第11話 腸括約の菊門ちゃまと新たな結魂

 祐介は台間に挟んである機種の説明書、所謂小冊子を開いて読んでみる。そこには簡単に機種の性能──この『菊門ちゃま』なら大当たり確率200分の1と書かれている、それから簡単なキャラクター紹介が描かれていた。

 目を通すと先ずデカデカと見出しを使って『皆様御存知、菊門ちゃま!』と丸出しの尻をデフォルメしたキャラクターから始まり、助平さん、格言さん、しっとり八兵衛、蜻蛉切お銀、最後に乳母車の弥七が紹介されている。ページを進めると次は各スーパーリーチの特徴が書かれており、中でも大注目とされているのが菊門ちゃま激怒リーチでどうやら菊門ちゃまがヒクヒクと怒りを溜める程チャンス、その怒りが頂点に達した時ヒクヒクからトロリと零れればひくとろプレミアム!? と書かれている。

 

(……なんつー下品なアクションだよ。何がひくとろプレミアムだ馬鹿らしい! こんな下劣な演出が世に出ていいのかね……あ、マオも同じページを見てる……)

 

 祐介の視線に気が付いたマオは「はぁう!?」と慌てふためき、小冊子でさっと顔を隠した。脇から僅かに覗き見える小振りな耳朶が真っ赤に染まっている。

 

「あにょ! いい、今はあまり此方を見にゃいでくだしゃい!」

 

 小冊子越しに声が響く、祐介は「あぁ、うん」等と生返事をしながらマオの反応の初々しさに僅かな嗜虐心を震わされているのが分かる。それはきっといい歳を重ねたおっさんが若い女性にセクハラをする心理に似ている。そんな可愛らしい反応のマオとは逆の方向に顔を向けると──。

 

「だははははっ!! ひ、ひくとろプレミアムって! ば、馬鹿じゃねーのかこの台……っ! ひぃー、流石菊門ちゃまだな、くくく……っ!」

 

 小冊子を片手に爆笑しているメルが居た。そして再度マオの方を見れば──。

 

「ちょちょっとメルさん、そんなに大きな声で……っ!」

 

 顔を赤らめたマオが抗議の声をあげる。

 

「……この差だよ。メルはマオを見習ってもっと淑女の恥じらいってもんを持ったらどうだ?」

「あん? 何だよぉ、アタシにも淑女の恥じらいぐらいあるに決まってんだろ! ばか、おたんこなす!」

「その口調が既に淑女じゃないだろ……」

「ちっ! 祐介、お前そのペッタンコザウルスが隣に来てから口煩くなったぞ!」

「ペペペ、ペッタンコじゃないですぅ! こ、これでもそれなりには膨らんでいますから!」

 

 その声に思わず祐介は胸へと視線を向けるが、マオはさっと胸を手で隠して「……あとザウルスでもないですからね」と小声で続けた。

 

「大体よぉ、淑女の恥じらいって何だよ。菊門か? 菊門を言わないのが恥じらいなのか? そんなもん恥じらったってパチンコでは意味ないじゃん!? それならむしろマオが恥じらいを捨てるべきじゃん!」

「……た、確かにメルさんの言い分にも一理ありますぅ!」

 

 メルの戯言にマオは感銘を受けたのか目を輝かせる。

 

「メルの言葉には一理も無いから落ち着けマオ! そんな言葉を口にしてもパチンコでは意味なんて無い、君はそのままの君で居てくれ!」

「ばかやろー! マオ、己の殻をぶち破れぇ! 菊門も言えなかったらこの菊門ちゃまを話題に出す時に何て言うんだ!? ほら、覚悟を決めたらそこの恥じらいがぁ、とか言ってる祐介にマオの口から聞かせてやれ!」

「はぁいっ! き……き、菊門しゃま……ですぅっ!」

 

 マオは胸の辺りで手を握りしめながら絞り出すようなか細い声でそう言った。顔は言うまでもなく、耳朶の先からチラリと伺い見える胸元までもが真っ赤である。成る程、言うもまた一つの恥じらいなのだな。これでまた祐介はセクハラについての造詣が深まったのを感じた。

 

「よし、もうマオには恥じらいはないな! どうだ祐介ぇ、これで納得したろ?」

「いやー、これはこれで花も恥じらうなんとやらを存分に感じたよ。やっぱメルとは違うなー淑女というか乙女らしさというか……」

「…………ぎゅむぅぅっっっ!」

 

 メルは膨れっ面で祐介の脇腹を力を入れて掴んだ、まるでスポンジを握り潰すかのような力の入れようである。

 

「あっがはあぁぁ……っっ!!」

 

 祐介は脇腹が丸ごと千切られたかのような痛みに声ならぬ叫びを上げながら身体をくの時に曲げる。その理不尽な衝撃に堪らずメルを睨んだ。

 

「何だよメル、痛いじゃないか! これが淑女のすることかよ!?」

「あーら、ごめんあそばせぇ! 少しばかり祐介ちゃんの態度がドクソムカついたものですからぁ! ぐーしっしっしっし……っ!」

「お前なぁ……!」

「おぉん!? おん、おぉぉぉん!? 文句あるならもっとメルちゃんにも優しくしろやおぉんっ!!?」

「……あ、リーチですぅ!」

 

 祐介とメルが睨み合いをしていると、マオがそう声を上げた。マオの台はプイプイと気の抜けた音を鳴らしながら図柄がスクロールしていき程無くしてペロンとリーチ図柄とは程遠い図柄で止まった。残念ながらハズレである、マオは「駄目でしたぁ……」と苦笑いを浮かべたがそれを見てメルはふふん、と鼻を鳴らして首を振る。

 

「おいおいマオ、それじゃあいつまで経っても当たらないぜ? お、アタシの台にもリーチが掛かったな……いいか、見てろよぉ!!」

 

 言葉通りに丁度メルの台にリーチが掛かる。メルは徐にスポンジを手に取ると「このスポンジはなぁ、こう使うんだよぉ!」とゴシゴシゴシゴシと台の盤面をスポンジで擦り始めた!

