第6話 今日はお引越し

 ベルトルドがリュリュから”ねっとり”お仕置きされていた頃、キュッリッキの引越が行われていた。

 仕事を抜けられなかったハドリーの計らいで、ライオン傭兵団からメルヴィンとガエルの2人が助っ人に駆けつけてくれた。

 ガエルはクマのトゥーリ族で、身長2mを超える巨躯に筋肉隆々のガタイの良さ、短い黒い毛に覆われていた。

 この世界には3種の人間がいる。身体的特徴を持たない平凡な外見のヴィプネン族。背に2枚の翼を持ち、容姿に優れたアイオン族。そしてトゥーリ族だ。30種からなる、動物の外見と能力を持つ亜人種。

 トゥーリ族は人魚以外は二足歩行をするし、服も着る。ガエルは黄色いタンクトップと白いダボ付いたズボン姿だ。


「それっ」


 軽々と荷物を運ぶガエルの腕に、キュッリッキは飛びついてぶら下がる。姿勢を崩すと思いきや、ガエルは事も無げにそのまま荷物を運んでいた。


「お前じゃ重石替わりにもならん」

「えー」


 そう言いながらも、キュッリッキは面白がって何度もぶら下がった。その様子を見てメルヴィンはクスクスと笑う。

 ガエルとメルヴィンで運び出された荷物はそう多くなく、馬車の必要性がまるでなかった。


「これならひとつにまとめて、俺が背負ってもよかったな」

「そうでしたね」


 メルヴィンは苦笑する。

 家具類は全て据え置きのものを使っていたし、もとより荷物が少ない。

 それでも、とメルヴィンは思う。


(人見知りするキュッリッキさんが楽しそうだし、ガエルさんには大丈夫そうですね。こうしてみんなと徐々に馴染んでいければ)


 つい、妹を見守る兄のような気分になっていた。


「キュッリッキちゃん」


 アパート前にいると、建物から”おばちゃんズ”が現れた。


「もう荷物運び終わったのかい?」

「うん」

「そうかい。お別れだねえ」

「今度は、ずっと居られるといいね」

「頑張るんだよ」


 ”おばちゃんズ”はキュッリッキが抱えてる悩みのことで、中々上手く馴染めず、何度も帰ってきていたのを知っている。


「おばちゃんたち、いつもありがとう。アタシね、今度は頑張れる気がするの」


 キュッリッキは恥ずかしそうに、でも、自信を見せて言った。


「ははっ、なら大丈夫だ」


 にこやかな”おばちゃんズ”は、大声で笑った。


「まあ、もしダメだったとしても、そんときはすぐに帰っておいで。キュッリッキちゃんの居場所は、ちゃんとあるからね」

「ちょっと、水さしてどーすんだい」

「ヤダよもう」


 これにも笑いが起きる。


「帰らなくてもいいように、アタシ頑張るの! でも、おばちゃんたちに会いに、遊びには来るね」

「好い子だよもう!」


 キュッリッキは”おばちゃんズ”にそれぞれギュッと抱きしめられ、別れの抱擁に暫し浸った。

 馬車の御者席でその様子を見ていたメルヴィンとガエルは、和やかな雰囲気を見て微笑んだ。

 別れをしっかりすませ、キュッリッキは荷台へと乗り込んだ。


「じゃあ、行ってきます!」

「元気でねえ~~!」


 それを合図に馬車は走り出す。見送る”おばちゃんズ”のほかに、アパートの窓を開けて、幾人かの傭兵たちが手を振ってキュッリッキの旅立ちを見送っていた。




 馬車がアジトの前に着くと、マリオンが出てきた。


「おっかえりぃ~」


 陽の光の下でより明るいオレンジかかった赤毛をおろし、濃いピンク色のタイトなワンピースを着ている。それだけでもじゅうぶんに派手な印象を与えるのに、さらに派手なのは顔の方だ。はっきりとした顔立ちを化粧でよりくっきりさせていて、太ってはいないが大柄な印象を与える身体つきとあいまって、そこに居るだけで目立ってしょうがない。


