第13話 気持ち晴れて

「あら、花音さんどうしたんですか?」


 病室にはまだ安野がいて、帰ったと思ったのに姿を現した花音と秀真を見て不思議そうな顔をする。


「お祖母ちゃんに話があって……」


 ベッドに座っていた洋子は、「どうしたの?」と花音と後ろにいる秀真を見比べて目を瞬かせた。


 秀真は自分が洋子の事を花音に話した事を気まずく思っているのか、洋子に一礼した。


 彼をチラッと見やってから、花音は洋子に近付き、その手を両手で握った。


「お祖母ちゃん、手術を躊躇ってるの?」


 祖母の目を見つめて確認すると、洋子はハッとした表情になり、秀真を見て苦笑いする。


 秀真はその視線を受け、「すみません」と頭を下げた。


「……いいのよ、秀真くん。……そうね、私もこの歳まで健康に気を付けて、病気という病気をしてこなかったから、正直『怖い』と思ってしまっているの」


 洋子は孫に向かって「怖い」という感情を出すのを、少し照れくさがっている。


「うん、気持ちは分かるよ。手術って聞いたら怖いよね。……でもね、お願い! お祖母ちゃんの健康のためにも、私たち家族のためにも、今後お祖母ちゃんが大好きなピアノを弾き続けるためにも、ちゃんと検査を受けて、必要なら手術をして」


 花音は祖母の手を握ったまま、真摯に訴える。


「もし……、縁起が悪いけど、万が一、ここで検査や手術を受けなかった事で、もしもの事があったら、悔やんでも悔やみきれないの。……だから、お願い! 一生のお願いです! 何でも言う事聞くから!」


 花音はその場にしゃがみ込み、洋子の手を両手で握ったまま、祈るように頭を下げた。


 孫の姿を見て胸にくるものがあったのか、やがて洋子は「分かったわ」と返事をした。


 顔を上げると、洋子はどこか吹っ切れた表情で笑っている。


「可愛い花音がここまで心配してくれているのに、〝大先生〟の私が『検査や手術が怖い』なんて言っていられないものね」


「大奥様……!」


 洋子の状態は安野も聞いていたのか、その決断を聞いて思わず声を上げる。


「良かった……! ありがとう!」


 安堵した花音はクシャッと笑い、洋子に軽く抱きついて背中をトントンと叩いた。





 その後、洋子は「お医者様に相談するわね」と告げたあと、「春枝さんたちを待たせたらいけないから」と言って、花音と秀真に二人を追いかけるよう促した。




「お付き合い頂いて、ありがとうございました。それに、祖母が前向きになってくれて良かったです」


 改めて病院前に停まっていた別のタクシーに乗り、今度こそ気兼ねなく札幌駅に向かいながら、花音は秀真に礼を言う。


「どう致しまして。私は何もできていませんが、花音さんの真摯な訴えかけが洋子さんに届いたのだと思ってます」


 忙しい人だろうに、ここまで付き合わせてしまったのに、秀真は嫌な顔一つしていない。


 その様子を見て、「できた人なんだな」と花音は感心していた。


「本当に、何とお礼を申し上げたらいいのか……」


 格好いいだけでなく、性格も良くて、花音たち家族を思いやってくれる優しさがある。


 東京から洋子の見舞いだけに訪れた秀真と、〝これから〟があるなんて思っていない。


 そこまで思い上がっていないつもりだ。自分に言い聞かせるも、花音の中には抑えきれない秀真への好意と感謝、憧憬が生まれていた。


「……じゃあ、代わりに……というのも何ですが。さっきも言ったように、今夜夕食をご一緒しませんか? 札幌の食を楽しめる店で、楽しく話せたらと思います」


(ご馳走しないと!)


「はい、もちろん!」


 秀真の言いたい事をピンと察した花音は、必死に美味しい店を思い出そうとする。


 だが世の中の地元っ子がそうであるように、花音は札幌テレビ塔に登った事はないし、観光地と言われる場所にもあまり行かない。


 札幌駅近くにある、〝赤レンガ〟または〝旧道庁〟の名で親しまれている、北海道庁旧本庁舎や、時計台などは街中にあるため、歩いているとチラッと見かける事はある。


 だがわざわざ中に入ってどうなっているか確かめる事は、一度もしていない。


 なのでネットで知り合った本州の友達が、「今度札幌に行きたいんだけど、どこか美味しいお勧めの店や、札幌ラーメンある?」と言われても、毎回言葉に詰まっていた。


 彼らが求めているのは〝北海道らしさ〟と、〝美味しい札幌ラーメン〟だ。


 花音が友達や同僚と外食する時は、お洒落なカフェやイタリアンバルなどだ。


 基本的にラーメン通ではないし、海鮮がメインで出る居酒屋はそれほど行かない。


 ゆえに現在、非常に店選びに迷っていた。


「……す、すみません……。良さそうなお店、検索してもいいですか……?」


 とうとうぎこちなく片手を挙手して、困っている事を示す。


 その一言だけで、秀真は大体の事情を察したようだった。


「……ああ! あまり北海道らしい店とかは、行かない感じですか?」


「そうなんです……」


「じゃあ、二人で良さそうな店を探しましょうか。花音さんに丸投げにしてしまって、すみません」


「いえ」


 提案をありがたく呑み、花音はスマホを取りだして良さそうな店を検索してゆく。


 そのまましばらく二人でスマホを弄り、「ここはどうでしょう?」という提案をしていった。


 結局、札幌駅に着いたあとは大通公園を通ってすすきのまで歩き、新鮮な海鮮を出す居酒屋に向かう事にした。




 札幌駅に着くと、またタクシーの支払いは秀真がしてくれ、花音は申し訳なさで一杯になる。


(夕ご飯はしっかり私がご馳走しないと!)


 意気込んでいると、駅北口の出入り口から康夫と春枝が出てきた。


「病院に戻ったんですって?」


 二人は待たされて怒る様子も見せない。


 その人の良さに、花音は逆に申し訳なさを覚えた。


「私の我が儘で、病院に戻ってもらったんです。すみません」


 ペコリと頭を下げると、隣で秀真が事の経緯を説明した。


「それじゃあ、洋子さん、手術を受ける覚悟ができたのね」


「良かったなぁ……」


 孫から説明を聞き、老夫婦は笑顔を見せている。


「……本当に、瀬ノ尾さんご家族はいい人ですね。うちの祖母にそんなに優しくしてくださって、ありがとうございます」


 礼を言うと、春枝は「どういたしまして」と笑ってから「歩きましょうか」と駅の中に入る。


 時刻は十七時をすぎていて、秀真がこれからの予定を話すと、すすきのまでゆっくり歩きながら話す事になった。

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