第2話 若き神は冥王に出会う

 さらさらと水の流れ落ちる音がする。

 誰かのささくような声が、何処からともなく聞こえている。


「んん…………」


 意識が浮上し、目をゆっくりと開けたゼネスは、石造りの天井を見上げる。

 天井?

 そう疑問が浮かび上がった瞬間、自分に起きた現象を即座に思い出し、即座に覚醒する。


「ここは……?」


 声が広い空間に響く。

 いつの間にかローブが脱げてしまったゼネスがいるのは、どこかの建造物の地下水路。その船着き場と思われる岸の石階段に運よく漂着していた。

 地下水路はカビや泥臭さはなく、底が見える程に水路の水は透明だ。上から滝のように大量の水が流れ落ち、ゼネスは自分が此処まで流れ着いたのだと理解する。

 ゼネスは階段を上り、辺りを注意深く観察しながら歩みを進めていく。

 幾何学きかがく模様が施された石畳。石の柱には金や銀の花枝のように繊細な細工が施され、金剛石やサファイヤ等の宝石が埋め込まれているが、派手過ぎず、品の良さが保たれている。

 無機質な中に柔らかく重厚じゅうこうな瑠璃色の垂れ幕が彩りを添え、天井から吊り下がる鳥かごに似た灯りの中には、大きな蛍のような光の玉がいくつも入っている。

 地上の神殿に似た構造が見受けられるが、独自に発展した技術がそこかしこに散りばめられている。

 好奇心と探求心が胸の中で燻るが、冷静に成れと自分に言い聞かせる。

 神殿ならば主がいる。まずは挨拶をして、ここに来てしまった経緯を話さなければ。

 そう考えていると、ゼネスの横を誰かが通り過ぎる。

 声を掛けようとした彼だが、驚きのあまり声が出なかった。

それは、ローブで身を包んだ人のような半透明の存在。最初の1人を皮切りに、音も無く次々とゼネスを通り過ぎていく。多少体格の差はあるが、格好は全て同じであり、フードの下から覗く顔には二つの青色の光しかない。

 説明をされずとも、わかった。あれは、地上で死した人の魂。亡霊達だ。

 そこで、ようやくここが何処であるか理解し、ゼネスは慌てた。

 ここは冥界。死した魂の行きつく地。

 ゼネスは亡霊達をすり抜けて、急いで彼等の向かう玉座の間へと走る。

 母から、滅多に会う機会が無いからと話には聞いていた。


「あっ……お初にお目にかかります」


 ゼネスの濡れた服から、水滴がしたたり落ちる。

 竜の骨を幾重いくえにも繋ぎ合わせ造られた荘厳な玉座に座る一人の男神。

 冥界の王シャルシュリア。

 雪原の如く美しい白銀の長い髪を一つにまとめ上げ、羽を模した金の髪飾りが淡い光を反射する。血が通っているのか疑わしい程に白く、灰色にも見えてしまう肌の首の左側には、3つの連なる十字のような刺青が刻まれている。

 凛々しくも美しい尊顔の眉間には皺が寄り、長いまつ毛に彩られた金の瞳は吸い込まれそうな程に澄み渡りながらも、鋭い眼光は氷のように冷ややかだ。

 裏地に夜空を描い濡羽ぬれば色のローブを身に纏い、腕や首、芸術家が理想として描くほどの鍛え抜かれた体には、繊細な金の装飾品と紫水晶が飾られている。豪奢でありながら荘厳であり、地上であれば多くの人間と神の目を惹くだろう。


「名は?」


 シャルシュリアの大振りの耳飾りが揺れ、静かに重く短い言葉がゼネスに向けられる。

 思わず見惚れていたゼネスは我に返る。


「俺は、太陽神アギスと」

「見ればわかる。おまえの名は?」


 名乗ろうとしたゼネスだが、シャルシュリアは其れを遮る。

地上の神々は誰もが両親の名を出せば、ゼネスを手放しで歓迎してくれた。しかし、シャルシュリアはそうではない。

 冥界は死後の世界。全ての魂が行きつく最果ての地。どんな神で在れ、英雄で在れ、彼のおきてに従わなければならない。それは絶対であり、誰の血筋であるかなんて、シャルシュリアにとって些細な事だ。


「名前は、ゼネス。神の末席に座る者です」


 ゼネスはしっかりとした声で言ったが、内心は戸惑っていた。

 話には聞いていたが、冥界を訪れ、王と対面するなんて思いもしなかった。

 勤勉で生真面目。しかし、気難しい所がある。その様に母に聞かされ、自由奔放で捉え《とらえ》所のない神々の中でも珍しい、と思った。だからこそ、どう接すれば良いのか分からない。


「神であっても、冥界へ容易に入る事は出来ない。どうやって侵入した?」


 今にも肌が切れてしまいそうな程に鋭く、凍り付く様な視線を向けられ、ゼネスは身震いしそうになるのを抑える。


「故意で、冥界へ訪れたわけではありません。俺は……ある神から、霊峰の谷間に、夜にしか咲かない睡蓮が浮かぶ泉があると聞き、見物にやって来ました。母への土産に一輪取ろうと泉に入った所、底から何かに足を絡み取られ、こちらへ引き摺り込まれてしまったんです。途中で意識を失い、気づけばこの館の水路に流れ着いていました」


 ゼネスはシャルシュリアに、ここに来た経緯を話した。

 正直に伝えれば、分かってもらえるのではないか。

 淡い希望と不安を胸に、ゼネスはシャルシュリアを真っ直ぐに見つめる。


「あれは、冥界へ根を下ろす花であるが、特に何か悪さする様なものではない。だが、仮に神の頼み事をされたとしても、引き込むような花でもない」


 シャルシュリアは表情を変えず、淡々と事実を述べる。


「おまえは、何の神だ?」

「何って…………」


 その問いかけに、ゼネスは口籠った。

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