第2話 マスクタウン2

 十分ほどで河川敷についた。

 

 ぼくら三人は、アスファルトの道の脇に自転車を停め、自販機で飲み物を買うと、斜面の草の上に並んで腰を下ろした。対岸の街並みを見つめながら、三人で缶ジュースを飲む。


「あー、気持ちいいなァ……」ルイが笑みを浮かべて言う。「やっぱり、ここは静かでいいわ……」


「日本の街中はうるさすぎるからな」ハンスが缶を振りながらうなずいた。「ピカピカ光る看板やら、四六時中、客の呼び込みをしている店員やら。あれは過剰なサービスを提供しようとする日本の企業が生み出した負の側面だよな」

 

 ぼくはうつむくようにして苦笑した。確かに雑然としていて騒々しい日本の街中に比べて、以前にⅤRの中で歩き回ったフランスやドイツの街中は、静かで落ちついた雰囲気だった。ドイツの街中に至っては、閑散としていると言ってもいいくらいだった。

 

 自己主張の強い欧米人の性格とは裏腹に、ルイもハンスも、都会特有の喧騒や猥雑な景観よりも、自然の中に広がる美しい景色や静寂の方を好んだ(ルイの話では、アメリカ人の多くも、ニューヨークのような大都市には「人が多い」という理由で、基本、行きたがらないということだった)。ハンスが北海道を最後の旅行先に選んだのも、『マスクタウン』を見てみたいということのほかに、雄大で静かな自然が好きだからだろう。

 

 フランス人にも、ドイツ人にも、静寂を大切にする人は多いということだった。だからという訳でもないのだろうけれど、ハンスもルイも散歩が好きだった。日本人の中には退屈だと感じる人も多いその「散歩」という行為の中にも、二人はいつもささやかな幸福を見出すことができる感覚を持っていた。

 

 これはぼくには決定的に欠けているものだった。いや、散歩に限らず、二人のように日常の中で身近な自然に意識を向けるということがぼくにはなかった。二人とのそんな感性の違いに、ぼくは生まれながらの感覚の相違――それはもう本当に遺伝子レベルでの違い――というものを感じないわけにはいかなかった。

 

 退屈さの中に楽しみを見出せるという二人の感覚は、一人の人間としての「成熟」をぼくに思わせた(自制心と言い換えてもいいのかもしれない)。成熟(自制心)があるから、静寂の中に存在する条件付きの世界に対しても、小さな子どものように「つまらない」とわめきちらすこともなく、ささやかな楽しみを見出すことができるのだろう。それはメタバースやオンラインゲームのように、常に脳内でドーパミン出まくりの騒々しい刺激でなければ満足できないぼくの感覚とは、根本的に違ったものだった。西欧の人々が、古い不便な物に価値を見出せるのも、そうした感覚の上に成り立ったものなのだろう。

 

 だからなのか、ハンスもルイも、ぼくと同学年でありながら、ぼくよりもずっと精神年齢が上であり、もっと言えば精神の構造自体がまるで違っているように思えた。精神の構造そのものが違うから、異なるその「構造」から導き出される「言動」も当然に違ってくる。ハンスやルイの二人と、ぼくとの違いは、つまるところ「人間としての成熟度の違い」から生まれる「言動の違い」なのだろう。

 

 とりわけ、ぼくの「個人主義」と、二人の「個人主義」との違いには、そのことを感じた。自分のわがままを貫き通すのがぼくの「個人主義」だとすれば、ハンスやルイの「個人主義」とは、「自分の我を通して主張を曲げないということは、相手が我を貫くことも許容しなければならない」というものだった。

 

 ぼくが二人のことを尊敬する一番の理由はそこにあった。相手と自分の考え方の違いを前提とし、お互いの違いに対して寛容になることで、相手の人間性を尊重していた。だから、相手に対して多くの要求をすることもなければ、ムキになって怒ることもなかった。喫茶店の店主であるやまちゃんの無礼を情に流してしまえるのも(まあ、ルイはそうでもないけれど)、そうした「寛容さ」の上に成り立つものなのだろう。二人を見ていると、心の寛容さというものが人生でいかに大切であるかが、ぼくにはわかる気がした。


「あー、野球いいなァ。オレもメジャーの試合を観に行きたいな……」ルイが河川敷にあるグラウンドを見ながらつぶやいた(ルイは、アメリカにいた頃からⅯⅬBのファンだったため、西欧人にしてはめずらしく野球が好きだった)。


