やる気以前の問題。

星野奏

やる気以前の問題。

やる気がないのではなく、そもそもやる気がないことを理由に何もしていないのがすべての問題である。

私は、過去のトラブルや傷心を理由に何もできないことを演じていたがよくよく考えていただこう。

環境もすっかり変わり、周りとの関係も良好。それでいてどうして傷心や過去のトラウマを引きずることができたのか。

今はただ過去の自分に問いかけたい。

これを読んでいる方がいるならば、ここからはあなたも自問しながら先を読んでもらいたい。


やる気が出ない、やる気はあった

などといった言い訳を今までしたことがあるだろうか?

勿論私は幾度となくある。

小説を書くのが遅いのはやる気が出なかった、やる気があったけどアイデアが出なかったなど使う場面は様々だが私は困ったときに取り敢えずこの言い訳を使っている。

この言い訳をしたことがないと胸を張って正直に言えるのならばそれはあなたが正直者で、自分に落ち度があることを認めて反省ができる崇高な人間なのであろう。

だが、ここで私は疑問がある。

何事も、自分の落ち度を見つけ次に活かすというのが反省というものなのではないだろうか。

上記の私の言い訳は、一見次に活かすという事は出来ていないが自分の悪かったところ、落ち度を認めてその原因さえ分かっている。

なのに何故か同じ言い訳を繰り返してしまう。

そこで私は考えた。

言い訳の中で出てくるやる気というのは、紙以上に薄っぺらくそれでいてとても重いものなのではないか、と。

やる気は薄っぺらくが、やる気がなかったと一言言ってしまえば更に怒られることが目に見えている。だから私や貴方は言い訳にやる気という文言を使わざるを得ないのではないか。

やる気とはそもそも何なのか私の最近の疑問である。

多分これは私の中で一生解明されることのない疑問でありつづけると私は思っている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やる気以前の問題。 星野奏 @star_kanade

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る