其の一、彩る食

 みや。それは京における行政機関、施設が立ち並ぶ区画の名称である。他にも神事を執り行う殿舎や、皇が住まう「大内おおうち」と呼ばれる場所が存在している。

 人事、司法、学問、暦、神事、天文、財政、天皇侍従、音楽、外交、その他諸々。

 その中でも、宮中の料理人が集うのは「大炊寮おおいりょう」と呼ばれる場所である。神事や宴に使われる食材の管理と調理を任され、更には皇一族の食材の一部を掌るのもこの機関であった。

 烏帽子姿に直衣を纏った人物は戸の前で「失礼します」と声をかけた


「……?おや、これはこれは、狭井さい殿ではありませんか」


 狭井、と呼ばれた人物は大炊寮の戸口で一礼する。


「今日もまた学ばせていただきたく、皇の許可を頂き、参りました」


 温和なことで有名な大炊頭おおいのかみである中彰通なかのあきみちは狭井に微笑んだ。


「狭井殿は勉強熱心な方ですね。今日は見学以外にも何かされますか?」


「少しだけ包丁を貸していただけますでしょうか。食材は既にこちらで用意していますので」


 狭井は手に持っている籠の人参を見せる。


「準備万端ですね。……そうだ、今日は皇の御膳にも挑戦してみてはいかがですか?きっとお喜びになられますよ」


「そうですね……。たまには良いかもしれませんね」


 中彰通の小声での提案に微笑む狭井は、まるで花のようであった。






「大炊寮の凄腕料理人を探してる?」


「お前、宮での顔広いし一人や二人知らないかなって。噂でもいいぞ」


 道晴の隣で頭を悩ませるのは藤為助ふじのためすけ。藤家でも先祖を同じくしているが、ほぼ他人と言っても過言ではないほどの遠い親戚かつ、宮内での友人である。


「いやー、大炊寮はそもそも知らないなあ。かみが中彰通様っていうことくらいしか……」


「彰通様って、どんな方なんだ?」


 道晴は宮に出仕し始めてまだ二年、今年で三年目。まだ知らない顔や出会ったことのない人物はいくらでもいる。


「俺も直接会ったわけじゃないが、噂によれば温厚温和。怒っているところを見たことが無い。いつも慈愛に満ちた笑みをたたえている。とか、神様みたいな人だ」


「へえー……。神が優しいかはともかく、一度会ってみようかなあ」


 この際、様々な人脈を持つことはのちに妖饗応への協力が得られるかもしれない。聞いた感じ、話を聞いてくれそうな人柄だ。了承が得られるかは置いておいて。

 ふと、視線を感じて顔を上げた。為助が興味深そうに道晴を眺めていた。


「な、なんだ?」


「いや、人使いも金遣いも荒いわりには、よく物思いにふけるよなって」


「それ噂だからな。実際はそうでもないぞ」


「でも皇の御前まで行くとかいう暴挙に出てたじゃないか」


 うぐ、と為助に居たいところを突かれ、道晴は二の句が告げなくなる。


「な、何故それを……」


「もう話は広まってるぞ。殿上の間に藤家の問題児、三男坊が乗り込んできたって。あれはまさに嵐のようだったー、とかなんとか」


「う……それについては、ちゃんと父上からお叱りを受けました」


「そりゃそうだろうな」


 昨日の事である。白狼真神と出会い、事前調査を終えて帰宅した道晴は、夕餉の前に父の道康から説教を受けた。


「道晴。お前、皇が寛大な心で許してくださったから良いものの、本来であれば首を刎ねられていたところだぞ。分かっているのか」


「……はい、その件は本当に申し訳ございませんでした……」


 しゅん、と縮こまる道晴に、道康ははあ、と額に手を当てため息をついた。


「自分の立場と場所をわきまえなさい。もう子供ではないのだから。誰もが進言できる国や制度であればまだしも、皇は神の末に名を連ねる方だぞ。そこのところ、ちゃんとするように。藤家に生まれたのであれば、立場や権力に驕ることなく、常に謙虚に、礼節を欠かさないこと。いいな」


