陽怪メシ屋

とづきこう

第1話 災難の末の災難

 妖怪と人間が混在するこの現代。

 妖怪たちは人間に化け、幾重もの時代を人間として渡り歩いてきた。しかし、この事実を知っているのは、ごくわずかな人間のみ。稀に妖怪の姿が見えたり、気配を察知できる能力を持つ者がいる。


 つまるところ、それが俺だ。


「やっぱりここのから揚げは最高に美味しいわ! 他の店で食べたけど、なんか違うのよねぇ。味付けとかそういうことじゃなくて……うまく表現できない!」

「それは私も同意する。一口食べると、ほわっみたいな。うーん、ちょっと違うかな……ズキュンって感じ?」

「アンタも言葉選びが下手ね」

「はぁ? 同意してやったのに上から目線やめてくれる? おばさん」

「そういうアンタだって、クソババアじゃない。一緒にしないでよ!」

「……はぁ。うるさいですね。これだから女妖怪は嫌いなんですよ」

「あぁ?てめぇ、コラ! 表に出ろ! その少ない毛を全部毟り取ってやる」

「ははっ。今日も賑やかでいいな!」

「頼むから、喧嘩するなら店の外でやってくれ」


 そして、これが俺の店の日常だ。


 代々メシ屋を営む家系に生まれた俺は、幼い頃に両親と死別した。父方の祖父母に育てられ、小さい頃から店を手伝いながら、常連客に可愛がられていた。


 そんな俺は、物心がついた頃からおかしなモノが視えるようになった。『幽霊』や『おばけ』という類ではない。異形のそれは『妖怪』と呼ばれるものだった。妖怪はそこら中にいたのだが、人々はそれを気にも留めない。というか、視えなていないのだと分かった。人に化けている妖怪も同様に、俺には見分けがついた。一番の特徴は甘い匂いだ。金木犀をハチミツで煮詰めたような、甘ったるくて独特な匂い。その匂いが『霊力の根源』だと気付いたのは、大人になってからだ。


 祖父母にそのことを話すと、否定することなく優しくこう諭した。


「大史、あんたにはお役目があるんだね」


 子供の俺にとって、どういう意味なのかさっぱり分からなかった。

 しかし、今でもその言葉を覚えている。


 そんな優しい祖父母は、1年前に他界した。祖父は末期の膵臓がん、あとを追うように祖母も心不全で亡くなった。今まで一緒に店を切り盛りしてきたが、2人がいなくなってしまったことで何もかも無気力になり、店を閉めてしまった。情けないことに。


 しかし、昔からの常連さん達はいつも励ましてくれる。

「大史くん、また店をやってくれよ。辛いのはよく分かるよ、おれだってそうだ。だけどさ、おれはこの店が大好きなんだよ。賑やかで楽しいこの店が」

「私らにとって、ここは心の拠り所なんだよ。なにか手伝えることがあるなら、いつでも頼って。昔からの馴染みなんだから。大史くんは、私らの息子も同然だよ」


 そう言ってくれたのは、常連の峯田さん夫婦だ。子供の頃からいつも可愛がってくれて、毎日のように来店してくれていた。


 それ以外にも、差出人不明の奇妙な手紙が届くこともあった。


『メシを食わせろ!』

『店はいつ開けるんだ! このままじゃ飢え死にする!!』

『気が狂いそうだ……早く、早く、早く!』

『から揚げ!!』


 ……から揚げ? うちの店に、から揚げ過激派なお客なんていた?


 脅迫文のような手紙でも俺にとっては励みになった。再会を待ってくれる人がいるのなら、やるしかない。


 気付けば半年も放置していた店を掃除することから始め、冷蔵庫の中身や食材、調味料など、古くなったものはすべて処分した。


 うちの店は、昔ながらの定食屋とはちょっと違う。和定食だけでなく、洋食や中華など、メニューの数がとにかく豊富。食べることが好きだった祖父母は、お客からのリクエストがあればその都度メニューを増やし、今では200品ほどある。特に俺が好きだったのは、豚の生姜焼きだ。定番といえば定番だが、オリジナルのタレに漬け込んで焼いた豚肉は、どの店にも負けないくらい美味しい。


