第29話

「ご遺体の損傷が激しいので、ご覧にならない方が良いかもしれません。」


 過剰なほどに平静を装った事務的な声が、耳の奥で鳴った。これは何だ。誰の声だ。


「俺の女房だ。何があろうと、俺の蒔いた種だ。ちゃんと見る。見せろ。」


 こっちは聞き覚えがある。元の俺の声だ。俺が喋っているのだろうか。俺は元の世界に帰ったのか?


 …いや、これは俺が過去に聞いた声だ。ただの思い出だ。俺が間に合わなかった時の。あの時は、俺は何もできず、ショコラの待つ家に一人で帰った。ショコラはいつもどおり、ワンともスンとも言わずにくうんと鼻を鳴らして餌を食っただけだった。あれ以来、俺はショコラとふたり暮らしだ。もし、あの時、いやそれ以前に俺が―


 バカたれが。俺よ、しっかりしろ。そんな感傷に浸ってる場合か。これだからジジイは。昔のことばかり考えやがって。どっちも現実じゃないかもしれないが、こっちの闘いは現在進行中だ。とっくの昔に終わった過去より、こっちが優先に決まっている。何としてもプラを助けるぞ。俺はかッと目を見開いた。


 だが、俺は、自分がまた至らなかったことを思い知った。


 俺の目の前には、プラをかばうようにして、ケレが古い卒塔婆みたいに傾いて立っていた。その腹に、巨大蟲の口吻が突き刺さっている。見た目が吸血系の虫だ、血でも吸ってるのかもしれない。


「コンチキショーッ!」


 俺は口吻の半ば辺りに向け、拳を幾度も突き出した。たちまち、口吻を構成している虫が光りながら消滅し、ケレの腹に刺さっている棒切れもなくなる。ケレが倒れるのと前後して、ケレの陰から青白い光線が巨大蟲に向かって飛んでいった。プラのカメハメ波だろう。巨大蟲はやられはしないが、牽制を受けて後方に跳び退った。


「ケレさん、ケレさん。しっかりしてください。」


 プラが、力なく倒れ伏したケレを抱きかかえて揺さぶった。ケレは薄眼を開けているが、腹の傷からは赤い汁が滲み出ている。プリ方式じゃ、こういう生々しい血の演出は無いんじゃないのか?


「おなか刺されるなら、クリリンの私の方じゃないですか。どうして私なんかをかばって…。」

「いやあ、命を呈して仲間を助けるってやつ、やってみたくって。現実の私じゃ、人助けなんて無理ですし。死ぬ前に一個、すごい夢かなえちゃいました、えへへ。」

「冗談言ってんじゃねえや。まだ死んでねえだろ。全然透明化してねえんだから、大丈夫だ。」


俺は歯の根っこが震えそうになるのを、ぐっと噛みしめて堪えた。ケレはまだ、全身不透明だ。まだ、この世界でやられたというわけじゃない。落ち着け。ジジイの俺が落ち着かなくて、どうする。こういう時こそ、亀の甲より、年の功だろ。


「さっさとあいつを倒して、元の世界に帰れば何とかなるかもしれん。やるぞ。プラ、ステッキはあるな?」

「は、はい、ここに。」

「ケレは寝たままでいい。手だけ貸せ。」


 俺はケレの手を掴んで、ステッキに添えた。まだ、手にぬくもりはある。大丈夫だ。俺はケレの手の上に自分の手を重ねた。


「プラも手を出せ。」

「はい。」


 ケレを中心として、右と左から俺とプラがその手をくるむ。小さい魔法の杖を、俺たち3人はがっちりと握りしめた。何とはなしに、力が湧いてくるような気がする。そうだ。俺たちは魔法少女と魔法少年なんだ。これで決め技を放てなくて、いつやるっていうんだ。

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