第30話 普通は要らない

 八張槐が姿を消してすぐに、清人が率いる13課が現場に到着した。現場保存をしてキャリーケースを押収していった。

 直桜の様子がおかしいことに気が付いた清人が車を運転してくれて、隣にずっと護がいてくれたことは、覚えている。マンションに着いてからは護に部屋に戻された。清人と護は事務所で何か話し込んでいるようだった。


 真っ暗な部屋で天井を見詰めながら、直桜は歯を食い縛った。


『お前は結局、集落に過保護に愛情を注がれた特別な生神様だよ。俺には永遠に勝てない、あの頃のままだ』


 槐の言葉が頭の中で延々繰り返される。


(悔しい……。悔しくて、悔しくて、頭バグりそうだ)


 伸びてきた槐の手から逃げるように引いてしまった体も、神殺しの鬼の話を振られて完全に怯えた心も。

 何より直桜の心にこびり付いて離れないのは。


『初めての相手にそんなこと言うの? つれないなぁ』

『体の相性は良かったのに? いつも悦さそうにしてたじゃないか』


 直桜に聞かせるためにわざと盛って話していることくらい、わかっている。それでも、槐が護の最初の相手だった事実は、きっと変わりがない。


(全部、俺の気持ちを搔き乱すためだ。俺がどんな顔をするのか、楽しんでいるだけだ)


 わかっているのに、槐の期待通りの反応をしてしまった自分自身に腹が立って仕方がない。


(護は全然気にしてない感じだったじゃないか。俺が気にしてどうすんだよ。それよりもっと、考えなきゃならないことが、あるだろ)


 神殺しの鬼について、直桜には最低限の知識しかない。護も槐も、もっと突っ込んだ意味を知っている様子だった。


(俺が一番知らなきゃいけないのは、それだろう。ちゃんと、聞かなきゃ)


 何もしないで泣き寝入りしているだけじゃ、槐の言う通り、あの頃のままだ。

 重い体を何とかして持ち挙げる。起き上がった上体がベッドにリターンした。


(神力なんか、ほとんど使ってないのに、何でこんなに疲れてんだろ)


 只々悔しくてヒートアップしていた脳は、やっと熱を下げてきた。どうしてか体が怠くて、直桜は息を吐いた。

 今、事務所に行って護や清人と話す気にはなれない。かといって眠れもしない。


「どうしたもんかな……」


 目を閉じたら、目尻から涙が流れた。

 泣くほど悔しかったのかと思うと、それも腹立たしい。自分の幼稚さが恥ずかしくなる。


(そういえば、直日神が教えてくれるって、護が言ってたっけ)