 

「うおおぉぉぉーーーーっっ!!」

 

 気合いの入ったメルの声が響く。スポンジで擦られた盤面ガラスはあまり掃除されていなかったのだろうか、徐々にピカピカと綺麗になっていく。そしてメルの台にはなんとしっとり八兵衛が横からトコトコと歩いてきた、しっとり八兵衛リーチに発展したのである。

 

「あ、八兵衛さんが出てきましたよ! 凄いすごーい! スポンジの効果凄いですぅ!」

「おりゃおりゃおりゃーーーっっ!!」

 その声に合わせるように八兵衛がしっとりとジャンプして図柄を止めた。

「……どうだぁっ!!」

 台の中で八兵衛が『次は当てるよ』と言って去っていく、ハズレである。

「外れてるじゃないか」

「ふっ、慌てるな祐介。パチンコでリーチが外れたらすげームカつくだろ? その苛立ちもこうやってスポンジをぎゅむぎゅむして落ち着かせる事が出来る。ぎゅむっぎゅむっ、あぁ……落ち着かねぇ、やっぱ外れたらムカつく!」

「落ち着いてないじゃないか!」

「でもぉ八兵衛さんを呼ぶなんてスポンジって凄いんですねぇ、僕もスポンジで直ぐにごしごしする準備をしておかなきゃ!」

 

 マオはメルの真似をしてスポンジを片手に準備する。

 

「うんうん、マオは素直でよろしい! それで祐介、どうだ? もしかすると細かい所は違っているかも知れないが、スポンジの使い方は大体合ってるだろ? メルちゃん大正解って奴だよな!?」

「……はぁ、いいか? このスポンジはな──」

「あっまた僕の台でリーチですぅ! 今度は5ですよぉ!」

 

 祐介の声を遮ってマオが声を上げる。そして先程のメルと同様にスポンジを手に取り「ごしごし、ごしごしですぅ!」と盤面を擦り始める。この事態に祐介はしまった、訂正するのが遅かったと後悔した。何故ならばスポンジで盤面を擦ってもまるで意味は無いからである。

 

「ごしごし、ごしごし……あ! 弥七さんです、弥七さんが出てきましたぁ!  スポンジの効果が出てますぅ! もっとが、頑張らなきゃ!」

「高信頼度の乳母車の弥七だ! マオ、もっと擦れ! メルちゃんのスポンジを信じろぉ!」

 

 いつの間にかメルがマオの台を立ちながら覗き見している。台の中で弥七が図柄に向けて乳母車を構えた、この弥七リーチは菊門ちゃまリーチに次いで信頼度の高いリーチである。これは当たるかもしれない、心無しかゴシゴシと擦るマオのスポンジの速度が上がっていく。

 

「うぅ~、お願いします、当たってくださぁい! ごしごしですぅ!」

 

 しかし流石に疲れてきたのかスポンジを擦る速度は落ちてきたものの、その行為は止めようとしない。祐介は今更「そんな事をしても意味はないよ」と水を差す事は言えないので、二人と同様にリーチの行く末を見守る事にした。

 

「やじぢざぁ~ん、あだっでくださいぃ……っ!」

 

 マオの悲痛な声が響く中、弥七が乳母車をゆっくり引いてから思い切り図柄へと押し出した! バゴンッ! と乳母車が煙を立てながら崩れ落ち、もやもやとした煙の中から現れた図柄は……5! 見事に大当たりである。台の中の弥七も『命中でござる』と満足気に頷いた。

 

「や、やりましたぁーーー! 当たりましたよ!」

「ほらぁ! やっぱりメルちゃんはいつでも正しいんだよなー。あ、おい祐介! お前もリーチ掛かってるぞ! 何をボーッと見てんだ、スポンジを使えスポンジを!」

 

 祐介が自身の台を見てみると確かにリーチは掛かっている、とはいえ効果が無いであろうスポンジを使うのも気が引けるものだ。しかし二人のこの空気を壊すのも憚れるものがあるので、祐介は気乗りしないままスポンジでゆっくりと盤面を擦り始めた。

 

「わ、わぁー、それじゃ俺も擦るぞーごしごしー」

「何だよその気の抜けた声は! ちっ、仕方の無い奴だぜ……マオ、いくぞ! あ、でもハンドルから手は離すなよ」

「あ、はい! 僕は左からですね! えーと、左手でハンドルを持って、と……準備できましたぁ!」

 

 祐介を挟んでメルは右から、マオは左から手を伸ばしてスポンジを盤面に当てる。三人で盤面を擦ろうというのだ。こんな事に意味は無いから止めてくれ! と言える筈もなく、祐介も仕方無くスポンジを擦り続ける。

 しかし二人が祐介の方へと身を乗り出して盤面を擦るので左からは小振りな胸が、右からは立派な女性の膨らみが祐介の視界を彩る。成る程、確かにマオはペッタンコでは無いし、メルの淑女たる部分は充分に眼福である。二人がスポンジをゴシゴシと動かせばフルフルと胸が震える、これがメルちゃんのスポンジの効果ならば俺はこれからもスポンジを擦るだろう。祐介はそう切に思った。

 

「あぁーーっ!? 祐介さんの台にき、ききゅもんしゃま……が出てきましたよ!」

 

 マオは一部をか細くして恥ずかしそうに声を上げた、まだ恥じらいを捨て去ってはいないのだ。祐介の台に現れた菊門ちゃまの後ろには何やら文字が書かれている。

 

『諸行無常の人の世に怒り爆発の菊門ちゃま! 遂に開門っ!?』

 

 画面の中で菊門ちゃまが怒りを顕にしていく。ヒクヒク、ヒクヒクと怒るのは諸行無常の人の世を憂いているのである。そんな人の世に喝を入れるべく、菊門ちゃまは身体全体に渾身の力を漲らせていく。そうしてヒクヒクと身体が震える度に年輪の様な皺が刻まれていくのだ。

 

(俺は……何故ドアップでケツを見せられているのだろう。というか開門すな! 絵面が汚いんだよ! メルとマオの胸を見てるだけなら眼福なのにな……)

 

