第43話
それからまたしばらく、平穏な日々が続いた。年金暮らしのジジイの、代り映えのしない毎日だ。朝起きて、飯食って、クソ出して、新聞読んで、散歩に出る。昼めし食ったら昼寝して、夕飯食ったら風呂入って寝る。よくこれで24時間を過ごせているものだと思うが、これと言って退屈を感じることもない。
もっとも、あれから孫娘がどっさり持ってきたBLマンガが俺の生活に奇天烈な刺激を与えているという事実は否定できない。はっきり言えば、ジジイの俺には受容できない世界である。俺の時代には、男同士の恋愛なんてのは変態だと思われていたのだ。今さら宗旨替えは難しい。
いや、その前に、登場人物がどいつもこいつも美男子で不自然だ。あんなだから、BLがおつむのなかで過剰に美化されてしまうのだろう。それに、中学生が読むには不適切で過激な描写も多過ぎる。俺が中坊だった頃は、女子のうなじのおくれ毛を見るだけでも胸が高鳴ったものだったのに。俺はいちいちケチを付けながらページを繰り、それでも借りたものは一通り目を通してから返した。ひどく胸やけがした。
深谷も、あれ以降は姿を見せていない。あちらはあちらで、俺を警戒しているのだろう。現実の俺たちだけならわざわざ相手を避ける理由などないが、あの世界が絡むと思うとやむを得ない。だが、その甲斐あって、毎晩穏やかな睡眠を得られている。ショコラも太平楽ないびきっぷりだ。
しかし、寄る年波には勝てない。ある日散歩に出た俺は、ショコラの歩様がいつもにも増して遅いのに気付いた。よく見ると、どこかが痛くてかばうような、ひょこひょこと不自然な動きをしている。
「嫌だろうが、病院だな。」
くうん、とショコラが鼻を鳴らした。
俺は娘に、動物病院まで車を出してくれと頼んだ。俺は自分の歳を考えて、何年か前に車を手放してしまったのだ。娘は一旦はOKと答えたものの、厄介な仕事が回って来て帰れないと連絡が入った。代わりに、と娘が寄越したのは孫である。車は運転できないが、身体が丈夫なので、ショコラを入れたキャリーバッグを担いで歩ける。
「急に悪かったな。」
「いいよ、いいよ。おじいちゃんに語りたいこともあったし。」
孫が語りたいことと言うのは、大概、お気に入りのBLキャラについての感想である。俺は何も言うべきことを持たないのだが、孫が一方的にその所感をまくしたてる。なぜジジイの俺を相手に話すのかが不思議なのだが、孫よるとBLの世界も通り一遍ではなく、あちらこちらへの配慮が難しいらしく、当たり障りのない俺は話し相手に丁度良いらしい。俺にはその辺の機微も理解不能だ。ふーん、ふーん、と今日も適当に相槌を打つ。
適当に孫をいなしながら歩くうちに、動物病院に着いた。個人塾やら小売店やらあれこれ入居している灰色のビルの一角にあり、それなりにいつもにぎわっている。ずっとここに通っているので、ショコラはこの建物を見るだけでしっぽを丸めて固まってしまう。俺だって医者は嫌いだが、動物はもっと正直だ。
ショコラを診てもらうと、不調の原因は加齢であった。昔痛めた部分があり、若い頃は周りの筋肉で支えていたのだが、加齢で筋力が衰えてそれも難しくなってきたらしい。人間でもよくある話だ。深刻な病でなくて良かった。
俺はほっとして病院を後にした。治るものではないが、ぼちぼち様子を見ながら付き合っていけばいい問題だ。ジジイ同士、これからも仲良くやっていけそうだ。
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