をべったりとその身にかぶっていて、乾いた今は赤黒く変色して異様な姿だったからだ。

 性格とは真逆の美しすぎる顔立ちが、より残酷な姿を耽美化していたが、口を開くと全て台無しにしてしまう男である。


「おばちゃん、早く仲間を診てくれ!!」

「急患かい?」

「うん。かなりヤバイんだ。タブンあともうちょっとで死んじゃうから早くして!」


 ヴァルトは両手を腰に当てると、仁王立ちになって中年の女性を見おろした。この言葉をキュッリッキが聞いたら「勝手に殺すなあ!」と文句を飛ばしそうだ。


(この様子からして重症人がいるのね)


 彼女は何やらと思ったが状況から察し、すぐさまドアを全開にした。


「早く運んでおいで。主人を起こしてくるから」


 ヴァルトは「うん!」と元気よく返事をすると、回れ右して全力で走っていった。



* * *



「病院のおばちゃんが開けてくれたから、キューリ運べ、ルー!」


 近所迷惑も甚だしい大声が通りを挟んだ向こうからいきなり聞こえてきて、ルーファスはクラッとして額を押さえた。

 元気に両手を交差させながら振り回すヴァルトを見て、ランドンもシビルもため息しか出ない。


「いち早く病院を見つけてきんだからまだマシか…。ま、取り敢えずヴァルトに案内してもらおうか」


 ルーファスはゲッソリ言って、ヴァルトのほうへ向かう。


「そうですね。ちゃんと見つけてきたんだから褒めてあげないと」


 シビルは肩をすくませながら後に続いた。

 座り込んでいた研究者たちも、億劫そうに立ち上がり続いた。


「ああそそ、マリオン、脳筋組みたちに連絡を入れておいてください」

「おっけ~い」


 カーティスから言われて、マリオンはすぐさま念話を飛ばす。


「案内よろー」

「おしゃ、モノドモ着いてこい!」


 先頭に立って意気揚々と進むヴァルトに、皆疲労感たっぷりにぞろぞろとついていった。




 ヴァルトに案内された病院は、こざっぱりした小さな診療所のようだ。木造の建物に白いペンキが塗ってあり、屋根は赤いペンキを塗っていて可愛らしい。

 玄関で出迎えてくれた中年の女性はキュッリッキを見ると、泣きそうな顔で覗き込んだ。


「まあまあ、大変」


 中年の女性は、医者の妻兼看護師のマルヤーナと自己紹介した。

 マルヤーナはすぐさまルーファスを処置室に案内する。ルーファスは細心の注意を払い、清潔なベッドの上にキュッリッキをそっと寝かせた。


「運搬完了……」


 そう言うやいなや、ふらりとその場に仰向けにぶっ倒れてしまった。


「大丈夫!?」

「ご心配なく。超能力サイの使いっぱなしで、燃え尽きてるだけですから…」

「まあそうなの、大変だったのねえ」


 そう言いながらマルヤーナはルーファスの腕を掴むと、自分よりも大きな男をヒョイっと軽々肩に担ぎ上げた。その逞しき光景にシビルがギョッとする。


「入院患者用のベッドが空いているの。寝かせてくるわね」


 にこやかに言い置いて、マルヤーナとルーファスが出て行った。そして入れ替わるようにして、白衣を着た男が眠そうに入ってきた。


「ウリヤスと言います。よろしく」

「夜分遅くにすみません」

「急患ならしかたがないです。そちらのお嬢さんですね」


 ウリヤスはベッドの傍らに立つと、白いものが混じった眉を寄せて唸った。


「血液型を調べてすぐ輸血しましょう。マルヤーナ」


 妻の名を叫んで、ウリヤスは棚からすぐに道具を取り出し準備を始めた。


「申し訳ないが、私の腕ではこのお嬢さんを助けるのは無理だ。輸血と点滴をするくらいしか、お役には立てそうもない」

「今こちらに医者が向かっています。たぶん外科専門かと思われます」

「うん。それなら助かるかもしれない。私はこの小さな町でそこそこの病人や怪我人を相手にする程度の医療〈才能〉スキルしか持っていないのでね」


 自分を卑下するわけではない。それが事実なんだといった静かな表情かおでキュッリッキを見ていた。医療〈才能〉スキルにも得意不得意分野があり、技術の差も存在するのだ。


「せっかく頼ってくれたのに、大したことも出来ず、すまないね」

「いえ、ありがとうございます」


 シビルは心から頭を下げた。




 マリオンの念話の誘導で、町に散らばっていた脳筋組みも病院に合流した。

 静かな町の小さな病院内には、幸い誰も入院患者はおらず、いきなりやってきた大勢で賑わっても大丈夫だった。

 キュッリッキの容態は相変わらずだが、医者のもとへ運べた安堵感から、張り詰めていた緊張の糸がぷっつり切れたようだ。

 ヴァルトはマルヤーナを見るなり「風呂入りたい!」と子供のように駄々をこね、住宅と兼用になっている院内をドタバタ走り回って風呂に駆け込んだ。

 ギャリーとタルコットも返り血が臭うのに飽き飽きし、一緒に狭い風呂場に押しかけて大騒動だ。


「この狭すぎる空間で翼を広げるな翼を!!」

「お前らが勝手に入り込んできただけじゃないか! とっとと出てけよ!!」

「血を落とさせてくれ…臭いんだ」


