男友達みたいな距離感の幼馴染との「初めて」。
兎夢
「どっちの意味の……初、だよ」
――男は最初になりたがり、女は最後になりたがる。
そんな風に言っていたのは誰だっけ。大晦日の寒さでツンと冷えた耳をマッサージしながら、俺はぼんやりと考えていた。
もう、年が明けるまで2時間ほどしか残っていない。高校生が外に出るにはちょっとだけ不健全な時間に、俺は星空に包まれていた。
「ごめん、待たせちゃった?」
「超待った」
「そこは『全然待ってないよ』じゃないの?」
「なんでだよ」
当然だが俺たちは恋人同士じゃない。むっくりと赤らむ頬を膨らませる彼女は、俺の幼馴染。ウイこと
「2時間前、か。1時間前にでも神社に着けばほぼ並ばずにささっとお参り出来るな。コンビニでも寄ってくか?」
「んー、肉まんでも買ってっこっかなぁ」
「それいいな。あんまんも買うから、半分にしようぜ」
「あ、じゃああれがいい。紅芋あん」
「あれ高いだろ」
まぁ美味いけど、と内心でぼそり呟く。
年の終わり、366日目の夜。街は暗闇に包まれているのに楽しげな雰囲気が満ち満ちていて、『暗がり』という言葉はそぐわないように思う。寒風が耳を突き刺せばぴりりと痛んだ。俺と違い、ばっちりニット帽を被っているウイが羨ましい。かと言って、ウイのような猫耳のついたニット帽はごめんだから世の中はままならない。
東京、駅と駅の間隔が狭い街。夢の都だなんて信じられないくらいにちっぽけな街だと思うのは、ここから出たことがないからなんだろうか。
ウイの後ろ姿は闇の中でもよく映える。特別に派手なわけではないのに紛れもなく一番星なのだから、月だって太陽を必要としない気がする。
コンビニには、ほとんど人がいなかった。中華まんの在庫を確認し、まだ欲しいものに余裕があることを確認してから彼女を向いた。
「あったかい飲み物、買うか? 俺はほっとレモンにするけど」
「あれ、珍しい。甘いコーヒーじゃないの?」
「缶だからな。待ち時間は長いからちっちゃいペットボトルじゃないと邪魔になる」
「あーなるなる。じゃあ私ミルクティーにする。後で分けてね」
「うい」
「私?」
「自意識過剰め」
「ちぇっ」
飲み物売り場に近づけば、他よりも一段と強く暑苦しさを感じた。冬と言えば暖房が苦しいのが常ではあるが、この一時的な温度の上昇には我慢しがたいものがある。ミルクティーとほっとレモンを取った。まだ働き始めてくれないポケット内のカイロより、それらはよっぽど熱い。
ウイにそれを渡し、レジを済ませる。
「あ、紅芋あんまんで」
気まぐれにそう呟けば、彼女はにんまりと俺の方を見てきた。子供っぽい笑い方が似合ってしまうから憎たらしい。
「どうも」
いつも通り商品を受け取る際には微笑し、ウイを連れて外に出る。コンビニ内との寒暖差が激しい。
「紅芋あんまん、初めて食べるんだよねー♪ いやぁ、テルくんは太っ腹ですなぁ」
「笑い方うぜぇ」
脇腹を突かれてもウイの肌の温もりを感じられないのが冬。人肌が恋しくなるくせに、いつもより人肌が隠される。
ずるいな、と思った。
よかったな、と思った。
服が擦れるせいで感じるくすぐったさとか、突かれた衝撃を服が吸収することで感じるじんわりとした衝撃とかを振り払いたくて、わざと剣呑な顔を作る。
「ったく、肉まん風情が」
「あー、それ言ったら怒られるやつだから。ピザまんピザまん言ってる結子に膝かっくんならぬピザかっくんした私を舐めてると怪我するよ」
「ピザかっくんが何なのかは知らんが、あんまり言ってると分けてやらんぞ」
「それはダメっ! 初紅芋あんまん!」
