第33話 呪法担当統括 司法解剖医 朽木要

 警察庁の建物に入ると、エレベーターホールの奥の壁の前で護が足を止めた。

 何もない壁に手を翳す。手を退けると、降りるボタンだけが現れた。

 ボタンを押した瞬間、只の壁だった場所が開いた。

 当然のように中に乗り込む。

 ホールには通常のエレベーターに乗る職員が数人いたが、護と直桜の動きを不振がった者はいなかった。


「皆、慣れてんだね。それとも、見えてない?」


 エレベーターの中で聞いてみる。

 護が、地下五階のボタンを押した。


「見えてはいます。慣れている訳でもありません。ただ、気にしていないだけです」

「ああ、アレか。限りなく存在感を消す感じ」

「ソレです。目には映っているのに意識しない。そんな風に仕向ける空間術。副班長の得意な術法で、警察庁地下に広がる13課のフロアの空間術も、彼女の仕事です」


 エレベーターの階数を見て、ぞっとする。


「地下十三階まである空間を全部維持してんの? どんな化物?」


 かなり広い亜空間をたった一人で何十年も維持するのは、かなりの霊力を消費する。


「直桜なら名前を聞けばわかると思いますが、13課の副班長は神倉かみくら梛木なぎという女性です」

「女性ってことは、人じゃない方か。うわぁ、梛木って13課に所属してんだ。改めて13課って面子がヤバいね」


 じんわりと驚きが込み上げる。

 

「女性、ということは、同姓同名の男性もいるのですか?」

「うん、男の方は人間で、名前の漢字が違う。確かまだ高校生だったはず。神倉神社の氏子総代の息子だよ」


 熊野の神倉神社とは所縁があって、男性の神倉凪とは何度か会ったことがある。

 弓道部に所属して日夜練習に励んでいる健全男子だ。


「女性の梛木とは十月に島根で良く会う」


 一瞬、ぽかんとした護だったが、訳知り顔で頷いた。


「神在月というやつですね。神様の集会に直桜も参加しているのですか?」

「まぁ、一応ね。他の惟神も行ってるはずだよ。梛木が13課所属なんて、一度も聞かなかったな。本物の神様なのに、俗っぽいな」


 神倉梛木は神倉神社が御神体とするゴトビキ岩の化身であり、神域である熊野そのものだ。

 つまりは神が顕現した姿といえる。そんな彼女が警察に所属していること自体が驚きであり、どうやって連れてきたのか考えると、寒気がする。


「話の次元が違い過ぎて、想像がつきませんね」


 エレベーターのドアが開き、護が歩き出す。

 まるで他人事のように話す護に、直桜は小首を傾げた。


「今年は護も行くんだよ、俺と一緒に」

「え⁉」


 すごい声と顔で驚く護を、不思議な気持ちで眺める。


「偶然みたいなもんだけど、護も鬼神になったんだから、挨拶に行かないと。出勤扱いになるらしいから、良いんじゃないの?」


 護が神殺しの鬼だと知る前に、直桜は神紋を与えた。あの時点で護は鬼神になった。あの時、護はきっと総てを知った上で神紋の定着を受け入れた。

 直日神も直桜の行動を止めなかったから、護が鬼神となり守人となったのはある意味で必然だったのだろう。


「私の鬼神は、神様の列に並んでいいモノなんですか? 呼び名に神って付くだけじゃないんですか?」


 何故、護がこれほど動揺しているのかわからないか、直桜はとりあえず頷いた。


「神は神でしょ。付喪神や妖怪も来る宴だし、そんな堅苦しいモノじゃないよ。大国主神はおおらかだし珍しいモノ好きだから、会いに行ったら喜ぶと思うよ」


 護の手がカタカタと震えている。


「そんな、親戚の叔父さんに会いに行くような感覚なんですか?」

「あー、感覚としては、そんな感じかも。それに俺も、護のこと紹介したいかな」


 目を見開いた護が、頬を赤らめて俯いた。


「直桜がそう言うのなら。一緒に、連れて行ってください」

「うん、一緒に行こ」


 どうして照れているのかわからないが、護が可愛いので敢えて突っ込まないことにした。


「廊下でイチャつくのは、程々にしてもらえるかい」


 後ろから声が飛んできて、振り返る。

 白衣姿の女性が、二人の姿をニンマリした顔で眺めていた。


朽木くつき室長……、これは、失礼しました」


 護が丁寧に頭を下げる。その姿に倣って直桜も頭を下げた。


「どうせ私か穂香しか歩かない廊下だからね、構わないんだが。これ以上、声を掛けるタイミングを逃すのも、時間が勿体ないからね」


 ハイヒールの足音を響かせて、朽木と呼ばれた女性が直桜に近付いた。

 ずい、と顔を近づけて、まじまじと直桜の顔に見入る。


「最強の惟神というのは、君かい。とても興味深い。是非じっくりと、体の隅々まで調べさせてほしいものだ」


 女性にしては低い声には、抑揚がない。なのに、興奮が声から伝わる。 好奇が溢れる瞳を隠すことなく、朽木が直桜の全身を舐めるように見る。

 直桜に向かって長く細い指が伸びる。

 護が直桜の腕を引いて、前に出た。


「朽木室長、今日は先日押収したキャリーバックの件での呼び出しと聞いていますが」


 顔を引き攣らせる護を眺めて、朽木がクスリと笑んだ。


「そうだったね。その件については、穂香が既に準備しているよ。化野が聞いてくるといい。君、瀬田直桜といったか。その間、私と遊ばないかい?」


 護の後ろに回り込んだ朽木が直桜の手を取る。その手を自分の胸に押し当てた。

 直桜の後ろで護が声にならない声を上げている。


「もしかして、惟神を解剖したい病理医って、アンタ? 他の惟神にも、特に律姉さんに、しつこいって聞いてたけど」

「おや、律を知っているのかい?」

「知ってるよ、従姉弟だからね。でも律姉さんはやめといたほうが良い。陽人が本気でキレかねないから」

「じゃぁ、君が遊んでくれるのかな」


 直桜は視線を下げた。

 手を押し付けられている胸は柔らかくて触り心地が良いが、何か違う。

 

「大きくて綺麗な胸だなと思うけど、俺、あんまり興味ないみたいだ。ごめん」


 首を傾げる直桜を眺めていた朽木が、笑い出した。


「そうかい、それは失礼したね。化野、悪かったね」


 笑いを嚙み殺して、朽木が護を振り返る。


「笑えない冗談です」


 護の顔が、割と本気で怒っている。

 朽木は至極楽しそうにしながら、くるりと背を向けた。


「呪法解析担当に案内するよ。ついておいで」


 直桜の手を護がしっかりとつかんで歩き出す。


「全く油断も隙も無い」


 独りちる護に、直桜は耳打ちした。


「ごめん。でも俺、護に触れてる方が興奮するよ」


 直桜を勢いよく振り返った護の顔が真っ赤だ。

 その表情に何となく満足して、直桜は握られた手を掴み、歩き出した。

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