第53話 巫蠱の子

 九月になったとはいっても、まだ熱さが卦ぶる季節だ。エアコンがきいた部屋に慣れてしまうと、外に出るのが億劫になる。

 そんな真昼間に、直桜は待ち合わせのため、外出していた。

 久伊豆神社の境内は木が生い茂り、木陰は割と涼しい。そういう場所にベンチが置いてあったりするので、涼むには良い場所だ。

 真夏の昼間は人も少ないので、境内に放し飼いにされている鶏や孔雀の観察がのんびりとできる。


「直桜、お待たせ」


 アイスコーヒーを片手にベンチに座る直桜に楓が駆け寄った。

 直桜も手を上げて楓に応える。


「呼び出したのに待たせて、ごめんね」


 直桜の隣に腰掛けて、楓が申し訳なさそうな顔をする。


「こっちこそ、セミナー蹴って、ごめん。連絡もしなかったし」


 忍の所に籠りっきりだったから、すっかり忘れていた。


「本当だよ。来ないし連絡つかないし、心配したんだよ。はいこれ、教授がくれた資料、預かってたんだ」


 分厚い紙の束を渡されて、げんなりする。


「これって、レポートとか、無いよね」

「ないよ。俺たち、もう卒論も出来上がってるし、今更宿題とか出ないよ」


 ほっと、安堵の息を吐く。

 楓がおかしそうに笑った。


「最近の直桜はバイトで忙しそうだって陽介も心配してたよ。俺も直桜のこと誘えなくなって詰まんないしさ。夏休み終わったら、バイトも辞めるの?」

「んー。続けるかな。夏休み終わっても、大学あんまり行かないで済みそうだし」

「まぁね。単位ほとんど取っちゃってるし卒論終わってるし、やることないかもね」


 夏には珍しい爽やかな風が吹き流れる。

 暦の上では秋なのだと実感する。


「バイト続けるのは、恋人ができたから? 化野さん、だっけ。優しそうな人だったね」


 楓の声のトーンが落ちた気がした。


「それもあるけど。天職だから、かな。むしろ、俺にしかできない仕事というか。今までずっと逃げ続けてきたんだけど、向き合うのもアリかなって思ったんだ」


 楓が驚いた顔で直桜を眺めた。


「直桜が積極的なの、初めて見たかも。今のバイトって直桜の価値観、変えるほどだったの? かなり意外だよ」

「俺自身も驚いてる。まさか、こんなことになるとは思わなかった。バイトなんか、始めなきゃ良かったよ」


 ははっと笑って見せる。


「後悔してるの?」


 楓の問いかけに、首を振る。


「いいや、してない。してないけど、一個だけ後悔するかもなって思うことなら、あるよ」


 直桜は楓を真っ直ぐに見詰めた。

 戸惑って閉じそうになる声を懸命に吐き出した。


「今日は本体で来た? 霊元が辿れる。大学で会う楓はいつも中身が空っぽの人形みたいだった。傀儡師か何かなのかと思ってたけど。そっち関係に関わりたくなかったから気付かない振りしてた」


 楓が表情を止めて押し黙った。


「俺の天職が何なのか、楓は聞かないの? それとも、もう知ってる? 俺が実は何者なのか」


 空気がピリッと研ぎ澄まされた。

 楓の表情は変わらないが、纏う気が徐々に鋭さを増していく。

 直桜の心の中に、じんわりと重い後悔が沈んでいった。


「楓の霊力は、まるで呪いそのものだ。呪力の塊みたいだよ。反魂儀呪の巫子様の話を聞いた時、真っ先に浮かんだのは楓だった。楓の傀儡からも呪力を感じてたから」


 俯いてはいけない。そう思うのに、顔が下がっていく。

 認めたくない予測は、恐らく当たっている。だからこそ、受け入れ難い。

 楓の手が直桜の顔に触れる。

 ビクリと顔を上げて、身を逸らした。


「直桜の後悔って、俺? だとしたら、嬉しいな。直桜は俺と、これからも友達でいたいって望んでくれてるってことでしょ?」


 伸ばした手を引っ込めて、楓がいつものように笑った。


「気が付いてたのに何もしなかったのは、如何にも直桜らしいね。けどこれからは、そんな風には生きられないね。周りが許してくれない。勿論、俺も含めてね」


 斬、と風を切る音が耳元で響いた。

 気が付くと、体が鎖で雁字搦めにされていた。


「枉津日神を捕らえていたのと同じ、封じの鎖か。土着の神を土地から引き剥がしたのも、楓だね。傀儡師じゃなくて、呪禁師とかかな。さすがに、これだけの強度で巻かれると、切れないな」


 内側から鎖を押し返してみる。霊力も神力も抑え込まれて、何もできない。


「あの日、日本橋で会ったのは、本当に偶然? それとも、神様集めの最中だった?」

「……反撃、しないの?」


 直桜の問いには答えずに、楓が真顔で問う。


「出来ないって、言っただろ。楓が連れて行きたい場所に連れて行ってよ。俺が必要なんだろ」


 大人しく何もしない直桜を眺めて、楓が息を吐いた。


「槐兄さんの言った通りか」


 楓の呟きに顔を上げた。


「八張槐は俺の父親違いの兄貴だよ。別に意外でもないだろ? 俺たちの母親、久我山あやめは集落の外に男を作って逃げた裏切者なんだから」

「いや、流石にそれは意外だった……」


 呆然とする直桜に楓が歩み寄る。


「槐兄さんが言ってたんだ。俺が捕らえれば直桜は抵抗しないって。俺の正体にきっと気が付いているとも言ってた。兄さんも直桜も頭が良いよね、鬱陶しいくらいに」


 直桜の顎を掴み上げて、楓が唇を重ねた。

 口の中に何かが流れ込んでくる。


(なんだ、これ。楓の呪力? ただの呪力じゃない、呪法? ……術式が刻まれた霊気みたいな)


 喉を流れて、全身に沁み込んでくる。

 胸が焼けるような気持の悪さを感じた。


蠱毒こどくって知ってる? アレって、人間でも出来るんだよ。女の腹を巫蠱ふこにする呪法がある。俺と槐兄さんは巫蠱の腹から産まれた蠱毒、直桜が言った通り呪いそのものだ」


 気分が悪くなり、意識が遠くなる。

 直桜は何とか手を伸ばし、楓の腕を掴んだ。


「俺はまだ楓のこと、諦めてないからな」


 途切れそうな意識の中で、何とか言葉を紡ぐ。

 狭くなった視界に映る楓の口元が笑んだように見えた。


「心配しないで、直桜。ちゃんと大事に扱って、優しく堕としてあげるから」

 

 反転した視界に最後に映ったのは、愉悦に顔を歪ませた楓の笑みだった。

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