「はい、父上」


 道晴の反省の意を込めたその返事をもってしても、やけに道康がもの言いたげな、疑いにも似た視線を向けていたのは気になったが。


「お前、やんちゃした前科がありすぎ」


「宮に来てからはおとなしくしてるけど」


「いや、幼い頃からの話だと思うぞ……」


 友人として度々道晴と共に遊んでいた為助は知っている。子供には登ることなど到底できない屋根に、鳥と同じ景色を見たいと塀を使って登ろうとしたこと。邸の床下に何か埋まっていないか這いずって探し回ったこと。邸を抜け出した回数は百を超え、新しいものが好きで、珍しいものは絶対に欲しがった。

 その暴れっぷりに、彼の兄と両親はさぞ疲弊していたことだろう。いや、確実に疲れていた。その顔を何回か目撃している。


「まったく……無茶はするなよ?」


「分かっているとも」


 二人が歩いていると、すれ違った同じ官位の一組の会話が聞こえてきた。


「なあ、最近大炊寮に現れる謎の人物、知ってるか?」


「誰だそれ?」


「知ってる。彰通様の隣でよく勉強しているという者だろう?面立ちがさぞ美形とか」


 ふむ。と道晴は通り際に少し考える。謎の人物。面白そうな響きではないか。

 抑えきれぬ好奇心に、道晴は為助の制止の声も聞かずに三人組の方へ踵を返した。


「すまない、その噂詳しく聞かせてくれないか!?」


「ん?いいが、そんなに知っていることはないぞ?」


「それだけでも助かる!」


 官人の青年はふむ、と自分の記憶を辿り始めた。


「私は一度だけ見たことがあるんだが、噂によれば二、三年前から大炊寮に出入りしているらしい」


 曰く。

 謎の人物は大炊頭、中彰通よりも頭二つ分ほど背が低く、どこの寮の所属かは不明。ちらりと見えた面立ちは、美少年と言っていいほど麗しかったのだったとか。


「彰通様の隣に立たれて、熱心にその手さばきを眺めておられたぞ」


「大炊寮、彰通様、寮の所属は不明……なるほど。助かった、恩に着る」


 道晴はぺこりと頭を下げると服の中に隠していたくつを取り出す。きざはしまで駆け寄ると沓を履いてそのまま大炊寮の方面へ駆けて行ってしまった。

 置いて行かれた為助に、官人の青年は声をかける。


「貴殿は行かなくて良いのか?」


「ああ、あいつに付き合ってたらこっちの仕事が終わらねえ」


 しかし、昔の道晴なら「階まで行くなんて面倒臭い」とか言って直接庭に飛び出すことなんぞ、よくあったことだ。公の場で廊から外に飛び降りなくなったのは成長だな、などと埒もないことを思う為助であった。





 道晴が所属する治部省から見て、大炊寮は真反対の東に位置している。距離は約十町(一キロ)。徒歩で凡そ四半時(十五分)。饗宴や儀式が行われる豊楽院ぶらくいん朝堂院ちょうどういんの横を通り過ぎ、学問を掌る式部省しきぶしょうを越えると大炊寮が見えてくる。