 あの場面で、どうして護が直日神の名を出したのか、わからない。ちょっとした違和感が直桜の中にあった。


「神を顎で使おうとは、生意気な鬼だ。しかし、直桜のためなら致し方あるまいな」


 流れた涙を救い上げた指がある。視線を向けると、穏やかな目が直桜を眺めていた。顕現した直日神の姿を見るのは、久方振りだった。


「神殺しの鬼について、惟神本人には秘する因習があるのを、あの鬼は知っていたのだろう。素質がある鬼にはその存在意義から力の使い方まで伝授されておるはずだ」

「何で、直日は知ってんの?」

「それは勿論、神だからな」

「秘する意味ないね。だから因習なのか」

「そうなのだろうな。人とは、回りくどい法が好きな生き物だ」

「本当にね。だから、嫌になる」


 流れた涙を拭った指が、直桜の頬を撫であげる。優しい指の動きに、心が凪いでいく。温かな指がくれる心地よさが懐かしかった。


「護には、素質があるんだね。直日は、知ってたの?」

「ああ、知っていたよ。その素質が開花していることも。知った上で、あの鬼は直桜に相応しいと判じた」

「俺が神紋を与えたから?」


 直日神が、柔らかく微笑んだ。


「確かに護は、神紋により鬼神おにがみという力を得たが、どちらでも良かった。神紋がなくとも、化野護は直桜を守る鬼になっておったろう」


 直桜は、息を飲んだ。


「名前、覚えたの? もしかして護のこと、気に入ってる?」

「直桜の傍にいても排する必要はないと感じる程度にはな」


 驚いて言葉が出なかった。

 直日神が人の名前を覚えたのは、直桜以外では初めてだ。

 直日神の指が直桜の柔らかい髪を梳く。


「神殺しの鬼が殺せるのは、神降ろしの惟神が精々よ。人より神を引き剥がし、神を路頭に迷わせる。枉津日神がそうであったように」


 何代か前の藤埜家の惟神が神を奪われたのは、先代の神殺しの鬼が原因だったと聞く。そんな事件がなければ、直桜も神殺しの鬼の存在を知ることはなかった。


「魂が繋がった我らのような状態では、神殺しの鬼でも、直桜から我を剥がせまい。いっそ同化してしまえば尚良い。直桜が神そのものになる」

「嫌だ」


 直日神の手を摑まえて、強く握る。


「同化したら、こんな風に話せなくなる。最近は減ったけど、俺はもっと直日に顕現してもらって、話がしたい」


 幼い頃は、いつも隣に直日神がいた。だから寂しい気持ちにも耐えられた。

 成長するにつれ、顕現する回数も減り、会話も減っていった。だが、今でも直桜が弱っていればこうして姿を見せてくれる。それが直桜にとり、どれだけ心の支えになっているか、わからない。


「今は、護がいる。寂しくは、無かろう」


 直日神の顔は穏やかなまま動かない。

 直桜は首を振った。


「護は護で、直日とは違う。直日がいなくなったら、俺、どう生きていいか、わからない」


 直日神が、眉を下げて笑った。


「我儘は相変わらずだ。悪態も愚痴も、昔から吾にだけ、吐露していたな。可愛い、我の直桜」


 直日神の手が、直桜の頭を撫で、髪に口付ける。


「ねぇ、神殺しの鬼が神紋を受けて鬼神になると、どうなるの?」

「神紋を与えた惟神を殺せなくなる。代わりに、封じる力を得る」

「封じる? 直日神を封じるってこと? それって、惟神にデメリットなんじゃないの?」


 直日神が首を横に振った。


「我らが依代とするは、人。人は脆い。時に壊れかけても、一度神を降ろしたなら剥がせない。だから神を封じて人の霊力の回復を待つ。神殺しの鬼の本来の存在意義は、人を守ること。封じるも剥がすも、人のためぞ」


 直桜は思わず起き上がった。


「それじゃぁ、枉津日神が藤埜家から離れたのって」

「依代たる人が耐えられず、やむなく剥がした。一度、離れた神をまた降ろすのは容易ではない。耐えうる器は、そう現れるものではない」


 やけに納得できてしまった。

 藤埜家が惟神でなくなった時、確かに集落は騒いで、藤埜家は追放になった。だが、あの因習塗れの集落が、藤埜家をあっさり許したのには、違和感があった。


「限界を知ってたってことなのか。ついでに関東に拠点を置く良い口実も出来たわけだ。今更、清人が依代にはなれないかな?」


 直日神が首を傾げた。


「直桜の周囲に依代に足る人間の存在は感じぬ。人以外なら、有り得るかもしれぬな」

「人以外? って、どういう意味?」


 コンコン、と部屋の扉をノックする音がした。


「直桜、起きていますか?」


 護の声だ。

 返事をしようとして、戸惑った。


「吾の話は終いだ。あとは護に話してもらうといい」


 淡く姿を消す直日神に腕を掴む。


「待ってよ、まだ、話したりない。三人で話すのは、ダメなの?」


 最近は、顕現どころか声を聴く機会も減っている。気紛れでしか現れない神様だ。ここで逃したら、次にいつ出て来てくれるか、わからない。

 直日神の腕が伸びて、直桜を抱き締めた。


「可愛い直桜。直桜はまだ、普通が欲しいか?」

「何だよ、急に。それはまぁ、普通に生きられるなら、その方がいいけど」

「なれば、護に吾を封じさせよ。惟神の神を封じれば、直桜は只の人ぞ」


 ドクン、と心臓が下がった。

 直桜は、直日神を見上げた。


「だったら、要らない。俺が欲しいのは、そういう普通じゃない。俺が欲しいのは……多分、平穏、とか。大事な存在が傍にいて、それを守れる強さが欲しいんだ」


 槐に再開して、再認識した。

 惟神の力がなければ、自分が欲しい安息は得られない。


「直日も護も、俺にとっては大切で、いなくなったら困る。俺が、守りたいんだよ」


 俯きそうになる顔を、直日神が抱き寄せた。


「そうか。なれば時期に、三方で話す機会も来るだろう。直桜が欲しがる平穏を、吾も望もう」


 直日神の体が空けていく。

 泡のように溶けて、粒子が弾けた。

 まるで誰もいなかったように、部屋には直桜一人になった。


「まだ行くなって、言ったのに」


 呟いた声は、小さな子供が不貞腐れたように響いた。

 我ながら幼いと感じながらも、直日神の姿を久しぶりに見られたことに安堵していた。

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