4.禍津日神の儀式

第56話 神降ろしの儀式②

 目隠しをされて連れてこられた場所は、大きな岩倉の中のようだった。外より低い温度の空間に音がやけに響く。聞き慣れた愛しい声が直桜であると、目隠しを取るまで認めたくなかった。

 鍾乳洞のような広い空間は、頭上に開いた大きな穴から月明かりが差し込む。

 祭壇と思しき舞台の上の直桜は、彼が友人と呼んだ男に犯されていた。その男が巫子様なのだと直感した。


 楓が直桜の体を起き上げて、白い衣を纏わせる。手と足は鎖が繋がっている。枉津日神を封じていた鎖と同じ神力を封じる呪具だと、すぐに分かった。

 目を虚ろにした直桜は、楓にされるがまま白い祭壇の上に座っていた。


「直桜にはちょっとキツかったかなぁ。こういうの免疫なさそうだし潔癖そうだしね」


 何でもないように話す槐の言葉に、気が尖る。

 護の気を逆立てるためだとわかっていても、感情を殺せない。


「あの鎖に繋がれている直桜は神気を使えない。直日神を封じるには丁度いい状態だけど、どうする? 13課の狙い通りに動くなら、今が頃合いだよ」


 槐が護に問い掛ける。

 それすらも腹が立った。


(わかってる。直日神を一時、封じなければ枉津日神を降ろせない)