 大炊寮からはかまどの煙が上がっている。もうすぐ昼餉ひるげの時間だ。後宮内の配膳を任されている内膳司ないぜんしに出来上がった食材を提供している頃か、まだ調理中か。

 道晴は大炊寮の前まで来ると、入るのを少しためらった。今は流石に忙しい時間帯か。


「うーん。これは出直した方がいいかな……」


「おや?貴殿は……もしや道康様のご子息では?」


 大炊寮の廊下から声を掛けられる。見上げると、柔和な面立ちの男がいた。おそらく50代前半だろうか。


「大炊頭、中彰通様でいらっしゃいますか?」


「ええ、そうですよ。どうなされましたか?」


 これ好機。


「ご相談があって参りました。よろしければ、ご都合のつく時間など……」


「そうですか……なら、今でも大丈夫ですよ。丁度一段落したところなので」


 彰通がどうぞ、と大炊寮の中に案内する。彰通の仕事場らしき広間に通されると、二人は円座に腰を下ろした。


「申し遅れました。私、治部省じぶしょう所属の藤道晴と申します」


「存じ上げています。この間、皇の前で饗応の提案をされたでしょう?」


 うぐ、と道晴が先ほどと全く同じうめき声を漏らす。あの場に彰通もいたのか。

その様子を見ていた彰通がははは、と笑い声をあげる。


「中々面白そうな案だったので感心しました。それで、今回の相談事はもしや饗応に関することですか?」


「はい。妖の中には食を求めてくる者もおりまして、よろしければ腕の立つ料理人の方を紹介していただきたい。大炊寮内の人間でなくとも、私的な関係から噂話など、なんでも大丈夫ですので」


 道晴の言葉に彰通は少しばかり思案する。


「……おそらく道晴殿の期待にこたえられるような料理人は、少なくとも大炊寮にはいませんね。彼らは与えられた教則本などを参考にして調理していますので。儀式や饗宴で出す膳もあまりふさわしいとは思えない……」


 この中彰通という男。かなり人を観察する力があると見た。道晴の提案、というだけで普通の料理人ではいけない、料理が上手いというだけでもいけない、何か一つ特技のようなものがある人物を記憶の中から探しているのだろう。

 それを感じた道晴は思わず感心した。自分も見習わなければ。

 

「失礼します。彰通様、いらっしゃいますか?」


 透き通るような声音が響いた。


「どうされましたか?狭井殿」


「狭井……?」


 聞きなれぬ苗字に道晴も声の方を振り向く。背は低くもないが高くもなく、長いまつ毛に美しい瞳。凛とした面立ちの少年だった。おそらく道晴と同年代くらいの。だが、衣の色からして道晴と同じ官位か。


「……?そちらは?」


「桜の大臣藤道康様のご子息、道晴殿です。相談を受けていまして」


「初めまして。藤道晴と申します」


 藤、と狭井は考え込む。そして、何かが納得のいったように顔を上げた。


「……ああ。藤の御方おんかたの」


「……?」


 小さな声だったが、聞き取れた単語に道晴は首を傾げる。「藤の御方」は道晴の叔母に当たる人物の呼び名だ。顔を合わせたことはないが、皇に嫁いだ妃の一人である。

 何故、叔母を知っているのだろう。風の噂で聞いたのだろうか。


「彰通様、本日はありがとうございました。そろそろ刻限ですので……また明日参ります」


「そうですか、お疲れ様です。明日もお待ちしていますよ」


 狭井はぺこりと頭を下げると大炊寮を退出した。


「彼はどういう方なんですか?噂によれば、どこの寮に所属しているかどうかわからないと……」


「狭井殿は三年ほど前から、私の隣で助手という形で手伝ってもらっています。そうですね……見習い、と表現した方が正しいですかな?」


「見習い……」


 その言葉に、道晴は考え込む。そして、何か決心したように顔を上げた。


「彰通様。明日、私にも食についてご教授いただけませんか?」


「道晴殿が?構いませんが、どのような理由で?」


 道晴はまるで子供の用に目を輝かせながら訳を話す。


「饗応する際に、主催者である私も食について知っておかなければと思うのです。普段、皇族の方々の食膳や饗膳を任されている方々なら、心得などもおありでしょう。神祇に関わる者達を饗応するにあたって、食に関するもてなしの心得を学ばせていただきたいのです」


 彰通はその言葉に笑みを浮かべる。なんと楽しそうに自分の案を話す少年か。

 これは皇も興味を示すわけだ、と納得する。


「道晴殿の熱意、しかと受け取りました。では、明日の同じ時刻に大炊寮にいらしてください」


「……!ありがとうございます!」


 道晴は深々と頭を下げた。これで、少しばかりだが饗応の準備が進んだのだ。







 後宮。皇の私室である涼殿に昼餉が運ばれてきた。御付きの女房が膳を整える。


「皇、昼餉をお持ちいたしました」


「ああ。助かる」


 近年、大炊寮が手掛ける食が少し変わった。今までは豪奢なものを意識していたのだろうが、最近は趣向が変わったように思う。だが、味は今の方が好みだ。

 おそらく大炊頭に中彰通が就任したことが大きな要因の一つと言っても過言ではない。彼は就任の際に皇や一族の好物や食べることができないものなど、くまなく聞き取りを行っていた。それが活きているのだろう。