 久し振りに厨房で作ってみようと思い、近くのスーパーに出かけた。本当は贔屓にしている肉屋から仕入れたいが、時刻は午後10時。致し方ない。


 買い物を済ませて帰路を辿っていると、やけに静かな町の雰囲気に気付く。中心街から離れたこの地域では、夜の時間帯は滅多に人通りがない。それはいつものことだが、空気がピンと張り詰めた今夜は、自分の足音が妙に響く気がした。


 そういえば、最近はこの辺で行方不明者が出ていると聞いた。常連の峯田さん夫妻も、夜は滅多に出歩かなくなったらしい。よく飲みに出歩いている2人がそこまで用心するのだから、よほど警戒しているのだろう。


 妖怪の仕業、なんてことは考えたくない。実際、悪さをしている妖怪はほとんど見たことがない。中には悪意のある妖怪もたまにいるが、それは人間も同じことだ。


 ——— この匂いは。


 その瞬間、辺りに例の甘い匂いが漂ってきた。しかしその匂いは、次第に鼻を刺激する不快な匂いに変わる。


 この匂いは知っている。悪意のある妖怪の匂いだ。


 立ち止まって一瞬の瞬きの間に、目の前にいたのは一つ目の仮面をつけた妖怪。


「お前、わしが視えるんだろう? 珍しい人間もいるものだ」

「だったらなんだ。脅かしに来たのか?」

「まさか、そんなことするはずがない。わしは人間が大好きだからな」

「嘘をつくな。その匂いで分かるんだよ」


 すると、仮面の妖怪は俺にじりじりと近づいてくる。咄嗟にスーパーで買った大根を手にして、戦闘態勢を整える。


 仕方ない。ここは戦うしかなさそうだ。


「だ……大根はな! 栄養素が豊富で高血圧の防止に加え、抗酸化作用もある!」

「ほう」

「さらに! 血糖値の上昇抑制、腸内環境も整えてくれる! 生活習慣病予防にもってこいだ!」

「それはいいことを聞いた」


 俺の攻撃も虚しく、ヤツはさらに距離を縮めてくる。


 クソッ、ここまでか……。じいちゃん、ばあちゃん、ごめんよ。せっかく心機一転、店を再開しようと思ったのに。こんなところで死ぬなんて……。


 人生を諦めかけたその瞬間。

 ——— ドゴォンッ


 鈍い音と共に、目の前に迫っていた仮面の妖怪は、当然地面にめり込んだ。


「……ん?」


 なにが起こったのか困惑していると、背後から再び妖怪の気配を感じた。恐る恐る振り向くと、そこには図体のデカい男が仁王立ちしていた。


「ヒエッ……人の姿だけど、妖怪だよな……?」


 男は俺に見向きもせず、仮面の妖怪の元へと向かう。


「おい、お前。人間を襲うとはどういうつもりだ」

「な、なんだぁ…わしは襲ってなどおらん」

「嘘つけ。人間が怯えているだろう」


 ……どちらかというと、俺はあなたに怯えてます。


「わしはただ妖怪が見える人間が珍しかっただけじゃ。

危害を加えるつもりなど毛頭ない。まぁ、ちょっとだけ脅かしてやろうと……」

「貴様……! 弱い人間を襲うとは、妖怪の風上にもおけん。恥を知れ!」

「や、やめてくれぇ…」


 男は妖怪の頭部を片手で掴み、再び地面に叩きつけようとした時。


「ちょ、ちょっと待った! そこまでやらなくてもいいんじゃないか? 俺がびびっただけで、そこまで悪意はないと思う、多分。だからその辺にしといてくれ」

「……まぁ、あんたがそう言うなら。今度からは人間をむやみに脅かすな。また同じことしたらタダじゃおかねぇ」

「わ、わかった」


 仮面の妖怪は解放されると、一目散に逃げて行った。


「チッ。ほんとに逃がしてよかったのかよ。あんた妖怪が視えるんだろ? お人好しにもほどがあるぜ」

「そういうあんたも妖怪だろ? とにかく、助けてくれてありがとう」

「別にたいしたこと……あ、だめだ」


 男は急にふらつき出し、白目を剥きながら倒れ込んでしまった。


「えっ、なに!? どうした!?」

「……は、はら」

「はら?」

「……腹が減ってぇ……力が出ない」

「そっか、救急車呼ぶね」



 

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