第6話

足音の主に悟られる前に私は岩陰に身を隠した。しばらく物陰からこの現場を覗き見、ここから去る好機を伺うしかない。


それにしても、ここが女人禁制の聖域だという話はどうなっているのだろうか。さっきのは間違いなく女だったではないか。


岩陰で息を整えながら数秒経つと、一人の男が洞窟の穴から出てきて、少女に向かって歩を進めているのが見えた。大柄な男で、歳は四十近くの印象である。両手で繊維質の茶緑色の籠を支えながら、ぜえぜえと苦労して何かを運んでいる。

「やあ、おはよう、アンジェ。これが今週分だ」

男は砂浜に籠をどんと置いて、女に見せた。女は急いで駆け寄って中身を確認する。

彼女が立ち上がったとき、私はそのあまりの背の低さに驚いた。というより、その時初めて、彼女がまだ相当若く、少なくとも未成年であろうことに気付いた。

「ありがとうございます」

少女は微妙な笑顔を貼り付けて男に言った。さっきの会話から推察するに、籠の中身は食料らしかった。

このとき私の中で、よからぬ筋書きが脳裏をよぎった。彼女がさっき私がここへ隠れたことをこの男に告げ口して面倒事になりはしないだろうか。もし仮にそのようなことがあれば、素直に観念して出ていくべきだろうか。男の体型からすると、さほど機敏そうには見えないから、速攻で洞窟に逃げ込んで出口に走って行けば追いつかれることはなさそうだが……。


「それでは行こうか」

男は籠をもう一度両手で掴んで少女に目配せした。

二人は私の隠れている位置からさらに遠ざかって、浜辺の奥へ歩き出した。浜辺の奥行きは10メートルほど視認できるが、それ以降は急なカーブをとって私の死角になっていた。奥にどれほど砂浜が広がっているのか、私には分かりかねたが、とにかくそっちの方へ二人が消えてくれることは私にとって好都合であった。


私は少しの間じっとして、この状況について思考を整理していた。

どうもアンジェと呼ばれた少女には記憶に新しく似たような面影がある。端的に言えば、私はアレが“奴隷民族”ではなかろうかと推察する。私がこれまで船で運んで来たのと同じものだ。過去、船員による何らかの過失で奴隷船からここまで逃走することを許したか、船が事故で漂流してここに偶然たどり着いたか、そんな所だろう。珍妙な訛りではあるが内地の言語を話している点から察するに、ここに土着してから相当長いか、それどころか世代を跨いでここで繁殖している可能性も考えらえる。

そしてどういう訳かそれを見つけた現地民によって彼女は秘密裏に養われている。

これは私の空想に過ぎないが、食糧を得る見返りに少女は身を売っているのではないだろうか。だからここに通う男たちは女人禁制などと後付けのしきたりを作って彼女を隠しているのだ。奴隷を保護しているなんてことが明るみになれば大変なことである。


まあしかし、そのようなことが仮にあったとしても私にはまるで関係のない話だ。私はあくまで運び屋。脱走した商品がどこでどのように生計を立てているかを気にかける義理はない。


自分にそう言い聞かせ、再度砂浜の方を見た。誰もおらず、洞窟から吹き抜ける風が気味の悪い音を立てて、私にここから去れと叫んでいるように感じられた。

「戻ろう……」

気の抜けた声を漏らしながら、私はまた洞窟の出口へ向かって歩き出した。

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