 汁物の中に浮かぶ花型の人参を眺めて、皇は慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「たまには、家族で夕餉を共にするのも良いかもしれんな……」






 翌日。道晴は夕餉の支度をする彰通の隣で、自前の手帖を開き熱心に書き記す。


「人にはそれぞれ、好き嫌いがあります。ですが、膳を作る相手が皇であっても、皇妃であっても好物ばかり、嫌いなものを除くばかりになってはいけません。食材にはそれぞれ含まれる栄養が異なります」


「なるほど。栄養は肉と野菜では全く別物だから、ということですか?」


「大雑把に説明すればそういうことになりますね。肉は人の身体を強くするのを助ける効果があります。一方で、こういった葉物は消化を良くする効果や健康を維持する効果があります。あとは米ですね。米や穀物は、人が動く時の力の源になります」


「それを万遍なく取ることが重要というわけですね」


「ええ。そして万遍なく食材を使えば、自然と、彩も華やかになるというわけです」


 道晴は炭を細く尖らせたもので素早く書き記す。今まで教えてもらった分だけでも既に紙三枚分が埋まるほどであった。


「料理というものは相手の体内に入るものですから、召し上がる方々の事を考えて、臨機応変に対応することが大切です。もちろん、元気でいて欲しいという心を籠めることも大切ですよ」


 彰通は話しながら火加減を調節する。その隣では、黙々と包丁を動かす狭井の姿もあった。道晴は少しだけ狭井の方が気になって覗いてみる。不思議な包丁の動かし方をしていた。


「彰通様、器はこちらに置いておきますね」


「分かりました。助かります」


 大炊寮の役人が器を並べる。ざっと二百人分くらいか。後宮は皇族と、彼らに仕える女官が大勢いる。その人数分といったところだろう。

 彰通をはじめとして料理人たちが器に食事を盛りつけていく。赤い漆塗りの器が様々な食材で満たされていく。

 そのうち一つの膳に、狭井が先ほど切っていたものを乗せる。


「これは?」


「こっちは大根と人参、あれは胡瓜です」


 漬物の上に乗せられたのは、蝶であった。狭井はこれを大根と人参だと言った。もう一つの器には草のような形をした胡瓜が添えられている。


「!?これが大根と人参!?」


 道晴が目を丸くして狭井を顧みる。


「貴殿、これをどうやって作ったんだ!?」


「包丁で切れ込みを入れて、くるっと」


 いとも簡単そうに手で再現する狭井に、道晴はぽかんと口を開ける。


「この技は狭井殿しかできないものなんですよ。大炊寮生で挑戦してみたんですが、練習が必要で……」


 彰通は苦笑する。おそらく大炊寮生たちが大分苦戦したのだろう。その言葉を聞いたうえで、道晴はもう一度その膳を眺める。他の膳とは違い、まるで本当に蝶が飛んでいるようであった。


「美しい、な……」


 その言葉に、狭井が少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

 そうだ、と道晴がまた何かを思いついたようだった。


「狭井殿!良ければ妖たちに一つ、じゅうを作ってはくれないか!?」


 思いもよらぬ言葉に、狭井が面食らう。


「じゅ、重……?」


 道晴が頷く。


「箱の中に料理を敷き詰めるのだ。まだ饗応の庵が完成していないから、敷物を敷いて夜空でも眺めながら食してもらおうと思っている。きっと貴殿の技があれば、宝石箱のような重が作れると思うのだが!」