「その程度で初だなんだと大げさな……」
「何を言うか。初めては大切だぞぉ? っていうか今から初詣に行くわけだし」
完璧の論理だと言いたげな表情のウイ。正直、ドヤ顔するのは財布だけでいい。デコピンしてやろうかと迷い、そんなことをしたら爪が痛くなるだけだと思って、やめた。その分、紅芋あんまんは6:4の割合で切っておくこととする。
「ほれ」
「さんきゅ。はいよ、肉まん」
「おう。っていうか同時に出すなよ、手が埋まるだろ」
「細かいこと言わないの」
「細かいかねぇ」
普通に合理的なことを言ったと思うのだけどな。まぁ言ってもしょうがないことは分かっているので口を噤む。
神社までは徒歩10分もない。半分こな中華まんを2つを俺たちが平らげるには十分すぎる時間だ。いい感じにしょっぱい口に、紅芋あんのねっとりとした甘さが投入されて、なかなか美味かった。
そうこうするうちに神社に着く。石でできた不揃いな階段を上り、鳥居をくぐってから手水をする。
「冷たっ……寒っ」
びくっ。ウイが肩を震わせているのを見て、俺は苦笑した。
「キツけりゃ、そんなにしっかりやらなくてもいいと思うぞ。テキトーにちゃちゃって誤魔化しちゃえば」
俺も正しい作法は知らない。が、彼女はジト目で俺を見る。
「そんなテキトーでいいの? バチあたるよ?」
「ふっ、この程度のことで怒って自分より下位な存在に罰を与えるような怒りっぽい神様になんて頼らないからいいんだよ」
「神社で言っちゃいけないことじゃない?」
「別にいいだろ。マナー悪い行為してるわけじゃないし」
秩序は大事だが格式に囚われるのは愚か。そういう考えなだけだ。それでもウイは俺の話を無視して律儀に手水するのだから呆れる。真面目というか、マメというか……普段はテキトーなくせに押さえるところは押さえてくるから、本当にずるいんだよな。
境内を進んでいけば、暖房などとは違う火傷しそうな熱さが服の上から肌を焼く。今年は破魔矢もない。見れば、まだ人もほとんどいないので、夜景でも眺めに行こうか、とテラス的なところへ出る。
「ここって、あれでしょ? あの、でっかい怪物が出てた映画の」
「そそ。あと、黒くて丸い球体の映画でも出てきたらしい」
「へぇー」
夜景などではなく、そういう映画の聖地に目を向けてしまうあたりがウイらしかった。
「初めて。夜に、神社にくるの」
その声は扇風機の目の前でぐわーとやる時のような、ワクワクとフワフワに満ちたものだった。見れば、ウイは意外にもその興味を夜空へとシフトさせている。
「まぁ、初詣でもないとな」
「そそ。初詣も、夜から行ったりしないし」
「夜は寒いからな。俺だって、習慣になっていなきゃこんな風に初詣に来ない」
真実、そう思っていた。むしろ、ウイが来ると言っていなければ、これまでの習慣など無視していたようにさえ思う。結局のところは習慣なんていうのは建前なのだ。
「いつもはどうやって時間潰すの? 夜景見て、黄昏ちゃう?」
「まさか。音楽聞くか、ゲームするかだな」
「うわー、罰当たりっぽい。じゃあなに、今日もそのどっちかなの?」
ウイは若干顔を引きつらせる。アホか。
「流石にそんなことはしない。俺をなんだと思ってるんだよ」
「朴念仁?」
「俺をラブコメ主人公に仕立て上げるな」
「ちぇっ」
舌をほんの少しだけ出して『ベー』としてくるウイが、静かなのに騒がしい夜にはよく似合う。残業が作った悲しい東京の夜景でさえも、今はウイを包めることに喜ぶ気がした。
「だいたい、こんな美少女との夜デート中にそんなことするのは流石に罰当たりすぎるだろ」
「ん、なんか言った?」
