猫おじさんのエンタメ巡礼
奈良原透
『モーツァルト!』〜成長する名ミュージカル
『モーツァルト!』2024版が開幕した。
大好きな作品の一本だ。
幸運にも新ヴォルフガング=京本大我の初日を見ることが出来た。
(公演としては2日目)
【未完のプリズムの輝きを持つ京本ヴォルフガング】
京本大我、渾身の演技のヴォルフガングだった。
幕開けこそ声に少し緊張が見えたけれど、舞台が進むに連れ所作も大きく自然になり、舞台をリードし、次第に歴代とは違う京本ヴォルフガングが生まれていくところを目にした思いだ。
特に一幕ラストの名曲“影から逃れて”は圧巻だった。
まさしく、全力をこめた歌唱、そして、鬼気迫る表情、演技。
後半の羽根ペンを介したアマデとの絡みは、久々にゾッと鳥肌が立ち、魅入ってしまった。
まるで次にどんな輝きを見せるのか分からないプリズムの光を見ているよう。
グランドミュージカルの場合、段取りが決められ、ダブルでも同じ動きをすることが多いが、小池修一郎演出では、これまでも動き、時に衣装も変え、役者の持ち味を引き出す手法をとってきた。
今回の京本ヴォルフガングも、歴代とは違う立ち位置で動き出し、あれ?と思ったら、その後の動きで、そういう描き方にしたのね、、、と思わせる場面も多く、京本ならではのヴォルフガングが姿を現していくのを観た思いだ。
彼はアイドルグループSixTONESの1人であり、これまでも、『エリザベート』、『ニュージーズ』、『シェルブールの雨傘』などの本格作品に出演してきたキャリアの持ち主である。
が、この作品の彼は、そんなキャリアなんか忘れさせるほどの憑依されたような演技(特に二幕)を見せ、1人のミュージカル俳優として、ヴォルフガングとして、舞台上に存在していた。
これまで何回も観てきてストーリーもナンバーも熟知している作品だというのに、彼がどう演じてみせるのか、歌ってみせるのかと、初めて触れる作品のようにドキドキしながらみてしまった。
これもまた初挑戦の真彩希帆が、新たなコンスタンツェ像を提示したのも大きい。
新たな『モーツァルト!』を作り上げてくれた。
私が京本大我を舞台で初めて観たのは(その後の文章で知ったのだが、)、ある旧ジャニーズ有名スターの自叙伝的作品で子供時代を演じた時のようだ。
(子供が出てきたのは覚えているのだが、子役の名前まで覚えておらず、それが彼だったらしい)
その後、『少年たち』などの(旧)ジャニーズミュージカルでも拝見していたのだけれど、その時は上品な雰囲気のイケメンさんくらいのイメージしか持たなかった。
驚いたのは『エリザベート』のルドルフ役。
出番は少ないものの第二幕の核となる役柄だけれど、端正な外見、しっかりとした歌声、そして上品なオーラで、悲劇のプリンスを鮮烈に演じていた。
私自身も驚いたが、一緒に観た演劇好き達が、“え?あの子、ジャニーズなの?”と、パンフレットを見ながら驚き、そして、そのルドルフ像で観劇後の幸福な食事時間が盛り上がった。
そして、グループのCDデビュー後に日生劇場で上演された『ニュージーズ』。
この時の存在感、座長ぶりはお見事。
コロナ禍で中止となった後の上演だったせいもあるのだろう、カンパニー全体の力の入りようも舞台からひしと伝わってきて、私の中で忘れられない一本になっている。
(その時の拙文をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700428812020317/episodes/16816700428843012738
に書かせていただきました)
だから、今回の『モーツァルト!』は、満を持しての登場なのだろう。
見事にやり切ったと思う。
初日でこの出来なのだから、公演を重ねればもっと大きくなっていくと思う。
カーテンコール時の挨拶で、もう1人の主役であり、かつてのルドルフ仲間、古川雄大が本番中にずっと袖で見守ってくれて感謝するということを話されており、『モーツァルト!』ファンとしては嬉しかった。
【見事な存在感を示した古川ヴォルフガング】