「いらっしゃ~い、キュッリッキちゃん。今日からよろしくねぇ~」

「よろしく、マリオン」

「あらあ、アタシの名前、ちゃぁ~んと覚えててくれてたのねぇ。イイコいい子」


 馬車から降りたキュッリッキを、マリオンはぎゅっと抱きしめた。


「あんたたちぃ、キュッリッキちゃんの荷物、とっとと運んだって」

「ええ」

「俺が運んでおく。メルヴィンは馬車を返してきてくれ」

「判りました。お願いします、ガエルさん」


 荷台から少ない荷物を全部降ろして、メルヴィンは御者席に戻ると、馬車を返しに行った。

 ガエルは一番大きな荷物を持つと、マリオンが残りの荷物をガエルの腕の中に乗せていく。そしてジッと見てくるキュッリッキの視線に気づき、


「ぶら下がるか?」


 そうガエルが言うと、キュッリッキは嬉しそうにガエルの腕に飛びついた。


「あらぁ面白そう。アタシもぶら下がるぅ~」

「お前はやめろ…」

「ええ~なんでぇ~~?」

「重量オーバーだ」

「ひっどぉーい!」


 抗議するマリオンをスルーして、荷物とぶら下がるキュッリッキを連れて、ガエルはアジトに入っていった。




「荷解きは、自分でやるんだぞ」

「はーい。ありがとうガエル」

「おう」


 ガエルが出て行くと、入れ替わりにマリオンが顔を出した。


「キュッリッキちゃん、一緒にいらっしゃ~い。みんなに到着の挨拶、しなくっちゃねぇ~」

「そうだった」


 床にしゃがみこんでいたキュッリッキは、立ち上がってマリオンの後についていった。




 廊下の壁には白い壁紙が貼られ、床には毛足の短い赤い絨毯が敷かれている。掃除も行き届いていて、くすんだところがない。部屋の扉もニスが塗られていて、艶やかで見た目にも綺麗だ。


「ねえねえ、この建物って凄く綺麗なんだね」

「でしょぉ。元々宿屋だったんだけどぉ、それを買い取って改装してるのよん」

「ほえぇ~」

「部屋狭いけどぉ、綺麗っしょ」

「うん」

「まあもともとそんなに古い建物でもなかったしね。それに天井も毎年しっかり修繕してるからぁ、雨漏りの心配もしなくてダイジョウブ」

「よかった」


 2人は階段を降りていくと、大きなドアの部屋へ入っていった。


「は~いみんなぁ、キュッリッキちゃんがきったよ~ん」


 そこは広々とした部屋で、ライオン傭兵団の仲間たちが集まっていた。

 仕事のため何人か不在にしていたが、カーティスやギャリーをはじめ、歓迎会の時に居た面々が顔を揃えていた。

 ソファに座って本を読んでいたカーティスは、本を閉じて立ち上がると、キュッリッキに笑顔を見せた。


「ようこそキュッリッキさん。今日からここで、みんなと一緒に暮らすことになります。困ったことがあったら、遠慮せず言ってください」

「よろしく、お願いします」


 マリオンの後ろに隠れながら、顔だけ出してキュッリッキは小声で挨拶した。表情が僅かに緊張している。

 キュッリッキが人見知り体質なのは、歓迎会の時にみんな気づいていた。一対一ならなんとか普通に会話もできるようだけど、複数名になると緊張してしまっている。ガエルにはとてもなついていたということで、相手にもよるのだろう。


