第4話 抵抗
「さてと。……ようやく大人しくなってくれましたか」
グレンの前に回り込んだ聖女は微笑を浮かべながら、そう言った。
大人しくなったのではなくて、強制的に大人しくさせられているのだとグレンはツッコんでやりたいが、現在も地面にへばり付いている状況なのでそれは叶わない。
「本当にあなたのお陰で随分とうまく話が進みました。ありがとうございます」
聖女はしゃがみ込んでグレンの顔を覗き込みながらそんな事を言った。
何の穢れも無い純真な微笑の裏にこんな凶暴性が隠れているだなんて、思いもしなかった。
……つくづく人を見る目がない。
そう、グレンは自分自身に呆れる。
快楽殺人鬼と言ったところか。これであれば、聖女殺しの対象となっていてもおかしく無い。
そして、そんな快楽殺人鬼の手によって拘束されたグレンの結末はほぼ決まったようなものだ。
先ほどからなんとか抗おうとしているものの、聖女の魔法は弱まる気配を見せない。押さえつけられてはいるが、押し付けられてはいないという非常にいい力加減だ。
ここまで卓越した魔法の使い手はそうそういないはずだ。
「そのお礼にこのまま俺を逃すのはどうかな?」
「それは出来ません。私にも都合がありますから」
グレンの最後の悪あがきを聖女は微笑みを浮かべながら軽くあしらうと、聖女は自身の手をグレンの顔の近くまで伸ばす。
その手に集まる魔力は繊細かつ膨大であり、今まさにその魔力によって命が断たれる寸前のグレンでも惚れ惚れするほどだ。
「出来るだけ痛くないようにしてくれよ」
「えぇ、ご安心ください。人を傷つけるのは趣味ではありませんから」
……どの口が言う。
そう思いながらも、まさに聖女たらん微笑むを浮かべている彼女の言葉に嘘はないことはグレンも分っていた。
これほど高密度で質の高い魔力であれば、痛みすら感じずに逝けるはずだ。
グレンは魔力の高まりを感じながら、静かに目を閉じた。
そして、その瞬間は訪れなかった。
重い金属音が突如として響き、何かが地面を削りながら滑っていく音がした。
「……どういうことだ」
グレンの目に映ったのはこちらに背を向けて魔法障壁を発動している聖女と、その視線の先にいる黒に赤いラインが入った修道服を着た人物だ。
その人物はフードを目深にかぶっており、暗がりということもあって表情などは全く見えない。
「
「へぇ。言うじゃねえか。予定とは違うが、お前は聞いていた通り、随分と堕ちた聖女だなぁ??」
断罪官と呼ばれる、恐らく男性が人の神経を逆なでする様な口調と声色で聖女にそう返した。
「私からすれば、堕ちているのはそちらですけどね?快楽殺人鬼さん?」
「おーおーお。言ってくれるじゃねぇか。信仰の厚い騎士様達をこれだけ殺しておいてよくそんな面が出来る」
「私はあなただけじゃなく、彼らのことも含めて言ったつもりですけど……ねっ!」
いつの間にか詠唱していたのか。
聖女の目の前には魔法陣が浮かび上がっており、そこから巨大な岩石が断罪官へと投擲される。
いや、投擲なんてスピードではない。射出といった方が正確だろう。
「へぇ」
直径一メートルを超える岩石が、恐ろしい速度で断罪官へ向かうが、断罪官は面白そうな笑みを浮かべると、その岩石をいつの間にか手に握っていた赤黒い大剣で断ち切った。
「ざんねんでした。俺には魔法はきかねぇんだわ。まぁ、それなりにやるみたいだから都合が良い。聖女殺しってのを一回やってみたかったんだ。俺は」
断罪官は余裕たっぷりに聖女を煽って見せた。
「っち。面倒なのを引きましたね……」
聖女も聖女らしからぬ舌打ちをして、苦い表情を浮かべる。
……魔法武器か。
過去にグレンも何度か目にしたそれは強大な魔力を内包した希少な武器だ。
