第9話 目覚め

「……生きてる」


 深い眠りから目を覚ましたアリスは、天井を見つめたままどこか他人事のように呟いた。

 その言葉に込められた感情は一言では言い切れない複雑なものだ。


 アリスは上体を起こすとゆっくりと部屋を見回す。

 こじんまりした部屋には木製の小さな丸テーブル一脚の椅子が備え付けてある。

 特にこれといった特徴は無い部屋だが、清潔感はあり、旅人や冒険者が使う宿としては質が良い方と言えるはずだ。

 もっとも、そう考えているアリスは生まれてこの方、安宿になど泊まったがない訳ではあるが。


 木製の窓からは光が溢れており、賑わう街の喧騒も聞こえて来ていた。

 あの場所から意識を失ったアリスを連れて街までとなるとそれなりに時間がかかるはずだ。

 一体どれだけ寝ていたのか、アリスにはさっぱり見当がつかないが、それを知る冒険者の姿は見えない。


「冒険者らしくない人ですね……」


 いくらアリスが聖女とは言え、あんなことがあった後だ。動けない様にされていてもおかしくないし、少なくとも監視くらいはされているのが普通だろう。

 一時期まで聖女という立場であるため、危機管理から程遠い場所にいたアリスでさえ、同じような状況になれば何かしらの対策はしていたはずだ。


 好感を持つ、というよりはどこか釈然としない気分だ。

 彼から見ればアリスは聖女でありながら、創神教から命を狙われる得体のしれない存在であるだろうが、同時に、ここにきてアリスはグレンという冒険者の謎がより深まった気がした。


「あ……」


 アリスは何気なく触れた首元にいつもの鉄の感触がないことに気がついた。


「……ネックレスまで」


 あの禍々しいネックレスは強大な力を持つ聖女を監視し制御するための特別な魔法具だ。

 ネックレスをつけている間は創神教からアリスの居場所は筒抜けになるし、聖女を管理するために様々な機能が備えられている。

 また聖女用だけあって、市販の武器程度では到底壊せないような仕様になっている。

 そんな機能もあることから、気を失う間際、ネックレスを壊せということを一応告げてはいたが、まさか本当に壊せるとまでは思っていなかった。

 もし、グレンがネックレスを外せていなかったら、今頃アリスの命はなかっただろうことは間違いない。


「起きたのか……」


「!?」


 思考の海に潜っていたアリスは突然掛けられた声に一瞬でベットから飛び出た臨戦態勢をとる。


「あ、すまない。驚かせるつもりはなかったんだが……」


 アリスの視線の先、先ほどの声の主であったグレンは、武器を持っていないことをアピールするように両掌をアリスに掲げながら、困ったような表情を浮かべている。


「コホン……。いえ、こちらこそみっともないところをお見せしました」


 そんなグレンの姿をみてアリスは咳払いを一つすると、心を落ち着かせる。

 ここしばらくは周りに殆ど敵しかいなかった為、反射的に臨戦態勢をとってしまうようになっていた。


「それにしても、随分と気配を消すのが上手なんですね」


 そう言ってアリスはベッドにゆっくりと腰掛けた。

 いくら考え込んでいたとは言え、アリスに気が付かれないように部屋に入るのは至難の業だ。


「昔ちょっとな。それに、あんなことがあった後だからな。何が入り込んでいてもおかしくない」


「まぁ、そうですが……」


 あの夜の光景を見て創神教が普通でないことくらい誰でも分かるし、その規模が巨大なことを考えればグレンの言うことはもっともだが、それだとアリスのことはまるで警戒していないと言っていることになる。

 そのことがアリスには釈然としない。


「創神教はもちろんですが、私があなたを害するとは思わなかったのですか?」


「考えなかった訳ではないが、ここでそんなことをするメリットがないだろう?それに、わざわざあの場で魔力を使って誓約まで行う人はそんなことはしないだろう」


「まぁ、それはそうなのですが……」


 グレンは少し悩んだのちにそんなことを言った。

 確かに、グレンの言う通りではあるが、グレンの言動と行動は、基本的に一人狼で、今日の味方が明日の敵になっていることもざらにある冒険者らしさ、というものが微塵もない。

 そんな違和感――もやもやを抱えているアリスを他所にグレンは数少ない荷物をまとめ始める。


「とりあえず契約は完了したはずだから、俺はすぐに発つぞ?聖女様がまだここに留まるっていうなら、女将に言って追加料金を払っておいてくれ」


 グレンはそう言うと皮の粗末なバッグを肩にかけ、アリスに背を向けて部屋を出ようとする。


「へ……?ちょちょ、ちょっと待ってください」


 アリスは慌ててベッドから立ち上がる。

 アリスは何もあの場をやり過ごすためだけにグレンに声をかけた訳ではない。

 もっというと、今後の事を考え、アリスは初めからグレンに目を付けていたのだ。

 ここでそのまま去られてはまた一からやり直しだ。


 慌てた様子のアリスにグレンが胡散臭そうな表情を浮かべて振り返る。


「なんだ?まさか、まだ契約は終わっていないとでも言うんじゃないよな?」


「違います。それは確かに完了していますが、私の話を一つ聞いてください」


「わかったわかった。話を聞くから落ち着け」


 額がぶつかりそうな距離までグレンにグイっと詰め寄るアリスに、グレンは迷惑そうな表情を浮かべながらそういう。


「あ、すみません」


 アリスはその言葉でグレンからすっと距離をとると咳払いを一つする。

 

「グレンさん」


アリスにとって緊張の瞬間だ。

アリスは息を深く吸うと、グレンの目をまっすぐ見つめて自らの願いを告げた。


「……私の騎士になりませんか?」


「断る」


 一瞬でそれを蹴ったグレンは唖然とするアリスに背を向けて部屋を後にした。

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