「うぉぉー! マオ、もっと擦れ! おぉう、段々と祐介の菊門がヒクヒクしてきたぞ!?」

「言い方をもっと考えろメル! 誤解されるだろうが!」

「よいしょ、よいしょ! ふわぁ、祐介さんのが……ひ、ひくひくですぅ!」

「その言い方も止めてくれ! さっきから他の客が俺を見てるんだよ!」

 

 その言葉通りに先程から立ち見の客が足を止めて祐介達を見ていた。あれだけメルが大声で叫んでいたのだから誰かが来ても仕方の無い事ではあるが、頼むから俺の菊門が……等と誤解されるような響きは控えて欲しい。しかしそんな祐介の願いはついぞ叶わなかった。

 

「お? おおぉぉぉーーーーーっ!? なんか祐介の菊門が凄い事になってるぞぉーー!!?」

 

 画面の中の菊門ちゃまがはち切れんばかりの怒りの果てで遂にヒクヒクヒクヒク……トロリ、と露を垂らした。これが小冊子にも書いてあった──。

 

「プ、プ、プ……プレミアだぁぁーーーーっっ! 祐介の菊門がヒクヒクトロリと零れてひくとろプレミアムだ! こうやってマジマジと見てみると祐介の菊門は何か卑猥だな……」

「その言い方を止めろ!! それだと俺の菊門がどうにかなってんだろーが! あくまで菊門ちゃまの話だからな!?」

 

 プレミア演出が出た祐介の台は図柄が揃い、大当たりが開始される。

 

「分かってるってば、そんなに興奮するなよ。大体祐介の菊門と勘違いするような奴がいるかよぉ……お?」

 

 メルは自身達が他の客に注目されているのに気が付いた。特に祐介とメルはかのカップルタイム以来、何かと注目を浴びているのだ。今もざわざわと雑多な声が聞こえてくる。それは「あのヒューマニーの菊門……」「菊門がひくとろ……」「綺麗な乳首……」「卑猥な菊門……」と、そのどれもが聞くに耐えない戯言であったのでメルは立ち上がって大袈裟にしっしっと手を振り「失せろ馬鹿共!」と追い払った。

 

「全く、油断も隙もねぇ奴等だ! 祐介の乳首はメルちゃんの物だっつーの!」

「メルの物でもないよ! もう、また変な噂が立つかもしれないじゃないか、ただでさえカップルタイムから俺達は目立ってるのに……ってそんな場合じゃない!」

 

 祐介は急いでマオの台を確認すると今は15ラウンド目を消化していて、直に16ラウンド目が開始されるところである。時間がない、祐介は手に持ったスポンジをマオの台の下皿に突っ込んだ!

 

「わっ! 急にどうしたんですかぁ!?」

「いいから、そのまま玉を打ち出して大当たりを消化してくれ」

 

 マオは「はい……?」と釈然としないながらも打ち出しを続ける、するとマオの台にデカデカと『エラー中! エラー中!』と表示された。祐介はそれを確認すると「間に合って良かった」と呟いてスポンジを抜いた。

 

「あのぉ……これは何か意味があるんですか? 僕の台にエラー中と表示されただけですけど……」

「それが意味はちゃんとあるんだ。この菊門ちゃまは日本で稼働していた黄門ちゃまを模倣して作られているんだけど、黄門ちゃまは大当たり中にこうして玉を詰まらせてエラーを起こさせると、残った保留の大当たり確率が上がるんだ。マオの台は4つの保留が残っているだろ? 今の払い出しエラーで抽選の書き換えが起こっていて、大体20%ぐらいで大当たりが連チャンするんだよ」

「ええぇぇーーーっ!? で、でもそんな事は小冊子にも書いてませんよ?」

「日本の黄門ちゃまの小冊子にもそんな事は書いてなかったさ、でも現実にその機能は存在した。この台の横にスポンジが置いてあるって事は似た機能が付いている筈だ。マオの台はもうすぐ大当たりが終わるから手を離して見ててごらん、当たるかもしれないよ?」

 

 話を聞いたマオとメルは半信半疑といった様子でマオの台をじっと見守る。マオの台では大当たりを終えて夕陽をバックに菊門ちゃま御一行が帰っていき、通常画面にパッと切り替わった。

 

「本当に当たるのか……?」

 

 二人が見守る中で一個目の保留はハズレだった。続いて二個目の保留もハズレである。

 

「ゆ、祐介さんが言っている事が本当なら……ドキドキですねぇ!」

「バカ、お前……そんなエラー起こすと大当たりするかもなんてあるわけ無いだろ……?」

「そ、そうですよね。いくら祐介さんのお言葉でも……」

 

 三個目の保留が消化されるとピロンと台が一際甲高い音を鳴らした、リーチである。

 

「あっ、リーチが掛かりましたぁ!」

 

 ピロピロピロピロ……ピロン! とあっさり図柄が揃ってしまう、見事に大当たりだ。

 

「おぉおっ!? 祐介、当たったぞ!! マジかよぉ、本当にエラーを起こすと当たるんだ……!」

「いや、あくまで連チャンの可能性があるってだけだぞ? 日本でこの類いの台は保留玉連チャン機って呼ばれていてなー、4つの保留を見守るだけでも結構面白いだろ?」

「一発台とは違うドキドキが味わえますね! リーチが掛かっただけでドキドキですよぉ!」

 

 良かった、どうやらマオは気に入ってくれたようだ。しかし隣のメルは不思議そうに祐介を見て言った。

 

「ちょっと待ってくれ、それじゃメルちゃんのスポンジは意味が無いってことか? 二人ともスポンジで擦って、それで当たったのに!?」

「……すまないけど、少なくとも俺が知っている台で盤面をスポンジで擦ると当たりやすくなるっていうのは聞いた事が無いな。俺とマオが当たったのは偶然だと思うよ」

 

 メルは「なーんだ」とそっぽを向いて呟いた。偶然だったとまでは言うべきでは無かったかもしれない、メルに悪い事を言ったかな。祐介はバツの悪い思いをした。

 

「でも二人が当たったって事は偶然じゃ無いかもしれないじゃん!? アタシはこれからも菊門ちゃまをスポンジで擦るぜ! もしかすると少しでも確率が上がってるかもしれねぇしな!」

