第29話 八張槐という男

「やぁ、招待状を貰ったから、来てみたよ。久しぶりだね、槐」


 穏やかな声音とは真逆に気を尖らせた直桜に、護が息を飲んだ。


「ああ、久しぶり。十年振りくらいかな。随分と背が伸びたな。俺が集落を出る前はまだ小さな子供だったのに。時の流れを感じるよ」


 槐が不自然なまでに穏やかに笑む。


「そっちは随分、ガタイが良くなったね。集落にいた頃は、ヒョロ長の優男だったのに。反社のリーダーって筋肉必要なんだね」

「元々リーダーだった母親が死んだからね。引継ぎやら儀式やらで体力がいるんだ。気が付いたらガチムチになっててさ。男前になっただろ?」


 まるで正月に久々に会った親戚のような会話に、うんざりする。


(槐の母親、死んだのか。俺を異端と罵った、集落の術法を盗んで逃げた女。外で再婚したって聞いてたけど、やっぱり反魂儀呪に残ってたんだな)


 槐が集落を出るより早く、槐の母親は集落を裏切った。そのせいで八張家の肩身が狭くなり、槐への長たちの当たりがきつくなったのは事実だった。


「前の方が良かったよ。あんまりガチムチだと気持ち悪い」


 直桜の返事に、槐は吹き出した。


「そっか、直桜の好みは優男の方か。だから、化野護を好きになった? けど彼も鬼化したらガチムチだろ?」


 直桜の隣にいる護が反応して前に出ようとするのを、止める。


「どうやら俺、見た目で人を好きになるタイプじゃないらしい。それに、好きになったら一途っぽいから、護はあげないよ」


 護の前に出る。

 槐の目が、笑んだまま暗く座った。


「狡いなぁ。俺の方が先に目を付けていたのに。13課に奪われて直桜にまで持っていかれちゃったら、手が出せないな」


 全く心が籠っていない言葉だと思った。

 仄暗く灯る目の闇には、諦めなど微塵もない。


「しかも13課は直桜まで持って行ったね。許せないな」

「13課じゃなくて、陽人ってはっきり言ったら? 宗教に毛が生えた程度の反社だった反魂儀呪を呪詛特化の組織に変えたのは、槐だろ。それって、陽人に対抗するためなんじゃないの?」


 槐の顔から、笑みが消えた。


「13課の解体と桜谷集落の壊滅、あわよくば惟神を生み出す術法だけを反魂儀呪に残す。それが槐の目的だろ。どちらにせよ、一番の障壁は陽人だ。だって槐は陽人に一度も勝ったことがないもんね」


 わざといやらしく笑って見せた。

 直桜の顔を眺めていた槐が、小さく笑った。


「他人の敵愾心を煽ったりできるようになったんだねぇ、直桜。成長したなぁ」


 嬉しそうに笑う槐に、心の底から腹が立つ。


(予想してた反応だ。コイツはそういう奴だ。イラつくな)


 自分に言い聞かせても、腹が立って抑えようがない。


「そうだね。大体当たり、って教えておこうかな。直桜が賢い子に育ってくれたご褒美。それと、化野護とバディを組んだお祝いにね」

「……は? お前に祝ってもらう覚えはないよ」


 思わず本音が零れてしまった。

 直桜の顔を見て、槐が嬉しそうにニコリと笑んだ。


「直桜はさ、俺が墓守の鬼を欲しがってると思っているんだろ? 自分が13課に所属して化野護とバディを組めば、他の鬼に目が向くと思わなかった?」


 確かに、多少はそれも考えた。

 墓守の鬼は護だけではない。化野家にも本家や分家がある。穢れに身を置きながら清浄に愛された特別な鬼は護だけではない。


(でも、十年も掛けて護に執着していた以上、槐にとって護じゃなきゃダメな何かがあるはずだ)


 八張槐は、理由もなしに感情で他者に執着するような男ではない。


「今回だけ特別に、教えてあげるよ。化野護でなければならない理由。彼には神殺しの鬼になれる素質がある」


 ドクリ、と心臓が嫌な音を立てた。

 

「神殺しの、鬼……」


 直桜の後ろで、護が小さく呟いた。

 槐の視線が護に向く。口の端が上がって見えた。


「その顔だと、どういうものかは知ってるみたいだね、護。あとで直桜に詳しく教えてあげてよ。桜谷集落が何故、わざわざ嵯峨野まで毎年足を運んでいるのか。穢れと忌み嫌うのか。全部、合点がいくよ」


 槐の目が、直桜に向き直る。

 直桜は槐を睨み据えた。

『神殺しの鬼』の意味を、直桜だって全く知らない訳ではない。惟神の人間から神を引き剥がす力を持つ、惟神の中の神を殺せる唯一の存在だ。墓守の鬼の中にも、滅多に生まれるものではない。


(敢えて今、わざわざ教えて動揺を誘うやり口が、気に入らない)


