38. 最後のチャンス

「すまなかった。人としては失格かもしれない。だが、医師としての決断は間違っていないと信じている」


「医師と患者には信頼関係が必要よ。私はもうあなたを信じられない。人としても医師としても」


「そうだろうな」


「もう友人でもない。私のことは放っておいて」


「アリシア、僕は……」


「あなたに何でも話してきた。そのせいで、あなたは知らなくてもいいことまで知ってしまった。それが結果的にあなたに嘘をつかせたのなら、あなたを追い詰めたのは私よ。そして、それがお兄様を死なせてしまった。私がお兄様を殺したのよ。何もかも私のせいだわ」


 お母様は自分を責めている。助けられないなら、共に死ぬことを選んだかもしれない。だから、先生はそのことを隠していた。


「違う。君のせいじゃない。僕の判断だ。すべては僕のせいなんだよ」


「あなたがそんな決断をしたのも私のせいよ。すべての咎を被ろうと思うまでに、重い立場に追い込んでしまった」


「頼むから自分を責めるのはやめてくれ。君が責任を感じるようなことはないんだ。ニコライ殿の件に関しては、本当に僕の勝手な思いなんだよ。君を失いたくなくて、僕は彼を犠牲にした。憎んで恨んでくれていいんだ」


 先生、もうやめて。一人で全ての罪を被らないで。誰も悪くない。愛が深すぎたせいの優しい嘘が、こういう結果になってしまっただけ。


「私は自分の癒しの力を試したかった。でも、その機会すら与えられなかった。だから、諦めきれない。お兄様が一人ぼっちで逝ったんじゃないかと、やり残したことがあったんじゃないかと。もうそれを知ることもできない」


「本当にすまない。こんなことを言う資格はないけれど、まだ僕にできることがあるなら、教えてほしい。なんでもするから」


「私の気持ちは私にしか分からないわ。あなたの気持ちもあなたにしか分からない。だから、何もかも分かった気になって、勝手な判断をしないで。結果だけを突きつけずに、チャンスを与えてあげてほしい。それがあなたにとって大事な相手なら特に」


「それは……」


「私の友人としての最後の願いよ。これが届かないなら、私達が過ごした長い時間は無駄だった。私はそう思うことにするわ。あなたには、私の言っていることの意味が理解できるはずよ」


 先生の大事な相手。それはお母様。お母様は先生の気持ちが変わってないって、気付いてしまった。もう、この指南は続けられないかもしれない。


「王妃の名において、先生が私に負っていた全ての任を解きます。あなたの献身が報われることを祈っています」


 そう宣言すると、お母様は帰宅の合図に呼び鈴を鳴らした。


 誰かが来たら、私がドアの外で立ち聞きしているのを見られてしまう。私は急いで、その場から立ち去った。客間からはまだボソボソと声が聞こえるけれど、私にはもう聞くことはできなかった。


 そうして、自分の部屋に逃げ込むと、色々な気持ちが一気に押し寄せてきた。


 先生は今もお母様を愛していて、お母様もそれを知っている。私が先生を愛してしても、先生には迷惑なだけ。私は先生に何をしてあげられる?


 そのとき、部屋のドアがノックされた。ドアを開けるとお母様が立っていた。


「明日の朝にはお父様が戻る。私は王宮に帰るけど、ティナも一緒に来る?」


「いえ、明日、お父様が王宮に入る前に戻ります」


「じゃあ、今夜が最後の夜になるわね」


「それは閨房指南のこと?」


「ええ。先生にお会いしたけれど、ティナに脈はないようだったわ。今夜、ティナの思いが遂げられないようなら、もう先生のことは諦めなさい」


「お母様……」


「残念だけれど、人の気持ちは簡単に変えられないのかもしれないわ。先生がティナを愛していないのなら、ティナの気持ちが先生を困らせることになるの。理解できるわね」


 お母様は私を抱きしめて、髪を梳くようにして頭を撫でてくれた。お母様から、ほんのりと先生の香水の匂いがする。私が去った後に二人がそれほど接近したことを知って、私の胸がギリギリと痛んだ。


「分かりました。でも、今夜だけ。もう一晩だけチャンスがほしい」


「今夜が本当に最後よ。あなたの気持ちを先生にぶつけなさい。それで先生を動かせないなら、閨房指南は終了。これ以上、先生をお役目で縛るのはやめましょう。私たちは我儘が過ぎたわ」


「はい」


「王宮に戻ったら、お父様とあなたの将来のことを話し合いましょう。もう少し落ち着いたら、アレクセイも会いに来てくれるって。ティナはしばらく向こうで過ごすのもいいかもしれないわ。皇妹はとてもモテるのよ。きっと素敵な人と新しい恋ができるわ!」


 お母様は闇に紛れて王宮に戻っていった。今夜が先生と過ごせる最後の夜。明日からはもう、私は先生のそばにはいられない。一分でも一秒でも時間を無駄にできない。最後の最後まで、先生のそばにいたい。


 気がついたときはもう、私は先生の部屋に向かって、駆け出していたのだった。

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