第4話 ただ待つだけでは忍びなく


 まずゼネスが案内されたのは、温泉浴場であった。

 その場所は温泉の湧く洞窟を切り開きながら、柱や浴槽を作り、神殿に見立てている。管理された水路から流れ落ちる乳白色の温泉が、広々とした浴槽を満たしている。湯気が立ちこめ、硫黄いおうが仄かに香る中、ゼネスは濡れた服を脱いだ。

 道中に比べて豪華さはなく、どこか殺風景な浴場だが、身体を温め、心を落ち着かせる場所なので、こちらの方が落ち着ける。ゼネスは温泉の熱さに慣らす為に、身体を軽く流した後、ゆっくりと浴槽に浸かった。

 身体が徐々に温まり、ようやくゼネスの緊張の糸が緩んだ。

 今後どうするべきなのか熟考する程の選択肢は、存在しない。地上に早く戻りたいと思うが、神が関与しているとなれば相手が親戚だとしても、ひと悶着あるからだ。自由奔放な性格の多い神々であるが、権能やその類の力を使うとなれば何か思惑があってのこと。嫉妬や悪戯による直情的な行動から、陥れるために入念に計画される場合もある。

 地上に今戻れば、何が起きるのか分からない。事の次第によっては、人間の一人や二人は巻き込まれて、死んでしまいそうだ。

 なので、ゼネスはシャルシュリアの慎重な姿勢に賛成をし、一時的に置いてくれた事へ感謝をしている。


「あのさ、ちょっと良い?」 


 待機している亡霊の1人にゼネスは声をかける。


「もう一度冥王陛下にお会いしたいので、謁見できる様にお願いをして貰えるか?」


 シャルシュリアは巻き込まれながらも、冥界の王として勤めている。なのに、原因である自分が解決するまで客として持て成され、何もしないなんて出来ない。

ゼネスは、館に居させてもらう間は、何か役に立つ行動をしたいと強く思った。

 しかし先程の様に、突然行っては彼に失礼だ。謁見えっけんの予定を取り付けてもらう必要がある。


「できなければ、言伝や手紙を送らせてもらいたい」 


 亡霊は小さく頷き、浴場を出て行った。

 浴場で待っていたい所だが上せてしまいそうなので、ゼネスは適度の体が温まると浴槽を出た。身体を乾かし、簡素な衣に着替えを済ませ、他の亡霊達に案内された客間で返事を待つ。

 客間は、1人で使うには充分過ぎる程に広く、豪華さの中に品がある。竜胆りんどう色の天幕が空間を彩り、天井から吊り下がる光を閉じ込める鳥かごは丸みを帯びた形状をしている。広々としたベッドのシーツや大きな枕のカバーには幾何学模様の刺繍がふんだんに施され、壺やモザイク画等の調度品は派手過ぎず、空間のより引き立てている。

 滅多に神や英雄は訪れないはずの冥界で、こんなにも良い部屋を用意してもらえるとは思ってもいなかったゼネスは、客人のように持て成されている様で何となく居心地の悪さを感じた。

 ゼネスは大人しく一人がけの椅子に座って待っていると、亡霊が戻って来た。その手には豪華な装飾をされたトレーがあり、一枚の手紙が乗せられている。どうやら、謁見の時間を設けるのは難しいようだ。


〈暇を持て余すのであれば、掃除係を装い各園に赴き、剣の捜索をお願いしたい〉


 その様に手紙には美しい筆跡で簡素に綴られている。冥界へ落ちた経緯もありゼネスが大人しくしていられない性分であると、シャルシュリアは見抜いていた。

 冥界は地上の神殿と四つの層によって構成されている。

 まず、地上と冥界の境に流れる大河エーデの上に建設された神殿。冥界の入り口であるその場所を、千の顔を持つとされる三匹の獣が守っている。

 神殿の下、地上に最も近い第一層、楽園エレスマイア。英雄や偉業を成した者、善行を働き続けた清き者だけが招かれる冥界で最も美しい場所だ。

 中間に位置する第二層、草園カウルギエン。一般人や大衆と呼ばれる善行をほどほどに行った者、悪行があっても生前に償える程度の罪を犯した者が、転生を待つ為に用意された場所だ。

