第16話 三つの願いについて
「実は、札幌に別宅があるんです。たまに使う程度なんですが、家に行けばゆっくり話せると思いますが、どうします? 二人きりが嫌なら、もちろん外で話しても構いません」
食事が終わったあと秀真に提案され、花音は驚いた。
「札幌に家があるんですね? 凄い……」
「ええ。祖父の物なんですが。宮の森にあります」
宮の森と言えば、札幌市中央区の中でも高級住宅街として有名だ。
すぐ近くには北海道神宮のある円山公園があるし、星つきのフレンチレストランなどもある。
(正直、家で二人きりっていうのは緊張するけど……。でも、このまま外で飲食しても、秀真さんばかりにお金を使わせてしまう)
最初に出会った時のタクシー代からだが、いつも秀真ばかり金を払っていて、花音はまともに支払えていなかった。
それが心苦しく、自宅でならもう少し気軽に話せるかもと思った。
「分かりました。ぜひお邪魔したいと思います」
「じゃあ、移動しましょうか」
最初に言った通り、うな重代は秀真が払ってくれた。
礼を言って百貨店を出て、札幌駅前からタクシーに乗る。
途中、秀真は「札幌は京都みたいに何条何丁目と碁盤の目にできているから、比較的地理を覚えやすいですよね」と言っていた。
花音からすれば、憧れの京都と同じと言われるのが恐縮で、札幌民の代表でもないのに照れてしまう。
やがてタクシーは十五分ほどで宮の森に着き、閑静な住宅街の中にある豪邸前に着いた。
中央区という土地柄、家々は密集しているように建っている。
そんな中、瀬ノ尾家の別邸は広い庭付きの戸建てだ。
家そのものも大きめで、立派な邸宅と言っていい。秀真は玄関前でキーケースの中から「どれだったかな」と鍵を探し、少ししてからこの家の鍵で玄関を開いた。
「どうぞ」
招かれて中に入ると、別邸と言ってしばらく来ていない割には、ちっとも埃っぽくない。
「定期的に掃除やメンテナンスを頼んでいるので、それほど傷んでいないと思います。でも家は人が住まないと駄目になりやすいって言いますからね。なるべく来たいとは思っているんですが……」
「お邪魔します……」
靴を脱ぐと、秀真が出してくれたスリッパに足を入れる。
玄関に入ってすぐ見えるのは、手洗いらしきドアと二階に続く階段だ。
造りは一般的な家に通じるものがあるが、さすがに面積に余裕があり広々としている。
リビングダイニングに入ると、毛足の長い絨毯の上に、海外製らしい高級なソファセットやテーブルなどが配置されている。
テレビも大型で、音楽の好きな瀬ノ尾家らしく、音楽を聴くための機器が充実していた。
「適当に座っていてください。コーヒーは好きですか? それとも紅茶? 緑茶もありますよ」
「あ、じゃあコーヒーでお願いします」
「分かりました」
秀真はアイランドキッチンに立ち、コーヒーケトルに水を入れてお湯を沸かす。
彼の家とは言え、秀真にやらせてしまうのがどこか決まり悪く、花音はソファに座ったまま落ち着かなく身じろぎする。
「花音さん」
「は、はい!」
けれど秀真に呼びかけられ、背筋を伸ばして返事をする。
「提案なんですが、もう少し砕けて話し掛けてもいいでしょうか? あなたと仲良くなりたいと思っているし、お互い〝さん〟づけでよそよそしい話し方でも、距離が縮まらないと思ったんです」
それは花音も思っていた。
秀真にずっと丁寧な口調で話され、「きちんとした人なんだな」と思うと同時に、どこか物足りなくも感じていた。
「じゃあ、……よ、宜しく。私は年下ですし、タメ口に慣れるまでもうちょっと猶予がほしいです」
少し親しみを込めてそう言うと、キッチンから秀真が微笑んだ。
「花音って呼んでいい?」
「どうぞ」
「花音、コーヒーにミルクと砂糖はいる?」
「あ、ミルクだけで」
「分かった」
二人とも急に話し方を変えたのが、どこか面映ゆい。
それでも目の前に綺麗な色の焼き物のカップを置かれると、自然に「ありがとう」と親しげな礼を言えた。コーヒー豆は厳選した物らしく、深みとコクがあり美味しい。
飲みながら、しみじみとピアノを弾いてこの世界に来なければ、秀真と合う事もなかったのだと思い知る。
少し迷ったあと、花音は秀真に尋ねてみた。
「ちょっと変な話をするけど、よく『三回まで願い事を叶える』とかあるでしょう?」
「ああ、日本海外問わずあるな」
「ああいうのって、三回まで願いを使い切ったらどうなると思います?」
尋ねた花音の隣で、秀真は長い脚をゆったりと組んだ。
「……想像だけど、全員にとっての幸せがあるようには感じられない。『アラジンと魔法のランプ』だって願いを叶える魔人は、囚われの身だったんだろう? アラジンが三つの願いをすべて自分のために使えば、魔人は自由になれなかった」
「そうですよね……。〝願いを叶える側〟の幸せも考えたいと思います」
梨理は何も神様のように、無償で花音の願いを叶えた訳ではないはずだ。
彼女の魂はいまだ地上にあり、未練があってあのピアノと共にある。
そして彼女自身の願いもあるはずだ。
梨理の願いを叶えて地上へのしがらみを解き放つのが、自分に課せられた使命なのでは、と花音は思う。
「何かあった?」
秀真に尋ねられ、花音は言葉を迷わせる。
(果たして、あのピアノの事を人に教えてもいいんだろうか……。教えた途端に不幸が襲いかかるとか、お祖母ちゃんが助かったのがなかった事になるとか……)
胸に沸き起こったのは、慎重に考えるからこその不安だ。
花音が難しい顔をして黙っていたからか、秀真がまたポンと頭を撫でてきた。
「迷うぐらいなら、話してみたらどうかな? 一人で悩むより二人で考えた方が解決する事もあるかもしれない。『三人寄れば文殊の知恵』とも言うだろう? 二人だけど」
冗談めかした言い方に花音は元気をもらい、彼の言う事にも一理あると感じた。
「そうですよね。一人で悩んでいても、どんどんドツボに嵌まっていくだけの気がします」
「話すも話さないも、花音の自由だけど、話した方が楽になるんじゃ……と俺は思うよ」
その時になって秀真の一人称が〝俺〟である事に気づき、思わず花音は微笑んだ。
〝俺〟と言ってくれた事により、素の彼を見せてくれていると思ったからだ。
そのあと花音は、コーヒーを飲み気持ちを落ち着かせる。
「おかしい事を言ってるって思われても仕方ないんですけど……」
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