第12話 歪んだ夢

 赤、黄、白、青、緑、鮮やかに輝く生命の色。

 青い空に父の輝かしき馬車が走り抜ける。

 母の恵みに生きとし生きるもの達が謳う。

 風を切り、光に照らされ、大地を踏みしめて走る。

 その時、その瞬間、世界と一体化したような幸福感が心を満たし、生を謳歌おうかする。

 今度は何処へ行こう。今度は何をしよう。

 万能感に浸りながら、前へ進もうとした。


「ゼネス」


 母の声がする。

 後ろを振り向くと、優しい母のいつもの笑顔があった。

 大輪に咲き誇る花々と共に両手を広げる母の姿。


「母上!」


 あの温かな胸と飛び込もうとした。

 しかし、近く、遠く、誰かが囁いている。

 花々の薄暗い陰。光に照らされた自分の足元に出来る影。

 行ってはいけない。足を止めろ。前へと進むんだ。

 どうしてなのか、問いかけても同じ答えしか返ってはこない。


「ゼネス」


 母が呼んでいる。

 行かなくては。反対する声なんて、聞いてどうなる。

 母はいつも正しく、いつも清らかで、いつも優しい。

 疑って何になる。


「……?」


 風が吹き、花びらが舞う。首にほんの少しの違和感を覚えた。

 手で触れてみると、金の首飾りがあった。

 あぁ、そうだ。今は冥界にいて、どうして落ちたのか調査をしてもらいながら、自分で紛失した剣を探していたんだ。

 これは、夢だ。

地上の神殿で、風に運ばれて来た植物の香りに懐かしさを感じてしまった。

 これは夢。夢なんだ。

 

 どうして俺は、小さな子供の様に母の胸へ飛び込もうとしたんだ?







 目を覚ましたゼネスだったが、妙な疲れを感じた。

 久しぶりに夢を見た気がするが、内容は全く覚えてはいない。どこかで歪み、崩落ほうらくしたような感覚だけが残っている。

 後味が悪い、とでも言うのだろうか。本当ならば忘れてはいけない何かがあった気がする。


「……顔を洗いたいから、用意を頼めるかな?」


 ベッドの傍らで待機をしていた亡霊は、ゼネスの言葉に頷くと、部屋を出て行った。

 ゼネスはベッドから立ち上がり、身体を軽く動かす。神殿で掃除を終えた時に比べれば、随分と身体が軽い。特に問題なく、掃除を再開できそうだ。


「あぁ、ありがとう」


 すぐに亡霊は、温かいお湯で満たされた桶と布を持って来た。

 顔を洗い、布で拭いていると、別の亡霊がやって来る。その手にはトレーがあり、青い液体で満たされた小瓶が置かれ、小さな紙が添えられている。


「俺に?」


 ゼネスの問いに、その亡霊は頷いた。

 シャルシュリアからだろうか。ゼネスはまず紙を手に取り、書かれている内容を読んだ。


〈効能:疲労回復、怪我の治癒、解毒げどく。何かあったら飲むように〉


 書き殴られたかのような乱雑な文字。明らかに、彼の筆跡ではない。


「……送り主は、シャルシュリア様ではないな」


 若干気落ちするゼネスの言葉に、トレーを持つ亡霊は頷いた。


「確か、冥界には魔術の女神がいらっしゃったな。その方が、俺に?」


 差出人の名前が無いので訊いてみると、再度トレーを持つ亡霊は頷いた。

 冥界には、死の三女神のように複数の神が在籍している。魔術の女神もその一人だ。会う気は無いが、気に掛けてくれたのだろう。しかし、冥界の掟がある。飲めば冥界の住人となってしまうので、無用の長物になってしまいそうだ。


「ん?」


 何気なく紙を裏返すと、こちらにも書き殴った文字が書かれている。


〈追伸:原材料は地上の薬草。冥界で服用しても問題なし〉


「これ……冥界の掟としては、大丈夫なのか?」


 亡霊の2人に紙を読んでもらうと、彼等は顔を見合わせ、桶を持った方が部屋を出て行った。

 間を置いて、先程の亡霊が戻って来ると、ゼネスに紙を渡しながら何度も頷いた。筆跡から、裁判官のいずれかに確認を取りに行ったようだ。


〈冥界の食べ物とは、この地に生息する魚介類や動物、自生する植物であり、地上のものは該当しない。本来、地上の食物及び死体は、冥界に持ち込まれた瞬間から腐敗が加速し、館に着くころには骨も残らない。しかし、地上を行き来できる魔術の女神が自らの手で採取し、薬として加工したものは冥界の掟から逃れる事が出来る。

 ただし冥王陛下との契約により、天・地・海で使用できる薬は一本のみである〉


 紙にはその様に書かれ、ゼネスは冥界の館の水路はとても綺麗であったと思い返し、自分以外は何も漂着していなかった事に納得をする。


「魔女に信仰され、成功の象徴である女神の薬が、そう簡単に世に出たら厄介だもんなぁ……」


 地上とは異なる理によって構成された冥界であっても、何が起きるかは分からない。たった一本でも、脱出を目論む者にとっては有益な品だ。


「大事に使わせてもらうと伝えてくれ。俺は、そろそろ掃除を再開するよ」


 2人の亡霊が頷き部屋を出て行くと、すかさず掃除道具とローブを持った亡霊達が入って来た。

 着替え終わったゼネスは、薬を一口だけ口に含む。僅かに苦みのある液体を飲み込むと、先程まであった倦怠感がなくなり、気分が少し晴れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る