32. 母と娘の密談
「ねえ、ティナ。この際、誰かと婚約しちゃうのはどう?」
「婚約同盟を結ばなくちゃいけない緊急の事情があるんですか?」
「ああ、ごめんなさい。そうじゃないの。仮の話よ。正式な婚約じゃなくて」
「仮? 仮の婚約って、それ何なんですか?」
お母様はときどき見せる、いたずらっ子のような目をした。あ、これはアレだ。お母様はなんか企んでいる。
「知っているかしら? 婚約した王族には、閨房指南役がつくのよ」
「けいぼうって? 何を指南するお役目なんですか?」
「ティナは知らなかったのね。閨房っていうのはね、夜のお勤めのことなの」
「は? 夜のお勤めって、それはその、そういう行為のことですか?」
「まあ、そうね。子作りと言えばいいのかしら。王族には、後継者を持つことも立派な仕事ですからね」
「うそっ! じゃあ、お兄様たちも?」
「ええ、まあね。ティナは知らないかもしれないけれど、王族の結婚には立ち会い人の元で初夜の儀があるの。そこでうまくできないのは、やっぱりちょっとね」
お母様は少し言葉を濁した。王族にはそんな儀式があるなんて。人権侵害!
「あの、私、王族を降りたいです。平民に降嫁します」
「ティナ、話を聞いて。要は儀式で失敗しなければいいのよ。それまでに準備できれば」
「それが閨房指南? ありえない」
「そうでもないわよ。アルフとエディスはもう修了したでしょう。お互いをお相手にして。準備は完璧よ」
完璧って。お兄様はそうかもしれないけど、エディスはそれで大丈夫なの?
「あの、いいんですか? その、初夜に、お、乙女じゃなくて。未経験の証明が必要なんじゃ?」
「それはある意味で逆。儀式で血が流れるのは不吉なの。相手の体に傷をつけるのも厳禁。だから、女性が未経験だったとしたら、男性がよほど手練じゃないと。ほらね、指南が必要でしょう?」
どういう理屈? 意味分からない。やっぱり私は一生独身で生きていこう。
「お母様、私、いますぐ修道院に行きます」
「ティナはせっかちねえ。仮の婚約って言ったでしょう? 私が話しているのは儀式のことじゃなくて、指南のことよ」
「それだって、同じじゃないですか! お、乙女を捨てるだけの指南とか、死んでもいや」
「気持ちは分かるわ。でもね、結婚相手が上手な方だったら、別に乙女のままでもいいのよ。または儀式前に済ませてしまって、儀式は形だけでもいいわけだし。だから、最後の指南はオプションなの」
最後はオプションって。ますます意味が分からない。その指南の存在意義、全く感じられないんだけど。
「最後の行為がなくていいなら、一体、何を指南されるんですか?」
「うーん、それ以外の全てね。テクニックというよりも、機微というのかしら。政略結婚がうまくいくためには、お互いに愛し合えるのが一番でしょう。そのために、恋愛感情を持てたほうがいい。つまりは恋愛指南ね」
「恋愛指南って?」
お母様はうーんと空を見つめて考えている。王族ではなかったお母様には、そういう指南役はいなかったはずだし、実際にお父様がそんなことを許すはずがない。
「難しいわね。たぶん、相手をドキドキさせて、恋に落とす大作戦みたいなもの? ほら、恋愛経験がないと男心とかも分からないでしょう? 夫の好き好きサインを見逃しちゃうかもしれない」
好き好きサインって。お父様のは見逃しようがないでしょう!
でも、意味が分かったかもしれない。確かに、男性の気持ちなんてさっぱり分からないし、自分の気持ちの伝え方も知らない。
「なんとなく理解できました。それで、どうしてこんな話になったんでしたっけ? なんか、話だけ先走ってるような気がするんですけど」
「ティナったら、こういうところだけは鈍いのねえ。指南役には、恋愛経験値の高い大人の男性を指名するの。男女の心や体の仕組みをよく知っているお医者さんなんて、まさに適役だわ。がっつりハマる人がいるでしょう、身近に!」
え、正気なの? なに、このぶっ飛んだ考え。お母様ってこういう人?
「あの、まさかと思うんですけど、それを先生に?」
「他の誰に頼むの? 先生に好む女性像を、直接指導してもらえるのよ。先生の『どストライク』になって、合法的に堂々と迫るのよ!」
「先生には拒否権がないのに? そんなひどいこと」
そう抗議する私をジっと見据えて、お母様は悪びれることなくこう言った。
「国王陛下が不在の今、この国の最高権力者は王妃である私。クリスティナ王女には、来たるべき婚約に備えて閨房指南役をつけます。王命ですから拒否はなりません」
してやられた。こうなったら逃げられない。そうして、お母様と夜まで時間をかけてガッツリと、先生籠絡計画を練ったのだった。
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