 目を輝かせながらがし、と手を握る道晴に、狭井は恥ずかしそうに頬を染めながら、一つ頷いた。彰通が何故かもの言いたげな視線を向けている。


「わ、分かりました。その重とやら、作ってみましょう」


「!本当か!?ありがとう!」


 幼子のように満面の笑みを浮かべる道晴に、狭井は釣られて笑みを浮かべた。宮の中ではこのように無邪気な人物は稀だ。皆裏には何か思惑があったり画策していたりと、政的な機関が集まるためか、その実態は泥水のように濁っていたりする。

 彰通はそっと狭井に耳打ちした。


「よ、よろしいのですか?」


「ええ、大丈夫です。外に出るわけでもないでしょう?……しかし、ふふふ、そうですか。一膳分を調理できるのですね……!」


 これまでの気品のある言動とは異なり、どこか燃えているような、楽しそうなのは気のせいだろうか。温和で常に微笑みを浮かべていることで有名な彰通は珍しく、冷や汗を流していた。


「道晴殿、それはいつまでに完成させればよろしいですか?」


「出来次第大炊寮に受け取りにくる!都合の良い日で大丈夫だ」


「では、少し重の中身を考えますので、三日後に」


「ああ。それじゃあ、お願いします」


 道晴は狭井に礼儀正しくお辞儀をする。狭井はよし、と息を吐くと彰通の方へ視線を送った。


「彰通様、ということですので三日間ほどこちらに泊まらせていただいても?」


「泊っ……!?いや、それは……」


「大丈夫です。文を送っておきますから」


 ですので、早く一室を。と狭井は彰通を急かす。諦めたように、いや、何かを覚悟したように彰通は息をついた。


「わ、わかりました。一番東の部屋をお使いください。人通りも少なく、集中できるでしょうから」


「ありがとうございます。道晴殿、では参りましょう。少し聞きたいことがありますので」


「え?」


 狭井はまくしたてると、道晴の袖をつかんで東の部屋へ向かっていく。その二人の背を彰通は苦笑して見送った。




「少し絵を描きますね。重とは硯箱くらいの大きさの箱が良いでしょうか」


「そうだなー……。うん。そのくらいがいいと思う。……というか今更だけど、敬語じゃなくてもいいのか?」


「ええ。ほら、同じ官位ですから」


 そう言って狭井は自分の衣を見せる。深縹こきはなだは六位の色だ。


「私はちょっと、癖で敬語が出てしまいますが」


「そうか。ありがたい」


「続けます。その妖はどのようなものを好んでいますか?」


「好みを聞くのは失念していた。だが、今回は人の食べ物が彼らに受け入れられるかどうかを確認しておきたい」


「分かりました。ということは、私が好きに作っても良いのですね?」


 狭井が嬉しそうな眼差しで道晴を見つめる。


「あ、ああ。好きに作ってくれて構わないけど」


 本当に料理が好きなのだな、と感心する道晴だ。

 その時、ごーん、と終業の鐘が鳴った。


「引き留めてしまってすみません」


「大丈夫。次に会うのは三日後か」


「ええ。三日後、楽しみにしておいてください」


「うん。楽しみにしておく」


 そう言うと、道晴は手を振って退出した。手を振り返して見送った狭井は、早速思考を巡らせる。


「妖、京に入れないが故に京に入ろうとする者達。おそらく牡丹門や他の門しか、それより内側の様子は見たことが無いはず。なら、京の華やかさを現したほうが良い。花と蝶がやっぱり定番。あとは……蓮根で花を、庭の砂利を米にして、池は出汁を葛粉で固めたものを。いや、重ということは外に持ち出すから箸で掴めるほうが良いか……。じゃあこの案はまたどこかの機会で。食べやすいように白米の上に肉か魚を乗せて……、その横に漬物と飾りを並べて、少しだけ干し果も入れたら喜んでくれるかも……」


