おおかみが来た

波打ソニア

おおかみが来た

 羊の番は二人で一組。

 村の決まりに従って、二人の少年が野原で羊の番をしていた。

 村中の羊を集めて出てきたから、青々茂る草を埋める雪のように羊たちに取り囲まれている。番といっても、のんびり草を食む羊たちがはぐれることなどないので、少年は思い思いにくつろいでいた。

のっぽは無心に足元の石をほじくり、ふとっちょは倒れた丸太のその上に倒れてとろとろまぶたを下ろそうとしていた。

「もしもしそこの羊飼いさん、助けておくれ」

 石から目を上げてきょろきょろ探しても、のっぽの見る限り雪景色のように羊だらけだ。

「おいふとっちょ、何か言ったかい」

 ふすっと息を吐いてまぶたをあけたふとっちょは、すぐにだらりと力を抜いて顔だけ向けた。

「いいや相棒。寝言も言った覚えはないよ」

「もしもしそこの羊飼いさん、助けておくれ」

 びくっとふとっちょが体を起こした。

「今のは君かい」

「いいや違う。さっさと起きて探せよ」

 ウサギのように耳をそばだてて二人はきょろきょろ野原を見回す。ふらふら真っ白の野原のどこにも、羊の切れ間は見当たらない。

「もしもし二人の羊飼いさん、助けておくれ」

 二人ははっとして、ふとっちょが寝転ぶ丸太の陰をのぞきこむ。

「やあ、人が倒れてる」

 のっぽは叫んだ。

「おじさん、おじさん大丈夫かい」

 ふとっちょは丸太を転げ落ちて這いよる。その気配で男が何とか顔を上げた。がりがりにやせこけた黒ひげの顔に目がぎらぎらと光って、2人は一瞬犬のようだと思った。後ずさろうとした二人の足首をしっかとつかんで、男が哀れな声を出した。

「お願いだよ、助けておくれ。もう何日も食べてない。住んでた村が無くなって、一人寂しくおだぶつだ」

 涙を流す大人の男にびっくりして、二人はその場に留まった。

「いったいどうしたっていうんだい」

「何があったらそんなかわいそうなことになるんだい」

 あわてて寄り添いなおしながら、二人は自分のお弁当を取り出して男にあげた。男はけがや病気はしていないらしく食べ盛りの二人の弁当を平らげ、ついでに水筒の水も飲み干す。