 その言葉で、ぼくはふと我に返った(発達障害の疑いがあるためか、会話の途中で折に触れて思案に耽ってしまうのがぼくの悪い癖だった)。ルイが見つめている視線の先を見つめる。河川敷のグラウンドで小学校低学年くらいの子どもたちが野球をしている。


「でも、ほんとスゴイよな、日本の治安の良さって」ルイが子どもたちを見たまま続ける。「アメリカじゃあ、あんな小さな子どもたちだけで外で遊ぶなんて考えられないよ。ましてや、小学生くらいの小さな子どもが一人で電車やバスに乗れるなんて」


「街中の綺麗さもハンパじゃないしな」ハンスが同意してうなずいた。「道にはゴミ一つ落ちてないし、変な臭いもしない。世界中から勤勉・真面目だと思われてるドイツだって、ここまでじゃないよ。街中にはけっこう犬のフンなんかが落ちてたりするもんな。とてもじゃないけど、日本人みたいに自分のゴミは自分で持ち帰って、家のゴミ箱に捨てるなんてことはできない」


 ルイがうなずいた。「日本人ってそういう意味で、自分に対してスゴク規範的だから、その国民性がマジで他人の自由を生み出してる。アメリカは逆。とにかく個人主義一択の国だから、みんながみんな自分のテリトリーを広げようとして日々、衝突や争いがある。そういう意味ではほんとに自由がない国だよ。無警戒で過ごせるときがないもん。日本はいくら不景気で変な事件が増えてるって言っても、犯罪の件数そのものは少ないし、無警戒でいられる分、ほんとに自由がある国だと思う。だから、ほんとのアメリカを知らない日本人は、アメリカを自由の国だなんて勘違いしているらしいけど、オレから言わせれば日本の方がよっぽど自由だよ」


「うん。なんだかんだ日本はスゴくいい国なんだと思う……」ぼくはうなずいた。「結局は、日本人のそういうところが世界一の治安の良さや清潔さに繋がってるんだろうし」

 

 ルイとハンスが、驚いたようにぼくを振り返った。


「めずらしいな、隼人がそこまでストレートに日本をほめるなんて……」ハンスが言った。


「日本人の強みってさ、結局は人間として弱いっていうところだと思うんだよね。弱いっていうことのバイアスを取っ払って、弱いことのメリットとデメリットを考えてみると、そう思うんだよね」

 

 二人の視線が、ぼくの横顔にストレートにそそがれる。


「弱いゆえに日本人は礼儀正しいし、街中も安全で綺麗だし、相手に対しても乱暴な言葉遣いもしないし、何事につけても単独じゃなくてチームで行うから、社会における競争も少ない。まあ、だから逆にイノベーションとかも起きないんだけど――」


「まあ、これだけ平和なら、イノベーションを起こす必要性自体をあまり感じないんだろうけどな」ハンスが言った。「いくら不景気でも、そこそこの生活はできるんだからさ。世界の貧しい国々に比べたら、よっぽど恵まれてるよ」

 

 ぼくはうなずいた。「それも、日本人の弱さが生み出したメリットだと思うんだよね」


「なるほど、弱いことが日本人の強みか」ルイがうなずいた。「それは思いつかなかったな。アメリカでは弱いってことはまず軽蔑の対象にしかならないからな」


「まあ、世界の大抵の国じゃあそうだろうな」ハンスが追従のうなずきを投げる。「弱いってことは、フツーはメリットだとは考えられない」


「うん。でも、そういうふうに日本人の弱い部分が生み出すメリットを考えてみると、そんなに悪いことじゃないと思うんだよね。以前に読んだ本に書いてあったんだけど、『いつも物事の悪い面を見てしまう人は、いい方の面を意識的に見てみる努力をしてみなさい、なぜならあなたが物事の悪い面ばかりを見てしまうのは、あなたが悲観的だからという訳ではなく、あなた自身が知らず知らずのうちにその物事のいい面を、空気のように見落としているからだ』って」


「へー、なかなか深い表現だな」


 ぼくはうなずいた。「だから、ハンスやルイが日本のここがスゴイっていう部分を、ぼくとしてはよく見落としちゃうんだよね、それが自分の中で当たり前すぎて。で、その結果、日本の悪いところばかりに目が行っちゃう」

