酔っ払いの神様、宇宙規模の危機を語る

春成 源貴

居酒屋にて

 僕が仕事に疲れた身体を引きずって帰路を辿っていた時、珍しく一軒の居酒屋の暖簾が目に入った。

 今までどんなに疲れても、居酒屋に寄って帰ろうと思うことはなかったれど、たぶん、魔が差した。

 僕は深く考えることもなく、欲求のままに暖簾をくぐり店に入る。


「らっしゃい」


 暗い電灯のぶら下がったカウンターに五、六席、小さな店だった。

 店内は先客で一杯だったが、ちょうど僕が入った時に、一番奥の席の男が、一人立ち上がって店を出て行った。すぐにコップと残骸が片付けられ、空いたところへ促される。

 店は割烹着の大将が一人で切り盛りしているようで、忙しげに動いている。


「生と……なんか適当に見繕ってくれます?」

「あいよ」


 大将はジョッキにビールを注ぎ、お通しと一緒にカウンターに並べる。僕はジョッキからぐいとビールを呷り、ため息を漏らす。


「いい飲みっぷりだねえ」


 声を掛けてきたのは隣の席の男だった。

 いつ洗濯したのか分からないような、くたびれたグレーのスーツの男は、蓄えた白い髭を撫でながら冷や酒を飲んでいる。よく見れば、肩まで伸びた白髪もボサボサだ。

 ずいぶんな年齢だろう。

 そして、皺だらけの顔は真っ赤に染まり、どこからどう見ても立派な酔っ払いだった。

 これ以上はないくらい、模範的な酔っ払い。泥酔者のちょい手前。


「そりゃどうも」


 僕は答えた。答えてしまった。

 やっぱり魔が差したんだと思う。普段の僕なら、一瞥して無視するだろう。

 疲れていたのだ。

 だが、不思議なことに普段人見知りな僕が、自然に相手をしていた。


「兄さん、つまむかい?」


 男はそう言って、枝豆の入った小鉢をこちらへ滑らす。


「繋ぎだよ、繋ぎ」


 男は言う。

 僕も断ればいいのに、ついつい小鉢に手を伸ばす。


「ごちそうになります」


 一応、口の中でもごもご礼を言うが、男は特に気にした風もなかった。


「見ない顔だね」

「……常連さんですか?」

「まあ、そうだな。大体一週間に十回は来る」

「……計算が……」

「日に二回来る時もある」

「ああ、そういう」

「そうだ。で、ここで酔っ払う。こんなに楽しいことはない」


 男はグラスに並々注がれていた酒を一気に飲み干すと、コップをカウンターに戻し、盛大にゲップをした。

 僕は思わず他の客の方を見たが、誰も気にしている様子はなかった。ただ、部屋の隅にあるテレビのニュースを眺めているだけだ。

 画面の中でアナウンサーが必死にしゃべっている。


「……界の果ての滝にプローブを……実験が開始され……無事回収されるかが焦点……」


 僕がテレビの音声に途切れ途切れ集中している間に、大将の手で隣のコップにお代わりが注がれる。

 そして、僕の前にも串が何本か並べられた。

 僕は串を一本だけ男の空いた小皿に乗せた。それから自分の分を囓り、一気にジョッキを飲み干す。

 空のジョッキを持ち上げて合図すると、大将が二杯目を差し出してくれた。

 すぐに口を付ける。


「楽しい……ですか。いいですね」

「若いの。あんたは楽しくないのか?」

「どうでしょうね?」

「わしは楽しくないぞ。悲しい」

「いや、あんた今、楽しい言うたやんけ」


 思わず突っ込む。地が出てしまった。


「酒を飲むのは楽しいが、他のことは悲しい!」


 男はろれつはしっかりしているが、どうみてもベロベロに酔っ払っている動きで言った。なんとなくフラフラしている気がする。

 これ、面倒くさいやつじゃないか?

 大丈夫かな?

 男は僕の心配を他所に、そのまま続けた。


「なんで悲しいと思う?」

「……さあ?」

「連れないのう。今しがたつまみを交換した仲じゃないか」

「……それ、なんか意味あります?」

「……ないな。じゃが、わしの愚痴を聞かんか?」

「いやですよ」

「実はの……」


 僕は即答したが、男は聞いちゃいない。急に声を潜めた。


「わしは神様じゃ」

「……そんなこと言う芸人さんいましたね」

「まあ、信じられんのも無理はない。端で見ればこなことを言う奴は怪しいやつじゃからの」


 どうやら自覚はあるらしい。

 僕は面倒くささが大半を占めていたが、好奇心も湧いてきていた。うん、僕も酔ってきたか?


「じゃが、本当じゃ。まあ、聞いてやってくれ。お礼にご馳走するから」

「えらく簡単にご馳走してくれるんですね」

「神様じゃもの。人の善し悪しくらい、見りゃ分かる」

「……ほんとですかね?」

「くどいようじゃが、ご馳走共々本当じゃ」


 僕はわざと肩をすくめて見せてから、続きを促した。


「仮にあなたが神様だとして、まあ、聞くだけでご馳走してくれるなら……いいですよ」

「ほほっ、よい心がけじゃ。きっと御利益があるぞ」

「ただ酒で十分ですけどね」


 自称神様は大きく頷く。


「……わしのことをなんか失礼な呼び方しとるじゃろ……欲のないやつじゃから許すが……さっきも言ったとおり、わしは神様なんじゃが、実は自分の治める世界を失ってしもうての。それで、困っておるし、悲しんどるのじゃ」

「……それはまた、スケールの大きな話で」

「もう千年以上も飲んだくれとる」


 酒の嫌いな神様はいない、って死んだ爺さんが言ってたような気がする。遙か昔の、世界がみんな丸かった頃の格言らしいけれど。


「昔の話なんじゃがな……」


 そう前置きして、冷や酒をさらに呷った自称神様は、昔話を始めた。

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