第16話 独走

 ……魔獣の件も説明しておくべきだった。


 グレンは森の中を疾走しながら、心の中でボヤく。

 グレンが魔獣撃退の件にあまり乗り気ではなかったのが、その話があまりにも都合がよすぎるからだ。


 行商人が襲われ、大怪我を負った。ここまではいい。実際に、グレンはその怪我の具合を見ているし、それが事実であることは間違いない。

 問題はその後だ。

 凶暴な魔獣に襲われて、大怪我を追いながらも命からがら逃げきった。

 ここが問題だ。

 まず一つ、どうやって大怪我を負った状態で魔獣から逃げ延びることが出来たのか、という点だ。

 基本的に魔獣とは普通の野生動物とは一線を画す、危険性と凶暴性を持っている。そして何よりも非常に好戦的だ。

 それこそ戦いを生業にしている、冒険者や騎士であっても苦戦し、時に命を落とすこともある相手だ。

 ただの行商人が、例え無傷であったとしても、魔獣から逃げ切るのは難しい。それが、ケガをしていたならなおさらだ。


 そのため、グレンは今回の魔獣の一件は、単に危険な魔獣に罪の無い行商人が襲われた、という話だけでは無いと思っていたのだ。

 今までの経験上、依頼人が嘘をついている場合、その依頼を達成するにせよ、嘘に気が付き依頼を放棄するにせよ、いい結果が付いてこないことは間違いなかった。

 ただ、これはあくまでグレンの経験や推測から導き出しただけであり、確証はなかったため、アリスには伝えずにいたのだ。

 ただ、その判断が、今回は悪い方に転んだ。


「追いつくか……」


 集落の長から得た情報では、魔獣は集落から東に三十分ほど歩いた位置にある山道付近だったとのことだ。

 正確な位置は、行商人が隠しておいた手引き台車を目印にしてくれとのことだった。台車は山道から少し森に入った位置に隠してあるらしく、山道沿いにスカーフが巻かれた木があったら、あとはそれを目印にすれば簡単に辿り着くとのことだった。


 なんともツッコミどころが多い話ではあるが、それを置いておいて、アリスにはそういった情報は一切伝えていない。

 通常であれば、何の情報もない状態で撃退なんてできない訳ではあるのだが、都合の悪いことに彼女は聖女だ。

 彼女の魔法の実力が常人レベルでは無いことは、この前の戦いで身に染みてわかっている。

「千里眼」なんていうトンデモ魔法が存在していることを知っているグレンからすると、楽観視などできなかった。


 そんな不安を胸中に抱えながら走ること十数分。

 なけなしの魔力を使って強化魔法を使った甲斐あって、例の目印とやらをグレンは見つけることができた。


「スカーフ……。あれか……」


 視力も強化されている今だからこそ気付けたものの、そうでなければ闇に溶け込んだスカーフなど到底見つけられなかっただろう。


 グレンは僅かに上がった息を整えると、慎重に森の中へと足を踏み入れる。

 今の所、戦闘の音も、魔獣らしき声も、鳥の囀りも、虫の声もしない。ただただ、心地よい風が木々を通り抜ける葉擦れの音だけが流れている。

 ひどく静かな夜だ。


「まて……。静かな夜?」


 グレンは静かに進めていたその足を止めた。

 流石に静かすぎる。

 春の終わり、夏の始まり。そんな時期でこんな静かな夜はありえない。

 いや、正確には、が無い限りあり得ない。

 それこそ、眠れる獅子を起こさまいと動物達が、虫達が本能的に鎮まらない限り。


「ッッ……!!」


 グレンはその目に突如映ったその動物の姿を見て、咄嗟に息を凝らして、体を屈める。

 それは体長五メートルは超えるだろう四足歩行の地竜だ。

 黒に近い深緑の鱗が身体中を覆い、頭から鋭い棘のついた尾まで繋がる、稲妻の様な白銀の線がその背中にいくつも走っていた。

 そして、その強靭な四肢にはまるで刃の様な逆だった鱗がついており、その刃で切り裂かれればタダでは済まないだろう。

 鋭い牙が備わった大きな口と透き通った蒼い瞳からは凶暴性と知性という相反する二つの印象を与える。

 刃竜マカナウィトルと呼ばれるその生物は、冒険教会や多くの国で禁猟とされているだった。

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