「よっ、ちっぱい娘」

「ちっぱい言うな!」

「ひひっ、ほら、顔出した」


 床に座ってビールを飲んでいたギャリーは、ニヤニヤとむさっ苦しい顔をキュッリッキに向けた。ちっぱいと言うと、光の速さのごとき反応速度で反論が返ってくるのが面白い。


「ムキッ!」


 マリオンのワンピースをギュッと掴んで、キュッリッキはギャリーに怒りの眼差しを向ける。マリオンも肩をすくめて、呆れたようにギャリーを見た。


「セクハラだっつってんでしょぉ~、アンタわぁ」

「本当のコトを言ってるだけだ、気にすンな」

「気にするもん!」


 愛らしい顔をぷっくり膨らませてキュッリッキが怒り出すと、ため息混じりにカーティスが仲裁に入る。


「初日からからかわないでくださいな。さてキュッリッキさん、ここを説明しておきますね」


 カーティスに苦笑されて、キュッリッキは膨らませた頬を萎ませる。


「元はダンスフロアだったんですが、今は談話室として使っています」

「談話室?」

「ええ。平たく言えば、憩いの場とでもいいますかねえ。みんなで好きなものを持ち込んで、一緒に過ごすんです」


 みんなで一緒に過ごす。それはキュッリッキにはとても新鮮な言葉に聞こえていた。

 室内にはいくつかのソファセット、ビリヤードやカードゲームコーナー、ストレッチ用具類、雑魚寝スペース、本棚、カウンターバーなどなど、ちょっとした娯楽スペースが満載だ。


「一人で自室でくつろぐのも構わないですし、自分のしたいことをここにきてやっていても構いません。自由に使ってください」

「う、うん」

「風呂場やトイレの共同スペースと、キリ夫妻にも紹介してきてくださいマリオン」

「おっけ~ぃ。んじゃ、行こうねキュッリッキちゃ~ん」

「はい」




 風呂は2つあって、男専用と女専用になっている。脱衣所もあるし、いきなり覗かれずに済みそうだ。浴室はとても広くて、標準的な大人が10人は座っていても余裕が有る大理石貼りの洗い場。5人なら手足も伸ばせるくらいの真っ白な浴槽があった。シャワーは2本ついている。


「お風呂広いんだね~。アタシ、お風呂大好きなの」


 ハーツイーズのアパートには、シャワーしかなかった。今日からこの広いお風呂に入れると思うと、キュッリッキの顔には笑顔が広がった。


「一緒に入ろうねぇ~。背中洗ったげるぅ」

「うん」


 窓も大きくて中庭に面している。磨硝子なので透けて見えることはない。

 トイレも男女別で、男女兼用じゃないのは心底ありがたかった。女子にとって、生理的に辛いのだ。


「談話室、風呂、トイレ、廊下や階段などはぁ、みんなの共有スペースでしょ。だから、毎日当番制でお掃除するのよん」

「お仕事で居ない時は、どうするの?」

「当番のスケジュールを調整しぇて、いきなり当番指名されることもあるからぁ、そこは我慢してねぇ~」

「うん、大丈夫。アタシお掃除も好きだから」

「良かったん。でねぇ、ギャリーとハーマンは掃除が下手なのよぉ。掃除してるんだか散らかしてんだか謎過ぎて困るっていう」


 ハーマンはキツネのトゥーリ族で、今は仕事で留守にしている。歓迎会の時に少し話をしたが、魔法〈才能〉スキルを持っていて、魔法に関する勉強が大好きらしい。「それなら魔法で掃除すればラクなのに」とキュッリッキが言うと、


「あのキツネっ子は、攻撃魔法専門よん」


 そう言ってマリオンはケラケラ笑った。


「ンで、お洗濯も下着は各自、服やベッドのシーツやカバー、タオル類は当番で。中庭があるからあ、そこにズラ~っと干すわよぉ」

「はーい」

「ちなみにぃ、洗濯はメルヴィンが洗濯奉行なの」

「洗濯奉行?」

「洗い方から干し方まで事細かすぎて、メルヴィンと一緒になると煩いのよぉ…。色物を一緒にするなーとかあ、干す時はシワ伸ばせー、とかあ~」

「オレがどうしました?」


 玄関で話していると、馬車を返しに行ったメルヴィンが帰ってきた。

 マリオンとキュッリッキは顔を合わせると、ぷっと吹き出す。


「え? どうしたんです?」

「なんでもないわよぉ~ん、ね~」

「ね~」

「はあ…?」


 困った顔のメルヴィンをその場に残し、そそくさとマリオンとキュッリッキは台所へ向かった。


「煩いんだけどぉ、さり気な~く洗った洗濯物をメルヴィンに差し出していくと、パパッと干してくれて、実は一番早く終わるのよお。当人は、手本を見せてるつもりなのねぇ~ぷくくっ」