 風呂場からギャースカ聞こえてくる賑やかな声に、マルヤーナは面白そうにクスクスと笑い、濡れタオルをみんなに配っていた。

 タオルを受け取り、カーティスが申し訳なさそうに頭を下げる。


「本当にすみません。騒々しい連中で…」

「いいのよ。傭兵さんたちは大変ね」

「ははは…」


 穴があったら入りたい、という気持ちでいっぱいになった。


「あ、ところで、たぶん早朝か朝くらいに数名追加でお邪魔することになると思います」

「お医者様が向かってらっしゃるんでしたわね。主人から伺ってますわ」

「はい。我々も少し休ませていただいたら、数名残して出ますので。通常営業のお邪魔はしません」

「あら、そんなことは気にしなくていいのよ。穏やかな町ですから、忙しくないの」

「すみません」


 恐縮しっぱなしのカーティスに、マルヤーナは柔らかく微笑んだ。


「細かいサービスはしてあげられないけど、ゆっくり休んでくださいね」

「いえ、ありがとうございます」




 ランドンとシビルは、キュッリッキに付き添い処置室に残っていた。


「僕が回復魔法を続けているよ」

「大丈夫? ランドン」

「これしか取り柄がないから。シビルは今のうちに身体休めてて。あとで交替頼む」

「おっけー。んじゃ、頑張って」

「うん」


 ベッドに横たわるキュッリッキの傍らに座り、ランドンは魔法をかけ続けた。

 ずっと魔法を使い続けるのは、相当の精神力と魔力を消耗する。しかしシビルもカーティスも救出作戦ですでに相当消耗していた。少し休まないと手元が狂いそうだったので、シビルはランドンに全て任せることにした。

 超能力サイを使いっぱなしだったルーファスも、キュッリッキをベッドに寝かせた直後ぶっ倒れてしまった。超能力サイは精神力だけが全てなので、より慎重を期すためにコントロールを強いられる。その前にも念話や戦闘などもこなしていたので、倒れてもしょうがなかった。遠距離念話ほど疲れるものはない、と常々言っているくらいだ。

 一通り大騒ぎが収まると、みんな泥のように眠りに就いた。ヴァルトは元気に起きていて、濡れた頭をマルヤーナに拭いてもらっていた。そのあと渡されたホットミルクをもらって一気に飲み干すと、身体を丸めてすぐに眠ってしまった。


「まあまあ、子供みたいね」


 あまりにも無防備に眠るヴァルトを見て、マルヤーナはくすりと笑った。




 ザカリーは眠ることができず処置室の前まで来ると、遠慮がちに中を覗いた。キュッリッキの容態が気になってしょうがないのだ。


「キューリは大丈夫だよ」


 いきなりランドンに話しかけられ、ザカリーはちょっと驚いてサッと壁に隠れる。


「こっちにきて座りなよ」


 笑い含みに促され、少しためらったあと、中に入って隣の椅子に座った。

 やっとキュッリッキの姿を見ることができて、ザカリーはグッと息を詰める。

 輸血を受けているが、血の気を失った蒼白なおもては変わっていない。それでも神殿の中で見たときよりは、多少落ち着いているようにも見えた。

 血で汚れた衣服は脱がされ、痛々しすぎる傷をあわらにし、裸の上に軽くシーツがかけられ眠っている。髪の毛は邪魔にならないよう束ねられ、血で汚れていた毛は丁寧に清められていた。おそらくマルヤーナがしてくれたのだろう。

 回復魔法で痛みが和らいでいるからなのか、キュッリッキの表情は落ち着いて見えた。


「酷い傷、だな…」

「肩から胸の傷も酷いけど、背中も凄く大きな痣になってた。あの怪物に殴られたのかもしれない」


 肩にも打撲痕があり、擦り傷もいくつか見られた。


「でもね、ウリヤスさんがきちんと診てくれたけど、内臓類に損傷はないって。それだけは幸いだった。もし内臓類に損傷があったら、もう助からなかったから」

「そうか……」


 それだけでもホッとする。


「あんな僅かな時間でこんだけの大怪我を負っちまったんだな…。どれほど怖かっただろう、痛かっただろうに。ごめんな…」


 独りごちるように、キュッリッキに向けてザカリーは呟いた。


「オレが怒らせなきゃ、神殿に入ることもなかったんだよな……。あんなふうにからかうんじゃなかった…」


 ほんの些細な喧嘩だった。それがまさかこんな事態に発展してしまうなんて。

 そう思えば思うほど、短慮だったと自分を責めた。


「へっ…、自分を責めたってそれは自己満足にしか過ぎねよな。こいつはいまだ生死の境を彷徨ってるんだしよ…」

「キューリは死なない」


 ボソッとした声でランドンは断言する。


「僕が看てるし、こんな大怪我を負ってもこの子は死ななかった。だから大丈夫」

「……」


 いつもは口数の少ないランドンが、慰めるように言った。

 ランドンは常に影に徹して、けしてでしゃばらず仲間を支えてくれる。いざという時どれほど頼りになる男だろうとよく思う。

 回復魔法を使い続けるだけでも大変な苦労なのに、ザカリーのことまで気遣ってくれる。その気持ちが嬉しく、救われる思いだった。


「ありがとな」


 ザカリーは俯いて肩を震わせた。

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