「なんも」
聞かせたくて言ったわけじゃない。聞こえてたならいいな、くらいに思ってただけだ。ジリジリと破魔矢が焼ける音にこっそりと感謝した。
「さ、並ぶぞ」
「はぁーい」
並ぶと言ってもいるのはほんの少し。人数が少なければ少ないほど、他の人に注意がいってしまう。
俺たちはどう見えているんだろう、とか。柄にもなく考えてしまうの。
5、4、3、2、1。
「あけましておめでとー」
「おう、おめでとさん」
眠たさなど一切感じない、はじけるような挨拶。年明けの挨拶を家族以外とやることが気恥ずかしく、俺はつい不恰好な返事に留めてしまった。
すぐに回ってくるであろう参拝のために5円玉を握りしめている。ご縁を求めているのか……不意にそう思ってしまうと、もうそれから後のことを考えるのが嫌になる。
居心地の悪さを正すように無理矢理に視線を前に向け、毎年このタイミングでしか意識しない参拝の手順で脳を埋めた。
俺は、別に丁寧に参拝すれば神様がお願いを叶えてくれるだなんて思っていない。でも、神様の存在は信じている。神様は1つだけ奇跡を起こしてくれているのだ。だから、存在くらいは信じてやってもいい。
顔を上げてささっと賽銭箱の前から退散すれば、それにウイもついてくる。すぐ隣には色んなおみくじが置いてあり、お金を入れて引けるようになっていた。
「おみくじ! 初みくじだよ!」
「いや、おみくじしたことはあるだろ」
「でも今年初じゃん。初がつおみたいなものだよ」
「ちょっとそれは違くね? ……まぁ引くけどさ」
謎にテンションが高いウイが俺の手を引く。冷たいくせに温かいからタチが悪い。財布からお金を取り出して、おみくじを引いた。
結果は……中吉。
「どうだった?」
「ん、中吉。そっちは?」
「私も中吉。テルくんとお揃いだなんて……今年の私はダメかもしれない」
「マジな声で言うのやめてね? マジで傷つくから。それに中吉って2番目だか3番目にいいやつだぞ」
「え、そうなの? 初耳! 残念がって損したかも」
嬉しそうに言いながらも、再びウイは俺の手を引……かない。ただ、握ってるだけ。一緒に居続けてもう16年、こういう手の繋ぎ方は初めてだった。
こんなことで動揺するほど、俺は初心ではないけれど。
「お守りどうする?」
「んー、私はいいや。それより、帰りにコンビニ寄ろー」
「また?」
と言いつつも、小腹が空いているのは事実。そんな俺の胸の内など当然分かっているウイは、さして言い返してくることもなくグングン歩く。俺たちが神社に訪れた頃と違い、今は並んでいる人が多い。もしかしたら同級生もいるのかもしれないと思ったら、手だけが夏の運動会みたいになった。
進み、進む。来る時よりも幾ばくか速い移動が、急いで夜を取り戻す少年少女のように思える。そんな少年少女は星空を見上げている暇もないくらいに一生懸命だから、目的のコンビニにはすぐに着いてしまう。
「何食う?」
「テルくんは?」
「焼きそばパン」
「初焼きそばパンね」
「またそれか」
いるんだよな、年明けると何にでも『初〇〇』とか言ってはしゃぐ奴。
「で、そっちは?」
「んー、私はパンはいいや。アメリカンドッグ食うよ。ファーストアメリカンドッグ」
「わざわざ英語にするとそれっぽいな」
「でしょ? なんかかっこいいでしょ。1番美味しいアメリカンドッグみたい。FAD!」
「すっげぇアホらしい」
「ちぇー」
分かってないと言いたげに肩を竦めるウイ。分かってたまるか、んなもん。
さっきと同じように会計を済ませ、2人でコンビニを出てからあえて話を掘り返す。