 ひとしきり悩んだ末、狭井は紙に何かを描き始めた。


「やはり、京の華やかさを野菜の彩で表すことにして、曲線を中心に雅さを……」


 ふと思い出す。そういえば大炊寮に宿直する旨を父に伝えていない。


「……先に文を送ったほうがいっか……」








 帰宅した道晴は紙と墨を用意し、手帖を開けた。


「さてと……彰通様に教えていただいたことを纏めるか」


 料理の心得。食材にはそれぞれ効果があり、万遍なく摂取することが大切。食べる人のことを考えること。肉、魚は身体をつくり、野菜は消化や健康維持、米は活力の源。


「協力してくれそうな妖は……この蜥蜴かな。重を持っていくのは俺だし、複数種族が協力してくれたらいいんだけど……」


 あとは狭井の作る、いや人間の料理が妖にとって美味しいと思うものなのか。

 饗応、というからには相手に満足してもらえるような内容にしなければならない。それに加えて、道晴には皇の期待、という大きすぎるものを背負っているのだ。

 ふと、狭井と彼が作る芸術を思い出す。


「それにしても、美しい技術だったな……。あの凛とした佇まいによく似合う」


 彼が協力者として、これからも力を貸してくれるならどんなに頼もしいことだろうか。


「何はともあれ、重の出来が楽しみだ」


 そう、道晴は笑みを浮かべながら頷いた。






 三日後、約束の日である。やけに大炊寮の方が騒がしい。

 いや、野次馬で騒がしい、と言った方が正確か。厨房の入り口に大炊寮生がわらわらと集っていた。その背後から、道晴は声をかける。


「失礼、何の騒ぎですか?」


「騒ぎ、ではなくてですね。狭井殿が今、重を作られているのですが、その手際が何とも見事なもので……。皆、見て学ぼうと必死なのです」


 狭井が重を作っていると聞いて、道晴は隙間から何とか中の様子を伺う。狭井が完成した料理を箱に詰めていく様子がわかる。時に箸で器用に調整し、包丁で何かを作り、遠くから見て見栄えを確認する。

 ふと、狭井が道晴に気が付いた。手招きをしている。

 合図を受けた道晴は、狭井の方へと歩み寄った。


「こんにちは、狭井殿。その様子だと順調そうで」


「ええ。私の好きなように作らせてもらったので、好みに合うかどうかは分かりませんが」


 これです。と完成した重を示す。道晴は重の中身に視線を落とした。

 俵型に模られた白米の上には胡麻を少々、それが三列。焼き魚の身をほぐしたものや、葉物の浸しなど、五品ほど副菜があり、唐菓子と胡桃も入っている。笹の葉で仕切りを作り、味が混ざらないように配慮があるに加えて、彩として煮物や野菜で花を添えている。白菊のような蕪には、道晴も目を丸くしている。