「それって、いいように使われちゃってるんだね……メルヴィン」

「そゆことっ」


 滑稽なような、でもそれはちょっぴり可哀想な気がして、キュッリッキは薄く笑った。




「さ~てぇ、次はぁ、台所よ~ん」


 台所に近づくにつれ、美味しそうな匂いが漂ってきていた。


「おじちゃーん、おばちゃーん、ちょぉっといいかしらあ~」

「おやマリオンちゃん、どうしたの?」

「昨日話したでしょぉ、新しい子のこと。挨拶に連れてきたのお」

「ああ」

「あの、キュッリッキです。よろしく」


 ぎこちない表情と動作で、キュッリッキはぺこりと頭を下げた。


「まあ、まあ、とっても綺麗な子ねえ。初めまして、私はここの料理当番兼、管理人をしているイングリッドといいます。そしてこちらは旦那のキリ」

「よろしく」


 2人は同い年で、今年53歳になるという。ふっくらと優しそうな笑顔のイングリッドは、基本”キリ夫人”と呼ばれている。マリオンや一部の仲間たちは”おばちゃん”と呼んでいた。キリのほうは、まるで枯れ木のように痩せていて、無表情が普通らしい。そしてとても無口だという。


「お2人共、複合の料理〈才能〉スキルを持ってるから、料理は高級レストランよりも美味しいのよん」

「おほほ、マリオンちゃん褒めすぎよ」


 嬉しそうにキリ夫人は笑った。


「ホントだもの~」

「あらあら、ありがとう」

「ねえ、今日のお昼ご飯なぁに~?」

「チキンのクリームシチューと、3種類のパスタ、卵サラダにデザートはミルクババロアよ」

「ペペロンチーノあるう?」

「ありますよ」

「やった~!」

「マリオンちゃんは、ペペロンチーノ大好きだものね。ああ、そう、そう。キュッリッキちゃんは、好き嫌いなものはある?」

「え」


 2人の会話を見守っていたキュッリッキは、いきなり問われて慌てて考えた。


「えっと、好きなものはポーチドエッグとかムースとか、ババロアも好き。嫌いなものは、生野菜。苦手なの、生野菜のサラダとか」

「あらあら。青臭いのがきっとダメなのねえ。じゃあ、茹でたりした野菜は大丈夫?」

「うん。生じゃなければ、野菜は嫌いじゃないの」

「ふふ、判ったわ」


 キリ夫人は優しい笑顔で頷いた。


「お昼ご飯、もうちょっとで出来るから、楽しみにしていてね」

「はい」


 キリ夫妻が仕事に戻ったので、2人は台所を出た。


「最後に食堂へごあんな~い」


 食堂は談話室よりもちょっとだけ狭いが、道路に面して窓も大きく、明るくてとても広々としている。

 10人ずつ向かい合えるほど長いダイニングテーブルが2台あり、ベンチのような長椅子がそれぞれ1脚ずつ置かれている。

 テーブルも椅子もシンプルな木材で、テーブルの至るところに調味料を入れた瓶が置かれていた。


「ここに料理の皿を持ってきてくれるからぁ~、各自取り皿に食べたい料理を入れて食べるのよん。ビュッフェっぽい感じね」

「じゃあ残さなくていいね」

「そうね。でもお、美味しいから、ついついとっちゃうのよぉ~」

「そっかあ、楽しみ」




 正午を回ると、続々と食堂にみんな集まりだした。


「キュッリッキちゃぁ~ん、こっち一緒に座ろう~」

「うん」


 マリオンに手招きされて、キュッリッキはマリオンの隣に座る。


「みんな、おまたせしました」


 キリ夫人とキリ氏が、大皿や鍋を乗せたワゴンを押してきた。


「サンキュ、おばちゃん、おじちゃん!」


 ヴァルトは立ち上がると、大皿や取り皿をテーブルに並べた。そして、シチュー皿に鍋のシチューをよそい、次々みんなに手渡していく。


