第9話

 このあたりには公園が二つほどある。

 ひとつは商店街の裏にある大きな公園だ。よく同じ学校の子どもたちが遊んでいて、広くて遊具が多い。僕も幼い頃――まだお母さんと手を繋いで歩いていたような頃だ――何度か訪れたことがある。

 もうひとつが、住宅街を少し進んだところにある小さな公園だ。滑り台はひとつと、ブランコがひとつだけ。三角形の形をした公園で、入り口には『おおごえきんし』と書いてある。


 ぼくたちは住宅街のほうにある三角公園にやってきた。商店街裏の公園は、クラスメイトと鉢合わせてしまいそうだったから、ぼくから三角公園を提案したのだ。

 志崎くんはどちらでもよかったようで、二つ返事で着いてきてくれた。


 公園に入ると、志崎くんはブランコのそばに行って、ランドセルを置いた。砂が付くのも気にならないようで、平気な顔してブランコに座る。

 立ち呆けるぼくをじっと見つめてくるから、ぼくは慌てて、志崎くんに倣ってランドセルを地面に置いた。

 綺麗にしていたランドセルが、砂に擦れて傷付いてしまう気がして落ち着かない。だけどぼくは、志崎くんに「地面に置きたくない」と言う勇気もなくて、同じ通りにするしかなかった。


 ブランコに座ると、志崎くんがゆっくりと漕ぎ始める。ギィと金属が削り合う不愉快な音が小さく鳴り始めた。


「学校に来るの、今週が最後なんだ」


 志崎くんはどこか遠い空を見ていた。志崎くんの言葉はぼくしか聞いていないはずなのに、ぼくに話しかけられたわけではないような、そんな気がして返事ができない。

 そしてぼくが返事せずとも、志崎くんは話し続けた。


「借金の取り立てから逃げるためにお母さんの恋人が住んでいる街に引っ越すことになったんだ。ここから車で何時間もかかるところで、遠いから、学校にも行けないんだって」


 公園の真ん中に鳩が三匹飛んでくる。

 遅れて一匹が飛んでくると、三匹は一斉に飛び立った。ぼくは遅れてきた鳩を抱きしめてやりたくなりながら、呆然と志崎くんの言葉を聞いていた。


「それは、志崎くんの話なのかい?」

「そうだよ。変なことを聞くね」


 志崎くんが語る志崎くんの話は、志崎くんの話ではないように感じたのだ。

 いやそうではない。

 志崎くんがいなくなると、とうとうぼくは、本物のひとりぼっちになってしまう。

 だからぼくは、これが志崎くんの話でなければいいと願ったのだ。


 しかしこれは志崎くんの話だと言う。

 ぼくは、二年前のクラスメイトが転校した日のことを思い出していた。

 転校したのは一度も話したことのない女子生徒だったから、寄せ書きを求められてずいぶんと困ってしまった。教室中をめでたいことがあった日のように飾り付け、みんなで歌を歌って、泣いて、彼女を送り出す会をしたのだ。


「お見送りの会、するのかな」


 お別れという寂しい出来事を、引っ越した彼女や彼女と仲の良かったクラスメイトたちが明るく盛り上げようとしていたのは、正直不思議だった。

 本当に悲しいのなら泣いているべきだと思ったし、本当はそこまで仲良くないのではないかと薄寒さすら感じていたのだ。


 しかし、いざ、志崎くんがあのクラスから居なくなってしまう日を考えると、泣いてばかりのお別れは嫌だと思い至った。

 たとえ悲しみに胸を覆われていたとしても、志崎くんが次の学校でもっと健康に過ごしてほしいという願いが、暗さを許してくれない気がする。


 なにより、志崎くんが別れを惜しんで流す涙はぼくに宛てたものではないだろうから、全員に平等なさらりとした笑顔でいてくれたほうが、ぼくが醜くならなくて済む。


 ぼくはまた愚かしいことを考えた。


 自己嫌悪が頭の中に燻り、ブランコを漕ぐ足が止まる。

 

 志崎くんは、ぼくを見ずに「お見送りの会は無いよ」と言った。

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