魔力障壁が当たり前となった今となっては、それに対抗するため、魔力を通わせられる武器というのは当たり前だ。
その中でも「魔法武器」と分類されるものは、武器そのものが魔力を持っているため、魔法使い殺しとも呼ばれている武器だ。
「……巻き込まれたら終わりだな」
グレンはこそっと呟く。
体を押さえつけていた魔法はいつの間にか解けているが、グレンは未だに地面に寝そべったままだ。
間違いなく聖女の方は魔法が解けたことに気が付いているが、断罪官の方はそうではないだろう。
断罪官も「聖女殺し」の場面を見ているグレンの事を生かすつもりはないだろうから、少なくともそちら側にはグレンがいつでも逃げられる状態にあることを悟られたくはなかった。
そう考えているグレンの目の前では、聖女と断罪官が激しい剣戟を繰り広げている。
身の丈程ある大剣を軽々と扱う断罪官の腕前もすさまじいが、いつの間に拾ったのやら、ただの騎士剣でそれに堂々と対抗できている聖女の腕前も並の冒険者を軽く超えている。
恐らく身体能力の強化魔法でも使っているのであろう。二人のスピードは先程までいた上級騎士とも比べものにならず、その最中に飛び交う魔法も威力が高いものばかりだ。
赤黒い大剣を持った黒装束の男と騎士剣を持っている聖女の戦いは、まるで光と闇。おとぎ話のような様相であった。
……見惚れている場合じゃ無いな。
グレンは静かに隙を窺うが、まだ様子見段階なのか、二人から切迫詰まった様子は見えない。
今のグレンの状態で逃げたとして、あの二人に追われでもしたら、また絶体絶命の危機に早戻りだ。
ともすれば最善は二人がある程度消耗したタイミング。どちらかが倒れる前に姿を眩ますのが最良のタイミングだと言える。
「『黒ノ
グレンはこっそりと認識阻害の魔法を使う。
あくまで低級の魔法であり、無いよりマシ程度のものだが、この暗闇では役に立つだろう。
「へ?」
さて、とグレンが逃げる準備をしていたところ、急に爆発音が鳴り響いた。
驚いたグレンが顔を上げた先では、どうやったのか爆発痕と共に断罪官の姿が消えており、たった一人立っている聖女がグレンを真剣な目で見つめていた。
「いつまで寝ているのですか。もう立てるでしょう?」
「何の用だ?」
グレンはゆっくり立ち上がりながら、問う。
「簡単な話です。私と共に戦って下さい。あの男は今足止めを食らっていますが、すぐにまた襲いかかって来るでしょう」
思ってもいない言葉にグレンは訝しむ。
「それに何のメリットがあるんだ?俺はいつでも逃げれるぞ?」
「私から逃げ切れますか?それに、万が一私が彼に負ければ、「聖女殺し」を知ってしまった貴方は死ぬまで創神教に追われ続けるでしょう」
「……」
恐らくそれについては聖女の言う通りだろう。
創神教はいくつもの国家の国教であり、そうでなくとも信者の数は多い。
それに加えて、魔力の波長で個人を識別出来てしまう今、グレンにできる事といえば田舎に引っ込んでいつ来るか分からない追っ手に怯えながら暮らす事くらいだろう。
「……分かった。手を貸す、だが一つ誓約をしてくれ。戦いが終わった後、俺を逃すと。聖女なら出来るだろ?」
「良いでしょう」
そう言って聖女らしからぬ挑戦的な笑みを浮かべると、グレンと目を合わす。
「『制約』今この瞬間から貴方は私の騎士となり、この戦が終わりを告げると共に、聖女アリスは貴方を解放しよう」
詠唱が終わると同時にグレンと聖女に虹色の燐光が降りかかった。
「誓約は完了です。これで私達は一蓮托生ですね」
聖女は艶やかな笑みを浮かべた。
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