 

 メルは笑顔で振り返る。

 

「……そうだな、俺もこれからはもっと一生懸命擦るよ」

「おぉう、良い心掛けじゃーん? ま、祐介も胸ばっか見てないで真面目に擦れってこったな! ぐしし……」

「……ぐ、気付いてたのね……」

 

 スポンジで盤面を擦るなんて無意味な行為かもしれない、だがそうすることで当たりやすくなる気がするなら擦るべきである。好きなようにすればいいのだ、人の数だけ打ち方があっても良い、それがパチンコなのだから。

 

「……なぁ祐介、マオの台はこれでまた大当たりになったんだけど、もしかしてまたエラーを起こすと抽選し直すのか?」

 

 メルは大当たり中のマオの台を見ながら言った。マオは丁度スポンジを下皿に突っ込んでいる所である。

 

「勿論するとも、まぁ何回も言っているように確実に当たる訳じゃ無いけどね」

「おいおい……こんなのずっと続いたらこの店を潰せるじゃん!? 無敵じゃん!! ぐしし……こうなったらメルちゃんも早く当てよーっと!」

「……前から思っていたけど、メルはどれだけこの店を潰したいんだよ」

 

 これだけこの店を潰したがるのだから、もしかすると1000万の借金は全部この店に注ぎ込んだのかもしれない。メルなら有り得る話だろう、祐介は人知れず頷いた。

 それから三人は順調に玉を増やしていく。元のスペックの良さに加えて、保留玉連チャンまで付いてくるのだ。時間が経つ程にゆっくりだが確実に三人の後ろには箱が積み重なれていく。

 

「ぐしし……こりゃ今日も楽勝だなぁ! それにしても見ろよ、アタシ達が打ち始める前はこの島に誰も居なかったのに、今じゃ満席だぜ?」

 

 メルの言う通りに先程まではガラガラだったこの島も今では全席埋まっており、立ち見の客まで出てくる始末である。しかも打っている客の多くがなんとスポンジを片手に打っているのだ。

 

「……メルさんのスポンジ打法、何故か凄く流行っちゃいましたねぇ」

「目敏いというか、機を見るに敏という奴なのかな。俺達の真似をすれば玉が出ると思ったんだろう」

 

 他の客もリーチの時に盤面をスポンジで擦るのは元より、大当たり中にエラーを起こさせる事までするので、この島の客の後ろには多くの箱が詰まれていた。中にはリーチが掛からなくても常に盤面を全力で擦り続けている剛の者まで居る。こうして色々な情報は錯綜しながら広まっていくのである。メルちゃんのスポンジ打法は一種のオカルトとしてこれからも伝わっていくだろう。

 

「あー忙しい忙しい、何で今日はこんなにここが出るんだよ! おい祐介、ちょっとは手伝ってくれよ!」

 

 店員の斉藤が汗を流しながら箱を運んだり、渡したりと大急ぎである。この島が活気付き始めた時は「こいつらスポンジ持って何してんだ?」と鼻で笑っていたが、今ではそんな余裕も無さそうである。

 

「……いやー、そんな忙しい斉藤さんにすみませんけど、俺達三人の箱を流して貰っていいですか?」

「ちっくしょうっ!! ちょっと待ってろ!」

 

 三人は席を立って移動をする。もう少しパチンコを打ってもよかったのだが、メルが「メルちゃんはお腹が空いたのだ」等と宣うので話し合った結果、今日のパチンコはここまでにする事にしたのである。

 出玉を流してレシートを貰い、それを換金用の景品へと変えて貰う。勿論今朝に打った一発台の分のレシートも忘れずに変えて貰った。この日の収支は三人の総投資が35000円で換金額が215000円、一人当たり60000円の勝ちであった。祐介はきっちりとお金を三人で分けて手渡す。

 

「はわわ……僕がこんなに頂いてよろしいんでしょうか!?」

 

 マオがお金を手にしながらもその場で固まる。

 

「勿論いいとも、当然の権利だよ。俺達はノリ打ちと約束したんだから勝っても負けても三等分だ。今日は助かったよ。マオ、ありがとな」

「メルちゃんも頑張ったぞ! スポンジで盤面を擦り過ぎてちょっと腕が痛いけどな!」

「あぁ、メルもお疲れ様。さて、俺とメルにとっちゃ毎度の事だけどセンベロ屋にでも祝勝会をあげに行こうか。折角こうして仲良くなったんだからマオも来ないか? 今日は俺が奢るからさ」

 

 その言葉にマオは首を振り、真剣な眼差しで祐介を見た。

 

「…………あの! 少々僕にお時間を頂いてよろしいでしょうか!?」

「そりゃ構わないけど……どうした?」

 

 するとマオは「先ずは謝らせてくだしゃい! すみませんでした!」と大袈裟に頭を下げた。その突然の謝罪に祐介はメルと顔を見合わせるが、マオに謝られる事は何も思い出せない。メルも同様に首を傾げている。

 

「急にどうしたんだ? 俺がマオの謝罪を受ける様な事は何も思い当たらないんだけど……」

「じ、実は……僕、お二人が先日に結魂の契りを交わした所を物影から見てたんです。あ、で、でもわざとじゃないんです! 僕はあの辺りでよく休んでいましたので、だからあの時に居たのは本当に偶然なんですぅ!」

「そうなの? あんな所を見られてたのは恥ずかしいけど、別に謝る事じゃないと思うけどな……」

「いや、待て祐介……つまりマオはアタシ達の事を知ってて近付いたんだな?」

「うぅ……そうですぅ……っ!」

 

 そう言ってまたマオは頭をペコリと下げる。祐介としては多少の恥ずかしさはあるものの、路地裏とはいえ道端での事だったので見られていても致し方無いと思えた。だがしかし、隣に立っているメルはそうは思わないようであった。

 

「そして更にマオはアタシ達の結魂の契りを全部見ていたと……そうだな?」

「は、はいぃ……全部見ちゃいましたぁ……」

「……………………マオちゃんよぉ、挽き肉かミンチ……どっちになりたい? どっちを選んでもその後で焼くけどな!」

「それ両方絶対に死ぬ奴ですぅ! その後に焼いたら僕がハンバーグになっちゃう! 謝りますから僕をハンバーグにしないでくださぁいっ!」

 