「味を調節できるように、胡瓜で器を作って、その中に醤と塩を入れています」


 まるで宝石箱のような重に、道晴が言葉を失っている。


「普段、私たちが食べている夕餉を基に作りました。妖達にも、私たちの暮らしが伝わるようにと思って……道晴殿?」


「……いや、まさか三日でこのように素晴らしいものを作ってくれるとは。想像、期待以上で思わず呆気に取られてしまったんだ。狭井殿は凄いなあ……!」


 道晴が漏らした素直な感嘆の声に、狭井は頬を染めて照れた。


「ありがとう!今日の夜、妖達にちゃんと届けさせてもらう!」


「こちらこそ、このような機会をくださってありがとうございます。妖たちの反応、また是非聞かせてください」


「勿論!」


 無邪気な道晴の笑みに、狭井は笑みを浮かべる。重に蓋をすると、狭井は手ぬぐいで丁寧に包む。

 道晴は、重を受け取るとしっかりと抱えた。万が一、落として中身が崩れてしまっては大変だ。


「そうだ。もし貴殿が良ければ、これからも饗応計画に力を貸してもらいたいのだが、どうだろう?」


 道晴の誘いに狭井は虚を突かれたような顔をすると、何かを思案するそぶりを見せた。


「私もご協力したいのはやまやまなのですが……」


 なにか不都合があるのだろうか。道晴はこれ以上は相手を困らせるだけか、と別に強制ではない、と付け足した。


「無理強いはしないし、もし不都合があるのなら大丈夫だ。事情や仕事など、抱えているものは人それぞれだし」


 その言葉を聞いてもなお、狭井はうーんとうめき声をあげる。そして、何か一つの妙案を思いついたようだった。


「……道晴殿は、皇妃、藤の御方の親類ですよね?桜の大臣の息子でもあり……」


「う、うん……。そうだが……?」


「ふむ。家柄良し、後ろ盾良し、人柄良し……」


 何か?と道晴は恐る恐る問う。

 狭井はにや、と口端を吊り上げた。何かを確信したような、勝ち誇ったような、そんな表情を浮かべている。


「いえ。そのお誘い、返事はいつでもよろしいですか?」


「ああ。全然問題ない、けど……」


「では、後日文を送りますので、その時に」


 狭井は華のように微笑んだ。


「今夜の結果、楽しみにしていますね」






 黄昏時。道晴は宮を後にし、牡丹門外へと足を運ぶ。


「それが噂の重箱か」


「私もとっても楽しみです!」


 主が心配で待ち伏せしていた八千彦と八千梅が、興味深そうに重をのぞき込む。道晴は苦笑した。

 余れば自分たちも食べてみたいのが本音だ。だが、まずはその前に。


「お、いたいた。おーい!」


 道晴の声に、大蜥蜴と周りの妖たちが振り向く。ぶんぶんと手を振って合図を送る。


「ミチハルだ」


「今日はどんな面白いことを持って来たのかな」


「何か持ってるよ」


 京の外に出始めて約一週間。このあたりに住処を持っているかつ、友好的な妖達とは大分打ち解けてきたころだった。その様子を見守ってきた八千彦は、超人的な外交力で妖達と友好を深めていく道晴に絶句していたのだった。


「京の料理人に頼んで、この中に御馳走を用意してもらったんだ。皆の口に合うかどうか知りたい。良ければ感想を聞かせてはもらえないだろうか」


 手ぬぐいを解き、重の蓋をぱか、と開ける。妖達と八千彦八千梅は、宝石箱のような鮮やかな料理に目を輝かせた。


「わあ……!すごく綺麗ですね……!」


美味うまそう……」


「これが人間の食べているものなのか……!」


 食べても良いか、という視線を一斉に道晴に向ける。


「人間は箸、というものを使って食べるんだが、食べ辛かったら取り分けるぞ」


「ああ。オレはそうしてくれると助かる」


「オイラ達は手で持つ―!」


「体も小さいしな―」


 道晴が重の蓋を裏返し、そこに大蜥蜴の分を取り分ける。八千梅は小妖怪二匹に花の形をした人参の煮物を手渡した。


「ううっ、なんか食べるのもったいない……」


「見て楽しめる食事というのは面白いな!」


「俺たちはどちらかというと、味の好みを知りたいんだけどなあ」


 道晴が苦笑する。確かに食べるのを少しためらってしまうほど美しい技術だが、それでは本末転倒というものだ。

 いただきます、と大蜥蜴と小妖怪が一口分頬張った。


「……!」


「これは……」


 妖たちの反応に、道晴が思わず息を呑む。さて、人間の食事は口に合うのかどうか。


「「「美味!」」」


 妖たちが異口同音に声を上げる。その様子に道晴たちがほっと胸をなでおろす。


「この隣の調味料無くても全然美味しいぞ!」


「ほんのり香るこの匂い、あれだろ?出汁ってやつだろ?」


「優しい味がする―!」


 普段は顔が険しい大蜥蜴も、今や幸せそうに料理に舌鼓を打っている。


「お前たちも食べた方が良いぞ!」


「うんうん!」


「そ、そんなに……?」


「では、遠慮なく」


 妖達が三人に勧める。八千彦が困惑する一方で、道晴と八千梅は味見する気満々だ。葉物のひたしを三人は少量ずつ口に入れる。


「うん……これはうまいな」


「塩辛すぎなくて丁度いい~!」


「……相手のことを想う食事、か……流石、狭井殿だな!」


 料理において塩加減、というものが重要であると彰通から聞いている。塩は貴重な栄養でもあるが、摂りすぎれば体に害を及ぼすのだとも。しかし、近年の食事は味が濃いほど好まれる傾向にある。おそらく調味料と調理法が固定化されているのが原因かもしれないとも言っていたか。