なるほどな、と二人は納得したようにうなずいた。


「だから、日本の社会に対する評価もそうじゃないといけないよなって」


「それで、その結果、隼人の中で日本は何点なんだ?」


「……悔しいけど、八〇点」とぼくは本音を言った。


「ベターどころか、国の点数としてはカンゼンにベストじゃん」ハンスがそれを聞いて笑った。


 悔しいけれど、ハンスの言うとおりだった。ぼくがまだ外国で暮らしたことがないことや(ⅤRの発展により、外国に行く必要性が感じられなかったからだ)、ハンスやルイの指摘する日本人の欠点を加味してなお、外国に比べて日本の点数はどんなに低くても「八〇点」以上は確実だと思った。実際に外国で暮らしてみると、もっと日本の点数が上がるかもしれない。


「じゃあ、ドイツやフランスやアメリカは?」とルイ。


「ノーコメント……」


「自分が好感を抱いている国に対して、日本以上に低い点をつけたくないってか?」ルイが笑った。


「まあ、気持ちはわからなくはないけどな」ハンスがうなずいた。


「とにかくその本を読んだときに思ったんだ、ぼくがいつも不必要に日本のことを批判しちゃうのは、ぼくの中の認知のゆがみだけが原因じゃなくて、日本のいいところを享受しすぎてその部分の感覚が、麻痺しちゃってるからなんだろうなって」


「まあ、それはそうだろうな、その意見は間違ってないと思うぞ」


 ぼくはうなずいた。


「でも、隼人のそういう意見を聞くと、何だかんだお前はケンジョウさんの息子なんだって思っちゃうな」ハンスが微笑を浮かべた。「思い込みの激しいヘタレな奴だけど、少なくとも知識によって物事を客観的に見ることはできてるからな」


「同意」ルイがうなずいた。「知識によって感情にブレーキをかけることはできてる」


「ハハハ……」ぼくは苦笑した。あいかわらず、二人のこういうときのもの言いには容赦がなかった。そして河川敷のグラウンドで野球をしている子どもたちに、三人ともまた視線を戻した。子どもたちのキラキラと輝くその表情を見ているうちに、ぼくは心太のことを思い出した。


「ゴメン、ぼくは帰るよ」腰を上げながら唐突に二人に言った。


 ハンスとルイが、怪訝そうに目を細めてぼくを見る。河川敷についてから、まだ十分ほどしか経っていない。


「何か子どもたちの顔を見てるうちに、心太に合いたくなっちゃってさ、帰って久しぶりに明るいうちに散歩に連れてくよ」


「そういうことか」ハンスは笑顔でうなずいた。「まあ、そういう理由なら許してやろう」


 ルイもうなずいた。


「サンキュー、じゃあまた明日」


 二人はそれぞれにうなずいた(二人がぼくのこんな気ままを許してくれるのも、ぼく同様、二人も気ままであるというだけではなく、無類の犬好きであり、心太のことをぼくと同じくらい可愛がっているということが大きかった)。


 ぼくは自販機横のゴミ箱に空き缶を捨てると、自転車に乗り、河川敷を後にした。


 自宅のマンションに戻ってくると、駐輪場に自転車を停め、エントランスから一階のロビーへと入っていった。階段で三階に上がり(エレベーターはまどろっこしくて使わないのだ)、廊下の端の部屋まで歩いていくと、スマホでドアのキーを解除する。


 ドアを開けると、心太がリビングのドアを開けて走ってきた。ゲノム編集によってゴールデンレトリバーとラブラドールの特徴を合わせ持つ黒の大型犬で(フラットコーテッド・レトリーバーとは別種の犬)、ぼくが世界一愛している家族だった。舌を出して尻尾を振りながら、ぼくの帰りを出迎えてくれる。


「ただいま、心太。今日は今から散歩に行こう」ぼくは心太をギュッと抱きしめながら話しかける。


 心太の尻尾の振り方と息づかいがいっそう激しくなる。ぼくの言っていることを理解しているのがわかり、心太を抱きしめる手にも一段と力がこもる。


 ぼくは急ぎ足でリュックを自分の部屋に置くと、財布とリードだけをポケットに入れて、心太と一緒に家を出た。


 家の前で心太にリードを取りつけ、階段で一階まで下り、マンションを出た。空はだいぶん夕暮れの色に染まり出していたけれど、河川敷にはハンスやルイがまだいるかもしれないと、今度は徒歩で河川敷に向かった。


