エフカ

笹川 景風

エフカ

 観測史上最高気温の今日。お日様が街を焼いたため、空気のたんぱく質が凝固して白くかすんでいる。カフェのテラス席は太陽放射の影響下にあったが、ピスタチオ色のパラソルが身を挺して紅茶を守っていた。


 エフカは英雄叙事詩を細かく折りたたんでそんなテラス席を出た。もちろん紅茶はグラスの底に残されたままだった。

 エフカは大学でノートのまとめ方を学んでいたが、ノートとりが大の苦手だったため、学期末のノートとりテストに合格できずに退学になった。今は動画編集を仕事に収入を得ている。


 そんな哀れな彼女を、愛しのお日様は抱擁し包み焼きにした。しかし彼女の髪がはちみつ色だったがために灼熱地獄から難を逃れた。


 エフカは大学で級友だったウラジーミルと会う約束をしていた。約束の時間は既に5分過ぎていた。約束の場所は街の中心地を通り抜けなければならず、地下鉄に乗っていくと17分と32秒かかってしまう。そこでエフカは歩くことを選択した。


 その時のことである。

終にお日様が転寝をしてしまい仕事を放棄してしまった。羽毛布団が偶発的にかぶさったので、すやすやしてしまったのに違いない。


 すると辺りが紫色になった。これが俗に言うマジックアワーである。エフカはその様に戸惑って、自分も寝てしまおうかと思ったがすんでのところで踏みとどまった。

ウラジーミルが待っているのだ!


 エフカは身震いした後、力強く歩き出した。

教会で右折し、駐車場で左折した。曲がるたび何度も彼女に空賊が襲撃し、爆弾を落として道に穴をあけたり、”諦めてしまえ!”と叫んできた。だがエフカの心の結び目にゆるみはなかった。


 エフカはついに空賊を振り切り、目の前のブドウみたいな家に逃げ込んだ。丸い回転窓のついた家で、恒久的に家霊ドモヴォイが出入りしていた。エフカはここで少しかくまってくれるよう、家霊と交渉するためポケットに入れていたチョコレートを取り出した。


 しかし家霊は煤しか食べれないと言って断ってきた。アーモンドをバリバリと食べながらである。エフカは激怒し家霊を平手打ちにした。12分と50秒の間、家霊の頬を打ち続けたため、家霊の頬は12,5ヤード膨らんだ。これは当時は考えられないことで、天文学的な数字だった。つまり家霊の頬は対流圏を突破し冥王星を貫通した。


 棚から牡丹餅に感謝したエフカは、家霊の頬を滑った。高度100,000,000フィートまで一気に加速した。あまりに見事な滑りに非周期彗星の一つとして、ペンギンの彗星観測員に見つかった。宇宙ペンギン彗星と名前が付けられ、著名な学者たちによって軌道の予測が為されたが、それらは悉く外れた。


 エフカはそんなことも知らずただ宙を滑った。滑るよりも流れたという方が近いだろうか。つまり液体になったのである。今まで標準状態で液体なのはウォッカと猫と素麺だけであった。しかしエフカは第四の液体となっったのだ。これによって、いつも誰かが飲んでいるため留守がちなウォッカの代わりに、北斗七星の仲間に加わった。エフカは三等星の仲間入りを果たした。


 そこでエフカはカーシャと出会った。カーシャはエフカの古い友人で3年前に亡くなっていた。北斗七星で二等星になっていたカーシャとの思わぬ再開を祝い宴を開いた。豪勢な食事をカーシャが用意してくれたので近隣の星々を誘った。エフカがそこで大きなブリヌィを食べすぎたために、転寝していたお日様が起きてしまった。起きたお日様は二人の宴が羨ましくなってしまったので、二本のフレアを出して宙を漕いだ。北斗七星を目指しての旅を始めた。


 お日様が近づくにつれてエフカは軌道を維持することが難しくなった。そして、ついに軌道が閉曲線を描いてしまった。エフカはカーシャや宴に参加してくれた星々との別れに悲しくなってしまい、泣きながら英雄叙事詩を読み上げた。そして、”さようなら”と最後にオオルリのような声で言うと地上への帰路についた。


 ウラジーミルが待っている場所まで光速で行ってやろう。エフカの軌跡はフラクタル図形を描いたが、それを地上から観測したウズベクの遊牧民は三本線だと言い張った。カラフトの木こりは白樺模様だと言い張って、カフカスの指導者は天命だと言い張った。どちらにせよ、エフカはあまりにも速く地上に降り注いでしまったので、液体の体は四方八方に散って星全体に降り注いだ。


お日様は相変わらず北斗七星に向けて進んでいたので、エフカの体は蒸発することなく大気圏を抜けた。そしてキノコ雨になって地面を潤した。


 ウラジーミルはベランダの植木鉢の前で待っていた。先週ニコライの農業研究施設からもらった菌を、朽ち木に植え込んでおいたのだ。研究員は一週間でキノコが生えると言っていたので今日がその日だった。


 そして、ウラジミールの植木鉢にもエフカの雨が降り注いだ。ウラジーミルは急いで家の中に入ろうとしたが、雨にあたった朽ち木からキノコの原基が生まれて伸びていくさまを目のあたりにして立ち止まった。ウラジーミルは雨でびしょびしょになりながら、キノコの成長を見守った。キノコは1秒間に5センチの速さで伸び続け、3キュビット程になったところで成長が終わった。


 キノコのはちみつ色の笠がパッと開き、どんな星よりも明るく輝いた。それは北斗七星からでも観測できたし、カタツムリ座からも見れた。ウラジーミルはいたく感動して、キノコに帽子と仕立てのいい服を着させてやった。するとたちまちキノコは、はちみつ色の髪の女へと変わった。


 ウラジミールは驚愕して大きく飛び跳ねた。

 ”エフカじゃないか!”

 ウラジーミルはエフカを室内へ招き入れ、紅茶を入れた。

エフカは紅茶を飲みながら、今まであったことをゆっくりと語る。


 二人での旅行やキャンプから他愛もない日常の出来事まで、長々と話した。ようやく何も見えなくなってから、エフカはウラジーミルの家を出て家路についた。外は真っ暗に見えたがエフカはどんなものよりも輝いていた。

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エフカ 笹川 景風 @sugawara210

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