 従来の料理に比べて、狭井が作った料理はどれも薄味だが、それ故素材の味がしっかりと惹きたてられている。これも大炊頭、中彰通の教えの賜物であるのかもしれない。


「これ、ちゃんと膳で食べてみたいなあ……!」


「うん。もっと品数食べたい!」


「ミチハル、また持ってきてよ!」


 妖たちの言葉に、道晴はふっふっふ、と笑い声を漏らした。


「そこの邸が完成したら、この重を作った料理人に振舞ってもらう予定だ!」


「おおー!」


 瞳を輝かせる妖達。この反応はきっと狭井も喜ぶに違いない。もぐもぐと頬張る小妖怪、意外にも一口一口、よく咀嚼しながら味わう大蜥蜴。ちゃっかり八千彦と八千梅まで他の品も味見している。

 平和を現したような情景に、道晴は眩しそうに目を細めた。

 門と塀を境に隔てられた、異種族の交流が行われている。

 いや、交流とはもっと深く、穏やかで、温かな時間。

 道晴は、この光景を「縁結び」と勝手に呼んでいた。

 ああ、まさにこういう風景を自分は実現したいのだ、と。


「そうだ!ミチハルに頼みたいことが二つあるんだ!」


 妖達の言葉に、道晴は首を傾げた。








 後日。大炊寮を訪れた道晴は狭井の姿を探す。そこに、彰通が通りすがる。


「彰通様!おはようございます」


「おや、道晴殿、おはようございます。今日はいかがなされましたかな?」


「狭井殿は今日はどちらに?お渡ししたいものがあるのですが」


 すると、彰通は困ったように眉根を寄せた。


「狭井殿は……しばらくは出仕されないと聞いています。もしよければ、お預かりしておきましょうか?」


「出仕しない……。ならばぜひ、よろしくお願いします」


 道晴は手に持っていた三輪の花に文を添える。彰通は確かに、とそれらを受け取った。


「そういえば、なんだか忙しそうですね?なにかあるのですか?」


「?道晴殿は御父上から何も聞かれていないのですか?」


 何も、と首を振る。


「来月、東宮のお披露目会を皇が主催されるようでして。その準備と手配で今ばたばたしているのです」


 東宮。確か二年前に皇と皇妃、藤の御方の間に男児が誕生していたか。つまるところ、道晴にとっては従弟である。


「藤家の皆様は全員呼ばれていると思っていたのですが……」


「いや、叔母上は身内に厳しいので、本当に近しい者しか呼ばないということも十分にあり得ると思います……」


 はは、と道晴が渇いた笑いをこぼす。身内が不祥事を起こせばまず、彼女に呼ばれるのだとかなんとか。不祥事とまではいかないが、何かと騒がせている道晴が呼ばれるのも時間の問題だと、自覚している。呼び出された後は、何が行われるのか想像したくもない。

 皇主催の行事に駆り出されているということは、これ以上は邪魔は出来ない。再度道晴は、お礼と狭井への贈り物の旨を伝えると、一礼してその場を去った。


「しかし……狭井殿が出仕できないとは……」


 先日もし無理をしていたら。体調など崩していなければよいのだが。もしくは。


「物忌、か……?」


 饗応に加わるかどうかもまだ返事が聞けていない。文で伝えると言っていたが、もし届かなければまた彰通様に頼もう。

 それよりも。


「妖たちがあれだけ喜んでくれいたから、直接伝えたかったな……」


 少しだけ残念に思う、道晴であった。





 足早に職場へ戻る道晴を、建物の影から見ている人物が一人。


「藤道晴……。芽は早々に摘んでおくか……」


 男はだれにも見つからないように、足早にその場を去った。


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