「普段バカなコトしか言わないけどぉ、ああしてお手伝いは率先してやるのよ、ヴァルトって」


 ひょろひょろっと背が高く、青い瞳と金髪が映える物凄い美形である。しかし、


「テメーら、おばちゃんとおじちゃんにカンシャして、ありがたく食え!」


 口を開くと、何故か勿体なさ全開な残念さを感じるのであった。

 各自取り皿にそれぞれ食べたいものを取ると、あとは賑やかに食事が始まった。キリ夫妻も一緒である。


「凄く美味しい~」


 シチューは塩加減も絶妙で、鶏肉が口の中でとろけていく。濃厚でクリーミーな味が、ふわっと口の中いっぱいに広がる。確かにこれは、沢山食べずにはいられない美味しさだ。


「お口にあって、良かったわ」


 美味しさに顔をほころばせるキュッリッキに、キリ夫人はふっくらと微笑んだ。


「うおおおおおおお! いっぱい食うぞ!!」


 ヴァルトは3種類のパスタを取り皿に山盛りにして、片っ端からチュルチュル食べ始めた。


「エネルギー有り余ってんだから、そんなに食うなや…」


 呆れ顔でギャリーが言うと、


「ヴァルトやガエルを暴れさせる仕事が、今のところナイんですよ」


 カーティスが溜め息混じりに言う。

 ヴァルト向けの豪快な仕事より、繊細な仕事のほうが多く来るのであった。


「傭兵休業してぇ、土木工事現場に貸出したらあ~? もンのすご~く感謝されまくるわよお」


 そう言って、マリオンはケラケラ笑った。


「うっせーぞ! そこのドぶす!」

「あーん、バカヴァルトにもブスって言われたああ」


 あまり悲観してないウソ泣き声をあげるマリオンを見つつ、キュッリッキはミルクババロアを口に運んでいた。


「小食なんですね」


 向かい側に座るメルヴィンが、にっこりと笑顔を向けてきた。


「う、うん。美味しいけど、いつもあんまり食べられなくって」


 シチューひと皿と、パスタを一口ずつ、あとはもうデザートのミルクババロアに移っていた。


「そうですか。――女の子は少食気味ですね」

「そう、なのかも?」


 なんだか気恥ずかしくて、キュッリッキは顔を赤くした。




 もとから少食で、普通の量に盛られた料理を食べるのも遅い。食べたくないのではなく、すぐ満腹感を得てしまうのだ。

 幸いババロアは喉越しもよく、お腹いっぱいに食べられそうだ。


「もっと沢山食べねえと、ちっぱいがおっきくならないぞ」

「むっ!」

「ギャリーさん、あんまり言わないほうがいいですよ…」


 メルヴィンが緩く嗜めると、マリオンも「そーそー」と睨む。


「デカぱいのおめーに言われても、嫌味だぞ」

「アタシのことはぁ、どぉーでもいいのよお」

「だいたい、あんだけしか食わねえから、栄養が回らねんだ。もっと食えばちっぱいにも栄養が回んだろう」

「まーったくアンタは、デリカシィが欠片もないわねえ」

「シっ」


 口に人差し指をたて驚いているメルヴィンを見て、そしてみんな視線をキュッリッキに向ける。


「ほらあ、泣かしちゃったあ~~~」

「ギャリーさんっ!」

「あちゃ…」


 ギャリーを睨みつけながら、キュッリッキの目からは大粒の涙がぽろぽろこぼれていた。

 胸が小さいのはずっと気にしている。しかしこればかりはどうしようもない。何故ならキュッリッキはアイオン族だからだ。

 背に翼を2枚持つアイオン族は、空を自由に翔ぶことができる。そのためか体重が極端に少なくて、平均的な体格のヴィプネン族と比べると、20kgくらいは少ないのだ。しかもアイオン族は太ることができない体質である。どんなに暴飲暴食を繰り返しても、絶対に太らない。