 枉津日神を降ろして荒魂にしなければ、それを封じることも出来ない。だからやらねばならないことは、わかっている。


「お前たちの望み通りの状況を作ってやったんだから、感謝してほしいよ。正気の直桜相手じゃ、大変だろう?」


 槐が護に向かって微笑む。

 飛び出しそうな拳を摑まえて、ぐっと耐えた。


「私が祭壇に近付いても、直桜は大丈夫なんですね」


 押し殺した声で問う。

 万が一にも直桜に何かあっては、事だ。これ以上の惨事は避けたい。

 尤も護にとり、今しがた目の前で起きた以上の惨事など、ありはしないが。


「問題ないから、お好きにどうぞ。恋人をじっくり慰めてやるといい」


 槐の方に目はくれずに、歩き出す。

 護の姿に気が付いた楓が、横目に笑んだ。

 直桜の体を抱きかかえて、正面から向き合う。


「ねぇ、直桜。もっと気持ち良くなりたい?」


 虚ろな目で、直桜が頷く。


「じゃ、直桜からキスして」


 直桜の唇が自分から楓の唇を貪った。


「楓……、気持ちい……、すき……、かえで」


 譫言のように繰り返して、直桜が楓の唇を食む。


「そうだよね、今の直桜は俺が好きだよね。呪詛すら跳ね返す惟神の神力を封じると、こんなに簡単に手に入っちゃうんだなぁ」


 至極楽しそうに、楓が笑いを堪えている。

 楓の目が、祭壇に辿り着いた化野に向いた。


「化野さん、ごめんね。でも、俺の方が直桜のこと、ずっと前から好きだったんだから、いいよね。化野さんだって、昔は槐兄さんに抱かれていたんだから」


 直桜を抱く楓の手を乱暴に掴み払った。


「貴方と話すことはありません。退きなさい」


 目を合わせることなく、護は直桜に手を伸ばした。

 両手で直桜の頬を包み込む。


「直桜、こんな目に遭わせる筈じゃなかった。本当に、すまない」


 半開きの唇に、そっと口付ける。

 直桜の中に呪詛が流し込まれている気配がした。

 肩がピクリと震えて、焦点の合わない目が護を捉えた。


「……護、俺……、ぁ、やだ、嫌だ。ごめん……」


 傾いた直桜の体を護の胸が受け止める。

 動いた拍子に、直桜の股の間から混濁した液体が流れ落ちた。苦虫を嚙み潰す気持ちで耐える。

 抗っているせいなのか、呪詛が不十分なのか、直桜の意識が不安定だ。

 護の腕の中で力なく暴れる直桜の体を、強く抱き締めた。


「謝らなくていい。俺の直桜には、変わりないから」


 何度も何度も、頭を撫でる。


「あったかい」


 呟いた直桜の体が徐々に熱を戻した。


「まも、る。俺の、なか、まだ、呪詛……が……」

「わかってる。何とかする」

「……約束、守って、ね……」


 護の腕を力なく掴んで、直桜が自分の腹に押しあてた。

 そのまま、だらりと脱力し、動かなくなった。


「惟神の御心のままに。……直桜、愛していますよ」


 悔しい気持ちを拳を握り締めて耐える。


「さっさと直日神を封じたほうが良い。直桜の呪詛、解いてあげたいでしょ? このままじゃ、俺を好きな直桜のままだよ」


 楓が下卑た目で笑み、護を見下ろす。

 護はその目を睨み返した。


「直桜が本当に貴方を愛する瞬間など、永遠に来ませんよ」


 右手に力を込めて、直桜の腹に改めて宛がう。皮膚を通り越して腹の中に右手を押し込む。中に感じる温かな神の御魂を掌で包み込んだ。


 上向いた直桜の唇を塞ぎながら、右手を強く握りしめる。

 封印の鎖が直日神の魂を雁字搦めにする。鬼神の右手が直日神を、封じ込めた。

 直桜の体から神気が消える。

 漂う弱い霊気だけが、直桜を包んでいた。


「お別れは済んだみたいだし、降ろそうか」


 二人の姿を冷めた目で眺めていた楓が、犬のぬいぐるみを持ち挙げた。

 枉津日神が収まっている呪具だ。

 両手で掴むと、ぬいぐるみを引き裂いた。

 引き裂かれた隙間から、光が溢れ出す。溢れ出た光が一つに纏まって、空に浮いた。浮いた光は宿木を求める鳥のように、直桜の体に一直線に飛び込んだ。


「くっ……」


 直桜の背中に入り込んだ光の衝撃が強すぎて、護は足を踏ん張った。

 ドクンドクンと心臓が鼓動するように、直桜の体が跳ね上がる。それを押さえつけるために、護は直桜の体を精いっぱいの力で抱き締めた。

 強い突風が去って、辺りに静寂が戻る。

 直桜の指がぴくりと震えた。


「直桜、直桜!」


 肩を揺すると、直桜がうっすらと目を開いた。


「直……!」


 直桜の後ろに人影を見付けて、咄嗟に身を捩り飛び退く。

 若い男が刀を振り下ろしていた。


「おいおい、避けんなよ。そのままじゃ、アンタらが望む荒魂にはならんぜ」

「直桜を傷付けても、荒魂にはなりませんよ」

「ああ、そうだよ。だから俺の狙いは、アンタだ!」


 男が護に向かい刀を振りかざす。

 切っ先から逃れたら、祭壇から降りてしまった。


「それはルール違反だよ、化野さん。神降ろしの儀式に必要なのは、雑魚神様の荒魂と、神殺しの鬼の穢れた血だ」


 楓の後ろから、もう一本の刃が向かってくるのが見えた。

 避けるために後ろに下がると、直桜を抱えた護の体が祭壇に戻った。


「おお、これで元通り~。いっちゃん、やっちゃって~」


 楓の後ろから現れた女子が護の後ろに声を掛ける。

 振り返った時には先ほどの男の刃の間合いだった。


「しまっ……!」


 咄嗟に飛び退いたが、肩に刃が食い込んだ。

 飛び散った護の血が直桜の顔を汚す。


「やっと穢れてくれた」


 ニコリと微笑んだ楓の隣で、槐が小さな壺の蓋を開けた。

 真っ黒い塊が勢いよく壺から飛び出す。一直線に直桜に向かって飛んできた。

 逃げようと思っても、傷の痛みで一瞬、動きが鈍る。

 その隙に、黒い塊が直桜の体を攫って取り込んでしまった。


「直桜!」


 腕を伸ばしても、渦巻く黒い旋風に弾かれてしまう。

 護の動きが止まった。


(荒魂になるためには、これでいい。いいはずだけど、本当に、いいのか?)


 直桜の体が壊れてしまわないのか。

 呪詛で弱り切った今の直桜が、この衝撃に耐えられるのだろか。

 惟神の神降ろしの神事は命懸けだと聞く。もし失敗したら、直桜はどうなるのか。

 考えれば考えるほど、不安しか生まれない。

 護は歯を食いしばり、足を踏ん張ると、旋風に飛び込んだ。

 まっすぐ前しか見ていなかったから、横から滑り込んで来た刃の陰に気が付かなかった。

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