 河川敷につくと、ハンスやルイの姿はなかった。グラウンドで野球をしていた子どもたちの姿も、もうなかった。どうやら二人とも意外に早く帰ってしまったらしい。仕方なく、いつもどおり河川敷を散歩してから帰ることにした。


「心太、夏休みの旅行の行き先が決まったよ」ぼくは河川敷を歩きながら心太に言った。


 心太は吠える代わりに、尻尾を左右に振ってみせた。


「北海道。ハンスとルイの三人で行くんだよ」


 二人の名前を出した途端、心太が二本足で立ってぼくに覆いかぶさってきた。ハンスとルイの二人を家に連れてこいという意思表示だった。


「うんうん、わかってる」ぼくは心太に頬を舐められながら、その大きな体を両手で支えた。「また近いうちに連れてくるよ。今日はもう帰っちゃったみたいだけど」


 心太がぼくの言葉を理解したかのように、両の前足を道に戻してまた歩き始める。


「北海道でお土産買ってくるよ。限定のドッグフードがあるって、前に聞いたことがあるから」


 心太がまた尻尾を振ってみせる。「楽しみに待っているぞ」と言われているようで、普段と変わらないその動作がどうしようもなくいとおしくなる。さすがに街中で顔がニヤけるのは恥ずかしいので、硬い表情で歩いていった。


 心太が我が家にやって来たのは、ぼくが今のインターナショナルスクールに入る直前だった。入学祝いとして、母が買ってくれたのだった。表向きはそういう理由になっていたけれど、本当はそうではなかった。


 その頃、ぼくのメンタルは、前の学校での生活がうまくいかず、父と母の仲も修復不可能なほどに悪くなっていただけに崩壊寸前の状態だった。そのため、このままではぼくの心が壊れてしまうかもしれないと心配した母が、一念発起して家で犬を飼うことを許してくれたのだった。


 ぼくと二人、心太をペットショップに買いに行くその日、母は車の運転席でハンドルを握りながらこう言った。


「今のままじゃあ、隼人のメンタルが参ってしまうから……。あんた最近、ゲームばっかりしてるでしょ? このままじゃあ、本当にお母さんの言う精神糖尿病になりかねないわよ?」


 確かに当時、ぼくにはオンラインゲームやメタバースなどのネットコンテンツ以外に心のよりどころがなく、このうえなく投げやりになっていたこともあり、体の面でもかなり不健康な日々を自ら送っていた。それこそ、かつて福祉系の大学で研究をしていた母が、その当時にSNSで提唱した概念である「精神糖尿病」にもなりかねないような状態だった。


「精神糖尿病」とは、現代の人々が、メタバースやオンラインゲームなどによって心の栄養分(刺激)を過剰に摂取し、その結果、ドーパミンなどの報酬系のホルモンが過剰に分泌され、言うなれば『心の糖尿病』を発症しているような状態にあるというものだった。そのため、この「精神糖尿病」を防ぐためには、母が同時期に提唱したもう一つの概念である「現夢両道」が重要になってくるということだった。これは、生活の中に「現実」と「フィクション(夢)」の両方をバランスよく取り入れることで、心身の健康を維持できるというものだった。


 心太を飼うことにずっと反対していた父も、母からこの「現夢両道」や「精神糖尿病」という概念とともに、当時のぼくの状態を何度も聞かされたことで、心太を飼うことをようやく了承したのだった。


 実際、ぼくの生活は、心太が家にやって来てから目に見えて改善していった。日々、心太と過ごす時間が増えるのに反して、一日の中でゲームをする時間はおのずと減っていき、自分の心が日に日にラクになっていくのがわかった。母の言葉を借りれば、心太とコミュニケーションを取ることで、体内でオキシトシンが分泌され、学校のことや両親の不仲のことで傷ついた心が少しずつ穏やかになっていったのだろう、ということだった。


 大袈裟ではなく、当時のぼくは心太に救われたのだった。以来、心太に自分のことを話すのが日課のようになっていた。


「そろそろ帰ろうか?」


 ぼくが言うと、心太は尻尾を振ってみせた。


 ぼくはリードを引きながら、家への道を歩き始めた。








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