 更にペコペコと謝るマオに対して、メルは拳を構えて今にも襲い掛かりそうな空気を纏っている。その余りの気迫に祐介は身を迫り出して「おい、メル……何もそこまで──」怒らなくとも、とメルを抑えようとしたが、メルの真っ赤な顔色を見た瞬間に口が止まってしまった。

 

「……メル、お前……まさかと思うけど……結魂の契りを見られたのがそんなに恥ずかしいのか?」

「こんな時に何をふざけた事を言っているんだ祐介、お前はちょっと黙ってろ!」

「だって今……メルの顔が凄く真っ赤なんだけど……?」

 祐介の言葉にメルはバッと手で顔をまさぐり「は、え……?」と狼狽える。

「は……はあぁぁーーっ!!? 全然そんなんじゃねーんですけどぉ!? は、恥ずかしいって何がですか!? あぁん? おぉぉーーん!? 全く祐介は本当に意味の分からない事を、本当にもう、もう……や……やんのかこらぁぁーーーっっ!」

 

 メルはそこまで一気に言葉を吐き出すと、祐介の胸倉を掴みそのまま身体ごと持ち上げた。グイッと締められた首を抑えて祐介は悲鳴をあげる。

 

「ぐえぇぇ、ちょ、メル……メルゥ! 死ぬ、死ぬから止めろ!」

「わあぁーーっ! メルさんがそんなに力を入れたら祐介さんが死んじゃいますよぉ!」

「アタ、アタシが恥ずかしいとか……あるわけ無いだろ! メルちゃんだぞ!? 全くもう!」

 

 やっとの思いで地上に降ろされた祐介はゴホッゴホッと咳籠る。マオがその背中を「大丈夫ですかぁ……?」と心配そうに擦っていた。

 

「だ、大体な、アタシはマオのその打算的な行動が気に食わねーんだよ!」

 

 怒りを込めたその物言いにマオが身体を縮めて萎縮する。

 

「祐介の何が気になったが知らねーが、態々待ち伏せしたり……」

「……それはメルもやったろ」

「挙げ句の果てにパチンコを一緒に打って祐介の品定めをでもしたつもりか!」

「それもメルだろ、というか品定めってお前そんな事を考えていたのか……」

「いいか祐介、こういう奴はな! 何も知らない祐介に対して借金を隠して結魂を迫ったりするんだぞ! 本当に碌でも無い奴なんだぞ!」

「借金持ち込んだのもメルだろ! さっきから言ってる事は全部メルがやった事じゃないか!」

「んもー! 祐介はちょっとうるさい、黙れ! 今はメルちゃんが喋ってるでしょ!」

 

 バシバシとメルは祐介の背中を叩く。

 

「痛いだろ、叩くなよ! あのなー、さっきからメルが言ってる事は全部メルの言い分だろ? 俺を付け回して品定めして結魂の契りを交わしたら借金持ちだなんて世界中を探してもメルだけだぞ? マオがそんな事を考えてる筈が無いだろ、なぁマオ?」

 

 更に言うのならばそれに引っ掛かる男も自身だけかも知れぬ、祐介はそう思いながらマオを振り返った。

 

「……マオ?」

 

 しかしマオからの返事は無い。祐介としては『そんな事は考えて無いです!』と直ぐに否定してくれると思っていたのであるが、マオは俯いたまま顔を上げない。それどころか身を縮こまらせて気を落としているようにも見える。暫く沈黙が続いた後、マオは身を絞り出すかの様な声で「しゅみませぇん……」と謝った。

 

「……メルさんの言う通りなんですぅ! 僕もそのつもりで祐介さん達に近付きました……しゅましぇん……」

「そんな、マオ……嘘だろ……?」

「ほら! ほらな!? メルちゃんが言った通りだろ! あーあ、マオは本当にどうしようもない奴だなー、もうこいつハンバーグにして食べちゃおうぜ!」

「ハ、ハンバーグは嫌ですぅ……っ!」

「メル、ちょっとうるさい。えーと、とりあえずどういう事なんだ? マオの口から詳しく説明してくれないか?」

 

 祐介は頭を抱えてマオを問い質した。どこまでが本当なのか、真実を聞かねばならないからである。マオはポツリポツリと語りだす。

 曰く、最初は本当に偶然だった。だがこのご時世に本当に結魂の儀式をする人を初めて見た事、1000万もの借金を本当にパチンコで返せるのか気になり影から様子を伺っていたという訳である。そして遂には祐介と接触するに至った。

 

「僕、寂しかったんですぅ! この国に来てからずっと一人でしたし、知り合いもいないですし……だからお二人の関係を見て、素敵だなって……羨ましいなと思って……」

「だからってお前なぁ! アタシの言う通りって事は借金を隠し持ちながら祐介に結魂を迫るつもりだったんだろ!? 1000万なんて借金……ふざけてるのか! おい、聞いているのかペッタンコザウルス!」

 

 メルはこれ見よがしにマオを責め立てるが、1000万の借金を隠していたのはメルである。祐介はメルを宥めてマオに向き合った。

 

「それで、マオは本当に借金があるのか? いくらあるんだ?」

 

 しょんぼりとした姿のマオがこっそりと右手を上げる。立っている指の本数は……2。

 

「200万円ですぅ、もう僕もどうしたらいいか……」

「あっぶねぇ! 2本の指を見た瞬間2000万かと思った! いや200万でも結構多いんだけどね!」

「なんだよー、たったの200万かよ! 2億円ですぅ! とか言ってくれりゃそれに比べればメルちゃんの1000万なんて可愛いものだね、キャルーンッってなるのによぉ!」

「そうだな、メルの1000万に比べたらマオの200万は可愛いものだよな、キャルーンッ!」

「ぶっ殺すぞおらぁーっ!」

 

 メルは祐介の背中をまたバシバシと叩いた。

 

「ごめんごめんって、しかし200万かぁ……」

 