そしてその古川雄大ヴォルフガング。
この方は役者として、本当にデカくなったなと思う。
注目したのは『エリザベート』のルドルフ役。
スラットした長身で、同役から羽ばたいた井上芳雄、浦井健治らのように、これから活躍してほしいなと思っていたらば、あれよあれよと頭角を現した。
凄いと思ったのは朝ドラをはじめとする映像にも進出しているのだが、そこではクセのある役を演じ、プリンス然とした舞台とは全く違う性格俳優ぶりを見せたところ。
幅の広い人だと思っていたらば、昨年の『Lupin』ではコミカルからシリアスまで八面六臂の活躍を見せた。
(『Lupin』は1ヶ月公演だったため、2回しか劇場に足を運ぶことが出来ず、どうにか再演してくれないかな、、、と切に思う)
そして今回の『モーツァルト!』のヴォルフガング。
3度目の登板だ。
安定感が半端ない。
完全に作品の中で生き、輝いている。
そして、ヴォルフガングの苦悩だけでなく、周囲の凡人達、そして、彼の才能を見抜いた人達との対比も見事に浮き上がらせていた。
後述するが、今回の2024版は、周りを固める役者さん達が皆、驚くほどの好演を見せており、物語としての『モーツァルト!』という作品の深みを改めて知らされた感じだった。
その点で、2024年版『モーツァルト!』は、古川版は『モーツァルト!』というミュージカル作品の枠組みをしっかりと丁寧に伝えてくれ、京本版はヴォルフガングというエキセントリックだが憎めないキャラクターがどのように動くかを注視してしまうという異なる楽しみ方ができる贅沢なダブルキャスト公演になっていると思う。
考えてもみれば、古川が『モーツァルト!』に初登場した2018年版は、3度目の登板となる山崎育三郎とのダブルで、端正な顔に緊張を浮かべた初々しいヴォルフガングだった。
そして、3度目の今回。
歌唱から演技から、過去の経験が生きた見事なヴォルフガングとなっていた。
今後、京本大我も、古川雄大同様成長していくだろうし、古川雄大も、ぜひさらに大きくなったヴォルフガングを見せてもらいたいものである。
【新境地に達した2024版】
上でも書いたのだが、2024版『モーツァルト!』は、主役の2人だけでなく、他の出演者も肉厚で、見事な存在感を示していた。
初演より持ち役としている市村正親、山口祐一郎はもちろんのこと、途中参加の涼風真世、香寿たつき、遠山裕介、新役の真彩希帆、大塚千弘、未来優希まで、どっしりと舞台に根を張ったような存在感。
特に、新役の3人はそれぞれ実力者というのは知っているけれど、幕開け直ぐだというのに的確な演技でさすがと感心した。
私はこれまで『モーツァルト!』をミュージカルナンバーの魅力が主だと思っていたのだが、今公演で演劇としても見事と再認識した。
まず、家族の葛藤がくっきりと浮き上がる。
天才ヴォルフガングに振り回される家族たち。
息子を愛し、才能を活かそうとするが、手元に置いておきたい親心も見せる市村レオポルト。
彼の独唱には歌詞を越えた人生が滲むようで、何度も聴いた曲なのに気が付けば引き込まれ、その世界に包まれた。
そして、ナンネルの大塚千弘。
控えめにヴォルフガングを見守り、時にその浪費癖•傍若無人さに苦悩する。
ナンネルは出番も多く、美しいメロディの曲も多い。
それをしゃしゃる事なく、澄んだ歌声できっちり聞かせたのは見事。
この二人の演技が天才ヴォルフガングと凡人であり、才能を理解しきれない家族との葛藤を浮かび上がらせ、そして、家族に理解されることを望みながら叶えられないヴォルフガングの悲しみを引き立たせる。
そして、その才能を理解する二人。
コロレド大司教、ヴァルトシュテッテン男爵夫人の二人もお見事だった。
コロレド大司教はヴォルフガングの成功よりも自身の手駒として囲いたがり、ヴァルトシュテッテン男爵夫人はヴォルフガングを成功へ導こうとする一方、父との絆をあっさりと断とうとする。
それぞれの素晴らしいナンバーを聴かせつつ、演技でも見せる。
コロレドの山口祐一郎の爆発するような歌声は何度聴いても聴き惚れてしまう。