「そもそも、ファースト〇〇じゃなくて初〇〇だから日本っぽさが出て意味があるんだよ」
「ファーストライジングサンより、初ライジングサンってこと?」
「まず、日の出をライジングサンって英訳してるところからくそダサい」
「ちぇっ」
ころんころん。ウイが不満そうに軽く蹴った石は、まるでおにぎりやどんぐりみたいに心地よく転がっていった。お池もないし、穴もない。落ちるところもオチもない石の行方に何となく思いを馳せ、こんな馬鹿なことをしている自分に可笑しさを覚えた。
がたーん、ごとーん。
電車の音が鳴り響く。俺の家とウイの家は線路沿い。とはいっても、線路は空中にあるので隣ではないが。
だからこの音は慣れている。夜、心が静まった時に限って煽るようにこの騒音は顔を見せるのだ。だからその心を鎮めるためにほっとレモンを口にする。
待っているあいだ、何度かウイもこれを口にした。今更間接キスで騒ぐほど子供ではない。何度だって間接キスくらいしてるはずだ。それなのに気恥ずかしさを覚えて、心臓は余計にうるさくなったのだから手が負えない。
ウイとの会話はなかった。こういう瞬間は初めてじゃないし、珍しくない。喋る必要もなく一緒にいられる。それは幼馴染の特権だ。
無言のままに家に着く。ウイの家はすぐ隣。徒歩1分で届く距離にじれったさなど感じるわけもない。それでも――今日だけはそうではないのだと、別れ際にウイの手を握ることで伝えた。
ウイは、俺のことをじっと見つめる。
初めてウイにそうされた時のことを思い出した。神様が起こしてくれた、唯一無二の奇跡。
一年生のときに一目惚れして、以来、ずっと『僕のことを見てくれますように』なんて祈っていて。たまたま持っていたキーホルダーが、その願いを叶えてくれたんだ。
躊躇うはずもない。事実、躊躇ってなどいなかった。俺はすぐ口を開いて言うつもりだった。
『ずっと前から好きだ。付き合ってくれ』
なんてベタな台詞を。
――でも。
その台詞のための労働を忘れたみたいに、俺の唇は全身で以てウイの唇の柔らかさを感じていた。
甘いとも、苦いとも、酸っぱいとも思わない氷点下寸前の冬空の下。
靴下専用のカイロの熱より、舌を溶かした体温の方がずっとずっと熱い。こういうときは目を閉じるのかもしれないのに、急すぎたせいで目は開けたまま。目を瞑って俺とキスをしている、大好きな幼馴染の顔がすぐそこにある。
1、2、3、4、5、6、7、8、9――。
その時間、きっかり10秒。
キスの時間が長く感じたり、短く感じたりしなかったのはそれほどまでに正確に時を刻むキスだったからだと思う。
離れる唇同士。その時になって、俺は何故だかようやく目を閉じた。キスの後の顔こそ、俺には官能的に思えてしまう気がしたから。
でも、そんな心遣いは意味をなさない。
「今のは、初接吻、だよ?」
脳? 耳朶? そんな程度じゃおさまらない。瞼さえ溶かしつくしてしまうほどに甘い言葉は、それを言うウイの姿をありありと想像させた。
俺の言葉を待つ間もなく、ウイは家に戻っていく。
徒歩1分なんて言ったのは誰だ。ここからウイの家までの数歩を進むのが、俺には何時間もかかるように思えて仕方がない。
ファーストキスと言わなかったウイの唇の温もりは、当然、俺の心を“初”に戻してしまう。
「どっちの意味の……初、だよ」
ヘナヘナとしゃがみこんだアスファルトは、尻をキンと冷やす。
初夢なんて見れるはずがなかった。
男友達みたいな距離感の幼馴染との「初めて」。 兎夢 @tomu_USA
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