 二人のお腹はぐうぐう鳴ったが、あんまり勢いよく食べ尽くされてしまうのが面白くて、ずっと様子を見ていた。

 食べ終わって大きな息を吐いた男は、丸太にもたれてようやく落ち着いた様子で、目の前に座る二人を見た。

「ああ、ありがとうお若い羊飼いさんたち。おかげで何とか命拾いしたよ」

 さっきよりも大人らしい話し方になった人を自分たちが助けたのは、二人の少年にとって面白かった。

「人助けができてよかったよ」

 のっぽは大人っぽく言った。

「おじさん、ものすごい食べっぷりだったね」

 ふとっちょは楽しそうに茶化した。

「なんていい子たちなんだ。お腹を空かせてしまって申し訳ないね。いったいどうお礼をしたものだろう」

「何があったのか聞かせておくれよ」

 男が考え込むと、のっぽが弾むように言った。ふとっちょもこくこくうなずく。

「どうしてこんなとこにいたの」

 心配そうに目をきらきらさせる二人に、男は困ったようにあごひげを撫で、すぐに根負けしたように微笑んだ。

「それじゃあ、命の恩人に身の上話を聞いてもらおう。ついでに羊も見ていてあげよう。何せ、私も羊飼いなんだ」


 いかにのんきな羊たちでも、突然知らない人間に番をされるいわれはないとばかりに大きな輪で3人を囲む。

 遠巻きにもこもこと広がる白い眺めに懐かしそうに目を細めて、男は丸太に腰かけた。

「私の村にもたくさんの羊がいたんだ。これよりもっと多かった。地の果てが見えなくなくらい多くて、いつもよく食べて毛皮をたくわえていた」

「すっげぇ」

「うん。毛皮も上等で、街に売るだけじゃなく食べ物と交換してほしいと村に来てくれるひともいたくらいだった」

「いいなあ」

 相槌に気をよくしたのか、足元の草をちぎると長い音の草笛を吹く。こうして羊たちに聞かせてやっていたんだ、と得意げに鳴らした。

 遠くに響く草笛の唄。二人も真似をして草をちぎるが、全然音は出なかった。

「けれどね、村はもうなくなってしまったんだ」

 暗くなった声に、二人は草を落として目をみはる。悲しそうにうつむく男はしばらく口を利かなかった。

 傾いた陽で男の顔は真っ黒な影になる。どんな顔をしているのか全然見えなかった。

「どうして、村がなくなっちゃったの」

 のっぽが我慢しきれずにきいた。

 ふとっちょはうまい言い方がわからず、目だけで相棒に続いた。

「おおかみが、きたんだよ」


 羊飼いにとって最も恐ろしい言葉に、二人は顔を見合わせた。

「君たちのように私はのんびり羊の番をしていたんだ。いつものように居眠りしてね。そして目が覚めると、羊は一匹もいなくなっていた」

「おおかみじゃないよ。そんなにたくさんは食べきれないもの」

「おいらもちがうと思うよ」

「違わないさ。私もかじられてたんだ。そこら中探しても羊は一匹も見当たらず、血を流しながら私は村に走った」

 傷跡は見せてくれないけれど、胸をさすっている。うつむいてそこを見つめて、静かに静かに男は話した。

「奴らは群れで来ていたんだ。だから羊も食べきれた。でもそれだけじゃない。奴らは、羊ではお腹が膨れなかったんだ」

 のっぽは少し腰を浮かせていた。大人びていても声が出ない。隣のふとっちょが草を握りしめて震えているのに、呼びかけることができなかった。

 輪っかを広げている羊たちを呼び戻すこともできなかった。

「村の人はね,みんな死んでいたんだ。みんな、食べられてしまっていたよ。私の妹は顔が残っていたけれど、抱きしめようとした服の中は空っぽだった」

「おおかみが、そんなことをするの」

 ふとっちょが震える声で言った。

「優しい羊飼い君、泣きそうになっているね。ありがとう、君はやっぱり優しい子だ。お友達のほうが賢いのかもしれないけれど」

 遠くから、草笛のような唄が聞こえた。やわらかい喉から発せられているような、呼び声。浮かした腰が、震える膝で地べたについてしまったのっぽは、ずりずりと羊たちの輪の中を目指す。ようやくひぃひぃと鳴き声を漏らしたふとっちょが手を伸ばすが、のっぽはすでに三歩も離れていた。

「一人寂しくおだぶつになったはずの身だ。奴らと同じことをするくらいならくたばると思っていたが、優しい人に出会って気が変わってしまった。かわいい羊たちを無駄にはすまい。命の恩人の羊飼いくん、本当のことを打ち明けよう」

 ようやくのっぽは羊に隠れたが、その時強い風が吹いて羊たちが駆け出した。必死に毛皮につかまってのっぽは逃げる。

 それでもその声は聞こえてしまった。

「はじめから、おいしそうな君に話しかけていたのさ」


 羊飼いの村は大騒ぎになった。普段早すぎるくらいに戻ってくる二人が戻らず、羊たちだけが走って戻ってきたのだ。そのなかに、のっぽにしがみつかれた羊がいた。泣きわめいて羊から離れようとしないのっぽをどうにか引きはがしてみれば、おおかみが、おおかみが、と泣きわめく。

 大慌てで猟師が野原に向かい、倒れているふとっちょを見つけたひどい噛み傷から血が流れていて、うんうんと呻いている。

 ふとっちょを連れて帰った猟師は、村の人たちに首をかしげながら話した。ひどく傷を負っているが命が助かっている。おおかみなら、周りにいた羊から襲うはずなのに不思議なものだ。羊は一匹も傷ついていないし、ふとっちょも噛まれているが肉を食べられていないんだ。命が助かって何よりだが、一体全体どうしたことだ。

 そう言い終わったとき。村のお医者の家から、のっぽの悲鳴がこだました。親友の怪我を見てしまったのだと、大人たちは痛ましく表情を暗くした。

 真っ暗な家の陰から、毛むくじゃらの男がその様子をうかがっていることも知らないまま。


 羊の番は二人で一組。平和な時代はもう終わり。

 羊の番には大人が立つ。いたいけな子供はすぐに騙されてしまう。

 羊飼いがおおかみを見たと叫んでも、決して助けに行ってはならない。羊どころか、みんながみんな食べられてしまう。


 いくつもの村が跡形もなく、非情の掟だけが今日まで残る。

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