特に、このコロレド役は、歌舞伎の見得のような伝統芸を想起させる見事さ。
特に京本回を観たSixTONESファンは、そのよく通る声に強弱を交え、立派な体躯からオーラを放つ姿に圧倒されたと思う。
そして、ヴァルトシュテッテン男爵夫人の涼風真世と香寿たつき。
この二人も対照的なアプローチで見比べると面白い。
涼風真世は、とにかくキラキラ輝く男爵夫人。
孤高の美しさと厳しさを併せ持つ凛とした空気を醸し出す。
香寿たつきは、おおらかで包容力のある男爵夫人。
その歌声も優しい。
そして、今回は、“星から降る金”のリプライズで、レオポルトの心情には目もくれず、また、父に愛されようと願うヴォルフガングの気持ちもおそらく分かっていながら、自立を促す厳しさを、冷徹さを二人とも滲ませていた(と、私には感じられた)。
そして、それ故に、才能のために家族と理解し合えなかったヴォルフガングの苦悩、孤独が浮き立った。
余談だけれど、京本大我がカーテンコールの挨拶で、香寿たつきと自分が、今日が初日とおっしゃっていたが、香寿たつきは宝塚歌劇団雪組による『エリザベート』初演のルドルフであり(大劇場の公演後に組替えとなり、東京では和央ようかが演じた)、そして、京本大我も同役でミュージカルファンから注目を集めたので、ルドルフが二人揃ったと古くからの『エリザベート』ファンの私は、客席で感慨に耽ってしまった。
また、コンスタンツェの真彩希帆は、ど迫力の“ダンスはやめられない”を披露。
一幕での無邪気なコンスタンツェとの落差を見せる。
昨年の『LUPIN〜カリオストロ伯爵夫人の秘密』の清楚で軽く抜けたところもある天真爛漫なクラリスはどこへ行ったの?という感じだった。
演技力も、歌唱力も、持ち合わせていることを証明。
彼女もまた、ヴォルフガングの天才ゆえの天衣無縫の犠牲者で、浮気現場に乗り込んだ場面の切ない表情が刺さる。
彼女自身も好きに遊んでおり、あの親にしてこの子ありという感じなのだが、その母を演じた未来優希の強欲ぶりも見事だった。
私はこの方は、優しい役が似合う印象だったけれど、真逆の役も上手いのですねと感心。
カーニバルの場面の髭男の扮装は、さすが元男役という貫禄だった。
また、シカネーダの遠山裕介も再演を重ね、厚みと存在感を増した。
(余談だが、私は『キンキーブーツ』のボクシングシーンのこの方の歌声が大好きだった)
シカネーダの“エンターテインメント”、“娯楽”へのメッセージ的な歌は、コロナ禍を越えてエンタメというものへの認識を新たにした身に染みる。
今回の公演でこれが良いと思ったのは、実力ある出演者が、それぞれの役柄を丁寧に演じていたこと。
ミュージカルの舞台では、実力者がソロコンサートのようなパフォーマンスを見せ、拍手で一旦物語の流れが止まるようなことが、たまにある。
それは、その演者の実力が見事だからであり、それもまたミュージカルの舞台の醍醐味なのだが、今回の公演では、それぞれが全力の歌唱をみせながら、しっかりと役の感情も歌に乗せているため、その盛り上がりがきちんと次のナンバーに繋がり、舞台の物語が凝縮していったところが客席で、ミュージカルファンとして幸福感を味わった。
アンサンブルの方々も細かいところまで、丁寧に演じている。
この作品は、一幕の冒頭、ラスト、そして、二幕ラストで、主要キャスト、アンサンブルがアマデ(=ヴォルフガング)を囲むのだけれど、天才を中心に天才を理解しようとする家族、才能を認めた者、そして、ただモーツァルトの曲を楽しむ凡人たちのグラデーションがそこには出来ており、ヴォルフガング(=アマデ)は中心にいるようで、周囲とは交わらない(交われない)孤独と苦悩を持つということが視覚で現されていたのだなあ、、、とこの作品の物語性に恐れ入ったのである。
(↑は、あくまでも私個人の感想です)
2024版は、再演で練り上げられたというのを超え、新境地に辿り着いたような『モーツァルト!』であった。
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