 もし仮にマオとも結魂したのならば、三人合わせて1200万円の借金になる。しかし一人当たりとして計算すると400万円、マオの負担は増えるが祐介とメルの負担は減るのである。打算的ではあるがこれも一つの手かと祐介はそう思案した。だがそこで一つの疑問が祐介に沸き上がった。

 

「だけど借金の為に結魂って……皆にとって結魂とはそんなに軽いものなのか?」

 

 先日の説明ではおいそれと指輪を外すこともできないのにメルもマオも気軽に結魂を持ち出しすぎではないのか、祐介はそう苦言染みた言い方をした。しかしマオは手をぶんぶんと振って否定した。

 

「逆、逆なんですよぉ! 借金は、あの……ともかくですよ!? 先ずは結魂ありきで考えてください! 今の御時世に結魂までしている人達なんて全然居ないんです! それを祐介さん達はあんなにあっさりと、しかもエルフとヒューマニーがですよ!? 普通なら有り得ないですし、今まで聞いたこともありませんでした!」

「……そうなの?」

「まぁそうだな、エルフとヒューマニー……というか異種族間での結魂はかなり珍しいと思うぜ。しかもエルフのメルちゃんはハイパーキュートなおまけ付きだもんな!」

「……おまけで付いてきたのは借金の間違いだろ」

「そっちはパチンコで頑張ります!」

 

 ふんふんと鼻息を鳴らしながらメルは空中で右手を捻りパチンコを打つ練習をする。やる気は十二分に感じる。しかし今の問題はメルではなくマオである。祐介は「話が逸れてごめん」とマオに言葉の続きを促した。

 

「ですから僕も本当の仲間が、家族が欲しいと思ったんですぅ! 魂の結び付きを感じられる本当の伴侶……こうして今日一緒に祐介さんと過ごしてみて確信しました、祐介さんと僕は最高の伴侶になれると思うんです!」

 

 マオはキラキラと目を輝かせるが、祐介はその言葉に懐疑的である。

 

「いやいや、たった数時間一緒にパチンコを打っただけだよ? 俺はマオが考えている程の男じゃない、買い被りすぎだと思う」

「いいえ、最高の伴侶に僕達はなれます……なってみせます! 祐介さん、今からそれを証明するので僕の手を握ってみてください!」

 

 さっと出されたマオの右手を祐介はじっと見る。これは素直に握ってもいいのだろうか、何かの罠なのでは? 祐介は思案の中でメルの方を見ると、メルもまた腕を組んで考えているようであった。メルはやがて「んー、まぁ……」と続ける。

 

「……握ってみればいいじゃん? 何かあったらメルちゃんが助けてやるしー!」

「そうだな、まぁ握ってどうとなる事も無いと思うけど……」

 

 祐介はマオの右手に自身の右手を重ねた。

 

「祐介さん、今のこの時代に自分の魂を差し出せる程の覚悟が出来る人はとても少ないです。その人達同士が出会い、惹かれ合うのはもっと少ないと思います。でも……」

 

 祐介の右手がマオの両手に包まれる、それはマオなりの抱擁の一つのように感じた。優しくて儚い、マオらしいとも言える手だけのどこか遠慮染みた抱擁。祐介とマオ、向き合った二人の視線が惹かれ合っていく。

 

「でも、僕は祐介さんに出会いました。きっと、今は祐介さんも感じてくれていると思います」

 

 向き合うと栗色の癖毛の奥でマオの瞳が爛々と金色に輝いて見えた。それは祐介が知るどの宝石よりも輝きを増していて綺麗に思える。

 

「結魂の契りはお互いに惹かれあって、そして更にお互いが認め合わなければ決して指輪が現れる事は無いんです。ですから僕と祐介さんがお互いに惹かれあった最高のパートナーということを……今から結魂の契りを交わして証明して見せます!」

「そういう証明の仕方なの!? それで仮に指輪が出ちゃったとして、借金の事は本当にいいのか?」

 

 計算上は三人の合計が1200万円になるのだから、三人で割るとマオ個人としては200万円も増えて400万円になってしまう。しかし祐介としては人手も増えるし個人としての借金も減る、更にマオみたいな可愛い女の子に言い寄られて迷惑だとは口が裂けても言わない、正に至れり尽くせりではある。

 

「借金の事は祐介さんに本当に申し訳無く思ってますぅ、でも僕が祐介さんに結魂を申し込むのは決して借金の為ではありません!」

 

 マオは祐介の薬指に自身の同じ指を絡ませる。そしてそれをくいっと引っ張ると、祐介はいとも簡単に引き寄せられた。その力からマオもまた何かしらの異種族だと感じられた。メルの時とは違い、祐介の胸元にマオがすっぽりと収まる。それはマオの小柄な身体を表す軽い衝撃。その後から女の子特有の鼻腔を擽る甘い匂いがふわっと漂ってくる。そしてマオの金色の瞳が真っ直ぐに祐介を見上げた。

 

「……祐介さんには僕の魂を全て捧げます、ですから……僕にあなたの魂の欠片だけでも……ください……」

「こんな俺でいいのか……?」

「はい、あなたが……いいんです……」

 

 マオはぎゅっと背伸びをし、逆に祐介は少し身を屈めて溶け合うようなキスを交わす。お互いの唾液が行き交う程の濃密なキス、時折漏れ出るマオの熱っぽい吐息までもが愛おしく思えた。そして次第に絡めた指先に引っ張られるようにお互いの身体が密着する。身体同士がぶつかり合いそれ以上は近寄ることは出来ないが、二人の意志が皮を引き剥がし肉を貫き骨の髄まで届かせる程に求めあった時、身体の奥底の何かにガリッと爪を立てられた感覚が過った。

 祐介はその感覚を畏れて反射的に身を引いた、次いで二人の唇が離れる。だがマオは金色の瞳を尚爛々と輝かせて祐介に優しく語りかけるように囁いた。

 

「……僕を、受け入れ……て……?」

 

 マオは祐介の身体を逃がさない様にぎゅっと抱き寄せると、濃密なキスを交わした。すると結ばれた薬指同士が熱く脈動していくのを感じる。

 