 さらに極めつけは、アイオン族の女性は総じて胸のふくらみが乏しい種族でもあった。一応個人差はあるが、貧乳だのちっぱいだの言われるレベルである。

 それにキュッリッキは、自分がアイオン族であることを誰にも知られたくなくて隠している。――心の傷と共に。

 ギャリーに反論しようとしたが、そのことを言うわけにもいかず、キュッリッキは悔しさを込めて涙を流すしかなかった。


「あら、あら、まあまあ」


 キリ夫人は立ち上がると、キュッリッキの傍らに立って、エプロンの裾で涙を拭ってやる。


「ギャリーちゃん、女の子の身体のことをあげつらうのはいけないことよ。小食なのは、身体がもうこれだけでいいよ、って言っているの。無理に食べると、お腹をこわすかもしれないしね」

「へい…」


 ヤッチマッタ、と表情に書いてギャリーは肩を落とした。


「さあキュッリッキちゃん、ババロアはもうちょっと食べられそうでしょ?」

「うん」

「まだまだいっぱいあるから食べてね。おばさんの自慢のデザートよ」

「食べるの」


 しゃくり上げながら、スプーンですくったババロアを口に運ぶ。ババロアのほどよい甘さとミルクの味が、キュッリッキは気に入っていた。

 キュッリッキの様子に安堵して、キリ夫人は腰を上げる。


「さあみんな、冷めないうちに食べちゃってね」


 優しい笑顔のキリ夫人に場を収めてもらい、みんな食事を再開した。




 食事が終わると、キュッリッキは中断していた荷解きをしに自室へ、そしてほかは談話室へ移動した。そこで早速、ギャリーはカーティスから叱られた。


「来て早々泣かさないでください、全く」

「面目ねえ」


 デカイ図体をしょんぼりさせて、ギャリーは頭を掻いた。


「彼女は人見知りする子です。それでも我々に溶け込もうと、努力してるんですから」

「だな…」

「アンタもぉ、たいがい粗チンなんだからあ、ヴァルトやメルヴィンくらいのデカブツになってから、他人の身体にケチつけなさいヨ」

「誰が粗チンだ! オレのは標準サイズって言うんだよっ! ヴァルトやメルヴィンのが異常なんだ」

「ふふーん」

「いえ…オレのはそんな…別に…」


 腕組みして得意げなヴァルトとは対照的に、メルヴィンは困ったように頬をポリポリ掻いていた。


「つーか! なんでテメーがそんなこと知ってんだよ!」


 問い詰められたマリオンの顔が、ニヤリ、と歪んだ。それを見た室内の男性陣の顔に闇が射す。


 ――この痴女。


 マリオンの〈才能〉スキルは、AAランクの超能力サイである。涼しい顔して日頃から仲間の股間を透視サーチしてるのがモロバレだ。


「……まあ、ギャリーもですが、みなさんも言動には充分気をつけてください。彼女はベルトルド卿自らがスカウトしてきたという背景もあります。無駄にチヤホヤする必要はありませんが、余計なことをしていると、ベルトルド卿にチクられることになりますよ」


