第9話 楽園の苦労

「苦園と草園で死の三女神の御二人をお見掛けしたのですが、こちらにはいらっしゃるのですか?」

「残念だが、リュイン様は不在だ」


 死の三女神の三女リュインは、病気に侵された者、天寿を全うする者、胎児や成人を迎えられない子供の魂を狩る。最も人の身近にいる死をもたらす存在だ。彼女の場合、狩るよりも迎えに行くと表現した方が良い程に、丁重に魂を扱う。相手の死に寄り添い、敬意を持って接する為に、ほんのひと時の休息も人間を知る為に費やしている。


「一回だけでも挨拶できればと思っていましたが、それも難しいようですね」

「長らくここに暮らす英雄や冥王陛下に仕える裁判官達すら、リュイン様を一度も見た事が無い程だ。彼女の姉君や伝達の神であれば、彼女を見つけられるだろうが……冥界への帰還は無いと思って貰った方がいい」

「はい。わかりました」


 地上で会う時があれば挨拶をしようとゼネスは思いつつ、建造物の大きな扉を見る。

 今も金属同士が激しくぶつかり合う音が聞こえ、時折雄叫び様な声も聞こえている。


「この建造物の中から英雄達が戦っているようですが、まさか逃亡者が出たんですか?」

「いいや。これは日常茶飯事だ。英雄達にとって楽園は退屈な場所だ。だが見境なく戦われては楽園が破壊されてしまう為、地上へと続く階段の前に円形闘技場が建築された」


 歴史に名を刻んだ誉れ高き英雄達であるが、その身が朽ちようとも魂に刻み込まれる戦の熱を忘れる事は出来ない。鎮魂と安息の地である楽園は、彼等にとっては不変であり窮屈きゅうくつで退屈な場所だ。だが、楽園には戦を好まない善良な者達も多く暮らしている。英雄達の為に戦場に塗り替えられ、破壊されては地上と大差が無くなってしまう。

 その対策であり、同じ貉である者達を楽しませる為に建設されたのが、円形闘技場だ。


「苦園と草園は大きな怪物達が階段を守っていましたが、退屈と鬱憤を晴らす為に戦っている英雄達が、それを担っているんですね」

「あぁ、そうだ。ここには冥界下りの英雄しか現れていないが、皆が楽しんでいる」


 金の首飾りがあったからこそゼネスは容易に楽園まで辿り着けたが、苦園では罠の蔓延る部屋を番人が徘徊し、広間では知能の高い大蛇達が待ち受け、草園では変化が無いように見えて予測不能な草原と上空から獲物を狙う怪鳥達が飛び交っている。

 実際に逃亡を試みる者がいるのか定かでは無いが、脱出できないよう様々な対策が講じられている。

アイデンの話からも、下層から楽園へ辿り着けた者はいない。


「……何も知らずに闘技場に入ってしまったら、俺は挑戦者として英雄達と戦う羽目になっていたんですね」


 入る前にアイデンに止められ、退屈している英雄の話を聞けば、初めて訪れるゼネスでも容易に想像が出来た。


「間に合って良かったよ」


 お互いに苦笑してしまう。

 神は不老不死であるが、痛いものは痛い。

 ゼネスも一通り武術を習い、剣の扱いに慣れてはいるが、英雄の様に怪物退治や数多の戦場を駆け巡った経験はない。実力の差は歴然であり、負けるのは目に見えている。


「闘技場の掃除に来た番人と皆に伝えるので、待っていて欲しい」

「はい。お願いいたします」


 しばらくして金属音が止み、アイデンに入って来るように言われ、ゼネスは円形闘技場に足を踏み入れる。

 3段からなる石造りの観客席が周囲を囲い、闘技場には無数の折れた槍や剣が散乱している。機械仕掛けで闘技場の地形を変更するのか、舞台端に鎖と歯車からなるカラクリが見えた。絢爛けんらんではなく、人々の熱気こそが花を生む空間。掃除をするため英雄も住人達も退席してしまったが、客席側から観戦してみたいとゼネスは思った。


「なるべく早くしてくれと、英雄達が言っている。ここは広いので、他の番人達も呼び寄せよう」

「ありがとうございます」


 ゼネスは他の番人と共に、円形闘技場の清掃をしつつ、剣と装備品を探す。

 しかし、武器庫や控室、観客席と、施設内の隅々まで捜索したが、見つからなかった。

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