「あなたの身体も心も、夢も現も……いつもいつまでも……」

 

 マオに抱き締められた身体の奥底からガリッ、ガリッと音が響く。何かが何かに爪を立てているのだ。己を刻み込むように、執拗に、執念深く、一心不乱に……きっとそれは、魂が魂に。

 それを理解した瞬間、祐介はその行為を受け入れたのだと思う。マオの思いと言うべきか、情念に近い物なのか。とにかく祐介は全てを受け入れたのだ、何故ならその証が指輪となって己の薬指に現れたのだから。

 

「……で、出ましたぁ! 指輪ですぅ! メルさん、見てください、ほら! ほらぁ!」

 

 マオは飛びながら喜びメルに指輪を見せびらかすが、その一方で祐介は自身の指に新たに現れた指輪を見て一抹の不安を抱えていた。右手の薬指に現れた結魂の契りの証、漆黒の指輪である。よもすれば指輪の位置で指が切断されているかのように見えるその漆黒の指輪は街灯の光に思い切り照らしてやっと鈍く光る様な代物で、まるで光を吸収しているようであった。

 

「随分黒い指輪だな……」

 

 メルとの指輪と見比べてもその異質な輝きに目を奪われる。指輪の色が当事者間で変わるのだとしたら、マオとの指輪は何故ここまで黒いのだろうか。

 

「はい! はいはーい! ここでメルちゃんから一言ありまーす!」

 

 手をピシッと上げてメルがピョンピョンと跳び跳ねて言った。何を言うのだろうか、祐介はメルを見てじっと待った。

 

「ちょっとさぁ、祐介……お前って少しチョロすぎねぇ?」

「チョロっ!? チョロくねーわ! いきなり何を言い出すんだ!」

「だってさぁ、何かあれだけ色々文句言っててさぁ、いざ結魂の契りってなったらあっさり指輪が出ちゃうって……チョロチョロじゃん?」

「……そんな事を言ったってさ! こんな可愛い女の子に言い寄られたら指輪ぐらい出ちゃうわ! こんなのしょうがねーだろ!」

 

 何ならついでに別の物も出そうである、それが何かは二人の女性を前にして口に出すことは出来ないが。

 

「僕の事を可愛いだなんて……すっごく嬉しいですぅ! さぁさぁご飯でも食べに行きましょうよ! 今日から僕達は家族なんですからずっと一緒ですよ!」

 

 マオは祐介の隣に駆けてくるとスッと腕を組んで体重を預けてきた。指輪が出たのが余程嬉しいのか「ふふーん」と上機嫌である。二人はそのまま歩きだした。

 

「……お前ら、ちょっと待て!」

 

 メルは二人を手で制すると近くの自販機まで走り、手早く飲み物を二つ買ってきた。そして二人の元まで戻り缶を祐介とマオにそれぞれ渡した。マオは反射的に「ありがとうございますぅ」と頭を下げて受け取ったが、祐介は缶を受け取ったものの、どうにも訳が分からない。

 

「……飲み物はありがたいけど、いきなりどうしたんだ? 今から食事に行くんだから、そこで飲み物を貰えばいいんじゃないのか?」

「うるせー! ちょっとでもいいから早く飲め!」

「えぇ……? なんだよ、もう……」

 

 祐介は文句を言いながらも渡された缶を開けて飲んでみる。口に入れると爽やかな苦味と僅かな香りが鼻を抜けていく。缶の中身は何の変哲もない只のお茶であったが、隣のマオもそれは同様のようだ。

 

「冷たくて美味しいですぅ、ご馳走さまでした!」

「……俺も飲んだけど?」

 

 メルは祐介がお茶を飲んだのを確認すると「いいかマオ、よく聞いとけよ……?」とマオに語りかけた。

 

「マオが祐介と結魂の契りを交わした以上、アタシとマオも家族だ! 同格の姉妹といえるだろう! だけどな……祐介のファーストレディはアタシだ! 従って最初のキスも最後のキスもアタシのモノなんだぁーーっっ!! おらぁーーっ!」

「んんんんんーーーーっっ!!?」

 

 叫ぶと共に凄まじい早さでメルは祐介の唇を奪った。祐介の抵抗する間も無く、ただ無闇な叫びが路地裏に木霊する。やがてちゅぽんと音がしそうな離れ方をするとメルは「どうだ、分かったかぁ!」とマオに向き直った。

 

「そんなマーキングみたいな事をしなくてもぉ……でも、お姉さまの言うことですから! 僕は素直に聞きますよぉ!」

「んむ。ぐしし……素直な妹は好きだぞ?」

 

 悪戯っ子のように笑うメルであったが、ふと表情に影を落として身体を背けた。それが突然の事だったので祐介が心配そうに近付いた時、メルがボソッと「妹か……」と呟いたのが聞こえた。

 

「どうしたメル、大丈夫か?」

「ん、あぁ……何か昔の事を思い出しちまってな……」

 

 しんみりとした様子のメルに祐介は何と言葉を掛けようか迷っていると「あぁっ!」とマオが指を天に差して叫んだ。

 

「ぎょ、魚群ですぅ! メルさん、ほらあそこですぅ! ほらぁ!」

「なにぃ、何処だ!? そりゃ何作目の魚群だ!? あん、おい何処だよぉ!」

 

 マオは尚も「ほらぁ、あの遠くのビルの……」と言って誘導するので祐介もその辺りを目を凝らして見てみる。その瞬間、グイッと誰かに身体を引っ張られて祐介は体勢を崩した。まずい、背中から落ちる! 祐介は慌てて身を守ろうとしたが、その身体をマオは優しく抱き留める。そしてそのまま間髪を入れずにマオは祐介の唇に目掛けて己の唇を押し当てた。

 

「んぐ……!?」

 

 祐介は思わず目を見開く、そこに映ったのはニタリと微笑むマオの顔である。それはもし先程のメルのキスがマーキングであるならば、これはその上書きだと言わんばかりの表情であった。

 

「んもー、何処にあんだよー、魚群見えねーじゃん!?」

 

 振り返ったメルの目に映ったのはマオに抱き抱えられて間抜けな顔をしている祐介であった。既に二人の唇は離れている。

 