 その瞬間、室内の温度が急激に下がり、全員の表情が恐怖に歪んだ。

 キュッリッキを泣かせると、ベルトルドにチクられる。ベルトルドが怒る、速攻制裁が飛んでくる。

 図式を頭に浮かべると、冷や汗は滝のように流れ、胃に百穴状態だ。

 ベルトルドの制裁など二度と食らいたくない。


「初日から仲間の関係がこじれるのはよくありません。ギャリー、キュッリッキさんに謝ってきてください。そして、仲直りするんですよ」

「お、おう」

「ダイジョーブよ。キュッリッキちゃんは、アンタのこと嫌ってないからあ~」

「マジで?」

「マジで。みんなと早く馴染めるようにぃ、アンタがぁ~からかってるってこと、あの子ちゃ~んと判ってるもん」

「……ケッ」


 照れ隠しに、ギャリーは明後日の方向へと視線を泳がせる。


「ンでも、言いすぎなのは事実よん。ちゃあんとぉ、謝ってきなさいな~」

「わーった」


 ギャリーは素直に頷くと、談話室を出た。




 窓もドアも開けっ放しにして、キュッリッキは荷解きをしていた。

 ハーツイーズのアパートより若干広いが、閉め切っているとホコリがこもりそうである。

 荷物は大して多くない。調理器具や掃除セットなどは、持ってきても使わないだろうとメルヴィンに言われたので、アパートに置いてきてある。家具類は備え付けのものを使っていたし、新しく購入したものはない。

 身の回りのものやちょっとした小物類しかないので、馬車まで出してもらったのは大げさだったなと思った。

 服をたたみ直してチェストの引き出しにしまっていると、開けっ放しのドアがノックされた。


「よっ」


 ヒョイっとギャリーが顔を出した。


「…ギャリー」


 ベッドに腰掛けて服をたたんでいたキュッリッキは、若干身を固くして首をすくめる。

 警戒心丸出しの「やるなら受けて立つ」とでも言いたそうな表情を向けられて、ギャリーは頭をガシガシ掻いた。

 ギャリーはのっそり部屋に入ると、大きな掌をキュッリッキの頭にぽんっと乗せた。


「さっきは済まなかったな、言いすぎた」


 一瞬殴られるのかとキュッリッキは目を瞑ったが、そっと掌が頭に置かれただけだった。そして昼食の時のことだと気づいて、ちょっとビックリしてしまう。

 てらいもなく率直に謝られて、キュッリッキは意外そうに目を丸くした。てっきりギャリーのような大人は、年下に対して謝るようなことはしないのだと思っていたからだ。


「なんでぇ、豆鉄砲でも食らったような顔して」

「だって……謝られると思ってなかったんだもん」

「今回はオレが悪かったんだ。そりゃ、謝るさ」

「そう、なんだ…」


 謝って不思議がられるのも複雑である。しかし、何故そう不思議がるのか、ギャリーにはよく判っていた。


「中には謝らねえ大人もいる。自分に非があると判っていてもだ。子供でもそんな奴はいるし、それはそいつの人間性の問題だな。オレもだが、ここの連中は自分に非があれば、認めてちゃんと謝る」


 無頼者のように見られがちな傭兵の中には、確かに自らの非を認めない者もいる。礼儀なんてクソくらえというスタイルが、傭兵らしいとまで勘違いしている者も多い。キュッリッキはそんな残念な傭兵たちを見てきたのだろう。だが、ライオン傭兵団は違う。そして違うと判ってもらえるよう、ギャリーたちはキュッリッキに示していかねばならない。


「うん、判ったの」


 キュッリッキは表情を和らげて頷いた。ちゃんと謝ってもらったのだから、いつまでも意地を張る必要はない。それにギャリーがからかうことで、みんなとの切っ掛けを作ってくれていたことも判っていた。内容面には物凄く問題はあるけれど。

 硬さが取れて穏やかになったキュッリッキに、ギャリーは真顔になる。


「それとな、飯はなるべく少しずつ量を増やしていきながら食うんだぞ。スプーンひと匙ぶんくらいからでいい。オレたちが受ける仕事は体力勝負になる。キリ夫妻の飯は美味いだけじゃなく、栄養面もちゃんと考えてくれてるからな」


 これまでキュッリッキが受けてきた仕事よりも、ずっと大きなものになるだろう。体力もそれに見合うだけ身につけなくてはならない。心構えを諭されて、キュッリッキは神妙に頷いた。


「ちょっとずつ、頑張ってみる」

「おう」


 キュッリッキが素直に返事をしたので、ギャリーはニカリと笑った。

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