「気安く名前を呼ぶな。護は俺のだって、言っただろ」


 苛立ちが声に乗ってしまう。

 槐が意外そうな顔で直桜を眺めた。


「直桜って独占欲強いんだ、意外だな。人にも物にも執着しないタイプだと思っていたよ。だったら猶更、二人が恋人になってくれて良かったよ。俺はさ、護だけが欲しいんじゃないんだ。同じくらい、直桜のことも欲しいんだよ」

「……は?」


 心の底から呆れた声が出た。

 それこそ、予想していなかった言葉だったからだ。


「二人がバディで恋人って状況は、俺的には大変おめでたいよ。二人揃って俺のものにすればいいからね。所属が13課か反魂儀呪になるかの違いだけだ。何なら今日から移ってきてもいいよ」


 槐の手が直桜に向かって伸びる。

 届く距離ではないとわかっていても、後ろに足が引いてしまう。

 護が直桜の体を引き寄せた。


「お断りします。直桜も私も、反魂儀呪に移籍はしません。つまり貴方とは、今後も敵同士です」


 護の目が槐を強く睨む。

 槐が冷たい目を向けた。


「そっか、護は俺のこと、覚えてるんだね」


 槐の呟きに、直桜は護を見上げた。

 睨み据える目は、槐の言葉を肯定していた。


「本名を知りませんでしたから、直桜が話していた八張槐が貴方だったとは、その顔を見るまで結び付きませんでした。けどこれで、安心して貴方を嫌えます」


 護が右手を翳す。

 テーブルの上に自分の血を線上に降り流した。


「直桜に手出しはさせません。私も貴方に屈しません。反魂儀呪が同様の活動を続けるのなら、13課はこれからも貴方を追います」

「お前が直桜を殺すきっかけになるかもしれないのに?」


 槐が薄ら笑う。

 護は表情も変えない。


「神殺しの鬼について、貴方は多少ご存じのようですが、本当の存在意義まではご存じないようだ。もし知っていて敢えて直桜の不安を煽っているなら逆効果ですよ。直日神が総ての真実を直桜に伝えてくれるでしょうから」


 槐が口を引き結んだ。

 護は尚も淡々と話を続ける。


「私も貴方に一つ、情報を提示して差し上げますね。腹の中の魂魄を祓った時に、直桜に神紋を貰いました。神殺しの鬼に惟神の神紋が定着するのがどういうことか、聡明な貴方なら理解も早いと思いますが」


 槐が目を見開いたように見えた。口元に薄らと笑みが浮かぶ。


「なるほどね、煽り方を間違えたよ。今回は俺の負けだ。十年来の家族同様の魂魄を殺してまで、護は直桜を選んだんだからね。もっと考えて発言すべきだった」


 思わず拳に力が入った。動きそうになる体を、護の手が抑え込んだ。


「言葉は選ぶべきでしょう。直桜は私と未玖を救ってくれました。未玖を呪詛にした貴方は死ぬまで私の敵です、八張槐」

「初めての相手にそんなこと言うの? つれないなぁ、護」


 直桜を抱える護の手に、力が入った。

 槐が何を言っているのかわからなかったが、護の動きで理解できた。


「貴方のそういうところが、昔から大嫌いです」

「体の相性は良かったのに? いつも悦さそうにしてたじゃないか」

「直桜より相性が良い相手はいません。私にとっては貴方など詰まらない過去です」


 護が、にっこりと笑んでいる。

 心臓の鼓動が早すぎて、気分が悪い。血の気が引いていく。

 護が直桜の背中に腕を回して抱きかかえた。

 テーブルに引いた血の線から黒い炎が溢れ出した。


「これ以上、直桜を傷付けるなら、この場で殺しても構いませんよ」


 護の全身から殺気が吹き出している。

 本気で怒っているのが、肌で伝わる。


「こういうのも直桜にとっては大人の階段だろ。けどまぁ、少し虐めすぎたかな。お詫びの印にそのキャリーケースは持って帰っていいよ。そろそろ13課がご到着の時間だろうし、俺は御暇しようかな」


 槐が立ち上がり、姿が揺れる。

 護に抱き締められたまま、直桜はそれを眺めていた。

 揺れる槐の姿が、徐々に色あせる。


「最後まで一人で立っていられたら及第点だったのにな、直桜。お前は結局、集落に過保護に愛情を注がれた特別な生神様だよ。俺には永遠に勝てない、あの頃のままだ」


 言葉だけを残して、槐の姿が消えた。

 指が、足が、小刻みに震える。抱き締めてくれる護の腕を無意識に掴んでいた。

 護が直桜の体を真正面から抱き締めた。


「すまない、直桜。嫌な話を聞かせた。まさかあの男が八張槐だなんて思わなくて」


 懸命に首を横に振る。

 感情がぐちゃぐちゃで、上手く言葉が出てこない。

 どうしようもなくて直桜は、ただひたすらに、護にしがみ付いていた。

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