第8話 楽園に住まう英雄

 楽園エレスマイア。

 太陽の日差し様に、かすむ程に高い天井から、光が降り注ぐ。


「地下に浮島なんて、良く思いつくなぁ……」


 ゼネスは見上げながら感嘆の声を漏らす。楽園は浮かぶ島群で構成され、その下は雲によって包み隠されている。

清らかな空気で満たされる島々には、青々とした葉を茂らせる木々が枝を伸ばし、たわわな実が年中垂れ下がっている。四季折々の花々が咲き誇り、大理石の家には神々や植物、動物を模した繊細な彫刻が彫り込まれ、水路には澄んだ清流が流れている。穏やかな風と共に何処からともなく弦楽器や管楽器の柔らかな音色が聞こえ、心が洗われて行く様だ。

 絵画の様であり、地上でも数える程しか見られない美しい景色。

 草園の空の遥か上空を〈上の階層〉と捉えれば道理であるが、目の前に広がる楽園の光景はそう簡単には描けない。

 ゼネスは大理石の道に落ちた葉や花びらを集めながら、水路を見て回る。時折枝や葉が落ちているので、箒を使って取り払うものの、剣もベルトも見つからない。

 島々を繋ぐのは、大理石の門。ここを潜ると次の島へと行けるが、他の層とは違い、門を潜る程に周囲の島の数が減り、上へと登って行くのを実感できる。


「登るだけじゃダメか……」


 層ごとに入念に探すべきか。9つ目の島で悩み始めたゼネスの耳が、金属同士がぶつかり合う音をかすかに捕えた。その音は、さらに上の島から聞こえてくる。

 楽園では不相応に思えるが、ここには名だたる英雄達が暮らしている。

 もしかすると、英雄が剣を持っているかもしれない。

 気力を取り戻したゼネスは、音のする島に向けて、掃除をしながら移動する。

 そして、一際大きな建造物が聳え立つ大きな島へと到着した。無数の柱によって構成された円形闘技場の周りには、英雄達の象徴である動物や武器を取り入れた刺繍や柄の旗がはためき、楽園の住人達が行き交っている。

 これまでの流れから、ここが地上へと続く階段のある場所だと、ゼネスは理解した。

 英雄達が集まっているという事は、武器もまた沢山置かれている。その中を早く確認し、剣を見つけ出さなければならない。


「待て」


 闘技場の出入り口である大きな扉を目の前にしたゼネスを、男性の野太い声が止める。ゆっくりと重量のある足音が徐々に近づいて来るのが聞こえた。


「あなたは……」


 振り返ると、見上げる程に大きな巨体にゼネスは驚く。

 全身を覆う黄褐色の体毛と黄金の豊かなたてがみ。柔らかな光を宿す琥珀色の瞳。顔は獅子、身体は人の姿。筋肉の凹凸がハッキリと分かる程に恵まれた体をしているが、衣から露出している腕や足、そして顔には無数の傷跡があり、左耳は半分もない。特に首の傷跡は痛々しく、彼の迎えた最期がどんなものであったか言葉にせずとも理解出来る程だ。


「私はここの番人の長を務めるアイデンだ」 

「はじめまして。ゼネスと申します」


 アイデンの右耳がピクリと動いた。


「若き神でしたか。これは、失礼を……」

「あっ! そのままで結構です。畏まらないでください」


 謝罪をしようとしたアイデンに、慌ててゼネスは言った。


「しかし」

「今の俺は、ただの掃除係です。神として扱われては、困ります」


 シャルシュリアから賜った金の首飾りの効果によって、今のゼネスは番人達と同じ立場となっている。長であるアイデンが特別扱いされては、楽園の住人達に不審がられてしまう。動き回りやすくするためにも、今のゼネスに神の格式は不要だ。


「……確かに、そうだな。今後は気を付けるとしよう」


 礼儀正しく穏やかなアイデンではあるが、彼の人生は壮絶なものであった。

 西の大国で王位継承権を争う兄弟がいた。弟は海神の祈りを捧げ、恩恵を賜る代わりに白銀の獅子を捧げる約束をした。戦いの末に弟は見事王となった彼だが、美しい白銀の獅子を大層気に入ってしまい、海神へ代わりの獅子を捧げてしまった。約束を違えた西の王に海神は激怒し、彼の妃へと呪いをかけ、白銀の獅子に性的欲望を抱かせた。妃は苦悩の末に、雌の獅子の毛皮を被り、白銀の獅子に思いを遂げた。

 西の王はその事実を知るや否や、妃を塔へと閉じ込めた。妃は水しか飲ませてもらえなかったが、腹はたった一週間で膨れ上がり、そして子供が生まれた。

 それがアイデンだ。

 彼は、西の国に戦争の道具として生かされた。

 前線に立つ的として、敵を薙ぎ払う剣として、彼は目の前にいるもの全てを殺し、それを食べる事で生きながらえた。そして最後には、殺されるのを恐れた西の王によって孤島の要塞に幽閉され、殺戮を行う怪物として仕立て上げられ、ある英雄によって首を落とされた。

 王の過ちによって産み落とされ、英雄の糧となる怪物。それが彼であった。

 多くの英雄譚を母より聞いていたゼネスは、アイデンが楽園で穏やかに暮らしていると知り喜ぶと共に、判決を下したシャルシュリアに内心感謝をする。

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