 下層に位置する第三層、苦園ダスアエリス。ここには、神に刃向かった者や殺人等の重罪人が収容され、罪を償い続ける。何百、何千年と途方も無い時間、あるいは未来永劫を牢獄の中で過ごし、番人達の手によって苦痛を味合わされ続ける。

 そして、第四層とされる冥界の館。ここには、冥界の王であるシャルシュリアと彼に従う神が棲む。裁判を待つ亡霊達だけでなく、生前は著名な画家や音楽家、彫刻家、建築家だった者達が働いている。ここより更に下の層があるとされるが、ゼネスに関係するのは第一から第四層までだ。

 冥界は層に分かれるだけでなく、さらにその中では常に構成が変化し、逃亡を試みる者達の心を打ち砕いて来た。

 剣の所在はこれから捜索が開始されるが、可能性を潰す為にシャルシュリアはゼネスに提案をした。

 地上の睡蓮の仕業。他の神の悪戯。それだけでなく、大河エーデには戦死者の遺体がそのまま流される事例が過去にあり、ゼネスをそれと誤認した者が盗んだ可能性があるからだ。

 冥界の魂達を運ぶ渡し守、罰を与え逃亡を阻止する番人、はたまた英雄や罪人等の各層にいる亡霊。シャルシュリアの関係者であれば、貴金属や危険物は各層の保管庫に収納され、時期が来ると屋敷へと運ばれる。だが、亡霊相手となると何をしだすか分からない。楽園の善良な住人であれば番人へと渡すが、それ以外となれば自分の武器として懐に収める者、見つからない様に床や壺に隠す者、危険物だと破壊する者等、行動が枝分かれする。

 館の亡霊達を動かせば他の層に混乱を招きかねず、関係者達は自身の役割がある為に人員を割ける数が限られる。剣の所有者であり、その姿形を知るゼネスが捜索の適任であるとシャルシュリアは判断した。


「わかった。謹んでお受けすると伝えてくれ。あ、それと剣や装備品の特徴についても伝えて欲しい」


 役に立てて、剣を取り戻せるならば、とゼネスは納得した様子で言った。亡霊はそれを聞くと、再度シャルシュリアの元へと向かった。

 すぐにでも行動に移したかったゼネスであるが、道具がまだ用意されていないので、ベッドに横になる事にする。

 僅かな空腹を感じるが、飢えても死なない神の体であるゼネスは、亡霊達に食事を持って来るよう頼みはしない。冥界の食べ物を食べてしまった者は、冥界に属する。これは地上と冥界が分かつ際に神々が作り出した取り決めだ。これは地上を統べる天神であっても覆す事は出来ず、母から冥界やシャルシュリアについて教わる際、何度も注意された。

 ゼネスは気を紛らわす為に目をつむると、地上から冥界の館まで流された際に体力をかなり消耗していたのか、すぐさま眠りに落ちて行った。







「眠ったか?」


 ゼネスに毛布を掛けていた亡霊は、主の声にビクリと身体を震わせ、すぐさま振り向くと大きく頷いた。

 シャルシュリアはベッドへと近づき、規則正しい寝息を立てるゼネスの額に細く長い指先を押し当てる。念には念をと、彼に絡まる呪詛じゅそ、あるいは毒を秘めているか確認をする。 

 しかし、感じ取れるのは両親譲りの力のみ。邪悪さの片鱗すらない。


「いったい、おまえは何だ?」


 シャルシュリアの首と胸を飾る複数の長い首飾りが擦れ合い、じゃらりと音を立てる。

 地上の魂を死を与える三女神や両側を行き交う伝令の神から、地上に住まう神々の昨今さっこんの情報を聞いているシャルシュリアだが、ゼネスに関する事件や出来事を耳にした覚えは一度もなかった。

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