「そんな体勢で二人は何をやってんだよぉ?」

「祐介さんが仰け反って転びそうになったので僕が支えているんですぅ! 空を見上げすぎたんですかねぇ……? あ、それと魚群はもういっちゃいました!」

「はぁ……? ほら、大丈夫かよ」

 

 メルに差し出された手を掴み、祐介は「すまん」と礼を言って立ち上がる。そこで振り返ればニコニコと嬉しそうな顔のマオが居る。祐介は少しも言い淀まずに言ってのけたマオに空恐ろしいものを感じていた。いや、それはもしかすると妄想だったのかも……祐介は自身の指で何度か唇を触れて確かめる。

 

「自分で唇を触って何やってんだよ……あ!? もしかしてメルちゃんとの濃厚熱烈キッスを思い出して悦に入ってるんでしょ!? んもー、祐介は本当にえろす人なんだからー!」

「えぇ!? いや、そうじゃなくて」

「それならきっと僕とのキスですよぉ! 僕の唇にも祐介さんの唇の柔らかさが今も、確りと残ってますからぁ……ね?」

 

 茶化す様な物言いのメルに、自身の唇に指を当てて何処か挑戦的な微笑みのマオ。二人に挟まれて祐介はしどろもどろである。

 

「メルちゃんだろ? 最後にキスしたのがメルちゃんだもん、そうだよな?」

「いえいえ……祐介さんなら僕とのキスだって理解してますよねぇ?」

「あん? おぉん!? 随分と自己主張の強い妹じゃねぇか!?」

「そんなぁ、僕は事実を言っただけですよぉ?」

「わぁー! もう喧嘩は止めろ! ほら、これから俺達は仲間なんだから、仲良くしようぜ?」

 

 目を吊り上げて睨むメルに対してマオはあくまでニコニコとしながらも顔を背けない。祐介は二人の不穏な雰囲気に慌てて身体で間に割って入ると右手に嵌まった二つの指輪を見せ付ける。

 

「俺達は仲間だ! 家族なんだろ!? 三人で1200万の借金を早く返せる様に頑張ろうぜ! いくぞぉ、おーっ!」

 

 祐介が上げた雄叫びが虚空に響き渡るだけで、メルもマオもキョトンとして言葉を発しない。少し突然過ぎたのかもしれない、祐介は上げた手を一度降ろして再度構える。

 

「1200万円稼ごうぜ! いくぞ……? おーっ! おぉう……?」

 

 それでも二人は首を傾げるだけで手を上げてくれない。祐介は面食らって戸惑ってしまう。何がいけないのだろう、終いには祐介も首を傾げる。

 

「祐介、お前何か勘違いしていないか?」

「……何を?」

「とりあえずほら、指輪を出してみろよ。悪いけどマオも出してくれ」

 

 三人は円になって手を差し出し、指輪を見せあった。メルには新緑の指輪が、マオには漆黒の指輪、そして祐介にはその両方の指輪が嵌められている。間違いなく結魂の証がそこにはあった。

 

「いいか祐介、アタシの借金は確かに1000万円だ。そしてマオの借金は200万円、これは分かってるだろ? いいな?」

「俺としてはちっとも良くないけどな……だから三人で合わせて1200万円になるんだろ?」

 

 しかも自身には身に覚えの無い1200万円なのだ、とんでもない事件である。しかしメルは首を振った。

 

「それが合わさらないんだ、少なくともアタシとマオにはな。アタシと祐介は結魂の契りを交わしたけど、マオとは交わしていない。ほら、見てみれば分かるけどアタシとマオを結ぶ指輪が無いだろ?」

「……え?」

「だからアタシの借金総額は1000万、マオは200万、そして祐介だけは合わせた1200万って事になるんだ……これでいいか?」

「い……いいわけねーだろっ!!? それじゃあれか? マオとの結魂は俺の借金が増えただけだってのか!? 三人で400万ずつにはならないのか!?」

 

 メルもマオもふるふると首を振った。

 

「だ、だからマオとの会話が少し噛み合わなかったんだ……やたらと俺に申し訳なさそうにしてたのは……俺の借金が増えるだけだからなのか……っ!」

「あの! 祐介さんを騙すつもりは無かったんですぅ! まさか結魂に付いて理解していないとは思わなくて……しゅみましぇん……」

 

 がくりと膝を付いて項垂れる祐介をマオは慌てて抱き支える。

 

「いや、俺が馬鹿だっただけだ……でも……」

「でも?」

「もう誰とも結魂しないからなぁーーーっ!!」

 

 祐介の誰に向けたでもない慟哭が闇夜に飲まれていく。新たに増えた200万円を一日でも早く返済するため、今日からは決して飲まない。祐介はそう心に固く誓ったのであった。

 

「はいはい、えーと今日は祐介の奢りだっけ? それじゃたんまり飲ませて貰おうかにゃー! おいマオ、そっち持ってくれ」

「え、な……っ!?」

「はーい! 今日は僕と祐介さんとの結魂記念日ですから……祐介さんの格好良い所、沢山見せてくださいね……よいしょー!」

 

 祐介の両脇にメルとマオはそれぞれ担ぐ様に身体を差し込み、いとも簡単に立ち上がらせる。

 

「や、やだぁ嫌だ嫌だぁ! 借金返済まで俺はもう飲まないしお前らも酒とか禁止だ禁止! おい、おーい! ちょっと君達ちゃんと俺の言葉を聞いてる?」

「ぐしし……祐介よぉ、最初からそんなに禁欲しようとしてもムリムリ。身の丈にあった生活をしないといけないぜ? ま、そこらへんもセンベロ屋でじーーっくり語ろうじゃないの。そうだよな、マオ?」

「はい、メルさんの言う通りですよぉ! さ、行きましょ……旦那様ぁ! きゃっ、言っちゃったぁ! うふふ……」

 

 祐介の抵抗も虚しく、その身体はずるずると引き摺られていく。明日こそは禁酒禁欲……出来るといいなぁ。見上げた夜空には今日も星が輝いている、それは明日も明後日も変わらないのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る